1.3 暴走

 金紅はモバイルモニターを用いて、キューブを展開してのちの虚を確認している。

 虚にキューブが馴染むと、最初から虚などなかったように同化し、繭自体も見えなくなってしまった。

 それと同時、それまで水瀬へ執拗に襲いかかった蜘蛛の異形らも繭の表面へ溶けて消えてしまったのだから、薄気味悪い。

 緋々絲の損耗は酷いものだったが、観測所で実働できる人形は現状二つのみ。

 これを金紅たちはまたすぐに出動できるよう、調整しなくてはならない。

 格納庫、人形の足元で腕を組み仁王立ちする金紅――整備していた職員が、上から顔を覗かせて報告した。


「ガトリングは予備を換装できますが、装甲は本格的な改修を待たなければなりません。

 長刀のたぐいは……切原しか使わんでしょうし、クセの強い装備に拘ってもしょうがないでしょう。野郎、派手にぶっ壊しやがって」

「現状、ヒヒイロノイトを世界で唯一搭載できた機体だ。

 扱えるものは限られる」

「なれば坊ちゃんは、あんなヤツにこれを任せていいんですか?」

「あんなヤツ、な」


 金紅は職員の長浜の言葉を敢えて聞き流す。

 聞き流せなくては、自分の器の底が知れるだけだ。


「我々が人形を本当に託せるのは、坊ちゃんだけですよ」


 ひさめがいないところだから、というのはあろう。職員は好きなように言っている。

 金紅もそれを止めるつもりがなかった。


「ところでなんですが」

「?」

「あれの私物のようです、余計なもん持ち込みやがってバカなのか?

 これ、坊ちゃんのほうで捨てといてくださいな。そんでもって、あいつにビシッとお願いしますよ」

「――、ほぉ」


 煤けた手帳が放られ、金紅は興味薄げな顔でそれをキャッチするも、中身を開いて確認するうち、いやな笑みを浮かべる。


*


 水瀬はシンクに転がる輪状のまっ二つなマグカップを見て、愕然とする。


「補助脳のフラッシュバック、ダメだな異能の制御が利いてない、これは――今日シフトも入ってたのに」


 学校と職場バ先、どちらから連絡入れようと考えて、後者にした。

 しかし泣き面に蜂、問題というのはこういう時立て続けに来るものらしい。

 水瀬は通話口で愕然とした。


「もう来なくていいって、俺はクビってことですか」

『きみ保護者に黙ってバイトしてたんだってね、うちではそういうの困るんだよ』

「誰がそんなふざけた――嘘を?」


 心当たり、金髪の女研究者が脳裏に浮かぶ。あの女なら、やりかねない。


「違うんですバイトリーダー!」

『どうでもいいよ』

「は」

『きみは最初から信用に足らない、辞めてもらうには充分だろう』

「――」


 ……全身包帯まみれだったが、首より上に外傷は残っていない。

 とはいえ、水瀬はかろうじて起きているに過ぎなかった。

 本当は眩暈しているのを堪えながら、直後の着信におおよそを察する。

 水瀬はひさめへ声を荒げた。


「俺が自分で選んだ仕事だッ、勝手に辞めさせられる謂れはないでしょ!?」

『切原くん、あなたには人形に集中して貰いたいの。

 あそこは別に、あなたを大切にしてくれる職場じゃないでしょう?

 お金のことなら相談に――ねぇ本当に大丈夫?

 体調が悪いなら午後にでも――』

「いつからあんたは俺の保護者になった!?」


 水瀬はもうひさめの声を聞ける気分ではなかったなら、端末の電源を落として布団の端に放り、自身も倒れ込んだ。電話越しに不調をけどられたところからして恥ずかしい。

 本気で保護者を気取るなら金紅にそうしたよう、水瀬のことも養子に迎えれば済む話だ。ひさめにはそのつもりもないだろう、水瀬自身、そこまでしてもらうだけの可愛げを自分が持たないとはわかっているし、自らそうなりたいほど図々しくもなれない、そもあのがさつな人に心を許せない。

 退職の勧告って最低一ヶ月前にしなきゃじゃなかったっけ、みたいな民事的なことがどうでもよくなるくらいには、全身と脳が疲弊しきっている。

 口にこそ出さないが、昨日死んでおけば、こんなことに煩わされることはなかったはずだと半ば本気で考えながら、眠気に吸われた。



 ……築100年近く経っていると聞いたが、このクソ物件よく旧都内で残っているよな。それが本当なら、建築基準法とか大丈夫? そういうリスク承知で安価に借りてるのはあるけど。

 昭和な低いブザー音が連続し、水瀬はやむなく身を起こした。

 本当なら居留守を決めたいところだが、相手が金紅ならドア壊して踏み込んできそうだし――そこまで乱暴でもないか、ないのか?

 端末の電源を再度立ち上げると、時刻は16時を回っているので、思いっきり学校を寝過ごしたことになる。


「あいつ……」


 玄関口のレンズを覗いた。

 次には驚いて、扉の上から鎖を外すや鍵まで一気に開く。


「あ――藍野さん、どうしてここに?」

「なんで私の名前、知ってるんですか」「え」


 一度も話したことのない、クラスメイトの少女がいた。

 警戒されている、らしい。


*


 金紅は夕刻、電柱の前で息を切らす制服姿の茶髪の少女を見かける。

 なんだかただならぬ様子で、ぶつくさぼやいていた。


「だとしたらなんで……あんな苦しそうな顔するの」

「――」

「どうしよう、鞄、部屋に忘れた。取りに行かないと」


 左の頬が切れて、出血している。水瀬の生徒手帳を取り出し、中に挟まったチェキ、被写体は彼女らしい。どういう経緯かは知らないが、彼女が水瀬の想い人、あるいは関係者には違いないだろう、この道をまっすぐ行けば、水瀬のボロアパートがある。


(水瀬の異能、てことは)


「暴走したのかあいつ、なるほどねぇ」

「!?」


 少女は近づいたこちらに気づき、身を引いた。


「驚かせてしまったか、僕は天縫金紅あまぬいルチルというものだ。

 通報が必要かな、あるいは騒ぎにしたくないなら、そのようにも対応するけれど」


 彼女はまともに話せるようでもなく、首を横に振った。

 水瀬の異能、かまいたちの如き斬撃にあてられたのなら、その非常識な力に怯えているのか。


「僕の力はあらゆるを縫う、天衣無縫とは大仰おおぎょうな言葉だけど。

 その傷、切原水瀬にやられたんだろう?

 灸を据えるなら手伝ってやるけど――そうだ、僕は彼と同じ、異能使いだよ。

 するとそう、切原水瀬の異能は、あらゆるを断ち切る力、斬撃だ」


 信じられないのも無理はない、と言わんばかり、彼は彼女の頬を指で拭ってみせる。


「体感するほうが早いかな、もう一度鏡でも見てみたまえ」


 金紅は彼女の手にしたコンパクトを見るよう促す、どうせ一度自分で血を見ているなら、急に倒れる心配はないだろう。


「――、本当に」「傷が消えている?」

「どうして消しちゃったんですか!」「!?」

「私にはこれだけが、あの人と私を結ぶ、たったひとつの手掛かりなのに!」


 想っていたより、押しの強いお嬢さんだった。

 名前は知っている。昨日格納庫で写真を見てから、思い当たるところがあり、関係者をざっくりと調べ返した。するとヒットしたのは、


「きみ、平坂拠邉ひらさかよるべの娘だな。名は確か、平坂結ひらさかむすび

「今は藍野あいのです、私の親権は母に行きましたから」

「じゃあ藍野結あいのむすびさん。どうして水瀬の前に現れたりなんかした」

「!」


 金紅の口調は既に厳しい。結も訊きたいことのあった。


「本当、なんですか……切原くんが、父を殺したって?」

「思い当たる節はあるが、まずは落ち着こうか。

 鞄がどうとか言ってたね、なんなら先に取りに行ってあげようか」

「いいえ」


 結は首を横に振る。


「まだ怖いし、私一人では無理かもしれないけど、確かめなきゃならないことがあるんです。

 切原くんのところ、一緒に連れて行ってもらえますか」


 彼女なりの覚悟が、少しは固まったらしい。


*


 ドアノブを握って離れない。金紅の仕業だろう、腕が扉に縫いつけられている。

 水瀬は身体を揺らし、異能でドアノブを内側へ引き抜く。

 結らふたりの姿を見て、水瀬はひどくげんなりする。


「鞄だけ取って、大人しく失せてればいいものを」

「憎まれ口はその辺にしておけ、らしくもない。

 かしドアノブぶち抜くとは、大胆というか乱暴なやつだな」

「やらせたのは誰だ?」「ね、昔っからこういうヤツなんだよ」


 結は居心地悪そうに肩を揺らしている。


「入っていいか?」「帰れ」

「ならこのままお前を引きずり出してもいいんだぞ」

「――、金紅どこまで知ってる」

「アパート裏の電柱に張り付いている、不審な誰かさんのこととかかな?」


 水瀬は渋々、またふたりを部屋へ招き入れる。

 部屋のカーテンは閉じていた。なぜか軽く風が入ってきて、ガラスが散っているようだったが?


「僕も何者かまでは特定できていないが……ユイさん、きみやらかしてくれたね」

「え?」

「尾行されてたんだよ、水瀬がここにいる確証を得るために。

 向こうさんは」

「!」

「金紅、やめろ。

 ゆ――藍野あいのさんは、関係ない」


 あっさり彼女をファースト、いやニックネームで呼ぶ距離の詰め具合に、男としては軽い敗北感を覚えた水瀬だったが、こいつになら仕方ないと今は聞き流すことにする。


「でもそうだろ?

 お前は半年前にここへ越してから、プライベートでは誰にも住所を教えてない。

 ご家族って線は薄そうだし、すると本当にまったく知らない?」

「心当たりはなくないけど、身内ってことはないだろうね。

 こんな迂遠な真似をしても意味のない、どうして」

「そりゃお前の血の気が多いからね」「――」

「冗談で流してもくれないな」


 一方的に話を振られ、無視を貫いたら嘆かれる、水瀬からすれば不条理だった。


「平坂の遺産研究成果狙いなら、まぁわからないではない。

 観測所が巻き込まれる前に、お前としてはカタをつけるつもりだったろうが残念だな、俺とお前はもう同じ舟に乗っている。一緒に敵を炙り出すんだ」

「叱りに来たんじゃないのか?」

「僕が、どうして?」


 水瀬は言いかけて気づく。全て、決めつけていたのは自分だ。

 金紅に対して、自分は求められる水準を果たせていないんじゃないか、足を引っ張っているんじゃないか、別に金紅自身にそう言われたでもないのに。

 そう、出会ったときから、こいつはこういうヤツだった。

 水瀬は俯き、ほくそ笑む。


「巻き込まれ損だよ。ああした輩に俺がどう動くか、よく知ってるくせして」

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