第2話 悪役令息と哀れな従者


「ご主人様……どうか、これ以上はお許しを……」


 いたいけなメイドの少女が、僕の足元に崩れ落ちている。

 支給された上質なメイド服は見るも無残に脱がされて、その辺の床へと乱雑に散らばっており、もはや少女の身を護るのは頼りない肌着一枚だけだ。


「ふーん、この俺様に逆らうとはな。誰がお前をこの屋敷に雇ってやったのか、もう忘れたらしいなあ?」

「う、うぅ」


 僕はいまや、この屋敷を支配する暴君だ。屋敷の連中は誰であってもこの僕に逆らえはしない。此処ではどんな悪い事でもやり放題なのだ。

 今もこうして、従順なメイドの服を剥いで、遊んでやっている最中というわけである。


「ほら、のんびりしていて良いのか? このままではお前の大事なメイド服が、犬の餌となってしまうぞ? ん~?」

「そ、それだけは! どうか、お赦しくださいご主人様!」


 声を聞きつけて寄って来た我が愛犬ゴルドランが、散乱したメイド服に興味を示してフンフンと匂いを嗅いでいる。狂暴な番犬として躾けてあるゴルドランのことだ。たかがメイド服など、次の瞬間にはその獰猛な牙でズタボロに引き千切ってしまってもおかしくない。


「それが嫌なら、諦めて全てをこの俺様に委ねるんだな。ククク……」

「あ、あう……わ。分かりました……」


 メイド服をはぎ取られて見るも哀れな姿となった少女が項垂れて、不承不承に頷いた。すっかりと消沈してしまったその姿は見る者に痛々しさを感じさせるが、この僕は決して弱い者に容赦などしない。悪の道に弱者の犠牲は付き物なのだ。


「さあ、分かったのなら、さっさとそれを着るがいい」

「は、はい」


 少女は諦めたように、ゆっくりとそれを手にした。

 ガチャガチャと金属の擦れる音を立てながら、少女は苦労しつつもどうにか命令通りに着替えようと努力している。

 所々自分で装着できない部分は、仕方なくこの僕が手ずから手伝ってやった。


 そうして。

 やがて僕の目の前で完成したのは、全身を漆黒の金属に染め上げた甲冑騎士の姿だった。


 分厚い甲冑の内側から、くぐもった少女の声が聞こえる。


「え、ええっと。ご主人様、これで良いでしょうか……?」

「お、おお……!! か、かっけえ! 超クール! 最高!!」


 僕は全力で腕を振り上げ、小躍りして大いに喜んだ。

 悪役に相応しい真っ黒なフルプレートは、やはり威圧感が普通の鎧とは一味違う。

 な、なんて格好良いんだ。やはり僕の見立てに間違いはなかった。


 残念ながらメイドの少女では身長が足りずに、些かバランスの悪い格好ではあるものの。とはいえ僕が思い描く悪の幹部には、こういう素顔を見せないミステリアスな騎士風の人材が是非とも欲しいところなのだ。


 出来ることなら設定にも拘りたい。元は正義を信奉する純粋な心を持った戦士だったが信じる味方に裏切られて、それ以来、顔を隠して悪にその身を捧げてたりすると良いと思う。

 いつ理想の幹部候補が現れても良いようにと先に全身鎧は用意したので、後は中に良い感じの闇堕ち戦士を放り込んで、暗黒のオーラとか何かそういう闇属性っぽいのを金属の隙間から放出してもらえば完璧である。


「うう、お、重い……。も、……もうよろしい、でしょうかッ……!」

「ん? ああ、もういいよ。お疲れ」

「あうぅ」


 情けない声を上げて崩れ落ちたのはメイドの少女。名前をフェニという。

 小柄な彼女には、流石にフルプレートの鎧は重すぎたようだ。直立する事すらすぐに耐え切れなくなったようで、彼女はずしんと鈍い音を立てて床に倒れ込んだ。

 しかし、心配なんてしてあげない。何故なら、僕は暴君だからだ。


「身動きが取れなくて、ぬ、脱げません~……うぅ」

「ふはははは! 無様な姿だな、フェニよ! そんな事ではこの偉大なる悪のカリスマである俺様の従者は務まらんぞ!」

「そ、そんなぁ。ルグラン様、意地悪ですよ~」


 足元でじたばたと無様にもがくフェニ。

 大変愉快な光景だが、このままでは僕のお世話をこなす者が居ない。

 

「……ふん、仕方がない奴だな」


 なので、少々遺憾ではあるが、仕方なしに装備を外すのを手伝ってやった。


「ほら、これで動けるだろ」

「わあ。ありがとうございます、ルグラン様!」


 先ほどの醜態を忘れてニコニコと嬉しそうに笑うフェニ。

 全く。近い将来、悪の帝王となるこの僕の従者としては、あまりにも覇気に欠けると言わざるを得ない。ここはお灸を据えてやるべきではないだろうか。

 僕は気が向いたのでもう少し悪戯してやる事にした。


「それよりもフェニ。今日は何の日だか覚えているか?」

「勿論です。今日は、ルグラン様の十一歳のお誕生日ですよ。今朝からもう何度もおめでとうを申し上げました」


 にっこにこ。

 今年も無事に主のお祝いの日を迎えられて喜んでいる従者を見て、僕は指を一本立てる。


「ふむ。よく分かっているじゃないか。さて、フェニ君。僕の誕生日ということは、例年通りならもう間もなく母上が此処まで迎えに来られるだろう」

「はい。そうですね。奥様は、ルグラン様を溺愛していらっしゃいますから」


 フェニが律儀に頷く。

 察しの悪い彼女はまだ分かっていないようなので、親切なこの僕が教えてやろう。


「ふふん。そんな悠長にしてていいのか? 母上がやって来た時、脱ぎ散らかしたメイド服と乱れたその姿を見たら、果たしてどう思われるかな? 『なんてだらしない奴、この屋敷から追い出してやる!』……なーんて事にならないといいけどなあ」

「へ……。わ、わあ~~! 急いで着替えないと!」


 一呼吸遅れてフェニは顔を青くすると、慌ててメイド服を取りに立ち上がった。

 甲冑の脚部からどうにか引っ張り出した素足で、絨毯の上を慌ただしく移動する。


 しかし、急に近づいてくるフェニを警戒したのか。

 脱ぎ散らかされたメイド服の隣でのんきにぐでんと横たわっていた我が愛犬ゴルドランが、何とメイド服をくわえると、ずるずると引きずって逃走を始めたではないか。


「ま、まってぇ~」

「わはは。いいぞいいぞー。頑張れゴルドランー!」


 ぺたぺた。ずるずる。ぺたぺた。ずるずる。

 唐突に始まった従者とわんこの追いかけっこを愉快な気持ちで見物していると、不意に扉をノックする音が室内に響いた。


「む、どうやら時間切れだ。母上が来たようだな」

「わわわ、お願いですからちょっと待ってくださぁい!」


 当然、メイドの懇願など聞いてやる義理はない。悪が他人に屈する事は無いのだ。

 僕はすぐに扉を開けて、来客を迎え入れる。


「母上。いらっしゃいませ」

「まあまあルーちゃん。わざわざママをお出迎えしてくれるなんて、とっても偉い子ね! ああもう、こんなに可愛く育っちゃって。一体誰に似たのかしら?」

「皆からよく母親似と言われますよ。美しい母上の子なのですから、僕の顔立ちが整っているのは当然の事です」

「うふふ、もう。ルーちゃんったらその歳で本当に口が上手なんだから……あら?」


 母上の視線が、犬に覆いかぶさった半脱ぎのフェニとかち合う。

 どうやらメイド服を取り戻そうと、犬と格闘の真っ最中だったらしい。


 あられもない姿を母上に見つかったフェニの顔色は、どんどんと蒼白になっていった。反対に、母上の表情はまるで面白い物を見つけた時のようにニンマリとにやける。


「あらあら、まあまあ。ルーちゃんのお部屋の中にそんな薄着で、フェニちゃんは一体何をしようとしてたのかしら?」

「あ、あの、奥様。こ、これは……」


 母上のからかうような視線に捕まったフェニは混乱しきっており、咄嗟の言葉が出てこない。そもそも、さっさと隠れていれば良かったものを。お間抜けな奴め。


 それにしても母上は一体、何が言いたいのだろう。

 よく分からないが、仕方ないのでここは助け船を出してやることにする。


「母上。僕がどうしてもと無理を言って頼んだのです。新たに届いた甲冑の出来栄えを鑑賞したいので、是非一度着てみてほしいと」


 そう言って、床に散らばった鎧の抜け殻を人差し指で示す。

 実際に装着した痕跡のある甲冑と、犬がくわえて引きずっているメイド服を見れば大方の経緯は理解できるだろう。


「あら、そうなの。そうよねえ、まだそんな歳じゃないわよね。ママ、ちょっぴり早とちりしちゃったわ。うふふ」


 うふふ、おほほと楽しそうな笑い声を上げる母上。

 一体何を早とちりしたのかは知らないが、何にせよ無事に誤解は解けたようだ。


「ふう。それじゃあ、用意が済んだら本邸にいらっしゃい。誕生日のお祝いに、たくさんの御馳走がルーちゃんを待ってますからね」

「はい! ありがとうございます母上!」


 そう言い残して母上は去っていく。彼女は息子を溺愛するあまり、用向きがある度に決まって別邸にある僕の部屋までわざわざやって来るのだ。

 まあ、そうは言っても同じ敷地内にあるので、大した距離ではないのだけれど。


「……あの、ルグラン様。助けて下さって、ありがとうございます」

「うむ。……み、耳元はよせ。くすぐったい」

「あ、ごめんなさい」


 母上の姿が見えなくなると、そそくさとメイド服に着替えたフェニが隣にやってきてこしょこしょと耳打ちした。耳に吐息が当たってこそばゆい。


 元はといえば僕が意地悪したのが原因なのを忘れたのだろうか。

 まさかお礼を言われてしまうとは。

 そんな心構えでは悪役の従者は務まらないというのに、全く情けない従者である。


「——そ、そんな事は良いからさっさと準備するぞ! 母上を待たせてはならん!」

「はぁい、わかりました」


 何となくむず痒いような気持ちになった僕は、悪役としての意識をより一層高めるべく、できるだけ声高に命じるのだった。

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