第10話 急転

 山肌に隠れた小さな洞窟の奥で、無精髭を生やした小汚い男が隠れていた。焚火にするために重ねられた枯れ枝の水分が、熱されてぱちぱちと音を立てている。


 じゃり、とブーツが洞窟の砂利を踏む音がして、男は入り口の方に顔を上げる。

 そこに立っていたのは、顔をフードで隠した怪しげな少女だった。


「うふふ。どこに逃げていったのかと思ったら、こんな所にいたんだぁ」

「……お、女がこんな場所まで何の用だ。まさか俺を探しに来たってのか?」


 男が薄汚れた山賊稼業に手を染めた結果、不幸な目に遭わせた女性は数多い。

 まさかその内の誰か、あるいは関係者が、この窮状を耳にしてこれ幸いと復讐しに来たとでもいうのだろうか。

 警戒する男に、フードの少女はくすくすと忍び笑いを漏らした。


「丸腰の女の子ひとり、そんなに警戒しなくてもいいじゃない。

 ――あたしはね、あなたにちょっとしたプレゼントを渡しに来ただけなんだよ?」


「プ、プレゼント……だと?」


 男が思わず疑問の声を上げた矢先。

 少女は緑色の液体が入った小ビンを、男の目の前に差し出した。


「……おい、なんだよこれは」

「これはねぇ。貴方の願いを叶えてくれる、魔法のお・く・す・り♪」

 ――くすくす。したいんでしょ? 復讐」


 いったい、目の前の少女はどこまで知っているというのか。

 内心を見透かされた男が動揺しながら言った。


「て、てめえ。一体何者だよ」


 訊ねられた少女は楽しそうに笑うと、まるで男を幻惑するかのように、ひらりひらりと舞い踊った。


「あはは。あたしが気になる? でもダ~メ。悪いけど、貴方じゃ全然足りないの」


 少女は軽快なステップで男の目前に近寄ると、その手を取って小ビンを握らせた。

 男が受け取ると、少女は一層笑みを濃くして男に手を振った。


「それじゃ、用事は済んだしあたしはもう行くね。それを使うかどうかは貴方次第。

 そういう事で。ばいば~い」


 そう言って、あっさりと少女は姿を消した。

 後に残されたのは無精髭の男と、その手に握られた怪しい薬瓶だけだった。



 ---------------



 こんにちは。僕の名はルグラン・アルファンド。

 ピッチピチの十一歳、未来の悪の帝王(予定)です。


 あれから三日。僕の周りでは普段通り、平穏な日々が過ぎ去ろうとしています。


「良い事じゃないですか、若様。毎日平穏に暮らせるのが一番ですよ?」

「ううむ……」


 僕はてっきり、件の領主が何か次の手を仕掛けてくると思ったんだが。

 まさか部下が失敗したもんだからって、悪党のクセに臆病風に吹かれて手を引いたんじゃないだろうな。

 だとしたら許せないぞ。悪人を志す者は、何事にも信念を持って挑まないといけないというのに。


「世の中の悪い人たち、そんな立派なこと考えてないんじゃないですかねぇ……」

「……僕、さっきから思ってること口に出してた?」

「いいえ。 でも、顔を見れば考えてることなんてお見通しですよお。若様ってば、顔に出やすいんですから。うぷぷー」


 部屋の調度品をはたきでパタパタと掃除しながら、フェニは手のひらを口に当てて小馬鹿にするように笑った。

 いくら何でも主に対して弁えなさすぎじゃないか、こいつ。


「僕が顔に出やすい人間なわけないだろ。周囲の人たちなんて皆、笑顔に騙されて僕のことを純真で聡明な後継ぎの貴族少年だと思い込んでるくらいだぞ?

 あと、僕が居る場所で掃除するな。埃が舞うだろ」


「そーなんですよねー。皆さん、見る目ないですよねえ」


 フェニは僕の苦言を無視していけしゃあしゃあと言ってのけた。

 相手が僕じゃなかったら侮辱罪で投獄されてるところだ。


「はあ……。まあいいや。それより、街では何か起きてないか? 賊が増えて治安が悪化したりとか、不審な人間がたむろしてるとか」


「うーん、私は聞いてませんねえ。むしろ、最近領内で暴れていた山賊をご領主様が自ら征伐されたとかで、今この地域はとっても平和みたいです」

「ぐぬぬ……」


 くそぅ、つまんないぞ。

 まさかこのまま何事もない日常が続くってことはないだろうな。

 情けない隣領の領主め。山賊で駄目だったんだからもっとこう、強大な魔獣の一匹でもけしかけてくればいいのに。


「ですから、そんな物騒な事考えるの止めてくださいってばぁ。不謹慎だって怒られちゃいますよ?」

「お前が僕の思考を勝手に読むのを止めたら考えてやる」



 そうして、何事も無く月日が流れていくかと思われた、ある日。

 けたたましく僕の部屋の扉を開けて、フェニが飛び込んできた。


「わ、若様ぁ! 大変ですっ! 一大事ですっ!」


「ん~? なんだ、フェニ。騒々しいぞ……。僕は今、悪党として決め台詞を述べている時に、急に催してトイレに行きたくなった場合の対処法について考えていてだな……」


 僕が言うと、フェニはもどかしそうに地団駄を踏んだ。


「このおばか様! それどころじゃないんですよ!」

「誰がばか様だ。お前なんておっちょこちょいのポンコツメイドだろうが」

「あ、あー! い、言いましたね! 誰がポンコツですか! 誰が!」

「お前」

「こ……このぉ! も~う、私は怒りました! 怒っちゃいましたからね! ふんだ!」


 二人でぎゃあぎゃあと言い合った後しばらくして、フェニは元々の用事を思い出したらしく、慌てた様子で叫んだ。


「そ、そんな事はどうでもいいんですよ! それより大変なんです! 突然、領内に多数の魔物が現れて! 今、街は大騒ぎになってるんですぅ!」


「お、おお! いよいよ来たか!」


 僕は待ちに待った展開に小躍りしたい気分になった。

 いよいよ、悪党が本腰を入れて僕の領土(予定)を奪いに来たのだ。

 ここはひとつ悪役領主の後輩として、熟練の先達に舐められないようビシッと実力を見せつけてやらねばなるまい。


「フェニ! お前はここで待っていろ! 僕が華麗に魔物どもを一掃してきてやる! その後は隣領までお礼参りだ! 手土産にお菓子の準備をしておけ!」


 僕がきりりと言い放つと、フェニが「何言ってんだこいつは」という顔をした。


「何言ってるんですか、若様。お外の魔物退治なら、もうとっくにご当主様方の指揮の下、討伐隊が出発しましたよ」


 フェニの言葉に出鼻をくじかれて、僕は思わずといった心地で振り返る。


「え? ……そうなのか?」

「はい。ご主人様のお言いつけです。ルグラン様は名誉あるオルファンド家の長男として、姉君を立派に護って差し上げろと」

「ち、父上が……」


 何という事だ。

 要するに、安全な屋敷の中で大人しく隠れてろという意味じゃないか。


「せ、せっかくの僕の出番が……。これじゃあ、お礼参りに行こうにも恰好が付かないじゃないか。『ん? 誰かと思えば、君は領地が魔物に襲撃された時、屋敷に籠ってブルブルと震えていたルグラン君じゃないか』などと言われたら、悪党界の恥さらしだぞっ……!」


 僕が想像上の領主に与えられた恥辱に打ち震えていると、フェニはのほほんとした表情で言った。


「まあまあ。いいじゃないですかぁ。せっかく待ってるだけで大人たちが収めてくれるんだから、若様はお屋敷でのんびりしていたら。あ。せっかくだからその間カードゲームでもして遊びますか? こんな事もあろうかとトランプ持ってきましたよ、トランプ」


 な、なんて暢気な奴なんだ。

 僕がどれほど屈辱(妄想)を味わったのかも知らないで!


「い、いや。トランプはいい。それより、まずは姉上の所に行かなくては」

「あー。まだお倒れになったままなんでしたっけ。確かに心配ですねぇ」

「別に心配なんてしてない。単に善人のルグラン少年を装うならそう動くべきだろうってだけだ」

「はいはい。分かりましたよぉ」


 僕が部屋を出ようとした時、突如として本邸の方から甲高い女の悲鳴が響いてきた。


「な、なんだ? まさか魔物はこの屋敷にまで押し寄せて来たのか。 父上は何をやってるんだ?」

「そ、それよりも! 今の悲鳴って……」


 突然の事態に、フェニが顔を蒼白にして狼狽える。

 この時間、屋敷に居る女性の数はそれほど多くない。


「……ちっ! とにかく僕は、すぐに屋敷にある姉上の部屋に向かう! お前は僕の部屋に隠れて、魔物に見つからないようにじっとしてるんだぞ! いいな!?」

「わ、若様っ!?」


 僕は怯えるフェニにそう告げると、急いで走りだした。

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