第9話 姉の看病は弟の義務
僕はフェニを自室に残して、看病のために姉上の部屋を訪れていた。
姉上御付きのメイドに誘われて、僕はベッドで休む姉上の顔色を覗き込む。
「姉上、お加減はいかがですか?」
「……ルグラン。来てくれたのね。ありがとう」
彼女はゆっくりと身体を起こすと、長くて綺麗な銀髪を手で
その姿は、病人とは思えないほどに美しい。
こうしてみると、まるで一枚の絵画のようだ。
「……良かった。思ったより体調は良さそうですね」
「ルグランが顔を出してくれたから。お姉ちゃん力で回復したの」
妙な事を言いながら、姉上がベッドの横に座った僕の頭を優しく撫でる。
心地良い力加減。
姉上はこの家の誰よりも、僕の頭の撫で方を心得ているのだ。
「姉上、果実を持ってきました。今剥いてもらいますから、一緒に食べましょう」
僕が言うと、姉上は拒否するようにふるふると首を振った。
「姉上?」
「やだ。ルグランが剥いて」
姉上は甘えっ子の顔をして言った。
面倒だが、仕方がない。
僕の経験上、ここで断っても結局は剥かされるのだ。
「じゃあ、ちょっと用意してきますね。少し待っていて下さい」
「やだ。行っちゃだめ。ここで剥いて」
姉上が駄々をこね出した。
体調を崩すといつもこうなのだ。彼女は何にでも僕の手が入らないと気が済まないし、僕が離れていくのもこうして嫌がる。
でも、残念ながらここには果実を切り分けるナイフが無かった。
これは、この事態を想定してあらかじめ持ってこなかった僕のミスか。
ぐぬぬ……。
僕が内心で歯噛みしていると、姉上御付きのメイドが口を挟んだ。
「お嬢様。若様がお困りですよ。果実ならば、私が切り分けてまいりますので……」
「ヘルタ、うるさい。私は今ルグランとお話しているの。口を挟まないで」
「し、失礼いたしました」
ヘルタが頭を下げる。
彼女はちっとも悪くないのだ。大体甘えたがりの姉上がいけない。
僕は同情の念を込めて彼女の顔を見上げると、ヘルタは申し訳なさそうに僕にぺこりと頭を下げて、そっと壁際に移動した。
せめてナイフを持ってきてくれ。
結局果実はその辺に置いておく。僕が帰った後にでも食べさせてもらうがいいさ。
僕は姉上の額に手を当てて、熱を測る。
「……うん。さっきより下がってるみたいですね。これならすぐにでも元気になりますよ」
「ふふ。ルグランったら、お医者さんみたい」
そりゃそうだろう。
なんたって、昔から姉上が僕以外の看病を嫌がるものだから、今ではすっかりと慣れさせられてしまったのだ。
これが僕よりも年下の妹ならまだ分かるが、相手は姉上だからなあ。
僕より二つも年上なのだから、もう少ししゃんとしてほしい。
ま、僕は転生者だから、実質的な精神年齢はずっと上なのだけど。
「ところで、さっきの戦いですが」
「……? どうしたの?」
ひとまず体調の心配をする必要が無さそうだと安心したところで、僕は先ほどから気になっていた事を尋ねてみる。
「いえ、あんなチンケな盗賊集団、姉上ならあのような大がかりな攻撃でなくとも蹴散らせたんじゃないかと思いまして。……わざわざ体調を崩してまで、何もあんな強引な攻撃をしなくても……」
姉上の戦法はなにも、膨大な魔力に任せた大規模な空間破壊には限らない。
むしろ本領と呼べるのは体術の方で、彼女が魔力を身体補正に割り当てた場合、その細腕からは信じられないほどの怪力を生み出して如何なる魔獣をも葬り去る。
まさに、バトルビーストとでも呼ぶべき恐ろしい少女なのだ。
僕が疑問を投げかけると、無表情の彼女にしては、珍しく何処か恥ずかしそうな様子を見せた。
「あれは……。ちょっと、ルグランにかっこいいお姉ちゃんを見せようと思ったの。でも、最後に倒れちゃうなんてね」
なるほど。僕の前で良い顔したかったのか。
だから張り切った結果、想定以上の力を出してしまってぶっ倒れた、と。
アホか。
「……もう少し、姉上は自重してください。心配する僕の身が持ちませんから」
この心配は姉上に宛てたものではない。僕と、僕の周囲の人々が振り回される事に対してだ。
でも、この違いは彼女にはどうも伝わらなかったらしく。
僕に心配されたと勘違いして、姉上は喜びに身体を揺らした。
「ふふ、やっぱりルグランは優しいね。お姉ちゃん、感動しちゃった。
ねえ、ちゅーしてもいい?」
「ダメです」
僕は伸びてきた姉上の手をさっと躱すと、その場で立ち上がった。
「それでは、姉上も思ったよりお元気そうなので、僕はそろそろ失礼しますね」
「え~。ルグラン、もう行っちゃうの?」
案の定姉上が寂しそうな声を上げるが、僕の後ろ髪を引くほどではない。
僕には未来の悪党として、やらねばならない事が山ほどあるのだ。
こんなところで何時までも姉上にかまけているわけにはいかない。
「どうかゆっくりお休みになってくださいね。持ってきた果物は、後で切り分けてもらってください。それでは、僕はこれで」
「うん……。おやすみ、ルグラン」
「おやすみなさい。姉上」
僕は挨拶を済ませて部屋を後にした。
それにしても。
あの山賊たちの裏にいた工作員のエリクを操っている隣地の領主とは、一体どのような人物なのだろうか。
今頃は、逃げ帰ったエリクから報告を受けている頃合いだろう。
もしかしたら、何か次なる手を打ってくるのかもしれない。
「くっくっく……。いいじゃないか。悪党のやり口、しかと見学させてもらおう」
僕は領内の人々が苦しむ姿を想像して邪悪に微笑むと、気分良く自室へと戻っていった。
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「それで、おめおめと逃げ帰って来たわけか」
「……はい。申し訳ありません。全ては俺の力不足です」
隣領。
領主の家名からレインメル領と呼ばれるこの領土を治める地方領主、グラナン・レインメルが、地に頭を付けるエリクを睨みつけていた。
「私は言ったはずだな? 奴らアルファンド家は、ここ何代かで急速に力を付けた新興の貴族。まだまだ地盤は脆弱で、領民どもの人心は不安定だ。それに付け込む形で徐々に治安を悪化させていけば、所詮は小貴族。自ずから崩壊するに違いないと」
グラナンは高級そうな革靴を鳴らしてエリクの頭上に歩み寄ると、おもむろにその爪先で彼の頭を蹴り上げた。
「ぐッ!」
「だというのに貴様ッ! まさか十歳そこらの子供に敗れて、無様にも逃げ帰って来たとでも宣うつもりか! この無能がッ! 恥を知れッ! 私がせっかく貴様をスラムから拾い上げてやったというのに、恩義を忘れおってッ!」
折檻によって、エリクの額から血が垂れる。
グラナンは汚い物を見るようにエリクを一瞥すると、不機嫌そうに椅子に腰かけた。
「……とはいえ、だ。貴様が使っていたというその山賊にはまだ使い道がある。貴様に付けていた監視の目によれば、奴はアルファンド家に部下どもを皆殺しにされ、復讐に怒り狂っているそうだ」
そのグラナンの言葉に、エリクは引っかかるものを感じて聞き返す。
「……監視、していたんですか。俺のことも」
追及するエリクの視線を鼻で笑うと、グラナンは当然のように言った。
「ふん。当たり前だ。誰がスラム生まれの貴様のような屑を信用するものか。……だが、気に食わんが、その監視も貴様と同じことを言ってきておる。つまり、ローズマンの跡取りは底知れない力の持ち主であり、手出し無用……とな」
グラナンは忌々し気にその報告書を取り出すと、ぐしゃりと握り潰した。
「まったく、くだらん戯言だ。この報告書には更に、今年十四になるアルファンド家の娘も異常な力を見せた。最大限に警戒すべしだと……。馬鹿馬鹿しい。かの領には、貴様らに白昼夢を見せる毒草でも生えているのか?」
グラナンはまともに取り合おうとしない。
ルグランに打ちのめされて逃げ帰ったエリクからは知りようが無いが、きっとその報告書の内容も真実なのだろう。ならばきっと、この計画は失敗する。
(……逃げ時か)
エリクは冷静な思考で状況を俯瞰する。
領主グラナンがどれだけ陰謀を巡らせようと、あの少年——ルグランに太刀打ちできるとは思えない。彼が居る限り、例え首尾良くローズマンを排除できたとしても先はない。
であれば、エリクがどれだけ身体を張ったところで、無意味となるだけだ。
そうなるくらいなら、今すぐにでも愛する嫁を連れてこの地から離れるべきである。
幸いにして、今のエリクには向かうべき場所の心当たりがあった。
(彼は……俺たちを快く迎えてくれるかな)
昨晩の少年が、嘘を言っていたとは思わない。
あの時、彼はエリクを味方に引き入れようとしていた。
その場は断ってしまったが、今からでも遅くはないのかもしれない。
「もう、貴様に用はない。下がって次の命令を待て」
「……はっ。失礼いたします」
領主の自室を辞したエリクは、遠くからこちらに向かって歩いてくる女性を見つけた。
「あ……」
「おお、セリア。わざわざ迎えに来てくれたのか?」
亜麻色の艶やかな髪を風に揺らしながらやって来る女性は、エリクの最も愛する女性、セリアだった。
彼女とはスラム街時代からの仲で、共に幼少の頃より過酷な環境を肩を寄せ合って生きてきた同志であり、連れ合いだ。
こうして成長した今は、その男受けする美貌と事務処理能力を評価され、エリクと共に領主の下で雇われている。
「おかえり、エリク。今回は長くなると思っていたけど、思ったより早かったのね?」
「ああ。事情があって、任務を切り上げて帰って来たんだ」
セリアの疑問に、エリクは誤魔化すように頭をがしがしと掻きながら答える。
さすがに、十そこらの子供に負けて帰って来たとは奥さんには言い辛い。
「そうなんだ。……私の方は、順調だよ。今のお仕事が上手く行ったら、領主様がお抱えの秘書にしてくださるって仰ったの」
「な、なに? お前を秘書にって、本当かよ」
エリクは驚いた。彼の知る限り、差別主義者の領主はスラム街の人間を強く見下しており、その扱いはまるで虫を見るようだったからだ。そんな男が彼女を評価するとしたら。
不意に、エリクの胸の中に悪寒が沸き上がった。
「……な、なあ。大丈夫なのか? グラナンの野郎、噂じゃ大層な女好きだって話だぜ。お前も、何か妙な目で見られてるんじゃ……」
「ふふ。そんな、心配し過ぎよ。領主様は私の頑張りを認めて下さっただけ。それだけよ」
「そ、そうか……? ならいいんだけど、よ……」
考え過ぎを指摘されて、渋々エリクは引き下がる。
思えば、領内に女は星の数ほどいるのだ。わざわざ、セリアのようなスラム街の女にまで手は出さないだろう。
エリクは嫌な妄想を振り払うと、納得して頷いた。
「そうだよな、さすがに俺の考え過ぎか。妙なことで水を差して、すまなかったな」
「ううん。いいの。心配してくれたんでしょう? ありがとうエリク。愛してるわ」
彼らは愛を確かめ合うように抱擁を交わすと、簡単に別れの挨拶を済ませる。
(そうだ。セリアも頑張ってんだ。俺が逃げることばかり考えていたら、彼女に申し訳が立たねぇよな。頑張れよ、セリア……)
セリアが領主の部屋に入っていくのを見届けて、エリクは再び歩き出すのだった。
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