第1章 target1 倉中春香
第5話 覚醒の朝
新しい朝は美しかった。
母ちゃんにたたき起こされるでもなく、自ら布団を出る。
「あら、今日は早いんだね。頭の傷は大丈夫かい?」
「ああ、母さんおはよう」
「母さん? なんだか気持ち悪いね。ウーロン茶あるけど飲むかい?」
「そうだね……いや、コーヒーがいいかな」
言いながら食卓の椅子に腰かける。
「あんたいつからコーヒーなんて飲むようになったんだい? それだったら自分で入れな」
「…………」
おしゃれな朝を極めたいと思って飲んだコーヒーは思ったよりおいしくなかった。
僕は目覚めたんだ。
そして決意したんだ。
透子を僕の彼女にする!
そのためには彼女の横に立って恥ずかしくない男にならなければならない。
完璧な起床から始まり、完璧な社会生活を送り、完璧な眠りにつく。
学校の成績はもちろんトップでなければならないし、いい大学に入って一流企業に就職するんだ。――いや、就職というのはちょっとダサいな。起業だ! 学生のうちからすごい会社を立ち上げて何億と稼いでしまう社長になるんだ。
こんな僕はすぐにモテモテになってしまうだろう。
だが、僕は透子だけを愛する。
モテモテの僕なのに彼女だけが愛を独占できる。
こんな幸せはないだろう。
しかし、その前にやり遂げなければならないことがある。
美人のパンツを五枚集めて神様に捧げるということだ。
これによって確実に透子は僕の彼女になる。
パンツを集めるという作業が卑しいものであってはならない。崇高な使命としてやり遂げねばならない。そのための作戦を僕は考える必要がある。
「よう、芳昭。パンツを手に入れるいい方法は見つかったか?」
朝食を終えて自室に戻るとカールが話しかけてきた。
「ふ、その前にターゲットとすべき美人を探さないとね。相手がどんな性格か、どんな事情を抱えているかで戦略はまったく変わってくるはずだからね」
「なるほど、その通りだ」
透子という素晴らしい女性を手に入れるための儀式だ。ターゲットの女の子は並みの美人程度ではだめだ。最高ランクの美人からそのパンツを差し出してもらうべきだろう。
これまで透子しか見てこなかった僕にとってこれこそが最大の難関ともいえるが、己の審美眼を鍛えるいい機会でもある。慎重かつ迅速に見定めていこうではないか。
「よしくん、学校行こう」
そんなことを考えていると、透子がやってくる時間になっていた。
◇◇◇
保育園の頃から一緒に登校するということが至福の時間であったということに、僕はこれまで気づけないでいた。
だけど妙に意識してしまうときちんと話せなくなってしまいそうで、そんなダサい恰好は見せるわけにはいかない。
何より変に思われたら透子に気を使わせてしまうだろう。自然に、これまで通り自然に接していかなくては。
「よしくん、頭大丈夫なの?」
「ふ、目覚めはいつも通りさわやかだったよ」
そう言いながら前髪をかき上げる。
「ぷ、なにそれ。『ふ』とかかっこつけちゃって。頭大丈夫なの?」
く! 安心させようと余裕ある口ぶりにしたのがむしろ不自然さを醸し出してしまった。
『頭大丈夫なの?』が二回出てきたが明らかに前者と後者で意味合いが違う!
「包帯巻いたせいで髪がハリネズミになってかっこいいね。あはははは」
「そ、そうかな」
かっこいいとか言いながら、今のはどちらかといえばからかわれたのだろう。
「そういえばよしくん、部活決めたの?」
高校に入学して一か月、透子はバスケ部に入っていた。
小学校から続けているから、この前はもう試合に出してもらえたらしい。
スポーツ万能、勉強もかなりできる。
透子はすごい女の子だ。
「はうあ!」
そんな透子を男子バスケ部の連中が見逃さないはずはない。
目をつけられたらどうしよう。
「ぼ、僕もバスケ部入ろうかな……」
「えー、中学の時は弓道部だったじゃん。できるの?」
「僕が本気を出せばすぐにできるようになるさ」
「バスケって基本技術が身に着くまですごく時間がかかるんだよー」
確かに……だけど、すぐそばにいないと透子が危険にさらされたとき即座に行動できない。
いや、待て。
この発想はストーカー系の拘束欲求に基づいている。恋人ができて相手を拘束したいという欲求は誰でも少なからずあるはずだ。しかし、一線を越えた支配欲にまでなってしまうと相手の自由を奪うという極めて残忍で理不尽な、まるで人間を所有物であるかのような思考・行動になればこれはもはや鬼畜にも等しい。
「そうだなぁ。もうちょっと考えるよ」
そもそも僕にはパンツを集めるという使命がある。
暢気に部活などやっていられる時間があるかも怪しい。
「そういえばさ、うちのバスケ部朝練しないんだよね。朝が暇でさ、最近お弁当自分で作るようにしたんだよね」
なんと、ここにきて透子は家庭的な側面まで見せようとしているではないか。
素晴らしすぎる。
冗談抜きでうかうかなどしていられない。
速やかにパンツを集めなければならない。
◇◇◇
学校について教室をぐるりと見渡してみる。
このクラスにパンツをもらうべき美人はいるだろうか。
昨日までの僕には女子なんてとくに眼中になかったが、今日からは違う。
『美人スカウター!』
僕はクラスメイトに聞こえないように叫んだ。
もちろんそんな機械を持っているわけではない。なんとなくのノリだ。
カチ、カチ、カチ。
むむむ……透子の美しさが標準になってしまっている僕には、やはり美人を探すのはかなり難しいことのようだ。
ピピピピ……!
むむ! スカウターに反応が! この人は……!
以前、男子たちもかわいいと言っていた。
髪を肩まで伸ばした、大人びた中にほんのりとあどけなさが残る。
水色が似合いそうな、清楚な感じの女の子だ。
なるほど。今まで気にしたことなどなかったが、つるんとした感じのつやつやの髪というのはなかなかかわいい感を高めている。頬の白い肌がほんのちょびっとピンクがかっているのもなかなかいい。
こういうデータは美人スカウターに登録しておこう。
パンツをもらう相手として申し分ない。
ただ、同じクラスの生徒だ。パンツというかなりセンシティブなものをやりとりすることになるわけだから、今後の人間関係を考慮して短慮は避けなければならない。
かといってずるずると先延ばしにすると神様に供える前に透子が奪われてしまうとも限らない。
積極的にデータを集めながら慎重に判断・行動しなければならないだろう。
ちなみに彼女とはこれまでに一言ですら交わしたことがない。
行動パターン、人間性、交友関係等を鑑み、どのようにパンツをもらうかの作戦を立て、実行における不可能性が高い場合は速やかに撤退の判断をしなければならない。
まずはしっかりと観察しなければならない。
「おい、西館。倉中をじろじろ見ちゃって……まさかお前もあいつのことが好きなのか?」
「え?」
声をかけてきたのはクラスメイトの
しまった!
こんな人が多くいる中で観察してたら、余計な誤解を生むに決まっているじゃないか。
「ふ、最近僕は絵を描き始めてね。人間の骨格を観察していたのさ」
「おお、なるほどな」
「デッサンは絵を始める上での第一歩だからね」
「よくわからんが、そうなんだろうな」
よし、うまくごまかせたぞ。
不審な行動は他人からの不信を招く。結果的に倉中春香からも怪しまれることにつながりかねない。となるとパンツをもらうことが難しくなる。
ミスはしないに越したことはないが、リカバリーのうまさのほうがむしろ重要なのだ。
「じゃあ、お前も美術部に入るのか?」
「『も』?」
「俺も入ろうかなって思っててさ」
「そうなの?」
「だってさ、倉中って美術部なんだぜ。お近づきになるにはちょうどいいぜ」
なんだって?
思いがけない情報が入ってきた。
「ふーん」
でも僕はあえて関心なさそうに答えた。
余計な誤解を招いてはならない。
しかし美術部に体験入部くらいした方が作戦立案に有益かもしれない。
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