1.6 シンギュラリティ・コモンズ

 水瀬が格納庫へ向かおうとする。


「今のは?」

「ごめん出動だ、これはシンギュラリティ・コモンズだな」

「シンギュラリティ・コモンズって?」

「害獣駆除、人里に下りたクマみたいな?

 それのさらにデカくなった版」「語彙力」


 言い残して彼はその場から去るが、結からすれば新規の用語はまたしても頭を悩ませる。


「デっカい害獣って――なに、それこそ怪獣でも倒すって?」


 水瀬がいたら、あながち間違いでもないと答えたかもしれない。


「なんかニュースで聞いたこと、なくはないんだけど、ちんぷんかんぷんなんだよね……」


 結は検索エンジンを用いて、シンギュラリティ・コモンズなるものを検索するが、


「なになに――」



 シンギュラリティ・コモンズ

〘名詞〙2030年代以降多発するようになった、生物個体・群体単位の急激な異形化現象を示す。多くのケースで脳容量や骨肉量の著しい肥大を伴うとされる。



 とのみ、百科事典には記載されているようで、それでも簡潔なのだろうけれど、さっぱりし過ぎて対象のイメージへちっとも結びついてこなかった。


「あら、まだいたのね」


 展望室に誰か通りがかって、結は頭を下げる。


「すいません、お忙しそうなのですぐお暇します」

「いやまぁ見る分には好きにしていってくれて構わないわ、ここにいれば、邪魔ってことは少なくともないから。

 切原くんを待っているの?」

「――、お名前うかがっても?」


 すると金髪白衣の研究者は、結に向いた。


「天縫ひさめ、ここの開発主任をしているものね。

 初めましてではないわね。平坂先生の娘ちゃん」

「――、ゼミのひと、学生さんでしたか。

 お久しぶりです」


 結もすこし、昔のことを思い出す。


「もう気づいたかもしれないけど、金紅の叔母――というか、今は義理の母をやらせてもらってるの。……あなた」

「?」

「もう少し近くで彼が何してるか、見てみる?」


 結はそんな機会が訪れたことを、はっきり言っておどろいているけれど、迷う余地はなかった。


*


 司令室へ通されると、緋々絲と黒乃瑪瑙がモニターへ映し出され、地表へと壁面の電磁カタパルト用の固定グリップに掴まり、出動するところだった。


「武装の積載量にほぼ関わらず、あれなら地表へ一気に移送できるから」

「主任、彼女は?」「安心して、優秀な子だから」


 ひさめは部外者である彼女の同室を、無言の圧力で認めさせた。

 無論職員らは誰かと訊いているが、ひさめは勢いで押し切る。


「あの、本当に大丈夫ですか?

 私がここにいて……言うて私が優秀とか、そんなわけ」

「謙虚なのは美徳だけど、それより知っておきなさい、あなたにはその資格があるのだから」


 ひさめは説明を続ける。


「観測所は関係各省庁と連携し、有事――極めて限定的な範囲であるけれど、交感ネットワークとそれにまつわるイレギュラーな案件への要請があった場合、人形を出動させる。

 全国各地で発生するシンギュラリティ・コモンズの殆どは軍で対処するのだけど、ごく稀に、私らに面倒ごとが回されるのよ」

「面倒ごとって、切原くんたちの異能でしか対処できないようなこと、ですか?」

「それも含まれるけど、異能とは関係ない政治的な要因も多いのよ。

 彼らにはいつも、苦労をかけてる」

「どこへ向かってるんです?」

「新世代外郭放水路、暫定調圧水槽予定地。

 移動してからまた地下へ潜るわ。

 そこからして既に不可解なのだけれど」


 結はひさめの言葉の続きを待つ。


「シンギュラリティ・コモンズってのはね、大抵人里や手の加わった土地から離れて群れを形成したがるのよ、そりゃ独自の生態系を確立しようというのだから当然なのだけど、今度のはちと様子の違う」


(独自の、なんて?)


 しれっと重要なことが流されている気がするが、少しづつ調べていくしかないだろう。


「予定地ってことは、そういうことですか」

「ええ既に人の手が入っている場所へ、突如として蝙蝠型の異形らが湧いた。

 ともなれば、相応の理由がなければならない」


 ひさめの顔は険しかった。


「シンギュラリティ・コモンズとはね。交感ネットワークの活性から、ヒトを除くあらゆる生命を知性ある存在、霊長へと覚醒する因子を持つとされているのよ。

 あの子たちが対峙しているのは、そういうモノ。

 これ、オフレコにできるかしら?」


 秘密にすることを求められている。

 誰に言ったところで、突拍子もなさすぎ、簡単に信じてもらえるとも思えなかったが――結は頷いた。


「人がサルから進化したかはさておいて、知性を得て他の生物と一線を画するようになったミッシングリンクは、あるいは交感ネットワークやそれに近しい何かだったのかもしれない……ここでしているのは、そういう研究よ」


 結は来たとき見た、ここの看板を思い出す。


「『繭状不定形体観測所』、ですっけ。

 電波塔ソラノキの繭も、交感ネットワークに関わるんですか」

「というか、あれこそがまさしく人類に交感ネットワークを齎した元凶よ。

 あなたのお父さんが、最初にその本質を見出した」

「!」


*


 水瀬は黒乃瑪瑙の後方支援に徹する。

 地下区画の構造は、予め地形図が頭に入っているなら難なく二人で突き進めた。

 区画ごと、全長二メートル大の群れたちを誘導して分断、音響弾で怯ませてから、クロスカッター、手甲ガントレットを用いて異能で仕留めたり、或いは携帯版の短機関銃サブマシンガンで牽制して動きを封じ込めるを繰り返す。


「すまない金紅、お前にばかり今度は負担が行ってる」

『怪我人なんだから、あまり激しく動かなくていい。

 あとは統制個体を見つければ王手だ!』

「――、そうだな」


 先に倒して群体へ分散されないために、親玉を後回しにしていた。

 金紅は何も言わないが、違和感は覚えているはずだ。

 なぜ人の手が直近入ったはずの土地柄に、短期間で蝙蝠型の群生地へ変貌してしまっているのか?

 統制個体さえ見つければ、確かにからくりがわかるかもしれないが……、水瀬は自分が彼の足手まといであることに、引け目を感じていた。


(別に格好つけたいわけじゃないが。このまま金紅の足を引っ張るのは、いやだ)


 ――お前がいなくても、人形を動かすやつはいるんだよ。


 とは、整備を担当しているあの性格の悪い長浜につくづく言われているところだが、どういうわけか、あいつの整備したオプション武装に限って、肝心なときにジャムったりと整備不良気味だったりする。今回も短機関銃がオシャカだ、この場は暗すぎて調整に向かない。


『どうした?』

「すまん、ジャムりやがった。

 進んでくれ、後方支援くらいはクロスカッターでもこなしてみせる。

 けどあまり前に出すぎないでくれよ? なんでもできるからって――」


 黒乃瑪瑙からのシグナルが急に途絶える。


「は」


 水瀬はホビーを用い、直感的に後退する。

 直後に向かう道の上から、土石が崩れた。


(なにが、起きた?)


 状況を確認しなくてはならない。

 今感じた違和感はなんだ、前方でなにかが起きている。

 センサーからデータを呼び出す。


「見取り図には無い大穴が通路の上下に隣接してる?

 異形が掘ったのか、金紅っ!?

 金紅聞こえるか、返事をしろ!」


 応答がない。それにしても、


「機体の信号がまったく消えてる、一帯の電波妨害でなければ、黒乃瑪瑙だけを狙って?

 ひさめさん、聞こえますか!?」

『こちらでも黒乃瑪瑙の交信が途絶えた、切原くん周辺を警戒して!』


 水瀬は固唾を飲んで、次に向こうがどう出るかを待つ。

 土石が収まると、通路の先に、黒乃瑪瑙が落とした短機関銃の一丁がある。

 できればあれを拾って回収したい、敵をいたずらに刺激するだけかもしれないが。


(横穴がわかりやすいな、赤外線で大掛かりな熱源が見えるな、あれが統制個体。

 交錯ざまに音響弾で揺さぶりをかける!)


 黒乃瑪瑙の行方は気掛かりだが、何も掴めないよりは接近してデータ収集にあたろう、最悪の場合、軍が介入して鎮圧するだろうが、自分の役割を見失っては、金紅を助ける望みが薄れるだけ――すると水瀬に迷いはなかった。


*


「なんなんだよあれは……!」


 あっさり残弾を散らした金紅の弾倉をパージして、水瀬はふたたび通路を後退する。

 そこで見たのは、これまで遭遇した中でももっとも奇っ怪な異形――人形を丸呑みに、なおも自立を保っている、全長10メートルはあろうぶくぶくと膨れた蝙蝠の親玉だった。

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