第26話 悪の組織の日常 その2
その辺に転がり尻を抑えてぴくぴくと痙攣する野盗たちの様子を眺めながら、僕は訓練の終了を宣言した。
「よーし、今日はこれくらいで許してあげよう。君たち、ちゃんと走ろうと思えば走れるじゃないか。次からはきちんと指導員の言葉に従うよう。なお、これでもまだサボろうという気概がある者には、僕が特別指導をしてやるから名乗り出てくれ」
男たちは涙目でぷるぷると首を振る。なんだ、これくらいで心を入れ替えるとは、悪党の風上にも置けない軟弱な奴らめ。そんな事でこの先やっていけると思うなよ。
「まあいいや。それじゃあ僕は他の部屋も見回ってくるよ。彼らの事は任せた」
「ええ。お疲れ様です、首領」
後の事は指導役の男に丸投げして、僕は訓練場を出た。
この地下空間には他にも会議室や食堂、遊技場に至るまで様々な施設を取り揃えてある。これが僕が領主の地位を悪用してまで用意した我が組織、レヴェニスの隠れ家というわけだ。
その中で僕は食堂に向かって歩き出した。確かこの時間なら、彼女がいるはずだ。
「やあ、こんにちは。調子はどうかな」
「あ、りょ、領主様! ご、ご機嫌麗しゅう存じます!」
調理台に向かって野菜の皮を丁寧に処理していた少女が、僕の声に慌てて振り返る。
彼女は山賊によって誘拐されていた罪も無い村娘の一人、リタだ。
「はは、そんなに畏まらなくていいよ。それに、ここでは領主ではなく首領と呼んでくれ」
「は、はい。首領」
普段から貴族など偉い立場の人間にはまるで縁の無いただの村娘である彼女は、領主である僕を前にすると毎度このようにカチコチになってしまうのだ。
そんな彼女のような清楚で純朴な一般女性が、こんなむさ苦しい男どもの巣窟で働いているのにはいささかの事情がある。
例によって僕が連中どもを叩きのめした後、囚われていた人々を解放した時に何と彼女だけはその場に残ると言い出した。何でも、元々流れ者の彼女は村には身寄りもなく、村民には白眼視されていた。今さら戻ったところで居場所が無いのだという。
その彼女の境遇にあろうことか山賊たちは同情し、囚われの身とはいえ思いのほか丁重に扱われていたのだとか。彼女自身にしてもその事に恩義を感じるお人よしぶりが高じて、こうして荒くれ者どもの食事係と相成ったわけだ。
「君の希望でこうして働いてもらってるけど、あれから大丈夫かい? 馬鹿な男が余計なちょっかいかけてきたら何時でも言ってくれていいから」
「は、はい。ありがとうございます。でも、ここにいるのは皆さんとっても良い方々なんですよ? こんな私なんかのお料理を、美味しい美味しいって食べてくれるんです。えへへ」
はにかみながら嬉しそうに頬を染めるリタ。
流石にこの子の笑顔を前にしては、いかに野卑で粗暴な荒くれ者どもと言えど、食事時くらいはお行儀良く過ごしているのだろう。性善説を証明するかのように屈託のないその微笑みに、僕は彼女がこんな場所でも平和そうに過ごしている理由の一つを悟った。
「さて、せっかくだし僕も何かいただこうかな。何かすぐに出せる食べ物はあるかな?」
僕が尋ねると、彼女は慌てたように目線を泳がせた。
「え……あ、あの、ご領主様……あ、いえ。首領にお出しできるような豪勢なお料理なんて、私にはとても……」
「いや、大層な料理なんて必要ない。普段連中に出してるようなもので構わないんだ」
なんせ、僕は元々単なる奴隷に過ぎなかったからな。あの頃はカチコチの黒パンだろうと食べられる物なら何でも食べていた。あれからどれだけ生活の質が向上しようと、僕の好みは大して変わっていないのだ。
「そ、そうですか。では、サンドイッチならすぐにお出しできます」
「じゃあそれで」
そうして出てきたのは、大きなパンで大きな肉と大量の野菜を挟み込んだ、大変野趣溢れるサンドイッチだった。
「……何だか、ずいぶんボリュームがあるね?」
「皆さん、よく身体を動かしてお疲れですから。お腹が満たされるように、とにかくたくさん挟むんです」
なるほど、連中の事を想いやった結果というわけか。思わぬリタの優しさに癒されつつ、僕は大口を開けてサンドイッチに齧り付くのだった。
その後も僕は一通りアジトを見て回る。
特に問題はない。みな、組織の一員としてしっかりと身を粉にして働いている。
ククク……これでこそ、僕の率いる悪の組織の正しい姿だ。
僕は入り口に戻ると、先ほどの男に再び声をかけた。
「一通り見て回ったが、何も問題はなさそうだな」
「はい。首領の言いつけに従って、しっかりとワルどもを鍛え直してますよ」
そう。僕が彼らを外でしばき倒してこの場所に持ち帰ってくるのは、ここで彼らを鍛えて我が組織の先兵とするため。
そのために惰弱な彼らを一から鍛え直すのだ。
いつかこの組織が地上に出て、大いなる悪事を成すその日の為に。
「そうか。分かった。では、僕はもう戻るよ。引き続き、よろしく頼むぞキール」
「了解っす」
そう言い残して、僕は扉を閉めた。ふふ。この調子なら、我が組織のお目見えもそう遠くはないかもしれないな。僕は満足感に口角を吊り上げるのだった。
「……行ったか」
「あ。どうも、ジェフリーさん。指導の方はいいんすか?」
領主ルグランが去った後。キールが呆けていると、奥から指導役の男ジェフリーがぬっと現れた。
「連中、全員ノされちまったからな。ありゃあしばらく使い物にならん。……ま、首領が徹底的にやってくれたおかげで、今度はスムーズにいくだろ」
それよりも、とジェフリーは話を切り替える。
「……お前は知ってるか? 首領が一体どうして、こんな事をしてるのか」
「こんな事ってなんすか?」
「そりゃお前、こうして自分の領地の悪党どもをまとめてこんな地下で鍛えてる事だよ。一体全体どういう目的で、こんな施設を作ってまで俺たちみたいなのを鍛えてるんだろうな……」
ジェフリーは不思議そうに首を捻る。まさか、領主たるルグランが、ただ自分の趣味で悪の組織作りをしたかっただけ、などと言う発想は当然浮かばない。
自然、彼らの思考は領主としてのルグランにスライドしていく。
「……ひょっとすると、戦が近いのかもしれんな」
「戦って、領地の取り合いってことすか? じゃ、じゃあ、俺たちそこで兵士として戦うってことなんすか!?」
「ああ。領主の私兵として秘密裏に屈強な兵隊を育てあげようという腹かもしれん」
キールが驚く。彼にとってみれば、ルグランが何を考えているかなどまるで気にしていなかったのだ。
「お、俺たちみたいな野盗崩れのゴロツキが、領主様の私兵っすか……」
「ああ。もしそうなら夢みたいな話だ。何せご領主様の御墨付きで、俺たちみたいな屑に更生の機会を頂けるんだからな」
当然、ルグランはそんな事など考えていないのだが。
ジェフリーとキールは、ルグランの心遣いに感じ入るように何度も頷いた。
「それにしても、我々みたいな小悪党にも目を向けてくださるなんて、首領ってどんな方なんですかね?」
「さあな。俺だって一方的にノされてここに連れてこられた身だ。詳しくは知らん。……だが、こんな俺たちにも陽の当たる道を歩かせてくれようって方だ。きっと、心が清らかな方なんだろうよ」
彼らはルグランが出て行った扉を見つめる。彼の期待に応えなくてはならない。
「よし、明日からも連中をビシバシ指導しなくちゃな。いざって時連中を出しても恥ずかしくないくらいにしねえと、俺の格好がつかねえ」
「指導って、さっき全員ノされたって言ってませんでした?」
「知らん知らん。明日になりゃどうにか歩くくらいは出来るだろ。連中にも少しは根性見せてもらわねえとな」
やる気満々のジェフリーを見て、キールは今も訓練場の床に倒れている哀れな野盗たちにこっそりと同情するのだった。
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