1.5 遅刻欠席常習犯
翌日の午後、結は観測所にいた。
「金紅くんから、ゲスト用の入館証出してもらったんだ」
とのこと。
水瀬は怪訝な顔を作る。
「なんで、来たの。昨日の今日で」
「切原くんこそ、昨日はあんな包帯まみれだったのに、今日はもういいの?」
結のほうとて、水瀬の負傷が表面的には完治していることを訝しむ。
補助脳と接続すると予めそこに刻まれた身体情報をベースとして、細胞の欠損箇所に特殊な修復作用が働く。じつはこれの原理があまり明らかにならないままなのだが、水瀬が今なお五体満足でいられるのは、それによるところが大きい。
ただし神経系に及んだ障害などは、完治まで著しい期間を要するうえ、補助脳を扱う時点で本来的に相当な高額、むろん保険など適用される代物ではないので、水瀬が自己負担しなくてはならないところを観測所との雇用契約でなんとかしてもらっているのだ。
「俺のことなんてどうだっていいだろう。
きみを傷つけた」
本当は昨日時点でも体表の火傷痕はひどいものだったが、今は見られても困らないところまで治った。もっとも補助脳の接続も、フラッシュバックがあったようにけしてノーリスクではない。細胞の新陳代謝にどのような影響を与えるかはまだ臨床データ待ちであり、酷使すれば急速に身体の老化が進む可能性も考えられた。
水瀬は補助脳が運用され始めてから、もっとも長期に及び、それと接続している被験者でもある。現状、代謝異常による老化に見舞われていないことにはほっとしているけれど、どのみち長く生きられる自信も展望も感じていない。
「そうだね。
ここにはきみのお父さんを知っている人がいる」
弾むような話もなければ、返す言葉の先に詰まった。
昨日は謝ったが、あれは勢い任せを否めず、なれば水瀬はまた頭を下げる。
「昨日はあんなことになって、本当にごめん」
「わざとじゃ、ないでしょ?」
「それでも……だよ。きみの言葉で聞くべきなんだ。
結局は藍野さんが決めることだって、でもそうさせてしまうのは俺だから」
「私だって、気まずいのは嫌だよ。
せめて教室で会うときは、普通にできないかな?」
水瀬は無言で頷く。
「気を、つける」
けれど結は不安が拭えない。
(切原くんというより、いつまでも気まずくしてる私自身の問題でもあるけど、するとどうしたら)
昨日できあがってしまったアクシデントを払拭できるか、結なりにここへ来るまで頭を絞っていた。
「まぁ、……絶交なんて簡単にしてやらないけどね」
「?」
結がなにを考えているのか、水瀬には測りあぐねる。
話題は次へと移っていた。
ここは格納庫内を一望できる展望室で、ゲスト用の許可証で入れるのは権限的にここまでだ。とはいえ、平時ならゲストはおろか職員でさえここに来ることのほぼ稀で、ほとんど水瀬が待機する暇つぶしに使ってきたところである。
金紅はその習性から位置を割り出し、結がエンカウントできるようはからったかもしれないが、大きなお世話だ。
「遅刻欠席常習犯の切原くんが何してるかと思えば、こんなところでお人形さん動かしてるとはね」
「――」
自分の生活に、彼女が介入しようとしている瞬間に、水瀬は正直落ち着かない。
「金紅くんのためなんでしょ?」
「なんでそう想うんだ?」
「見てればわかるよ、ふたりの間には私の知らない絆っていうか、他人が割って入れないっていうのは」
昨日あれだけ牽制されればそうもなろうが、それを結は口にしない。すると水瀬は彼の想いに無自覚なように見える、結は水瀬の蒙昧を哀れに思う。
「そういうものかな。別にあいつとは仕事というか、契約上のパートナーには違いないけど、あいつが何考えてるのか、俺には一割がたもわからないことが殆どだし。
あいつは頭が良くて、愛嬌のあって……俺には無いものを沢山持ってて、だから十人いれば十人みなが金紅を選ぶ、そんなこと当たり前で、そもそも俺とあいつを較べようところからして滑稽なんだよな」
格納庫を見下ろす彼女の背中へ、彼が思っている当たり前のことを率直に話すだけだ。
けれど結は、それが不思議だったらしい。
「好きな子でも取られた、BSS的な?」
「いやないから」
僕が先に好きだったのにって、苦いミームだよなとは想う。
まさに今が危うい状況じゃあるかもしれないけど、そもそも水瀬には、
「俺には人に好かれるだけのもの、何もないからね。
性格が悪いのかもしれないし、面白みがないってのかも、いずれにせよ、俺がモテないのは金紅とは関係ないことだし」
「わりにちょっと早口だね」「そういう追認を求めないで?」
ひとの劣等感という膿んだ傷口に塩を塗りたくられるような歯がゆさのあって、たぶん藍野さんはそこまでを楽しんでいる。道化は俺か。やるせなくなってきそうだ。
「あの赤いのに乗ってるの、ぼろぼろじゃん?」
「そうなるな」
「兎? にしては顔付きがちと厳つすぎやしませんかね」
「
耳みたいに見えるのは触覚状のセンサー器で、蚕の成虫と髑髏とを足して二で割ったらこうなるような、有機的な異形顔――これがパワードスーツの顔だと言うのだから、ひさめ女史のセンスは謎である。
「蚕って、糸を吐くアレですか?」
「糸を吐くアレだね」「ほへぇ」
デザイン自体も必要があってそうしてるはずだけれど、趣味がいい造形とは言えないかもしれない。水瀬は見慣れてしまったが。
「
交感ネットワーク理論を世界で最初に提唱し、補助脳を開発したのは平坂拠邉、きみの父親だ――あの人が何をしてたのか、知りたい?」
「そりゃ……切原くんが話してくれるなら、かな。
一応、覚悟はしてきたつもりだけど」
水瀬は静かに息を吐いて続ける。
「世界から異能を消したかったんだ」
「異能――切原くんたちが使ってる、超能力を?
消すっていったい」
「飛躍しすぎて想えるだろう?
異能使いそのものは人口比に対したら割合として微々たるものだけど、この三十年近く、力を発現して暴走するやつは沢山いたよ。
平坂は、俺みたいのを含めてそんな異能使いが嫌いだった。
どうして嫌いだったかまでは、本人に聞いてもわからなかったけど……あいつは補助脳で拡大した俺の異能なら、究極的にはそれが可能だと考えた。
俺もある程度同意して協力してたところはあるよ」
「どうして、辛くて痛い思いしてまで」
「だってさっぱりするじゃないか、異能なんて非常識を無秩序に扱う
金紅のように、社会へ貢献するかたちを目指せる方が稀なんだ。
たとえ日常に異能があったところで、それが社会を生きる上で本当に必要かと言われれば、けしてそうじゃないんだよね。
俺はあの男に会って、初めて邪魔で無価値な自分の力に、意義を貰えたはずなのに。
結局あの男のもとで、なんの成果もあげられなかった。
そう考えると、あいつには不憫とも、申し訳ないことをしてしまったなとも想うよ。
晩節を汚してしまったようで……」
「そんなことを、切原くんが背負う必要も責任もないじゃない。
身体を壊してまでやるようなことじゃ!」
「異能が消えた世界でなら、初めて俺は、当たり前のひとりとして認めて貰えたかもしれない――なんてのは思い上がりだよね、そりゃそうか」
水瀬の言葉の節々に滲む悲痛を感じたなら、結も息が詰まりそうだった。
「私なんかにそう言われても、困るかもだけど。
父さんはできなかったことの不足を、切原くんに押し付けたりしないと想うの、だから……もう自分を、許してあげて」
「――、そうかもね。
ありがとう、俺なんかを気遣ってくれて」
それは言葉でしかないけれど、親身な言葉だったから。
水瀬は結の言葉を咀嚼し、時間をかけていずれは受け入れられるようになれるかもしれない。それがいつかはわからないし、あるいは命数が尽きるのが先かもしれないが、この人の言葉を軽いものにしない、そんな生き方を探して見たい気がしないでもなく。
格納庫から、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます