第4話 ふたりの仮面

「パパ、戦争ってどうして起こるの?」


 純粋な疑問を孕んだ瞳を向け、そう尋ねる少女。

 仮面の下に、優しい柔和な表情を隠す男は曝け出した口元から笑みを綻ばせながら、その問いに答えを手向けようとする。


「どんな絵本を読んだのかな」

「絵本じゃない。テレビで見たの」

「そうか……」


 男は自身の行動を悔やみつつも、その純粋な疑問を解消せんと、彼なりの回答を口にした。


「戦争というより――争いがなぜ無くならないのかを話したほうが、分かりやすく手っ取り早いだろう」


 男は本棚とデスクのみが置かれたオフィスの一室にくり抜かれた、陽光差し込む窓枠の外を見据えながら話し始めた。


「答えは単純だよ。人は忘れてしまうからだ」

「忘れる?」


 少女の疑問はまだ解消されぬらしく、純粋な眼差しを向けたままふくろうのように首を傾げた。


「忘れてしまうんだよ。人は。戦争は多くの人が苦しみ、そして怒り、破壊を巻き起こすものだと知っておきながら、その恐ろしさを忘れるんだ」

「じゃあ、どうして続けるの」


 男の口元は変わらない。いつまでも優しく、柔和な笑みを綻ばせているのみだった。

 彼は彼女の前に跪き、大きな掌をその頭へと乗せた。


「何も戦争は、悪いことばかりでは無いということだ。勝った者にはそれ相応の利益がある。彼彼女らを支援した者も同様にね。でなければ人は、戦争なんてことはしないんだ」

「パパも」


 少女はその小さな口で、必死に言葉を紡いだ。

 男にとっては、そんな姿が愛おしくて、愛らしくて堪らない。


「パパにも、良い事があるかな」

「私が勝てばの話だがね」


 少女の純粋な口から紡がれたのは、そんな言葉だった。

 子供らしい愛らしさと、人の醜さを兼ね備えたその一言に、男の口元に微かな動揺が見えた。


「……でもね、よく聞きなさいミーシャ。そうして得た私の利益の下には、多くの人たちの屍が転がっているんだ。その屍の山の頂上で、私はその利益に歓喜する。私にとっては、なんとも無いことだ。もう感覚が麻痺してしまっている」


 少女は、淡々と言う彼の言葉の意味をよく理解していないようだった。それもそうだ、発した本人がそれをのだから。


「ミーシャ、君は良い女の子に――いいや、”普通の”女の子になるんだよ」

「ふつうの?」


 動揺を噛み締めた彼の口から、また笑顔が綻ぶ。


「そうさ……君が戦争なんて忘れて、普通の女の子になること。それが、父としての願いだよ」






 ――い




 ―――いい





「大尉!!」


 

 色彩を取り戻す視界。そこへ真っ先に飛び込んできたのは、顔の良い青年の蒼白顔だった。

 ミハイルはぼんやりとした頭のままで、あまり状況を把握できずに、暫くぽかんと口を開けていた。


 よくよく見れば、自分を覗き込んでいたのは彼――石動ルカ中尉であった。

 記憶にある彼は〈ジェネラル〉を駆り、自分がしくじった後の事を頼んでいた――。


 あぁ、終わってしまったんだ、と私はそこでようやく気づいた。


「石動くん……」

「良かった……本当に」


 ルカは顔の色味を適切なものへと戻しつつ、淡い息と共に安堵の意を漏らした。

 ゆっくりと起き上がろうとしたが、鈍痛にそれを阻まれる。

 自分の頭には包帯が巻かせており、痛みの出所はそこだということがわかった。

 大方、衝撃によってコックピット内で頭でも強打したのだろう。ずきん、ずきんと痛んで腹が立った。


 周りを見渡せば、そこは簡易的に設立された救護ベースであり、ベッドの上に多くの負傷兵が寝転がっていた。


「無理はなさらずに。寝たままで、俺は結構ですので」

「どうなったの」


 渋々寝転がったまま、状況を尋ねる。

 ルカは深刻そうに眉間へシワを寄せた。


「〈アラクネ〉〈クロス〉〈ファントム〉は、混乱に乗じて逃走。他のテロリストも一部は捕虜となりましたが、大半に逃亡されました」

「……被害は?」


 周りを一瞥してから、その現状から目を背けたそうにしつつ、聞いた。


「現状、死者は一◯五名、負傷者は三一三名。一般市民に被害は及んでいないようです」

「……そう」


 死者が出ない戦場。そんな物は実在しない。だと分かっていても、戦死者報告を聞く時は胸が痛くなる。自惚れか、それとも単なる憐れみなのかはわからないが自らを蝕むその感情は耐え難いものだ。


「……大尉が来てくださらなければ、俺もレオンも死んでいました。本当に、ありがとうございます。そして――すいません」


 椅子に腰掛けたまま、ルカは深々と頭を下げる。


「どうして、石動くんが謝るの。いいのよ」

「いえ……させてください。でなければ、俺は苦しいままです」


 律儀なのか正直なのか分からぬ彼を見て、確信する。

 この子も自分と同じなのだ、と。

 初めて会った時――自分のことを、上司だと知る前の少し気取った話し方をする彼も今の軍人バカである彼も、

 自分が自分でない――そんな錯覚に陥らせるような仮面を、自らで着けているのだ。


 額に汗が滲んだ。それを自分で拭おうとしたところ、ひんやりとした何かが頭にあてがわれた。

 ルカが置いてくれた水をたっぷり含んだタオル。汗どころか嫌なものを全部拭ってくれたような気がして、笑ってみた。


「きもちいい、ありがとう」


 少し照れて、目を逸らす彼。

 その表情から、僅かだが素が漏れたような気がして嬉しくなった。


 暫くして、テントの外が騒々しくなった。

 何事かと思って覗き込もうとした途端、見覚えのある影が二つ突っ込んできて、彼女の眼の前で急停止した。


「大尉ぃぃぃぃ!! 無事で良かったぁぁぁぁぁっ!!」


 顔をぐっしゃぐしゃにしながら、アスカは縋るようにベッドへ崩れ落ち、喚き声をテント中に響かせた。

 共に入ってきたリオンはそれを制しつつ、珍しく泣きそうな顔で続いた。


「よくご無事で……!!」


 一言だけなのが、実に彼らしい。

 起き上がらざるを得なかった私は、二人の顔を見て涙を堪えた。


「ディアス伍長、リック軍曹……そっちも、無事で良かった」


 そう言ってから、はっとする。

 二人の全貌を伺えば、双方とも頭や腕に包帯を巻いていた。


「……守ってあげられなくて、ごめんなさい」

「何言ってるんですか!!」


 アスカが食い気味に言った。

 そんな態度の彼女は初めてのため、私は少し唖然とする。


「大尉は、大尉は無茶をしすぎなんです! そんな中で守ってくれだなんて贅沢なこと、私たちは言いません!」

「そうです。大尉があそこで強奪犯を抑えていなければ、被害はもっと拡大していました。それを誇りに思ってください」


 激励――いや、叱責とも言うべきか。

 誇りに持つ、人を殺したことを?

 私は内なる自分に問いただされた。

 今日、私はまた、二人分の血で自らを赤く染め上げた。それは果たして、誇りに思っても良いことなのだろうか。


 今日に限らない。 

 《赤き凶星》と呼ばれた自分は、これまで罪なき人から打つべき敵まで、大勢の人間の血を浴びてきた。――無論、そんな事をアスカやリオンが知るはずもなく、信じるわけもなかったが。


「私は、人殺しだよ」

「私達だって同じです……! 大尉も私達も軍人で、人を殺す職業です。そんな中でも、大尉は命を救ったことを忘れないでください……! 誰よりも早く動いて、事態収束に向かったから、大勢助かったんですよ」


 アスカは目にいっぱいの涙を溜めながら言った。

 

 熱意のこもった言葉にやられて、目端に熱いものを感じた。

 二人は硬直し、それを見たルカが二人を睨んだ。


 啜り泣き、その無様な顔を見せないように身体を丸め、嗚咽と共に言葉を述べる。十九にもなって人前で泣くなど、少し恥ずかしかった。


「……ありがとう」


 零れ落ちた涙はシーツを濡らす。

 

 ――これが若さか。


 誰のものかも分からない言葉が、私の頭の中で水滴のように刹那、響いた。




 ◇




 頭の痛みも治まり、夕方頃には歩けるようになった私には訪れたい場所があった。


 歩く度に瓦礫が見えて、至る所で、未だに消火作業が行われていた。テロの最中も無論大変だが、事後もそれを優に上回る程度には手間がかかる。

 ルカは死者を一◯五人と言ったが――基地全体に被害が及んでいるのだ。これから、もっと増えるに違いなかった。


 ……どうしようも無いことだ。彼女には分身もクローンもなければ、いつどこでも命令に従う人形のような部下も持たない。

 だけれど、増えに増えた死者の怨念がすべてを押し潰さんと重圧となって降り掛かる苦しみに悶えされられる。

 それはきっと自惚れだろう――別ベクトルの重圧にも押され、彼女は臓物が逆流するような吐き気に見舞われる。


「……!」


 ふらり、と訪れた場所の景色を前に、顔の色素が一瞬のうちに抜けた。


 昼寝に使っていた――あの他人行儀な整備班の男がいた格納庫の姿が、もうどこにもなかった。

 あるのは、砲弾によって散り散りにされた瓦礫と、虚しく横たわる灰色の巨人 バークのみ。

 無惨な姿のモノアイから、ここで起きた惨劇の度合いが一目で分かる。


 視界が狭まり、呼吸の間隔が短くなれば、たちまち浅くなっていき、酸素が脳まで行き届かなくなって目がかすみ始める。


 ――あの時自分が来なければ。

 あの人だけでも逃げられていれば、こんな思いをしなくて済んだのに。


 お前はまた人殺しをした。

 その身体を真紅に染めた。



「違う……! 違うッ!!」


 そんな声が

 頭を穿つ呪いの戯言に、彼女は反論する。


「私の――私のせいじゃない……!! 私はただ――」



 目を背けるな。

 お前の本性はただの人殺しだ。


 

 頭を蝕むのはそのような戯言ばかり。もう関係ないのに、もう苦しむ必要なんてないのに、それが”約束”の筈なのに。

 振り切ることのできない呪いに悶えていた。瓦礫の山に囲まれた、凍てつくように冷たい色をした大地の上で。


「お前は……。どうして私に……忘れさせてくれないんだ!! そういう約束なのに……!!」


 悲鳴に成り損ねた悲痛の叫びが、瓦礫の大地に木霊する。

 遠くで揺らぐ炎の熱が、空間を歪ませて、まるで自分が大勢の人間に取り囲まれているのではないかという錯覚を起こさせる。



「パパなの……!? 私……わたし、いい子にしてたじゃんかぁ……!!」


 その場に留まることすら危うくなり、ミハイルは無意識のうちに辺りをふらふらとし、倒れかけては立て直す行為を繰り返した。その様は傍から見れば、何も無い空間で一人錯乱する異常者にしか捉えられないだろう。だけれども私は、自らを蝕む”概念”に、反論せざるを得なかった――でなければ、もっと狂ってしまう。


 一人の女の子を狂わせる声は、聞き覚えのある呼びかけによって、幻かのように消えていった。


「嬢ちゃん!!」


 それと共に足音が近づいてきて、至近距離で途絶えた。声による束縛から放たれた私は、白の割合が大きくなった目をそちらへ向けた。


「心配したぞ。中尉からケガしてるって聞いたから……」


 そこにいたのは、あの整備班の男だった。酷く荒い呼吸をしており、ここに至るまで苦労したのが一目で分かる。


「……わたしは……大丈夫です」

「顔が真っ青じゃねぇか。もう休んどきな」 


 急な脱力感に襲われて、その場に倒れそうになっる――生きててよかった。ただそう言いたかったのに、かすれた息しか漏れない。

 すると、誰かがそれを受け止めてくれた。見てみれば、先程まではいなかった筈のルカが初めて会った時のように大きな手で抱きかかえてくれていた。


「おぉ、中尉。来てたのか」

「大尉の姿が見えなくなったので、心配で」

「あんたそんな喋り方だったか?」


 朦朧としていた意識がはっきりとしてきて、渋い顔をするルカの輪郭が確固としたものになる。


「俺が部屋までお送りします……せめてもの、お礼です」

「……石動くんには、迷惑かけっぱなしだ」


 湧き出る嬉しさを、噛みしめるように笑った。


 ――自分のために、泣いてくれる人がいる。無我夢中で探してくれる人がいる。恩返しをしてくれる人がいる。

 

 もういいんだ。

 もう、”普通”になって、忘れたっていいんだ。




 ルカに介助されながら、薄暗くなりつつある基地内を歩く。まだ足取りが覚束ない。コックピットで受けた衝撃が相当強い、というのもあるだろうが、頭をガンガン打ち付けた、”あの声”の存在が大きかった。


「ここですか」

「うん。ここ、ここ」


 扉を開けて、彼を一瞥する。

 そのつもりが、いつの間にか凝視してしまいルカは気恥ずかしそうに眉をひそめた。


「ねぇ、石動くんにはさ――」


 、そう尋ねようとしたが、やめた。

 自分からすれば何年も前から悩まされている異常現象だが、客観的に見れば一種の精神疾患に過ぎず、今この状況であれば頭を打った後遺症ともみられる。きっと、ろくな答えは期待できない。


「ううん。なんでもない」

「……そうですか」


 気張っていたルカは、すとんと肩を落とす。

 そんな彼を見て、意を決して口を開いた。


「……石動くん、ちょっとごめんね」

「はい、なんでしょ――」


 彼の返答を待たず、彼の後頭部へ腕を忍ばせて、そのまま彼の身体の密着した。

 みるみるうちに赤くなるルカに、耳元で伝えた。


「石動くん、ぎゅうってして。私を押しつぶしちゃうくらい」

「た、大尉……これは……」

「私が元気になると思って」


 世間体を気にした彼は、今の状況を非常に懸念しているように思えたが、拒絶すればするほど終わるのが長くなると察したのか、渋々私の背中を手を這わせた。

 ぴく、と身体を強張らせる。

 大きな手で、彼は力強く抱きしめてくれた。

 内臓に多少の負荷がかかるその感覚が、懐かしいあの日の感覚と重なって、力が抜けていく。




 そうだよ、パパ。

 そろそろ私、約束果たさないとね。

 

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