第6話 美術部に体験入部

「すみません、体験入部したいのですが」


 僕はクラスメイトの魚石とともに美術部に向かった。


 部員は思いのほか多かった。イメージとしては美術部なんて十人くらいいれば多い方だと思っていたのに、三十人は確実にいる。ほとんどが一年生の男子だが、二、三年生と思われる人もいる。そのほとんどが初心者のような見る価値のない絵を描いている。


「多分こいつら、全員倉中目当てで入ったんだぜ」


「ふふ、動機が不純だね」


 なるほどな。これだけ男がよってくるほどの美人ということか。


 僕の審美眼にも少しは自信がつこうというものだ。


 そのパンツの価値は極めて高いと言えるだろう。


 顧問の先生はよぼよぼのじいさんだ。


「じゃあ、まずは静物画でも描いてみなさい。光の当たり方がどうたらこうたら……」


 中学時代に美術の先生が言っていたのと同じことを話してくる。


 置かれた球と円柱、三角錐をスケッチブックに描いていく。新人はみんな同じことをやっている。上級生や経験者はモデルを立てて人物のデッサンをしている。


 その中に倉中春香も入っている。


 迷わず美術部に入ったのだから、昔からやっていたのだろう。


 真剣な横顔はとても美しい。


「先生、できました」


「え、西館。もうできたの?」


 僕の描く速さに魚石は驚いた。さっさとこんな基礎は終えて、自分も人物デッサンの方に加わりたい。


「ほう、まあまあだね」


「まあまあ?」


「うん、陰影をきちんとつけているし、乱反射した光もきちんと描けている。しかし、グラデーションが雑だ。それから輪郭線もちょこちょこ歪んでいる。せっかくそれだけ速く描けるならもっと丁寧に描くといいね」


 ちっ。手を抜いたのが簡単にばれてしまった。実につまらない評価だ。


「君は、中学時代は美術部だったのかね?」


「いいえ。弓道部でした」


「なかなか筋がいいじゃないか。絵はリアリティの追求と根気強さだ。才能なんかより長い長い経験が重要だ。弓道も精神力が必要だったと思うが、絵でもそれだけのものを発揮してみなさい。きっと素晴らしいものが描けるだろう」


 まじで?


 くくくくく……他の新人たちは僕が褒められているのを見てうらやましそうな顔をしている。


「ふ、わかりました。もっと丁寧に仕上げてみせます」


 僕は前髪を掻き上げながら答えた。


 ◇◇◇


「ぐぬぬぬぬ……」


 結果として僕はリアリティの沼にはまった。


 そもそもすべての物体には輪郭線というものは存在しない。しかし輪郭線を描かないと球を球と、三角錐を三角錐と認識できない。絵とは三次元の立体を二次元の平面に落とし込んだものだ。つまり、全く同じものではない。にもかかわらず見た者に同じものだと認識させる、すなわち相手の中に錯覚を生じさせしめることが最大の目的となるのである。


 リアリティとはあくまでも虚構であってリアルそのものではないのだ。


 おそらくプロと呼ばれる人たちはいくつもの経験を重ねることで、適切な折り合いをつけることができているのであろうが、僕にはまだそれだけの経験はなかった。


 ――ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ。


 突然タイマーの鳴る音がした。


「はい、十分デッサン終了でーす」


 上級生たちが人物デッサンをやめた。


 なんと、たった十分で正確な人物像を描き上げるというのが目的らしい。ちらりと横目で見ると、誰もがかなりのレベルの人物画を仕上げてしまっている。描いた絵は顧問の先生に提出してチェックを受ける。


 これだけでこの部活がかなりのガチだということがわかった。


 だが、僕もパンツを差し出させるテクニックを極めると誓ったんだ。絵だって極めてみせてナンボだろう。


「あー西館くん、輪郭線で悩んでるんだね。わかるー」


 なんと、倉中が声をかけてきた。


「えっとね、光が強いところはぼかして、暗いところは強く描くといいかもって……あ、でも影があるからこういう所もぼかしたりするんだけど」


 僕が困っているところをストライクで指摘してくる。


「ここんところはもっと濃くね」


 スケッチブックに指さすと顔が近づく。


 他の新人たちの目線が突き刺さるように痛いが、こういう時は妙な誤解を生まないためにも素直に従うのがいいだろう。


「どれどれ、俺にも見せてくれよ」


 上級生の男子がのぞき込んできた。


「へー、先生が褒めるだけあるな」


 倉中と僕の間に割り込むようなポジションを取る。


 僕は直感した。



 ――この男も、倉中を狙っている!



 ぶっちゃけ、誰が狙っていようが僕には関係ないことだが、彼氏がいる女子の場合だとパンツがもらえる可能性が激減するだろう。その意味ではあまり面白くない存在だ。


 そもそも倉中にすでに彼氏がいるなら早々に撤退すべきだ。


 その辺りもリサーチしなければならない。


 ◇◇◇


 結局、再提出した絵に顧問の先生はそれなりに納得していたが、表情から合格にはほど遠いようだった。


 くそう、この僕の絵に満足していないだと?


 以前の僕なら、さっさと諦めるか、先生を納得させるために必死に悩んでいたかのどっちかだが、真理に目覚めた今は違う。


 あの先生を屈服させるだけのものを描き上げてみせる!


「おいおい、お前の笑顔って邪悪だな」


 一緒に帰っていた魚石が率直な感想を述べる。


「ふ、負けず嫌いなだけだよ」


 ちなみに魚石の絵は邪念に満ちており、不純な動機で入部しようとしていることが先生に見透かされていた。


 僕は途中で魚石と別れた。彼に付き合って普段は通らない道で帰ったので、新鮮な風景が広がる。


 こんな所に画材店があったのかと思いながら通り過ぎると、偶然店から倉中が出てきた。


「あら、西館くん」


「今日はありがとう。いろいろ教えてくれて」


 爽やかな笑顔を返して、ちょっとばかりリサーチをしておくか。


 だが、彼女は思いがけず積極的に話しかけてきた。


「あのね、西館くん。ちょっとお願いがあるんだけど、いいかな?」

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