1.4 アヌンナキ

 それにしても水瀬には、結がまだここにいることが不思議でならなかった。


「私は」「――」

「私が、切原くんを巻き込んだの?」


 水瀬は返答に窮すると金紅を見やるが、彼は首を横に振った。

 自分で考えろということだ、言われずとも。


「それは」

「まだなにもちゃんと、答えてもらってない。

 お父さんのことだって……あなたの顔が見えないまま、そんなの」

「違う、きみの責任じゃない」

「私にここを教えた女の人、なんだよね?

 お父さんの知り合いって、名前ぐらいきちんと確かめておくべきだったのに、切原くんのことばっかり、一方的に攻めて――そりゃ呆れるよね、私になんか。

 切原くんは私を守ろうとしてくれて」

「違うと言ってる!」


 水瀬は声を荒げたが、機嫌が悪いのではなく、体調に振り回されながら、やむなく場を制するには、そうするほかないのだ。彼女の肩がびくりと震えて、自分はまた彼女を怯えさせたことを悟る。水瀬は畳に膝をついた。


「ごめん、怯えさせるつもりなんてなかった、ただ、今日は――限界、みたいで」


 彼女は見下ろすと、彼の顔色が悪いことに気づく。そして服の下の全身が包帯に塗れていることも。


(私、そんなことにも気づかないで、自分の都合を押し付けた?)


 するといつの間にか、土下座までさせている。


「許してくれとは言わない。

 平坂は俺が殺した、俺のせいで死んだ。

 俺が異能を使ったから、死んだんだ」

「――」

「だから俺はもう、きみに異能を使わない、約束する。

 きみを傷つけたくないから、俺は、ここにいちゃいけない……本当は、何処にも、なのに」

「顔、上げてくれますか」


 水瀬が静かに首をもたげると、彼女は瞬く。敬語は彼女なりの線引き、距離感の再構築をはかっている。喉元でなにか閊えている気がした。まだ全てを納得していない、けれど彼の謝罪を見ていると、惑う。


「わざと誤解させるようなこと、最初言いましたよね?」


 水瀬の目は揺れたが、依然こちらを真っ直ぐと見ている。


「すぐにじゃなくていいけど、本当のこと、いつか切原くんの言葉で教えて欲しい」

「――」


 水瀬は頷く。その姿が結には、悲壮にすら見えた。


*


 金紅は結を駅まで送る途中、やけに辛辣であった。


「なにも水瀬が、直接手を下したとは言っていないだろう?

 あんなのは言葉遊びだよ」「――」

「俺は平坂という男が、つくづく嫌いなんだよね。

 水瀬を人体実験まがいの過度な投薬で廃人寸前に追い込んだのは、きみの親父だ。

 おかげで水瀬は現在に至るまで、補助脳を通じた肉体の調律がなければ、日常生活すらままならない、今日それを見ただろう?

 きみの親父は大人としてのまともな責任も果たさなかったくせをして、死に際で仏心が芽生えたか、水瀬の前へ無為に身を投げた、あいつを庇って撃たれたよ。

 最期まで、水瀬を傷つけることしかしてこなかった。

 あいつの口から、それを聞けたことはないけどね――少なくとも碌な心境ではいられなかったはずだ、なのにきみが現れてしまった」

「無神経だって言うんです?」

「いいや、はっきりさせておこうと思ってね」


 金紅は宣言する。


「きみは親父さんに良き父であって欲しかったのか、本当の父の仕事を知って変わらずにいられるか、その覚悟を問うてる。

 即ち、水瀬にも及ぶことだ」

「わかりませんよ、そんなの。金紅くんて意地悪なんですか?」

「あいつのためなら、俺はいくらでもそうなれるよ。

 異能使いの数は少ない、あいつの孤独を本当の意味できみは知らない、知るまい。

 あいつと他人のままでいたいなら、それで結構。

 きみにとって、切原水瀬とはなんだ?」

「一応、クラスメイト、ですけど。よく学校休んでる、今日なんて危うく無断欠席みたいだし、事情は知らないから心配してますよ」

「これまで顔と名前が一致しなかったんですっけ?」

「そんなこといつの間に話してたんです!?

 って、部屋出るときか……」


 結は額に指をのせ、かぶりを振る。


「水瀬はきみが平坂の娘だとは、今日初めて気づいたんだ。

 ならなんでこんなものを、後生大事にしてたんだか」


 金紅が焦げた手帳をとりだすと、結も破損すれどそれが水瀬の生徒手帳らしいことに気づいた。


「あげるよ、君の好きにしていい」

「切原くんの生徒手帳じゃないですか、返してこないと」

「本当にこのまま返していいのかね」

「え?」


 金紅は結に渾沌を残して、ひらひら後ろ手を振って立ち去ってしまう。

 結は手帳に挟まっていたチェキに気づく。学祭のクラスTシャツを着た自分が映っているということは……今しがたの金紅の言葉を思い返す。


 ――水瀬はきみが平坂の娘だとは、今日初めて気づいたんだ。


「え」


 いやまさか。そんな、今日まで存在に気づかなかったクラスメイトに?

 でもこれが切原くんの手帳で、そこに父さんの子と気づかず私の写真だけがぽつんと挟まってるってそれ……


「これ、私が知って大丈夫なヤツですか……!?」


*


 最悪の一日を、観測所の医務室で水瀬は終えようとしている。

 金紅には気づかれたやもしれないが、最初に結が逃げた直後、尾行者からのコンタクトがあった。銃を突きつけられ、向こうは水瀬が異能使いであることも知っている。


 ――目的は?


 水瀬がそう問えば、案外素直に答えてきた。


 ――異能の申し子、あなたが必要なのです。

 我々がニビルを復古するためには、そうすればあなたがたは復活した天地にアヌンナキとして君臨する。


 検査結果をまとめながら、ひさめが口を開く。


「よもやアヌンナキの新説派とはね。金紅にはまだ話していないの?」

「異能使いが必要なら、俺でなくあいつのほうを選んでいいはずなのに、接触がなかったのは引っかかります」

「買い被りでもないわね、界隈ではあなたも金紅も、それぞれに名が売れてるはずでしょう。どうして切原くんなのか、はもうちょっと探りを入れるべきかもしれないけど、こういうのってまず公安とかのお仕事でしょう?

 よもや木製圏辺境の新興カルトなんて、新説派ってのはなに、初めて聞いたけど?」

「どマイナーもいいところなんで、俺も忘れかけてましたけどね。

 『アヌンナキ』と呼ばれる団体は、この場合彼らの崇拝する人類以前に存在した上位種族の名前なんです。オリジナル側は教義で現行人類にアヌンナキは含まれないとしているんですが、新説派は覚醒した異能使いこそが先導者となり、ニビルという惑星とアヌンナキを復古するトリガーになる、あるいは異能使いこそアヌンナキの再来だと考えている。

 なんで向こうゼカリアなにがしのトンデモ本が流行っちゃったんでしょうね、ダイソンバイオス圏って……」

「根ざす歴史が浅すぎると、偽書の類はあっという間に拡散するそうよね。

 では検査の結果ですけど、やはり補助脳からの過負荷がフラッシュバックを引き起こしたようね、藍野さん相手に異能が制御できなかったのも、それが原因でしょう」

「――」

「厳密には装甲へ余剰に交感、蓄積された熱エネルギー、あれは実際に触れるまで当初の想定にないことだった対策が必要ね、同じ轍を踏まないために。

 事故だとわかってても、自分のやらかしたなら責任から逃げたくない?」


 水瀬は目を逸らす。


「いくら調子が悪かったとしても、異能は当人のメンタリティに効果が左右される。

 俺が惰弱だから、あの人を傷つけた」

「そう考えることを否定はしませんけど、今更。

 自分を追い込みすぎないでね、それこそ彼女をまた傷つけるかもしれないのよ」

「――、その通り、ですかね」


 水瀬はくたびれた顔をしていた。

 初めて話せたはずだったのに、その記憶は恐怖と最悪で血塗られたとすれば、俺がそうしてしまったのに。どうすれば償える?

 こうなった以上、これをなかったことにはできないし、してはならないだろう。

 するといつかのあれを、また思い返している。


 ――暴力的な人は、苦手かな。


 水瀬は歯噛みした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る