第8話 帰宅、過去の回想

「おかえりなさいませ、ルグラン様」

「やあフェニ、今帰ったよ」


 僕は玄関まで出迎えてきた従者に爽やかな笑顔を向ける。

 今は傍に父上と姉上が居るんだ。いつもの悪党ロールプレイに勤しむわけにはいかないからね。


「うむ。途中ハプニングはあったが、終わってみれば滞りなく視察ができたと言えるな。アルマの体調は気がかりだが……」


「ただの風邪なら、しばらく休めば良くなりますよ。何しろ姉上は頑丈ですから」


 これは何も楽観的に言っているのではない。

 事実、姉上は人より何倍も身体が丈夫なのだ。


 彼女は生まれつき、突然変異的に極めて巨大な潜在魔力を保有していた。

 転生者という特殊な生い立ちの僕とは違い、こと魔力に関しては、いたってごく普通の両親の間に生まれた彼女が、だ。


 この件に関して、恐らく僕という異分子の存在とは直接の関係はない。

 何故なら、僕より二年も早く、彼女はこの世に生まれているからだ。


 僕が転生した日時にタイムラグが無いのなら、彼女が生まれた時の僕はまだ、あの鉱山のしがない一奴隷に過ぎなかった。

 つまり、彼女の特異的な能力に関しては全くの突然変異、ということだ。


 先ほどの僕の言葉に、姉上が馬車の中からむくりと身体を起こして言った。


「今度の風邪は何だか長引きそう。ルグランが看病してくれないと、治らないかも」

「まったく、姉上は甘えん坊ですね。良いですよ。後で、お部屋に果物を持っていきます」


 そんな彼女は身の丈に合わない魔力の代償か、思いのほか病弱で体調が安定しない。

 短い期間に何度も軽い体調不良を起こすこともあれば、しばらく病気とは無縁に過ごしていることもある。


 一つ言えるのは、病気になった時の姉上は非常に甘えたがりになる、という事だ。

 こうなると、いつにも増して僕にべったり。

 食べ物も僕が切り分けてあげたり、時には口に直接あーんをしないと食べようとしない。


 僕は姉上御付きのメイドに後で看病に行くと伝えて、フェニに荷物を預けて自室に戻った。



「……はあ、くたびれた。いくら僕が悪の貴公子でも、馬車に揺られるだけの旅は疲れるよ。おい、フェニ。何か飲み物をくれ。砂糖たっぷりで」


 僕が服の襟首を緩めながらふかふかのベッドシーツの上に腰を下ろすと、僕の荷物を片付けていたフェニがとことことやって来た。


「はぁい。……お部屋に戻ってくるなり、いつもの若様ですねえ。もうちょっとくらい、良い子ちゃんで居てくれてもいいんですよ?」


 フェニは、自室に入るなり態度を豹変させた僕を見て不満を垂れる。

 何が良い子ちゃんだ。僕は自由に振舞うために、こうして転生してきたんだからな。


「何だと。お前、僕に文句でもあるのか? ……ふふん、良い度胸だ。まだまだイジメられ足りないと見えるな」


「あわわ……。も、文句なんかじゃないですよぉ! ただ、ちょぉ~~っと、いつもの若様の御相手は面倒くさいなぁって思っただけでぇ……」


「お前、本当に良い度胸だな……」


 僕が脅すと、彼女は慌てて首を振った。

 おい、何にも言い訳になってないぞ。この女、つくづく良い根性をしているな。



 彼女——フェニは、かつてスラム街に捨てられていた孤児だったのを僕が拾ってきた。当時の僕は屋敷の外に出るのも初めてで、今日のように父上に連れられていった先で、偶然見つけたのだ。


 僕は、偉大な悪の首領になるためにはまず何よりも配下が必要だと考えた。でも屋敷の人々は駄目だ。彼らは両親に雇われた者たちであって、僕が家を継がない限り、専属には成り得ない。

 真の意味で僕個人に忠誠を誓う配下を手に入れるためには、やはり自分でスカウトしなくてはならないと思った。


「おい、お前。名前は?」


 僕が初めに上下関係を確固たるものにするべく、尊大な態度を心掛けながら声をかけると、少女はぼさぼさに汚れた、長い間手入れされていない髪を邪魔くさそうに掻き分けて、僕の顔を見上げた。


「……君、だぁれ?」


 よく見ると、僕よりも二、三歳年上と言ったところか。

 思ったより目鼻立ちは良い。煤や泥で汚れて判別が付きづらいが、きちんと着飾ればそれなりに見えるだろう。


 悪くない。

 悪の帝王に侍るにはちょっと似合わない愛嬌のある顔立ちだが、僕は細かい事は気にしない主義。どことなく気弱そうなのもいい。僕の命令には絶対服従と叩き込めば、そうそう反抗しなさそうだ。


 よし。この少女を育てて、僕のお抱えの専属秘書にしてやろう。


「お前、こんな場所で転がってるくらいなら、うちに来い」

「え?」


 僕が手を差し伸べると、彼女はきょとんとした表情を浮かべた。


「喜べ。お前は俺が雇うことにした。父上にはこれから話を通すが、なぁに、問題はないさ。あの人たちは僕に甘々だからな」


 僕の自信満々の言葉に、彼女はいっそうその動揺を深くした。


「な、何の話? 君、いったいどこのおうちの子? だめだよ。こんな場所に来ちゃ。あぶないよ」


「ふん。いいから、僕についてこい」


 僕は、困惑する彼女のか細く瘦せこけた腕を引いて、父上の元に彼女を連れて行った。



「……あの時のお前は、もうちょっと従順そうだったんだがなぁ」


「む。私はいつだって若様の従順なメイドさんですよ? ……それより、あの時って、もしかして私たちが出会った時のお話ですか?」


 フェニは過去を思い出して遠い目を浮かべる。


「あの時は、いきなり訳の分からない事を並べ立てる変な男の子がやってきて、ああ、いよいよ私にもお迎えが来たのかなって思いましたねぇ」


 まあ、突然だったことは認めるが。

 それにしても失礼な奴だな、こいつ。


「僕は死神か。いったい僕を何だと思ってるんだ……あ、いや。やっぱり考えてみると悪くないな、死神。うん、むしろ良い」


「……まあ、変な男の子なのは今も変わりませんけど」


 うんうんと一人で頷く僕を眺めて、フェニが呆れたような口で言う。


「ともかく。あの時のルグラン様には、本当に感謝しています。あそこには、生きる希望なんて少しもありませんでしたから。

 ……若様は、私にとっては救世主さまです」


 フェニが幸せそうに穏やかな微笑を浮かべてそんな事を言うものだから、僕は少し言葉に詰まってしまった。


「……ふん。全くその通りだ。お前はもっと僕に感謝しろ。僕が気まぐれに拾ってやったからこそ、お前はそんな上等な服を着て、美味しい食事にありつけてるんだからな」


 気恥ずかしい事を言うフェニに、何となく頬の熱さを感じて僕はそっぽを向く。

 ふん、少々殊勝な事を言ったからといって、普段の小生意気な態度が帳消しになるわけじゃないんだからな……!

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