第3話

 朝が来てしまった。


 ほとんど眠れなかったため、頭がぼんやりとしている。

 起き上がり、私の感情とは関係なく、いつも通りに体が動く。


 テーブルには居候の書置き。

 内容はいつもと一緒だが、最後だけが違う。

 昨日あれだけ文句を言っておきながら、晩飯がなかったことへの嫌味をいちいち書き残し、今日はハンバーグが食べたいだのと――そんなふざけた要望まで書き記している。


 一応、あの人は私の保護者として、この家で暮らしている筈なのだが?


 つい、鼻で笑ってしまうと、紙を丸めてゴミ箱に捨てた。


 冷蔵庫にある残り物で適当にお弁当を仕上げる。


 すべてが終わった後、もう一度、鏡に映る自分の姿を見た。

 白シャツに紺色のカーディガン。

 二年を表す緑色のリボン。

 グレーのチェック柄のスカート――長さは校則の指定通り。

 靴下は無難に白。

 髪は後ろで一纏めにしただけのありきたりな結び方。

 身長は157cmと標準的な高さ。体型も普通で、顔もおそらく普通。ただ、ツリ目のせいか、目つきが悪く、怖がる人がいるとのこと。自分としては、そんなことないと思う。だけど、深雪は私になるべく笑うように言ってくる。優しい人なのに、怖い人だと思われたくないらしい。

 何を馬鹿な、と鼻で笑いたくなるけど、彼女の前では――笑みを作るようにはしている。

 

 私はおそらく、優等生の部類に入るだろう。

 大人しく、先生の言うことには黙って従うし、将来のことを考え暇なときには勉強をしている。

 そのため、成績も決して悪くはない。

 だから教師の評価は可もなく不可もなくだろうが、生徒にとって――深雪意外とあまり関わろうとしない私の評価など、あまりよろしくはないだろう。

 なんせ、深雪に関わらないことについて、私はあまりにも塩対応なのだから。


 あぁ、そんな人間、一体だれが好きになるというのか。

 私だったら絶対に願い下げだ。

 友達にすら、なりたいとは思わない。


 家を出て、一人で歩く。

 その時間は十分にも満たない。

 それでも、その時間はあまりにも長く、遠く感じる。

 いつもの待ち合わせ場所に、深雪の姿がある。

 いつものように、スカートの長さは私と同じ校則の指定通り。

 いつものように、黒いストッキング。

 いつものように、スクールバッグを両手で持ち、スマホをいじることなく私を待っていてくれる。

 いつものように、私を見つけ、嬉しそうな顔で笑う。

 いつものように、両手で持ったバッグを肩にかけ、胸元まで上げた手を小さく振って私を迎えてくれる。


 きっと、そのようないつもが――少しづつ消えていく、そんな気がした。


 学校へ向かうときも、いつも通りの会話。それにホッとしながらも、不安が募っていく。

 


 

 校門の端に小さい女の子が立っている。

 ちっこくか細い体に、大きなリュックサックを背負っている。

 その子を見て、深雪は明らかな反応を示す。

 私は、何となく察した。

 女の子は――おそらく、深雪の顔を見て、無邪気に口元を綻ばせる。小犬みたいに全力でこちらに向かって走ってきた。


「深雪先輩、おはようございます!」


 ああ、もうこいつ絶対に惚れてるだろ! と叫びたくなるぐらい、目をキラキラとさせ、ラブの光線を出しまくっている。

 自分にできないことを平然とやってのけるこの娘に、軽い嫉妬を覚えた。


 深雪は戸惑いながらも、どこか――浮ついている。


 正直、可愛い子だと思う。

 小さい顔にぱっちりお目々。小ぶりな鼻と唇は、バランス良く配置されており、垢抜けた雰囲気を醸し出している。

 高めな位置で作った大きなお団子ヘアーは、自分の背の低さを気にしてのことかもしれない。


 女の子は深雪の直ぐ側まで寄っていく。

 深雪は163cmと私より背が高く、目の前の少女は頭ひとつ分低い。そのためか、彼女は少し背伸びをして深雪の顔を眺める。周りがまるで見えていないご様子。完全にひとりの世界だ。まるで、キスをねだっているように見える。本当、何なんだこいつは。もしかして、私に喧嘩でも売ってんのか?


「こ、小春ちゃん」


 深雪は少し焦った感じで、目の前の少女の肩を揺すった。


「すみません。また、見惚れてしまったようです!」

「そ、そんなこと、こんな所で言ったら駄目だからね!」


 深雪はあわあわとする。


「すみません」


 しゅんとした。


 何だこいつは。


 あざといなー。


「き、気にしなくてもいいからね」


 優しげに声をかける。


 そんな言葉――そいつには不要だと思うけど?

 

「本当ですか?」


 上目遣いで――深雪を見る。

 

「ま、まったく気にしないのは困るからね」

「分かりました! 以後、気をつけます!」


 先程まで落ち込んでいたのが嘘かのように、満面の笑みを浮かべた。


 嘘。


 そう――きっと、嘘だ。


 深雪は困ったように笑う――けど、どこか受け入れているようにも見える。

 だって、人見知りの激しい彼女が、こんなにも普通に話せているのが――もう、すでに異常なことだ。


 私は笑っている。笑っているが――正直、こめかみがピクピクしているのが自分でもよく分かった。

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