2.1 チェキ

 結はスポーツドリンクを持って、人形の足元へ近づく。

 中座して膝を立てる緋々絲から、水瀬がハッチを開き降りてくる。


「本当にまだいるとはな」

「切原くん、飲み物持ってきたよ」

「ありがとう、でもまずはそれどころじゃなくてね」


 積極的に近づいてきた結に遅れて、長浜がやってくる。

 水瀬は結の隣を素通りして、彼の胸倉を掴むや地下の土壁に叩きつけた。


「なん――!?」

「あんたが俺を軽んじるのを今までは大目に見ていただけだ、けど軽率に銃がジャムるような整備したなら、物理的にクビが飛んでも仕方ないよな?」

「なにを、脅迫だとこのクソガキ――」

「言ってるだろう、俺のことならまだ許した、けどおかげさまで金紅に危害が及ぶようになれば、俺はあんたに何しでかすかわかったもんじゃないよ?

 あんたも俺の噂は知ってるだろう、それとも不能か廃人になってからでないとダメかな。殺すより地獄を見る痛めつけ方なんぞ、いくらでもある。

 ここまで言われて、本当にわからないか?」

「っ……」


 整備ミスどころか、おそらくは水瀬が失敗するよう、意図的に短機関銃へ細工を施している。おまけに初犯ではない、過去のものは水瀬が敢えて申告せずにいてやっただけだ。

 長浜が震えながら頷くと、水瀬は地面へ乱雑にたたき落とす。

 肩が脱臼したらしく、派手に呻いているが、水瀬の威圧に気圧されて、抵抗する素振りさえない。

 水瀬は目線までしゃがんでやると、意図的に脱臼させた肩をわざわざはめ直してやった。

 相手は激痛に気絶するも、水瀬は何事もなかったようにすくっと立ち上がる。


「か、カタギのやり口ではないわね……」

「凄いっすね、八代さん。

 これ見たあとに口をきける肝のあるひと、なかなかいませんよ」


 現場に駆けつけたもう一人の職員、八代美那子やしろみなこ

 黒乃瑪瑙のほうをよく整備していたが、この人はなかなか優秀な人だと水瀬も一目置いている。で、気絶させてしまったほうが、長浜ながはまという――水瀬をよくいびっていたし、彼の自信やモチベーションを下げるようなことが常套だった。

 観測所の人手不足もあって、水瀬のほうでしばらく我慢するしかなかったのだ。


「藍野さん、これを見たあとでも、まだ俺のこと手伝える?

 俺がこういうやり方でしか、自分の居場所を守れないとしても」


 結は首を横に振って、改まってドリンクのボトルを水瀬へと手渡す。

 水瀬は唖然となる。いつぞやの彼女は、暴力的な人は苦手と言っていた。


「きみには今、やるべきことがあるんでしょ。

 金紅くんを助けるって」

「あぁ、……その通りだな」


 彼は葛藤を呑んで、首肯する。


*


 なるほど、本当に怒ったときの彼はこういうことをする人なのか。

 結はこれを見て、ある意味納得した。

 元々、理不尽に怒りや責任を他者へぶつけるタイプではない、それは彼の異能に触れたあの時から、どことなく感じていたことだ。

 結果怪我をして、あの場から逃げ出してもなお――私は彼から受けた痛みにひどく感傷的なものを憶えた。なぜか、懐かしいとさえ。本当に、なぜ?


(そっか、私は――この人のこと、嫌いになれない。

 必死で一生懸命なの、知ってるから)


 あれから彼のことを調べようとしないではなかった、無視するという選択だってありえたはずだ、なのにいつの間にか彼を調べることが、不謹慎かもしれないけど、愉しんでいる自分がいて。


「切原くんて、どんな人なのかな」


 クラスメイトにして結の親友、芳川美紀乃はそれを聞いて、いい顔をしない。


「どしたの急に」「ほら、よく欠席してるじゃない、持病でもあるのかなって」

「病的に幸薄そうな顔してるけど、顔立ちが整ってる分なまじもったいな――失言だったわ、忘れて。あんなやつ、ユイには合わないと想うけどね」

「?」

「切原と同中おなちゅうの連中から、変な噂があってさ。

 あいつは死神だとか、関わったやつは不幸になるって」

「本当に中学生レベルのアレだね。

 仮にもウチの学校に受かる偏差値あるなら、そんな噂気にするまでもないと想うけど」

「でもあいつのヤバい噂、本当にヤバいんだって」

「なんかの構文ですか?」


 ヤバいを連呼されての強調表現だが、結には正直響かなかった。

 けれど掘り下げる必要は感じている。


「具体的ななにかを話せないのは、中身がないから?」

「いやね、……あいつと関わってた女子のストーカーが、あいつに殺されたんじゃないかって話」


 途中から美紀乃は、小声で結に耳打ちをした。


「――、証拠もないのに、人が死んだだけでとやかく言われるの?

 なんか可哀想だね」


 ……案外、水瀬ならできるのかもしれない。

 彼ならなんでもやるんだろう、それでもこれまで私が見てきた彼の感性というのは、弱々しく、脆く、儚く。具体的なトリックや異能が関わっているか、そも彼自身に問題があったかは保留しても、いや仮に最悪の事態があっても彼は、自分の利益だけでそんな決断を果たしたろうか?

 他人を慮りながら、他人を言い訳にせず、自身で問題を抱え込む。

 きっと、優しく愚かで卑屈な――可哀想なひと。

 私は彼が善人でないなら、それでも構わない。


「顔はいいのに、いっつも不機嫌そうなのはいただけないよね、もったいない」

「ほら、ユイだって想ってるじゃん。

 やっぱりあいつが悪いんだよ、自分の悪い噂だって、はなから止めるつもりもないでしょ」


*


「柏原くんが撮ったやつだよね?

 切原くんにいつあげたの」

「――」


 写真部の部長にしてクラスメイトの柏原は、水瀬と比較的懇意な印象のあった。


「写真部で撮ったチェキはアルバム制作に使ったもの以外、保管が追いつかなくてね。

 ぶっちゃけ数が多すぎると、年度ごとには処分しなきゃなんだ。

 そんときかなぁ、手伝ってもらって、好きにしていいと言っちゃったから……怒ってます?」

「怒ってませんが?

 まぁ出処は誤魔化さなかったから、一先ず赦しましょう」

「そう……なにかトラブルありました?」

「いいえぇ、ほかの人大丈夫かなって、ちょこっと心配にはなりましたけど」

「いやその辺はしっかりしてるって――切原のやつはさ、ノリ悪いと想われてるけど、うちの活動も時々こうして手伝ってくれて、ほんと、悪いヤツじゃないんだよ?

 あいつがその如何わしいことに使うとは思えないし、だから俺もあいつに預けてたところはございまして、そこを管理がずさんだと言われまするなら、今後はより一層厳重に部の備品管理は徹底することをお約束させていただきますということでどうぞ手打ちとなさってはいただけないかと――」

「あーそういうのいいから」


 柏原という彼も、部長としてはそこそこ賞を取ったりと業績を積んでいるので、優秀には違いなく、軽薄そうな見た目に反して責任感は強い。水瀬と馬が合うとすれば、そういうところなのだろう。結としても彼を本気でビビらせるつもりなんてない。


(如何わしい用途って、寧ろなんなの?

 ただ私が写ってるだけなのに)


 水瀬がこの写真で欲情でもするというのか?

 流石にこの程度でできるなら、上級者すぎません?

 まぁ知らんけど。


*


「切原くんこれ」

「!」


 生徒手帳だ。よりにもこんなとき、無くしていた物が出てくるとは。

 けれど水瀬は嫌な予感がした。


「ありがとう、うん」


 掠れる声でそれを受け取り、中身を確認する。

 ――ない。柏原に流してもらった、学祭の彼女の写真。どうしてか目が離せなくて、見かねたあいつがくれたのだ。


「中、見た?」

「なにか書いてあった?」

「いや、そういうのじゃなくて……ごめんなさいなんでもないです気にしないでください」


 結の反応が怖かった。彼女は急にくすっと笑いながら、懐からなにかを出す。


「安心して。切原くんが救いようのないド変態でも、きっと社会にはきみのこと受け入れてくれる人はいるはずだから。うちは普通に引いたけど」

「――、――」


 なんか色々、諦められている。チェキの写真はやはり、彼女にバレていた。

 生徒手帳を彼女へ渡したのは金紅だろう、焦げていたなら、緋々絲のコクピット内にあったはずだから。

 近くで緋々絲のセッティングをしながら、八代が吹き出している。

 水瀬は面目が立たなくて、やや泣きそうになっていた。

 おそるおそる写真を手に取ると、その腕を掴まれる。

 そのまま、ものを強く握らされた。


「ま、切原くんさえ無事に戻ってこれるなら、これぐらいは見逃してあげてもよくてよ?」

「――」「でないとうちも、寝覚めが悪いんだし」

「あ、ああ……うん、はい」


 それから水瀬はしばらく赤面していたが、微々たることだ。

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