第11話 白昼の襲撃者

 姉上の部屋に急いで駆け付けた僕が見たのは、ぼろぼろな姿で壁にもたれかかって倒れるメイド長と、ベッドで辛そうに横たわる姉上に、その側で怯える姉上御付きの侍従。そして、この場には似つかわしくない無精髭の男だった。


 男は一見して尋常な様子ではなく、血走った目をぎょろぎょろと泳がせている。

 明らかに様子がおかしい。何か変な薬でもキメてるんじゃないだろうな。


「なんだ、ガキが一匹増えやがった。テメェはこの雌ガキの兄弟か?」

「弟だよ。そちらこそ何者だ。メイド長を一体どうしたのさ」


 僕が誰何の声に応じると、男はにたりと気持ちの悪い笑みを浮かべた。


「ヒヒッ、そうか、弟か。こりゃあいい。お前を目の前でいたぶってやれば良い復讐になりそうだ。この女だけじゃ物足りなかったからなァ?」


 男は、倒れるメイド長をつまらなさそうに見下ろしながら言った。


 復讐か。

 姉上に恨みを持つ者と言えば……何だかそこら中に居そうだな。

 しかし、わざわざ恨みを晴らすために屋敷まで襲撃しに来るような輩とすると……。そうか、この間の山賊の生き残りか。


 そういえば、偉そうに指示していたバンダナの男が真っ先に逃げ出していたな。

 どうやら、部下を皆殺しにされた恨みを晴らしに来たってところか。

 先に自分たちが僕らを襲おうとしたくせして、逆恨みとは良い度胸だ。


 しかし今、目の前の男から感じる魔力の量は半端ではない。

 とてもじゃないが、こないだ姉上の前から逃げ出した男と同一人物とは思えないが……?


「ル、ルグランには手を出さないで。貴方の狙いは私のはず」


 姉上がよろよろと苦しそうに身体を起こして言った。


 な、なんだ? 思ったよりも体調が悪そうだな。普段の姉上なら、たかが山賊の残党が逆恨みしてきたところで一蹴するところだが。しかし、今の調子ではそれもままならないようだ。


 まったく。僕に格好良いところを見せようとして全力なんて出すからだ。

 姉上は加減を知らないんだから。


 男は調子の悪そうな姉上の姿に、口を三日月の形に歪めて嗤った。


「キヒャヒャ。なんだなんだァ!? 暢気に寝てやがると思ったら、ずいぶんと調子が悪そうじゃねェか。この間はあんなに元気そうだったのに、よォ!」


 苛立つ男の魔の手が、かろうじて立ち上がった姉上に伸びる。


「姉上!」

「ルグラン、来ちゃ駄目。逃げ——ぐっ」


 胸倉を思い切り掴まれて、姉上が苦悶にうめく。

 どうやら振り払う力もその身体に残っていないらしい。


「あ、姉上を放せ!」

「うるせえよ、ガキが。……この女に、手下どもは全員殺られたんだ。俺が仇を取ってやらねえと、連中が浮かばれねえんだよォッ!」


 そう言って、狂気がかった瞳を浮かべた男は姉上の首に手を伸ばす。

 姉上はじたばたと暴れるが、弱った身体では微弱な反抗にしかならない。


 まずい、このままでは姉上が本当に殺されてしまう。

 年相応の子供の振りをしている場合じゃない。


「——こ、この下郎っ! お嬢様を放しなさいっ!」


 僕が健気で善良な弟の皮を脱ぎ捨てる寸前、それまで震えていた姉上御付きの侍従が、突然男に飛び掛かった。


「あ? なんだこのアマ。邪魔するんじゃねえッ!」

「きゃあっ!」


 男が腕を一振りすると、侍従はあっさりと地面に転がち、そのまま気を失った。


「く……。悔しい……。私が万全なら貴方如き、すぐに息の根を止めてやるのに……!」

「ヒヒッ、それは残念だったなァ? ま、運も実力って奴だ、諦めろや」


 男は腕に力を込めると、姉上がますます苦しそうにうめいた。

 僕はとっさに、近くにあったティーポットを男の後頭部目掛けて投げつける。


「ぐっ!? ……このガキが。やっぱり、まずはテメェから血祭りにしてやろうか」

「がっ、はっ! ……ゴホッ、ゴホッ」


 僕に目を向けた男は、あっさりと姉上を床に放り捨てた。

 この弱り具合だと、どうせ放っておいても逃げられないと踏んだのだろう。

 僕が姉上に駆け寄ると、彼女は息も絶え絶えと言った様子で僕の顔を見つめた。


「……私のことはいいから、ルグランは逃げて。外ではお父様が討伐隊を指揮しているはずだから、そこまで頑張って逃げるの」


「姉上! 何を弱気な事を言うのですか! 普段の強気な姉上はどうしたんですか! しっかりしてください!」

「ごめんね……ルグラン」


 それきり、姉上は目を瞑ってぐったりと脱力した。

 どうやら気を失ったらしい。


「ふん。その女は気を失ったか。せっかく目の前で弟を八つ裂きにしてやろうと思ったのによォ。つまらねェな」


 男が軽薄に嗤う。

 僕は姉上の体を壁際の離れた位置に移動させると、ニタニタと不気味に笑う男に向き直った。


「よォ、クソガキ。テメェにゃ悪いが、この世の地獄を味わってもらうぜ。目が覚めた時、少しでもあの女を苦しめる為にな」


 男は嗜虐心の篭った獰猛な笑みを浮かべて言った。

 まったく、武器一つ持たない子供を相手に、ずいぶんと大人げない奴だな。

 でも――。


「……都合が良いな」

「あ?」

「この場にいた人たちを、君が全員気絶させてくれた事だよ。たたでさえ、今は屋敷から人が出払ってるんだ。つまり。この場で僕が何をしても、君以外には知られる心配が無い……というわけだよね」


 僕は男に負けないくらい口角を釣り上げて、にやりと笑って見せた。


「はあ? お前、恐怖でイカれちまったんじゃねえだろうな?」

「さあ、どうかな。でも……。

 これから恐怖を感じるのは——多分僕じゃないと思うよ」


 瞬きの刹那。

 僕はぬるりと男の懐に潜り込むと、彼を窓の外に向かって蹴り飛ばした。


「なっ!?」


 突然の攻撃に、男は反応すら取れない。


「悪いけど、姉上の部屋をこれ以上、荒らすわけには行かないからね。後で僕が怒られたら嫌だし」


 バリンと窓が割れ、男が庭先に転がる。

 僕はすぐさま彼の後を追って窓から飛び降り、華麗に着地した。


「どうせなら広い場所でやろうよ。こないだまで君の指示役だったエリク君も、こんな風に僕が外で遊んであげたんだしさ」


 昼夜の違いはあれど、状況はあの時とそう変わらない。

 強いて言えば、敵の狙いが父上から姉上にすり替わっている事くらいか。


「ねえ。君さ、隣の領主から命令されてここに来たんでしょ? 何でわざわざ姉上を狙うの?」


 僕が疑問をぶつけると、彼は地面に打ち付けた頭をさすりながら立ち上がった。


「……領主の下衆野郎は関係ねえ。俺はただ、あの女に殺された部下の復讐がしたいだけだ。奴の使いが『魔物に領内を襲わせるから、騒動の隙にローズマンを暗殺しろ』と言ってきはしたがな。もうエリクの野郎はいねえんだ。従う理由はねえ」


「ふーん。つまり、外の騒ぎと君は無関係ってことか。それはあっちの領主も当てが外れたね」


 僕が肩をすくめると、今度は男の方から質問してきた。


「ハッ。……それより、お前は何者だ。まだ十かそこらのガキにしては、こんな騒ぎだってのにえらく落ち着いていやがる。それにその身のこなし、只者じゃねえ」


 男は先ほどまでの油断しきった態度とは異なり、じりじりと僕との距離を測っている。

 さっきは一気に懐まで飛び込んだからな。そりゃ警戒もするだろう。


「僕? 僕は……、そう。悪党さ。君みたいな小物とは違う、本物のね」


 今のところはまだ志望だけど。

 都合の悪い事は黙っておく。なんたって悪党だからね。


「悪党だぁ? ソイツは何かの冗談か? それともなんだ、比喩ってやつか? ワリィが俺は頭が良くねェんだ。お前みたいな貴族のお坊ちゃんと違ってな。もっと分かりやすく言ってくれや」


 残念ながら、少しも冗談じゃない。

 僕はアイデンティティーが理解されなかったことを悲しく思いつつも、男の前に立ちはだかった。


「まだ邪魔しやがるか。……どうあっても姉の前にテメェから殺されてえようだな、ガキ」


「一つ言い忘れていたけど。君は知らないみたいだから、特別に教えてあげるよ。

 本物の悪党は——誰よりも強いってことを、ね」

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