第16話 野良犬の最期
「あれ、また会ったね。エリク君」
「ああ、アンタか……」
僕がレインメル領主グラナンの屋敷を訪れると、ちょうど正面の正門からエリクが出てくるところと鉢合わせた。ちょっと見ない間に随分と痩せこけたな。頬はげっそりとして、顔色は幽鬼のように蒼白い。その手には糸のようなもので吊るされた二つの丸いものがぶら下がっていて、ぽとりぽとりと赤い液体が点々と床に垂れている。後で掃除する人が大変そうだな。
「――ねえ、それ。誰の首?」
僕が尋ねると、彼はまるで初めて見るように、手に持った二つの首にぎょろりとした目を向けた。
「……さあな。俺にも分からねえ」
「そっか」
困ったな。僕は悪党らしく、ここに意趣返しがてらケジメをつけに来たというのに。どうやらその相手は、既にこの世の住人ではないらしい。僕は踵を返して帰ろうかと考えたが、やっぱり思い直して彼に向き合った。
「あのさ。君、やっぱり僕のところに来ない? もう主はいないんだろ?」
「――悪いな、興味ねえ」
「……そっか」
短いやり取りを終えて、彼は黙って短剣を取り出した。拭う事すらしなかったのか、その刀身はべっとりと真紅に染まっている。
「……何のつもりかな? 僕がケジメを付けてほしかったのは君じゃないんだけど」
僕が肩を竦めるも、彼は黙ったまま何も言おうとしない。
どうやら、もはや言葉を交わす気は無いってわけか。
「――ッ!」
男はその場に荷物を放り捨てると、一息に距離を詰めてきた。
真っ直ぐに踏み込み、首元を狙って一閃。お手本のような一撃に、僕は薄皮一枚分の敬意を捧げた。
「—―それじゃあね、エリク君。これでお別れだ」
「――が……はっ……」
お返しに首元を一撃。それだけで呆気無く戦いは終わった。
宙を舞った彼の頭部が、がさりと草むらに落ちて転がる。その後には静寂だけが残った。完全に動きを静止したその屋敷の門を潜る意味を失って、僕は今度こそ踵を返す。
「はあ……。彼ならあの甲冑、きっと似合うと思ったんだけどな」
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「ルグラン様。お掃除中に置いてあった壺を割ってしまいました。ごめんなさい」
「おいおい、今日で何個目だっけ? ……まあいいや。後で言い訳しておくから母上に見つからないように隠しとけ」
「はい」
「ルグラン様。パンが少々固いです」
「それはミルクに付けて食べるんだよ。ほら、こうやって」
「なるほど」
「ルグラン様。この服はどこに置けばいいのですか」
「あー、その服は……。というかそれお前の服だろ。好きにしろ」
「じゃあこちらは……」
「ぎゃあ! それお前の下着だろ! そんなの見せるな馬鹿! 僕がそういう指示してる変態みたいになるじゃないか!」
「ルグラン様――」
「ちょっと待て。お前、いくら何でもポンコツ過ぎるだろ……」
僕は度重なるフェニ(新)の失敗報告に深いため息を吐いた。彼女が僕の侍従に復帰してからのここ一週間、山のように失敗談が積み重なっている。
「前のお前はもうちょっと、こう……まともだったぞ。少なくても仕事に関しては」
「前の私、ですか」
その言葉に、彼女はよく分からないと首を捻る。
そう。新たな肉体を得て無事に彼女は復活した……のはいいのだが。起きてから話を聞いてみれば、なんと彼女は僕の事も含め、生前の記憶を全て失っていた。
肉体を作り直した時にちょっとした不具合が発生したようだ……そう、あの少女は言っていた。まあ、その後「そのうちこの子の記憶も戻ると思うから! それじゃ☆」などと言って、彼女は無責任にもあっさりと姿を消したのだが。後に残された僕は、記憶を無くして右も左も分からない状態の美少女という厄介な代物の扱いに困った挙句、ひとまず再び侍従として側に置くことにしたのだった。
別に、フェニが身近に居ないと寂しいとか、そういう事ではなく。ただ単に、僕が近くで見ていないと何をしでかすか分からないからに過ぎない。
「……ルグラン様。お茶をこぼしてしまいました」
「あーもう。エプロンもテーブルもびしょびしょじゃないか。拭いてやるから大人しく座ってろ」
さっさと記憶が戻ってくれないと、このままじゃ僕の方が小間使いみたいじゃないか。頼むから、早く元通りになってくれ。僕は生まれ変わってから初めて、神様に祈りを捧げるのだった。
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