第7話 視察 その4

 おはよう!

 とっても良い朝だね!


 なんて、そんな事は露ほども思えない気だるい朝。


「背中痛い……」


 田舎の村の寝床を甘く見ていた。

 これじゃあ藁を重ねた上に寝た方がよっぽどマシかもしれない。


「いてて……」

「ルグラン、大丈夫?」


 姉上に心配されるが、申し訳ないけど放っておいてほしい。

 今は身体中が痛くて、良い子のルグランを演じる気力があんまり無いんだ。


「お、おはようございます、姉上」

「おはよう。何だか辛そうだね」


 顔を覗き込んでくる。心配性の姉上。

 あんまり情けない姿を見せると、一日中過保護に接してきそうだ。


「だ、大丈夫ですよ。慣れない場所で休んだせいで、少し身体がだるいだけです」

「そうなの。まさか、風邪を引いたりしてないよね」


 姉上は自分と僕の前髪をかき上げると、額をくっ付けてくる。

 僕は別に熱なんてない。昨晩の出来事のおかげで寝る前は少し興奮していたけれど、今は不便な寝床のせいですっかりとテンションが下がってしまった。


 むしろ、姉上の額の方が熱い。

 まさか慣れない視察の旅で、体調を崩したんじゃないだろうな。


「姉上。僕よりも姉上の方が熱があるみたいですよ。

 お体は大丈夫ですか? 寒気などはありませんか?」


 僕が心配してみせると、姉上は嬉しそうににっこりと笑った。


「ふふ、優しい子だね。でも、お姉ちゃんの熱は体調のせいじゃなくて、ルグランの顔が近いから、だよ?」

「は、はい?」


 そういうと、姉上は僕の頭を愛しそうに胸の中へと抱き抱えた。


「ルグランが傍にいると、とっても安心して、とってもドキドキするの」


 とくん、とくん。

 耳元で彼女の鼓動が聞こえる。

 ゆっくりと一定のリズムを刻んでいた鼓動は、徐々にそのテンポを速めていく。


「本当だ。何だか、どきどきしていますね」

「恥ずかしい。でも、時々はこうして、お姉ちゃんの想いを直接感じてくれると嬉しいな」


 想いとやらは知らないが、一定の間隔で弾む鼓動の音を聞いていると、何だか落ち着く。リラックス効果ってやつか。

 起きたばかりだけど、だんだんとまぶたが落ちていく。

 ああ、姉上。後頭部を優しく撫でないで。もう一度、眠ってしまうから――。



「おはよう! ルグラン、アルマ! 今朝はとても良い朝だな!」


 バタンと大きな音を立てて、父上が現れた。

 彼は数々の視察でこのような粗末な宿にも慣れているのだろう。

 快眠で、無駄にきめ細やかな肌が、更にぷるんと潤っている。


「……チッ。よくも邪魔して。この脂肪の塊め」


 お願いだから。

 どうか耳元で悪態をつかないでほしい。僕までちょっとげんなりするから。



「それでは、もうお発ちになりますんで?」

「ああ。どうやら、この村には何ら不審な点が無さそうなのでな」

「……ふ、不審な点でございますか?」

「ああ、いや。こちらの話だ。気にしなくて良い」


 父上が村長に出発の挨拶を済ませる。

 不審な点か。工作員であるエリクが拠点としていた村だ。

 探せば何かしら出てきそうだが、それで村人が処罰されてしまっては困る。


 彼らは工作員を匿っていた反乱分子の可能性がある。つまり悪党(仮)だ。

 であれば、僕は寛大な態度を取らねばならない。

 たとえ彼らが、我が家に仇為す存在であったとしても。



 馬車に搭乗してしばらくすると、ゆっくりと景色が動き出す。

 昨日は道の途中で山賊に襲われたが、あれはエリクの指示によるものだった。

 恐らく、今日は何もないだろう。




「……なんて、思っていた時期が僕にもありました」

「ルグラン?」

「いえ。何でもありません」


 僕らの馬車を取り囲む、荒くれ者の群れ。

 バンダナの頭目が、声を張り上げた。


「てめえら! 金目の物を出せ! 魔道具も全部だ! 早くしろ!」

「なんと。昨日の今日で懲りない連中だ……」


 父上が信じがたいといった表情で首を振る。

 まあ、僕からすると彼らの気持ちは分からないでもない。


 昨日、彼らが退却した理由は父上の所有する魔道具だ。

 しかし、その中身は光と風を起こすだけの代物。

 こけ脅しの道具に過ぎない。


 当然、彼らも自分たちにろくな被害が出ていない事に気付いただろう。

 加えて、彼らの指示役であるエリクが突如として連絡を絶った。

 当面の目的を失って、ただの野盗と化した連中が次に考えるのは『昨日の連中はこけ脅ししかできない雑魚。もう一度同じ道を通るのを待ち伏せすれば、確実に襲える』というわけだ。


 それが大きな間違いである、ということを身を以て教えてやるのは容易い。

 僕が手にした力を振るえば、彼らのようなただの山賊などは敵ではない。


 力。

 そう、力だ。


 悪を為すのに必須な、力。

 それを僕は、何故か生まれながらにしてこの身に宿していた。

 圧倒的な保有魔力という形で。


 僕はこの魔力を幼い頃から自由自在に使いこなす事が出来た。魔力を一か所に集中させて爆発的な筋力を生み出したり、全身の神経を活性化させて、1秒を何倍にも引き延ばしたような知覚を得たり。

 全能に近い権能。僕はこの力を使って、悪の道を追求することを決めた。


(彼女からの贈り物なのかな……)


 僕が知る中で、一番の力を持つ存在といえば、彼女だ。

 あの時、奴隷の僕をぺちゃんこにして解放してくれた恩人にして、僕よりもいち早く悪の道を歩んでいる先達。

 彼女であれば、悪の道を望む僕のために、小粋なプレゼントの一つでもしてくれるのではないだろうか?


(まあ、全ては想像だけど)


 とにかく。

 僕は、悪を為すための力を持っている。

 の、だけど……。


(父上と姉上の前じゃなぁ……)


 僕の力は、家族にも伏せている。

 自分の子供が突然とんでもない力を持っていたら、彼らは何て思うのか。

 必ず受け入れてくれるとは限らない。

 下手したら、忌み子として処分しようとするかもしれない。


 そうなった時に逃げだすのは容易いが、出来れば血の繋がった家族と敵対したくはない。僕があの本で学んだところによると、悪党ほど身内には優しいんだ。


 僕が考え事をしている間に、山賊たちは包囲を狭めてくる。


「おい、テメエら! 聞こえてるんだろ! 早く出てこないと、矢の雨を降らせるぞ!」


 おお、前回よりは警戒しているらしい。

 安易に近寄らず、遠巻きに弓で脅そうとしている。

 まあ、別に昨日の物以外に魔道具が無いと決まったわけでもないから、彼らの判断は間違っていないだろう。


「くっ、このままでは不味いか」


 父上は苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。

 つまり、対抗できる魔道具は無いということだ。

 この中で戦う手段を持つのは、僕と姉上だけだ。御者は単なる運転手に過ぎないし、父上は見た目通りで戦いとは縁が無い。


「……ここは、私が出ます」

「ア、アルマ!?」


 しびれを切らした姉上が名乗りを上げる。

 先ほどから、イライラしていたからな。彼女は僕の安全が脅かされているのがよほど許せないのだろう。


「き、危険だ! 許可できん!」

「そう言っても、どのみち出ていかないと私たちは針鼠。違う?」

「うぐ……むぅ……」


 反論されて、父上が口を閉ざす。

 まあ、それはそうだろう。姉上が戦わなければ、後に残されるのは戦闘に不慣れな父上と一番幼い僕だからな。当然の判断だ。


 それに、姉上には父上からの信頼がある。彼女はこと戦闘にかけては、天才的と言ってもいい素質の持ち主なのだ。

 麒麟児、神童。どのような言葉でも足りないほどの鬼才。

 人間性を引き換えに得たと教師たちの間で密かに揶揄されるほどの圧倒的な才能が、彼女には備わっている。


「……たったこれだけ? 随分、舐められたものね」


 馬車の上にひらりと登った彼女は、周囲をぐるりと見回して笑った。


「……? 女が一人? まだ子供だぞ」

「なんだぁ? その女をやるから見逃してくれ~、ってかぁ!?」

「ギャハハ! そいつぁいいや! 自分の娘を山賊にくれてやる代わりに逃げ出す領主様ってわけか! 情けねえもんだ!」


 野卑な騒ぎ声が山道に響く。

 領主様、か。やっぱりこちらの素性は丸分かりだったわけだ。

 あっさりと口を漏らすからには、内部の規律なんてあったもんじゃないだろう。

 想像通り、連中は野良の野盗になったということだ。


 ただの野盗なら、彼女一人で十分だ。


「——あなたたち。それが最後の言葉でいいのね?」


 姉上が両手を広げて、戦闘態勢に移行した。

 武器一つ持たないそのスタイルに、山賊たちの嘲笑が広がる。


「なんだなんだ! 丸腰で両手を上げて。こうさ~んってか? お嬢様よ!」

「俺たちを楽しませてくれたら、考えてやってもいいぜぇ?」


 ギャハハ、イヒヒと品の無い笑い声が周囲に轟く。

 愚か者たちの馬鹿騒ぎは数十秒にも渡り、——故に、彼らの生死はそこで決まった。


「……ッ、馬鹿野郎どもッ! 今すぐ矢を射かけねえかッ!!」


 何かに気付いたバンダナの男が慌てて叫ぶが、残念ながら遅い。

 姉上は手の平を大きく開き、肉食動物の爪のように象形する。

 爪先に集った凝縮された魔力のうねりが、空間を裂かんと甲高い音を立てるのが彼らには聞こえているだろうか。


「——くっ!」


 バンダナの男が身を翻して一直線に逃走を図る。

 良い判断だ。彼の生存本能が一瞬の境目を分けた。


「ああああッ!!」


 荒々しい叫びと共に、姉上が両腕を交差の形に振り抜いた。

 ギャリギャリギャリ、とまるで金属を引きずるような、有り得ない音が周囲を響き渡る。


「ぎゃッ!!」

「ぐあぁっ!?」


 離れた山肌に陣取っていたはずの山賊たちの身体が、虚空を引き裂く巨大な獣の爪に千切られて無残に散らばる。

 まるで肉食獣によるひっかき傷のような爪痕が、大地を交差するように刻み込まれた。


「……ふん、こんなものね」


 姉上が馬車の上で高圧的に周囲を見下ろす。

 彼女は圧倒的な魔力で、無理やりに盗賊もろとも眼前の空間を引き裂いたのだ。

 とんでも無い荒業に、さすがの彼女とは言えども疲労は隠せない。


「お疲れ様です、姉上。さあ、生き残った盗賊たちが怯んでいる今の間に、さっさとこの場を離れましょう――わっ。姉上?」

「ルグラン……ちょっと、張り切り過ぎて疲れちゃった」


 僕が姉上を迎えると、彼女は僕の顔を見て安心したように倒れ込んだ。

 咄嗟に受け止めるが、彼女の身体は思った以上に熱くなっている。


「ア、アルマ!? もしや、今ので魔力を使い果たしたのか?」

「……いえ。どうやら、ただの風邪みたいです」


 額を合わせると、彼女の体温は朝よりも随分と高い。

 なんだ。僕のせいとかなんとか言っていたが、やっぱり風邪だったんじゃないか。


「お疲れ様です、姉上。

 ——さあ。うちに帰りましょう」







 ---------------



 バンダナの男は、山の中を一心不乱に逃げていた。


「ちくしょうッ! なんだあれは。反則だろうが!」


 先ほどの記憶が脳裏によぎる。

 逃げ遅れた部下たちが、空間に裂かれて引き千切られる凄惨な光景。


「だから俺は領主の馬車を襲うなんて反対だったんだ! それを、あの野郎……!」


 自分たちに指示を出していた、隣領の騎士を名乗る胡散臭い男。

 騎士という割には泥臭い、それこそ山賊や野盗のような目をした裏の人間。

 エリクと名乗るその男とも、昨晩から連絡が付かない。


「くそ。領主に始末されたか、あるいは俺たちを見捨てて隣領に逃げたか」


 どちらにせよ、バンダナの男に出来ることはない。

 仇を討つなどといった考えは湧かない。むしろ、あの男の口車に乗せられたせいで、あのような化け物の乗る馬車を襲う羽目になった。


「ちくしょう、ちくしょう……!」


 配下の男たちとはもう長い期間を野盗としてつるんできた。

 決して善良な連中ではない。野盗に相応しい、下劣な人間たちであった。

 しかし、バンダナの男にとってはそれでも大事な部下だったのだ。


「あんな、惨い死に方させやがって……。あのガキだけは、許せねぇ……!」


 怒りで奥歯がぎしりと軋む。

 馬車の上で余裕ぶっていた、あの女。

 年の頃はまだ十五にも届いていないだろう、ほんの子供。

 だが、その中身は恐らく悪鬼、修羅の類だ。


「復讐だ……。復讐してやる……!!」


 新鮮な血の臭いが、何処までも男の背後を追ってくる。

 男は、必ず代償を支払わせることを誓った。

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