第4話 視察 その1

 外だ!

 久しぶりの外!


 普段はなかなか敷地の外に出してもらえないので、こうした機会は貴重なものだ。


 僕が馬車を降りてきょろきょろと辺りを見回していると、後ろから父上が降りてきて隣に並び立った。


「どうだ、ルグラン。久々に見る街の様子は。活気に満ち、忙しなく行き交う民の喧騒。これこそが我々が代々に渡って護り抜いてきた、そしてこれからも護っていかねばならない土地なのだ」


 父上は誇らしそうに胸を張るが、僕としては何だか物足りない。

 なんだ、思ったよりも平和そうだ。

 もっと悪そうな奴がそこら中をのさばっていた方が面白そうなのに。


「はい、父上。皆が生き生きとした顔で暮らしていますね。とても素晴らしい光景だと思います」


 僕は心にもない事を言っておく。

 今の内だけだ。もう少し時が経ち、僕が成長して家を継ぐ日が来たら、この平和はあっさりと終わる事になるだろう。

 彼らは束の間の平和が終わった事に嘆き苦しみ、そして僕の名を絶望や憎悪と共に叫ぶのだ。一方、僕は屋敷でワインを片手に高笑い。

 うーん、シビれる。


 一体どんな風に民を虐めてやようかな。重税をかける? それとも食料を取り上げる?

 いやいや、隣の領土との間に法外な関税をかけて商人を締め出すのがいいかもしれない。じわじわと嫌がらせを行い、僕という悪徳領主の存在を、時間をかけて国中にアピールするのだ。


「ふふ、ふふふ……」

「? ルグラン、どうしたの? お姉ちゃんに見惚れちゃった?」


 僕が夢いっぱいの未来を妄想していると、最後に降りてきたアルマ姉上が、僕の背中にぴたりと擦り寄って耳元に囁いてきた。

 見惚れるも何も、今背後に降りてきた所じゃないか。そう突っ込んでも無駄だと、既にこれまでの生活で学習している僕は、なるべく明るく爽やかな振る舞いを意識して姉上に返事をした。


「あはは。民の営みを目の当たりにして感動していただけですよ。普段はお屋敷の離れで過ごしていて、中々外出の許可はいただけませんから」


 僕は純粋で聡明な貴族の弟として完璧に微笑んでみせた。

 ふふ、隠しきれない悪のオーラが滲み出ていないといいけど。


「……ふーん。そっか。私はあんなどうでもいいゴミみたいな連中が、どう過ごしてようが何とも思わないけど。それより、ルグランが楽しそうにしてる方が嬉しい」


 そう言って、無表情の姉上が僕の顔を覗き込む。

 やばい。この女、ナチュラルに僕より悪党っぽい。

 どうなってんの我が家の情操教育。なんで悪役転生した僕より悪役らしい人がいるの。


「……は、はは。姉上のお気持ちはとても嬉しく思います。けれど、民は慈しむべき存在ですよ。彼らがいてこそ、我々もこうして貴族として在れるのですから」


 この調子で彼女が成長したら、あっという間に僕以上のやばい奴になってしまうのではなかろうか。そうなったら僕の存在が霞んでしまいかねない。

 僕は何とか今の内に彼女の思想を矯正しようと、必死の想いで彼女に訴えかけた。


「……ルグランは、優しいね」


 僕の真心が伝わったのか。

 姉上は無表情を保ちつつもしっかりと頷いた。

 良かった。やはり本気の心は伝わるんだ。ナチュラルボーン悪党な姉上なんて居なかったんだ。


「うん、わかった。ルグランが大切にする物なら、お姉ちゃんもちょっとは気にしてあげる。だから安心して、あのくだらない連中の事は忘れて、お姉ちゃんの事だけ考えようね」


 駄目じゃん。

 ちっとも気にしてないじゃん。むしろ忘れさせようとしてる。悪化してる。

 そもそも民を平然と物扱いしてる。

 どうしてこんな怪物が、平和な我が家に育ってしまったんだ……。


 悪党スコア(僕調べ)で大敗した僕が悄然としながら立ち尽くしていると、街の人々がこちらに気付いて近寄ってくる。

 止めろ、今の僕に近づくな。でないと、先ほどから僕の背中にぴっとりと張り付いている怪物に消されるぞ。


「姉上、人前で恥ずかしいですよ。少しだけ離れてくれませんか?」


 僕が勇気を出してやんわりと窘めると、彼女は渋々といった様子で本当に少しだけ離れた。ええい、出来ればもうちょっと離れてくれ。怖いから口に出しては言わないけど。


「……むう。ルグランは照れ屋さん。……だったら、人前じゃなければいいの?」


 姉上は試すような口調で言った。

 そりゃ、姉上はとっても美人でやわっこいし。人の目が無ければ別にくっつくのくらい良いけどさ。


「……ええ、はい。他人の目を物理的に潰すとか、そういった強引な手段を使わないなら」

「? なにそれ」


 僕が念の為に付け加えると、彼女は何のことやら分からないといった風に首を傾げた。

 絶対嘘だ。だってさっきまで、僕に近付こうとする民衆を絶対零度の視線で追い払っていたもの。いざとなれば彼女はヤる。ヤるったらヤる。


「さて、そろそろ次の場所に行こうか。まだまだ、視察はこれからなのだからな」


 集まった民衆と会話していた父上が、僕たちを呼ぶ。


「はい、父上。ほら、姉上も行きましょう」

「うん」


 僕は姉上の手を握ると、二人で仲良く馬車に乗り込んだ。


「……人目って、馬車の中では?」

「父上がおられるでしょう」

「チッ。……お父様の目、潰れてくれないかな」


 微かなその呟きを聞きつけて、僕は自分の考えに確信を持つ。

 やはり、僕の予感は間違っていなかった。

 いざとなれば姉上は、ヤる。





 幸いにも、姉上の手が血に塗れることなく無事に視察を終えた後。

 帰り道で、領地内の地図を見ていた僕はふと首を傾げた。


「あれ? そういえば、先ほど通り過ぎた道を曲がった先にも小規模な村があるようですが。そちらは視察しないのですか?」

「うむ。その村は……まあ、また次の機会にしよう」


 何気ない僕の疑問に、何故だか父上は答えづらそうにした。

 心なしか目も泳いでいるようだ。父上は貴族でありながら妙に嘘が下手な人物で、何かをごまかそうとする時にはこうして目に表れる。

 過去にはメイドの一人に手を出したのが一瞬でバレて、母上にこっ酷い目に遭わされていたりしたものだ。


 ちなみに、そのメイドは主に黙って時おり屋敷の調度品を盗んでは闇に売り捌くような不埒者で、僕は大変に気に入っていたのだが。

 残念ながら、怒り狂った母上の指示した徹底的な調査によって全ての行いが明るみに出た結果、彼女は身一つで屋敷を放り出された。


 いつの日か、僕が闇の秘密結社を創設したその時は、事務員くらいにはしてあげようと思っていたのに。それもこれも、メイドに変な気を起こした父上が全面的に悪い。

 大体、手を出すって何をしたんだろう。大方、彼女のお尻でも触ったのかな。なんせ父上はスケベ親父だからな。


 僕が一人で納得している間も、父上は相変わらず目を泳がせていた。

 ああ、そうだ。地図に載っている小さな村の件だった。すっかり思考が脱線してしまっていた。


「父上、僕はその村も視察してみたいのですが、よろしいでしょうか?」


 父上が視察したがらないとなると、よほど辺鄙な場所にあるか、あるいは治安が悪いのだろう。

 前者はともかく、後者ならば是非ともこの目で見てみたい。


 そして、もしも見込みのある悪党が居た場合。出来るなら未来の配下候補として、手懐けておきたいものだ。


 父上はしばらく悩んでいたが、やがて渋々といった様子で答えた。


「ううむ……。まあ、お前がどうしてもというなら、仕方あるまい。馬車を戻そう」

「父上、ありがとうございます!」


 ふふ、楽しみだ。

 僕はまだ見ぬ悪党との出会いの予感に、胸を高ぶらせた。

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