Q2.青海学園・覗き魔事件

 横山慶太はどこの部活動にも入っていないにも関わらず、休日の土曜日に青海学園に呼び出された。

 篠崎家から片道十五分とはいえど、その日は昼を過ぎても気温三十度を超えるか超えないかの猛暑。学校に着く頃には背中はすっかり汗ばんでしまった。

 校門を通り過ぎ、校庭の外れに立つ呼び出した張本人はいた。青海学園の生徒会長であり、義姉である篠崎風音であった。


「いったいなにがあったんだ?」

「とんでもない凶悪な事件よっ! 私が生徒会長に就任してから、こんなことなかったわっ!」


 生徒会長が解決しなけばいけない凶悪事件など、この日本全国を探してどれくらいあるのだろうか? そんな疑問を浮かべながら、勇み足で校庭の外れにある部室棟へと向かう風音のあとを急ぎ足でついて行った。

 部室棟の前では険しい顔つきの四人の女子生徒と、これから銃殺刑にでもかけられるかのように神妙な顔つきで横一列にならぶ三人の男子生徒が目に入った。

 慶太はなんとなく状況を察した。


「それで? この三人の中の誰かが?」


 風音は最後まで言い切らなかったが、四人の女子生徒はコクリと頷いた。


「そうです。でも、誰かなのかはわからないんです」

「……そう。覗きなんて卑劣で低俗な行為よ。それで、詳しく教えてちょうだい」


 四人の女子生徒は女子ラクロス部で、午前の練習を終えたあと、しばらく談笑したのち、着替えをするべく部室に入った。だが、その日は猛暑。四方の壁を厚いコンクリートで作られた部室棟は昼間の熱が溜まり、蒸し風呂と化していた。

 彼女らは悩んだ末、普段はあまり開けない窓を解放したそうだ。時刻は十三時をすぎており、部室棟を使う運動部のほとんどは帰宅していたと思ったからだ。

 着替えを始めようとしたその時、ひとりの少女が何気なしに窓に目をやると、スマートフォンと思わしき携帯機器のカメラレンズがこちらを捉えていたという。彼女が短い悲鳴をあげるとレンズが引っ込み、慌てて走り去る足音が響いたという。


 そこから彼女たちは勇敢であった。彼女らはその場にあったジャージやユニフォームなりを見に纏うと、素早くドアを開けて下足も履かぬまま外に飛び出したという。時間にして二、三分ほどの時間は要したが、それでも部室棟周辺で逃げ去る人物がいないかまでは確認できた。


「そうなると、犯人は部室棟から逃げたんではなくて、この部室棟のどこかに隠れたということになるわね」と風音。

「そうなんですよ」と女子部員のひとりが頷いた。「それからですね――」


 彼女たちはすぐに役割を決めて行動した。ひとりは部室棟から逃げ出す者がいないかの確認。ふたりが各部室のドアを叩き、人がいないかの確認。そしてもうひとりが風音に電話をした。

 なぜ先生ではなく風音だったのか? それは慶太にもわからないが、現在の状況から見て、風音を呼んだのは正しい行為であったと思う。なぜなら、自分たちの前に並ぶ三人の男子生徒は運動部特有の屈強な身体つきでありながらも、風音の目も見れないほどタジタジなのだから。


 そうして、容疑者と浮上したのはダルそうに長髪をかき上げているのサッカー部、それと目が充血した身体の細い男子テニス部員。それとオドオドとした野球部員。野球部員だけはその体躯の小ささから後輩だとわかった。


「まったく、これだから男子は」、と三人を睨みつけたあと、慶太もついでとばかり睨む風音。


「あんたも、まさか家でこんなことしてるんじゃないでしょうね?」

「まさか」


 慶太には犯人の気持ちが分からないでもなかった。思春期の男子ならば、同年代のみならず、若い女性の身体が持つ魅力に興味があるのだ。性欲は決して悪ではない。問題は、それをモラルの範囲の中でどう処理するか、だ。自分もそのような人間らしい一面を見せるべきなのかもしれない、とも思った。


「それで? 三人は部活も終わったというのに、部室棟でなにをしていたの? もしかして、三人とも共謀したわけじゃないわよね?」


「冗談じゃない、僕は犯人なんかじゃないよ」とテニス部員。


「午前中の練習が終わりかける頃、僕は体調が悪くなり、部室で寝込んでいたんです。先に帰った他の部員に訊けばわかりますが、僕はグッスリ眠っていました」

「それじゃあアリバイにはならないわね」と風音。

「たしかに。でも、僕にはアリバイになりそうなものはありますよ」


 そう告げるとポケットからスマートフォンを取り出した。


「犯人はスマホを持っていたんでしょ? 僕には無理ですよ。なんでかといえば、僕は目覚ましを設定していて、覗き魔が現れた時間にスマホが鳴っていたんだから。僕が起き出してスマホのアラームを切ったあとに彼女たちがノックしたんです」

「そうなの?」と風音は女子テニス部員たちに目配せした。


「た、たしかに遠くで鳴っていたような」

「そんな曖昧な返事じゃ困るよ。ほら、これだよ」


 言い切ったあと、スマートフォンを操作した。スマートフォンから軽快なメロディが流れ出した。市販の目覚まし時計のような音量で、こんなものを鳴らしながら覗きなどはできないだろう。女子たちは困惑しながら肯定する頷きを見せた。


「……けど、それってスマホがもう一台あれば可能じゃない? 例えば、そのスマホを部室に置きっぱなしにして、もう一台予備のスマホで撮影する、とか」

「そ、それはたしかにそうだけど……」


 胸の下で腕を組んだ風音に問い詰められ、テニス部員の顔色は余計に悪くなった。すると「いや」とサッカー部員が割り込んだ。

「一応だけど、そいつは嘘はついてないと思うぜ」

「どうして?」

「俺は部室でそいつのアラーム音と悲鳴を同時に聞いたからな」

「あら? 具体的にどういうことか訊こうかしら」


 サッカー部員は面倒くさそうに髪をかき上げる。


「俺は午前中の部活を終えたあと、ひどく汗を掻いたから、水道で頭から水を被って髪を洗ったんだ」

「それにしては」と風音がサッカー部員の頭をジロリと睨んだ。「髪の毛は濡れてないわね」


「当然だよ。そりゃあ、部室の中でヘアドライヤーで乾かしたんだからさ」

「あら、部室棟にあるコンセントを使って? 部室棟のコンセントは私用目的で使うのは禁止されているわよ?」

「うっ! ……そりゃあ、わかってるけど……」


 バツが悪そうに視線を逸らす。それもそうだ。部室棟の壁には『コンセントの私用目的を禁ずる 青海学園生徒会より』と張り紙が張られているのだから。

 サッカー部員はエホンと咳払いし、


「最後までちゃんと説明させてくれ。俺がドライヤーで髪を乾かしていたときに悲鳴とアラームは聞こえたんだ。さらにいえば、小さな悲鳴が聞こえた直後にアラームは止まった。だから、俺もそいつも無罪ってわけだ」


 風音が慶太に目配せした。最初、なぜ目配せしたのかわからなかったが、すぐに理解できた。『ドライヤーがあるか確認しなさいよ』、という意味だ。慶太は内心うんざりしながら「ちょっと失礼しますね」と告げてサッカー部の部室のドアを開けた。乱雑に荷物が置かれた簡易テーブルの上に大口径マグナムのようなヘアドライヤーがコンセントに繋がれたままあった。


「彼のいうとおり、ドライヤーはあるよ」

「ほらな」


 やれやれといった様子のサッカー部員。だが、風音の睨みは続いた。


「あら。それでも規則違反は免れないわよ? あとで顧問の先生には報告させて貰うから」


 途端にうんざりとした態度を示す。


「だ、だけど俺はたしかに部屋でドライヤーを使って髪を乾かしていたんだ。そうすると、そこにいる一年坊主が一番怪しいんじゃないか?」


 そんな彼から視線は外れ、最後に残った野球部員に視線が集中した。

 野球部員は冷や汗を掻きながら、オドオドした口調で話し始めた。


「あ、あの。僕は先輩たちに言われて、部で使ってるグローブやバットの手入れをしてました。僕、実は朝が弱くて今日で四度も寝坊してしまって……。それで顧問とキャプテンからバツとして部の備品の整理と手入れを言われました」


 バツが悪そうに伏目ガチにいう。


「それで? あなたは部室でひとりで作業していた、と?」

「は、はい。みんな帰っちゃったんで、ひとりです。……いわれてみれば、途中でスマホの着信音のような音と、ゴーという音は窓の向こうから聞こえました。それからすぐに、小さい悲鳴みたいなのも」


 慶太は自発的に野球部の部室のドアを開けた。部室の床には新聞紙が敷かれており、その上にはグローブを手入れするオイルとブラシ、それとまだ手入れ途中のグローブと薄いビニールの手袋が転がっていた。窓を見れば、たしかに開いている。

 慶太は戻りながら間違いないと頷く。野球部の新入生も安堵してか、強張っていた表情が和らいだ様子。


「それから、なんだろうと疑問に思ったまま固まっていると、そこの女の先輩がすごい勢いでノックしてきて……ここにいる、という感じです」


 これで全員の証言が揃った。風音は顎に指をあて、思案を巡らせる。


「……証言どおりだと、全員がそれぞれ部室にいて、覗きには行ってないってことになるわね」

「これでわかってもらえましたか? 疑いが晴れたなら、もう家には帰りたいんだけど」


 テニス部員がそういうと、残りの二人も同意するように小さく首を頷かせる。当然、納得できないのは女子たちだ。誤認かもしれない。だが、他に犯人はいない。

 情勢は男子たちに傾き始めていた。

 彼らは口にはしないが、自分たちの証言が正しいものだと信じ、女子たちに力強い眼差しを送っているのだから。

 ここでようやく慶太は口を開いた。


「いいですよ、帰っていただいても」


 当然、女子たちの白い目が一斉に突き刺さる。だが、慶太は物怖じせずにこうもいった。


「でも、帰れるのはこの中のうちのふたりだけで、ひとりには残ってもらいますが」


 今度は男子たちが目をひん剥くことになった。


 Q2.三人の内、疑いがあったのはどの人物だろうか?


 A1


 ツバメが低く飛ぶのは葉の裏に隠れた虫を探すためであり、虫は雨が降ることを見越して葉の裏に隠れます。これから雨が降るのであれば、掃除なんてできないでしょう。

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