第6話 視察 その3
それは他の村々と特に違った様子もない、ごく普通のさびれた農村だった。
「そこの者。領主様のおなりだ。村の者たちに急ぎ知らせよ」
「へ、へえ!」
御者の言葉に、村人は慌てて人々をかき集めた。
「これはご領主様。このような辺鄙な山奥の村にまでお運びくだすって、ありがてえ話ですだ」
村の代表者と思われる老人が、日焼けした禿頭をぺこりと下げた。
「多少離れた場所にあるとはいえ、この村も立派な我が領地だ。当然のことであろう。私は領主として、我が領に住まう民草が平和に暮らしているか、把握しておかねばならん」
「へえ。我々なんぞに勿体ねえこってす」
老人は恐縮したように感謝の言葉を述べる。
父上は大仰に頷くと、村人たちの顔を見回した。
「……さて。つかぬ事を尋ねるが、最近この村で何か変わった事は無かったか?」
「へえ、変わった事と言いますと……例えばどういった事ですかいの」
老人が聞き返すと、父上はやや間を置いてから答えた。
「例えば見かけぬ者が村を出入りしていたり、何か村の中で普段とは違う様子などはないか? 村の外から来た者と接触した覚えのある者は?」
父上の言葉に、村人たちが互いに視線を向け合う。
どうも困惑しているようだ。
「……すみませなんだ。どうも、わし等には心当たりがねえようで」
「ふむ。……そうか。ならばよい。それよりも、今晩泊まれる場所はあるか? もう時間も遅い。今から引き返すと日が暮れてしまうのだ」
「もちろんでごぜえますだ。領主様方が泊まれるような場所をすぐに整えますんで、どうぞこちらへ」
老人は再び頭を下げると、そう言って案内を始めた。
村の家々は素朴で、木造の家屋が点在している。村人たちは領主の訪問に驚きながらも、大急ぎで迎え入れる準備をしていた。
村の中央に位置する比較的大きな家に到着すると、素朴な村人の一人が近づいてきた。その男はエリクと名乗り、控えめな態度で僕たちの前に立った。
「ご領主様、私が部屋までご案内いたします。どうぞ」
エリクは父上にぺこぺこと何度も頭を下げながら、家の中を案内した。
彼の様子を眺めながら、僕は喜びを隠しきれない。
「……? ルグラン、にこにこしてて嬉しそう。どうしたの?」
「ふふふ、姉上……何でもありませんよ」
訝しむ姉上は適当に流して、僕は内心でほくそ笑んだ。
間違いない。
工作員は、この男だ。
その夜、僕はこっそりと寝床を抜け出すと、一人で静かに外へ出た。
さて、彼はどこに居るのか――。
「お、おや? ご領主様のご子息がこんな時間に、一体どうしたんですか?」
僕の姿を見て、夜の暗闇の中から偶然にもエリクが現れた。
なんという幸運だろう。運命の女神は僕の味方ってわけだ。
「やあ、エリク。良い夜だね」
「は、はあ……?」
どう見ても不審がられている。
まあ、夜中に一人でこっそりと外出してほくそ笑んでいる怪しい子供だ。当たり前だろうな。
「も、もう夜も遅いので、部屋にお戻りください。こんな村ですから人攫いなんぞおらんとは思いますが、もしアンタに何かあれば、我々の首が飛んじまうんです」
「用事を終わらせたらそうしよう。ところで君の方こそ、深夜に領主の泊まる家の周りでいったい何の用かな?」
僕が聞き返すと、エリクはあからさまに狼狽えた。
思ったより嘘が下手だな、この男。
「……そりゃ、警備ですよ。先ほど人攫いはおらんとは言いましたが、なんせご領主様がいらっしゃるわけですから。念のためですわ」
僕はエリクの言い訳に冷静に返答した。
「それは感心だね。でも君の警備には、いくつか問題があるようだ」
エリクの顔に微かな動揺が走る。
「ど、どういうことでしょうか?」
「まず、君の服装が目立ちすぎる。村の警備ならもっと控えめな服装を選ぶべきだろう。こんな夜中に、周囲から目立つ色を着ているなんて不自然だ」
エリクは慌てて服の裾を見下ろし、言い訳を探すように口を開いたが、僕は止まる事なく続けた。
「それに、君の足跡がね。村人たちの足跡とは違う。君の靴は村の人々が普段履くものよりも新しくて、擦り減っていない。まるで最近になって手に入れたようだ」
エリクの顔から血の気が引いた。彼は何とか言い返そうとしたが、言葉が出なかった。
「もう一つ。君の手のひらには、武器を握る者の特徴がある。村の農民なら、もっと荒れているはずだ。君の手は戦士のそれだ」
僕は一歩前に進み、にやりと口を歪めて彼の目をじっと見つめた。
「つまり、君は本来この村の人間じゃない。そして君の目的は、ただの警備ではない。そうだろ?」
彼はしばらくの間、何も言えなかったが、やがて諦めたようにため息をついた。
「はあ。なんて勘の良いガキだよ。こんなに早く見抜かれるとはな。まさか、さっきの数分で俺の正体に気付いたってのか?」
「そもそも、君の身体の動かし方は村人らしくなかったよ。一切の無駄がない滑らかさ。訓練された者の動きだ」
「なるほど。そいつぁ次から気を付けねえと、な!」
言葉の終わりと同時に脳天めがけて投げつけられた石礫を、僕は指先で受け止めた。
「なっ!?」
「こんな子供相手でも、正体がばれたら迷う事なく奇襲。いいね。悪党だよ、きみ」
「……ッ!」
怒りにエリクの目が鋭く光り、次の瞬間、彼は俊敏な動きで突進してきた。彼の拳が鋭く飛んできたけど、僕はその一撃を軽々と避けてみせた。
「思ったより良い動きだよ。でも、僕が相手だとちょっと遅いかな」
「クソガキがっ……!」
そのまま後方にステップを踏みながら、エリクの攻撃を難なくかわし続ける。エリクの拳は空を切り、彼の顔には焦りの色が浮かび始めた。
「くそっ、このガキ、どうやって……!」
「悪いけど、君の動きは僕の目には見えているんだ」
僕は一瞬の隙を突き、エリクの足を払った。エリクは地面に倒れ込み、すぐに立ち上がろうとしたが、僕は素早くその上に飛び乗り、彼の動きを封じ込む。
「終わりだ、エリク」
彼はしばらくの間もがいていたが、やがて諦めると身体の力を抜いた。
「……はあ。まさか、俺がこんな子供に負けるとはな」
「勝ち負け以前の問題で、勝負になってなかったんじゃない?」
「おまッ、こんな時に言う言葉がそれかよ……。なんてガキだ……」
彼は完全に戦う気力を失ったらしく、僕が解放した後も、全てを投げ出したかのように地面にごろんと転がっていた。
「……で。俺はどうなるんだい? 領主様の命を狙った不届き者だ。この場で首を落とされても、文句言えた義理じゃねえが」
エリクの声には諦観が混じっていた。僕は彼を見下ろしながら、冷静に言葉を返す。
「せっかくだから、その前に質問に答えてくれるかな。先ほどこの村に向かう途中で襲ってきた山賊は、君の手筈?」
エリクは目を細めて苦笑を浮かべた。
「ああ。軽くビビらせて追い返せってな。まさか、魔道具でこっちが追い返されてくるとは夢にも思ってなかったがよ。まあ、どのみちアンタが居たんじゃあ望み薄だったが」
自嘲と僅かな敬意が伝わってくる。
僕はその反応に少しの満足感を得つつ、次の質問を投げかけた。
「どうだろうね。それで、君はどこの所属? 誰に頼まれて父上の命を狙ったの?」
エリクは一瞬答えるのを躊躇ったが、やがて重い口を開いた。
「……隣地のご領主様だよ。奴さん、あんたの親父が邪魔なんだと。大方、領地の併呑でも狙ってるんじゃねえか?」
なるほど。つまり、父上の元に届いた噂は正鵠を射ていたわけだ。
彼の言葉は冷たく響いたが、その背後には恐怖と不安が見え隠れしていた。僕はその感情を見逃さず、さらに踏み込んでみる。
「領地の併呑、ねえ。なら、君はその計画の一部としてここに送られたわけだね。君は何故その命令に従っているんだい? 忠誠心の表れかな?」
エリクは沈黙したまま、目をそらす。しばらくの間、静寂が続いたが、やがて彼は深い溜息をついた。
「……忠誠なんてとっくに捨てちまったよ。ただ、逃げ道がなかっただけだ」
その言葉には、長い間抱えてきた苦悩と諦めがにじんでいて。僕はその言葉に真剣さを感じ取り、さらに問いかけた。
「ねえ。……君、僕の所に来ない?」
「は?」
彼は目を丸くして驚いた。
「僕はね、これから悪の巨大組織を作るつもりなんだ。その時、君には組織の構成員として是非とも活躍してもらいたいんだよ」
「ば、馬鹿なこと言ってんじゃねえ! 俺はお前の父親を殺そうとした男だぞ!?」
「ふふん。そうさ、きみは立派な悪党だよ。だからこそ誘ってるんだ」
「なッ……!?」
エリクは絶句した。
僕の大いなる野望を前に、どうやら言葉も出ないらしい。
僕が差し出した手をしばらくの間眺めた後、彼は盛大に吹き出した。
「……ぷっ。がっははは!! 何だよあんた。本当におもしれーガキだな!」
「ん? 僕、何かおかしな事言ったかな?」
「ああ、いや。おかしくなんてねえさ。……せっかくのお誘いでわりぃが、俺にはまだやる事があるんだ。だから、すまんがあんたの所にゃ行けねえ」
「……そうか。残念だよ」
僕は内心の衝撃を隠して、必死で無表情を保った。
何でだ! 今のシチュエーション、完全に勧誘成功だと思ったのに!
どうして失敗するんだよ!
「ひー。ああ、笑わせてもらったぜ。こんなに笑ったの、何時ぶりかな」
「……ああ、そう。それはよかったね」
何という事だ。こいつ、無様に勧誘が失敗した僕を嘲笑ってやがる。
ちくしょう。さすが悪党だ。一筋縄ではいかない。
僕が内心の憤りをどうにか抑え込んでいると、エリクは軽やかな身のこなしで立ち上がった。
「……さて。悪いが、俺はそろそろ行かせてもらうぜ」
「主の下に戻るのかい?」
「まあな。あのクソ領主はどうでもいいが、あの土地には俺の嫁さんが居るからよ」
そう言って、エリクは手を差し出した。
「お別れだ。……あんたみたいな後継ぎがいるんだ。この領地を狙っても無駄だってあの馬鹿野郎に伝えとくぜ」
「ふふ、別に必要ないよ。向かってきても、叩き潰すだけだから」
「おお、おっかねえな……。それじゃあな、お優しい悪の組織の首領様よ!」
最後に握手を交わすと、彼は宵闇に溶けるようにして姿を消した。
「……うーん。逃がすには惜しい悪党だった。ま、仕方ないか。悪は未練がましくっちゃあいけないからね。……ふぁ~。僕もそろそろ寝よっと」
僕は服の埃を軽く払うと、部屋に戻っていった。
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「変なガキだったな」
俺は闇夜の中、隣領までの道を駆けながら思い返す。
訳が分からないほどに強く、何もかもを見透かすような態度。
それでいて、エリクのような男にすら情けの言葉を投げかける慈悲深さ。
どう考えても見た目の年齢と不釣り合いな、不思議な感覚を抱かせる子供だった。
「くく……。まさか言うに事欠いて、悪の組織とはね」
あの聡明な少年にはまるで似合わない、幼子のような台詞。
「要するに俺みたいな悪党でも、あいつは本気で受け入れようとしていたわけだ。あんな子供じみた台詞を吐いてまで、な」
彼はエリクのような悪党ですら赦すつもりでいた。
だからこそ、悪の組織などという幼稚な言葉で飾ったのだろう。
どんな後ろめたい過去を持つ人間であっても、受け入れるという覚悟の表明。
エリクにとって、誰かに赦されるという感覚は経験のないものだ。
彼はスラム街で生まれ育った。幼少期から腹を空かせ、仲間と共に盗みを働いてはなんとか命をつないでいた。
日々の生活は過酷で、助けを求めても誰も手を差し伸べてはくれず。成長するにつれ、エリクの手先の器用さと狡猾さは目立つようになり、やがて悪名高い領主の目に留まる。
「生きたければ従え」と領主に言われ、エリクはその手先として使われるようになった。彼は命じられるままに人を欺き、裏切り、時には命を奪うこともあった。
報酬はわずかで、いつしか心は冷え切り、自分の行動に対する後悔や罪悪感も感じなくなっていった。
しかし、今でもエリクの心の奥底には、スラム街での過酷な日々が刻まれている。領主の命令に従う度に、自由への憧れと逃げ場のない現実との間で揺れ動いた。そんな彼にとって、ルグランの誘いは思いもしない未来への可能性だった。
「……ふっ。もしも、嫁と一緒にいつかあの野郎の下から抜け出せたら……。あのガキの所に逃げ込むのも……悪くないかもな」
エリクの心には、ほんのわずかに希望が灯っていた。闇夜の中で、その灯りが徐々に輝きを増していくことを願いながら、彼は地を蹴った。
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