第3話 悪役家族は曲者揃い

 この僕、ルグラン・アルファンドは今年十一歳を迎える。


 つまり、悪役としてこの貴族家に転生して、もう十一年になるということだ。

 赤子として生まれ変わった当時の僕は、何度も夜泣きをしてお母さまを困らせたし、何度もおねしょしてはメイドにおむつを付け替えさせた。


 ふふ、我ながら何という悪党っぷりだろう。

 悪党は幼少の頃から決して気を抜かない。悪は生まれつき悪なのだ。


 そんな僕を、何故だか家族はことのほか溺愛した。

 父は僕の顔を見るたびに、豊満な頬の肉をたぷんたぷんと揺らして、だらしない笑顔を見せる。

 母は僕の声を聞くたびに、まるで天使のような声色だと褒め称える。

 姉は僕が近寄るたびに、後頭部に顔を突っ込んでスーハーと匂いを堪能してくる。

 この人だけ何かがおかしい。


 その他、僕が生まれた頃から雇われている侍従や庭師も、僕に対しては非常に甘い顔を見せる。

 なるほど、これが悪に備わったカリスマ性というものなのだろう。


 こうして、僕は何不自由する事なく、貴族の嫡男として贅沢三昧の日々を送っている、というわけだ。



「若様。旦那様方がお待ちです。どうぞこちらに」

「ああ、ありがとう」


 僕は扉の前で待ち構えていたメイド長に礼儀正しく言葉を返した。

 彼女は屋敷のメイド長という立場でありながら、我がアルファンド家に従属する貴族家の長女であり、同時に父上直属の護衛でもある。


 つまりはこの家で血の繋がった家族に次ぐ重要人物だ。決して侮ってはいけない。

 彼女にこの僕の本性が悪党であると知られれば、矯正という名目でどんな目に遭うか分かったものではない。厳しい再教育ならまだ良い。最悪、父上にチクられて後継ぎとして認められない可能性すらある。


 万が一、家を追い出されるようなことになれば。目標の悪役貴族としての人生から大きく逸れる羽目になりかねない。

 僕が無事にこの家の実権を握るまでは、間違っても本性をさらけ出す訳にはいかないのだ。


 もしも今、僕の境遇を覗いている者がいたら「その割にメイドに対しては好き放題してたじゃん」などと思われるかもしれない。


 しかしフェニはいいのだ。あいつはその辺のスラムに転がっているところを僕が拾ってきた、いわば僕の所有物。都合の悪い事は決して漏らさないように厳命してある。

 この屋敷に拾われてきた瞬間から、彼女はこの僕に絶対服従なのだ。


 僕は哀れな奴隷であるフェニに幾ばくかの憐みを込めて、嘲笑の視線をくれてやった。


「あれ、どうしたんですか? ルグラン様。なんだか気持ちの悪いにやけ顔ですよ」

「だ、誰が気持ち悪い顔だ! ばーかばーか!」


 フェニの失礼な物言いに、僕は憤激した。

 まったく、なんて生意気な奴なんだ。

 僕が拾ってやらなかったら、お前なんて今頃どうなってたか分かんないんだからな。


「若様。そのような言葉遣いはどうか御控えになって下さい。万が一にも他人に聞かれては、当家の家格が下がります」


 メイド長が口を挟んでくる。

 ヤバイ。この女にチクられたら、僕は終わりなんだ。


「は、はは。心配は要らないよ。今のは気心の知れた者に対して、つい砕けた態度になってしまっただけだからね」

「ええ、勿論理解しておりますとも。若様は本当に幼子の頃から優秀でしたから、我々の差し出口など不要だと幾度も思い知らされたものです」


 メイド長は過去を思い出してしみじみと語る。

 優秀。それは悪としての必須条件だ。能力の足りない悪役は、しょせん三流のやられ役に過ぎない。本気で悪の華をこの世界に咲かせたいと願うのなら、ひとえに優秀さを周囲に見せつけなくてはならないのだ。


 しかし、それはそれとして。


「う、うん。……あ、あの。僕、昔は夜泣きやおねしょが激しくて、皆にたくさん迷惑をかけたと思うんだけど……?」

「……? ええ、確かにそのように記憶しております。ふふ、あの頃の若様はやんちゃでいらっしゃいました」

「や、やんちゃ……!」


 何ということだ。

 この僕が赤子の頃から徹底して歩んできた悪の花道が、やんちゃの一言で片づけられてしまった。

 自尊心が深く傷付けられて、思わず膝から崩れ落ちそうになる。


「あら、若様。どうかなさいましたか?」

「何でもないよ……。うん、何でも……」


 よろめく僕を気遣って、メイド長が心配そうな視線を向けてくる。

 だめだ、あんまり不審な態度を見せる訳にはいかない。


「……ふ、ふう。さて、戯れはこのくらいにして、そろそろ父上の所に行こうか」

「かしこまりました。それでは、こちらにどうぞ」


こうして僕たちはメイド長の後をついて行った。




「おお!! ルグラン! 少し見ない内に何と凛々しくなった事か! 父は嬉しいぞ!」


 僕が部屋に入るや否や、父上が喜色満面で席から立ち上がった。

 彼こそはこの家の当主にして我が父。ローズマン・アルファンドである。

 父上は薔薇の男とは名ばかりの分厚い脂肪を振るわせながら、僕を歓迎して手招いた。


「長らくお前に会えない間、父がどれほど寂しい思いをしていたか……。

 さあさあ、早くこちらに来て座るがよい」

「有り難うございます、父上。お目にかかるのはたったの二日ぶりですが、そのように仰っていただけるとは嬉しい限りです」


 僕が自分の席に座ると、次々と豪勢な料理が眼前に運ばれてくる。

 どれもこれも僕の好物ばかりだ。流石、僕の幸せが自分たちの幸せと公言してやまない我が家族たちだ。抜かりはない。


 料理に目を輝かせる僕を見た母上が、穏やかに微笑みながら告げる。


「この日の為に、領地の内外から最上の食材を用意させたのよ。さあ、心行くまで好きなだけお食べなさい」

「母上、有り難うございます! それでは早速。——主よ、豊かな恵みに感謝いたします」


 僕は普段と同じように手慣れた動作で神に祈ると、食事に手を付けた。


 神、と言っても僕が祈るのは邪神とか魔神に対してだ。

 邪悪な彼らが僕らに日々の恵みを授けてくれているとは思わないけど、僕は細かい事は気にしない主義。いつかこの祈りが届いて、恵みの代わりに闇の加護なんかを授けてくれれば儲けものだ。


 僕が食べるのを見て、家族達も各々祈りを済ませて食事を始める。

 こういうのは普通、家長である父上がまずは手を付ける物だと思うのだけれど。

 我が家では僕が最初に食べ始めるのを、皆が見守っている。

 これも、みんなが僕に激甘であるが故だ。

 悪のカリスマ、恐るべし。


「さて、ルグランよ。そなたは今年で何歳になった?」

「はい、父上。ルグランは今年で11歳となりました」


 僕は食事の合間、父の問いに率直に答えた。

 息子を溺愛してやまない父上が息子の年齢を忘れるはずがないので、これは話の枕というやつだろう。


「11か。ならば、そろそろ父と共に民に顔を見せて回っても良かろう。なあ、ジュリア。お前もそう思うだろう?」

「まあ、それらしい事を言って。どうせ貴方の事ですから、ルーちゃんを手元に置いて一緒に過ごしたいだけでしょうに?」

「むう。いや、しかしだ。日頃から政務で忙しい私は、なかなかルグランと一緒に過ごせないわけでだな……」


 ジュリア――母上が白い目を向ける。

 父上の浅はかな考えなどお見通しというわけである。


 だが、父上について外に出られるというのは僕にとっても大いにメリットがある。

 何せ、一流の悪役とは家で縮こまってるだけの者には決して務まらないからだ。


 今の内から、広い外の世界を見て学びたい。未来の悪役領主として、如何にしてこの領地から多くの税を搾り取るか、あらかじめ研究しておかなくてはならないのである。


「母上。僕は父上の仕事を間近で見て、領主の仕事を学びたいと思います。お許しいただけませんか?」

「ううっ。なんて立派なの、ルーちゃん! まだこんなに小さいのに、もう心は立派な次期領主なのね。——分かりました。会いたい時にすぐに会えないというのは辛いけど、私は子の成長を応援するわ」

「やった! 有り難うございます、母上!」


 僕は盛大に喜んだ。

 これで、屋敷の離れで王様ごっこする日々とはおさらばだ。

 僕は広大な領地を股にかける悪の少年貴族として、大暴れしてやるとも。

 くっくっく、せいぜい待っているがいい、愚民どもめ。お前達が震え上がる日は近いぞ……!


「おお、あんなにも情熱に燃えて……。やはり、この子は幼くして貴族の鑑と言う他ないな。我が家の誇りだ」

「ええ。我が領民たちも、このように素晴らしい次期指導者を得た幸せを神に感謝する事でしょう」


 子の心、親知らず。

 僕たちが三者三様に笑顔を浮かべていると、ただ一人黙々と料理を平らげていた少女が食事を済ませて顔を上げる。


「ねえ。あたしも一緒に行く」


 その言葉に、一瞬で僕らの空気が凍り付いた。

 慌てた様子で父上が口を開く。


「ほ、ほう! 珍しくお前も領地査察に意欲を見せたか! それは大変結構、非常に素晴らしい事だが、なにしろ今回はルグランが同行するのだ。お前まで来てしまっては少しばかり大袈裟というもの。大人しく家で帰りを待っているといい」


 父上がアイコンタクトを取ると、意を汲んだ母上も一緒になって言葉を重ねた。


「え、ええ。そうね。アルマ。貴女は私と過ごしましょう? 屋敷でも学べる事はたくさんあるわ。領地を回るのはまた別の機会にでも……」


 懸命な両親の説得。しかし、彼女は一顧だにせずに僕を見つめて言った。


「やだ。あたしもルグランと行く」


 僕は一縷の望みを賭けて両親の方を見やるが、彼らはなすすべ無しとばかりに天を仰いで目を閉じている。

 何と頼りない両親だ。仕方なく、僕自身が説得にかかる。


「あ、姉上。僕ももう11歳になります。姉上の助けが無くとも外にくらい出られ……」

「お姉ちゃんって呼んで」

「いえ、ですから。その……」

「お姉ちゃん」

「あ、あの……」

「…………」

「…………お姉ちゃんと、一緒に行きたいなァ」

「うん、心配だからついて行ってあげるね」


 終わった。

 完全敗北、全面降伏の惨敗を喫した僕の振る白旗に満足した姉上は、鉄壁の無表情に何処となく満足げな顔色を浮かべた。


 この感情表現にいささか難のある少女は少々遺憾ながら僕の姉。

 アルマ・アルファンドである。

 年齢は十三歳。僕の二つ上だ。


 彼女は普段からほとんど表情を変える事なく日常を過ごしているが、かといって感情に乏しいという訳ではない。というのも、暇があればすぐに僕とスキンシップを図ろうとしてくるのだ。


 彼女はどこでどう間違えたのか、どう考えても姉が弟に向けるにしては過剰極まる愛情を日々僕に注ぎ込んでいる。時に情熱的に、時にねばっこく絡みついてくる姉上の振る舞いには、皆もどうしていいか反応に困っているのである。


「うーむ。相変わらずアルマは少し、ルグランに過保護過ぎないか?」

「お父様、黙ってて」

「まあ、アルマったら。貴女のお父様に向かって、黙っててとは何ですか。貴女も貴族の令嬢なのだから、もう少し礼節を保った言動を――」

「お母様。あんまり小言ばかり言ってると、小じわ増えるよ」

「捻り潰したろかこのガキ……」


 わなわなと怒りに震える母上からそっと視線を逸らして、僕と父上は顔を見合わせると、同時に溜息をこぼすのだった。

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