Q6.憧れの北海道旅行

 昼間の陽射しを遮るメタセコイアの下の木陰が心地よいと思った時だ。


「今度の連休に旅行に行こうって、お父さんが提案しているって聞きましたか?」


 昼休み。校舎の中庭に呼び出された横山慶太は一つ年下の義妹である篠崎雛乃にそう問われた。


秋一しゅういちさんが?」

「ええ。なんでも、学校を卒業する前にお姉ちゃんとお義兄にいさまみんな、家族との思い出を作ろうということで……」


 家族、という言葉を妙に強調したのだが、慶太はあまり気にせず、「なるほど」と生返事をした。篠崎家に住んで二年と少し。それまで、家族の行事はひととおり参加したつもりであったが、家族旅行というものはこれまでなかった。

 

「実はこの話はお義兄さまには内緒だったんですが、なんだか、騙しているような気がして申し訳ないと思って……」


 雛乃はいじらしく指先を躍らしながら俯く。


「それで、行き先は?」

「あの、まだちゃんと決まったわけじゃないですが……北海道か、東京か」

「ふーむ」


「おやあ」と声がかかり、二人は同時に声のする方へと向いた。


 視線の先にはひとりの男子学生がいた。胸の校章からして、雛乃と同じ二年生であった。男子学生は長い前髪を顔を振ってなびかせ、爽やかさを醸し出しながらいう。


「篠崎さんに、三年生の横山先輩じゃないですか。こんなところでお会いできるとは。偶然とは、まさに奇跡と紙一重ですね」


 当然、慶太は警戒した。その怪訝な視線に気付いた雛乃は「あ、彼は菅谷くん……えっと、菅谷正道すがやまさみちくんです。中等部の時に同じ委員会でした」と説明する。

 ご自慢であろう長い前髪を指先で流しながら、二人の前に立つと「そうです。よろしくお願いします、


 うやうやしく頭を下げる。最後の方はアクセントを強くしていた。英国気取りの高飛車の紳士にでも憧れているのか? それとも、キザ気取りのプレイボーイか? あまりにクセの強い人物の登場に、慶太は対応にひどく困った。


「こちらこそよろしく、菅谷正道くん」


 正道が放つ三日月よりも細い挑戦的な目からは、なんとなく敵意を覚えた。このような目を何度か見たことがある。それは男のプライドが露わになった時によく出るものだ。理由はなんとなくわかる。隣にいる雛乃だ。


「それで、さっきはなんの話を? なんだか、北海道がどうとか……」

「あ、その実はね――」

「もしも旅行に行くならどこがいいか、という話題で話していたんだよ」


 嘘がつけない雛乃にかわり、慶太が割って説明する。

「ふむ」と顎に人差し指を添えて頷くなり、なにか思い出した素振りを見せた。


「実は僕、少し前に北海道に旅行にいったんですよ? そんな僕の思い出から、なにか参考になるかもしれませんね」と言い終えて口角をあげた。

「え、そ、そうなんだぁ」と気後れしながら雛乃は返した。


「そうだよ、僕が行ったのは12月の頃だね。僕はパパとママに言われるがまま、学校に連絡して休みを取ったんだよ。本当は休みたくなんかなかったのに、パパの仕事がなかなか休みが取れなくってね。ウチのパパは建築デザイナーだからさ」


 ペラペラと語り出す正道。二人は困惑するが、悟られぬように押し黙って正道の言葉に耳を傾けた。


「やっぱり、冬の北海道は格別でね。空港を出るとまず雪が出迎えてくれるんだ。そこからもう、北海道だっていう気分さ。

 まず初日に行ったのは函館の五稜郭。五稜郭の近くには五稜郭タワーがあってね、あの大きな五芒星を真上から見下ろせるんだ。周囲を囲う堀がすごくてね、当時あれを作った人たちには敬意を払いたくなるよ。

 次の日には飛行機で丘珠空港にいって、札幌市へ。おふたりは北海道に行ったことがないからイメージできないだろうけど、北海道を回るのに車なんかじゃあ回れないよ。そこでパパは先に飛行機のチケットを予約していて、事前に回る場所の飛行機はチェックしていたんだ。

 札幌の時計台は思いのほか小さくてね。ちょっとガッカリしたけど、夜はすごいんだ。あちこちでイルミネーションがされていてね。クリスマスまで二週間もあるのに、カップルが多くってさ。ちょいっと肩身を狭い思いをしたけど、素敵な街並みだったよ。

 あと、ロープウェイで行った藻岩山の山頂展望台もなかなか美景でね。札幌市の街並みの明かりこそ、最高のイルミネーションだよ。

 それから流氷ツアー。噂に聞いてたけど、流氷はなかなか見れないらしいんだ。僕たちも漏れなく流氷は見れなかったのだけど、船長が気を利かせてくれてね。探るように船を走らせたらイルカの群れを見つけたんだよ。

 帰り際に小樽によって、新鮮なカニをお土産に買ったんだ。知ってるかい? 北海道ではカニ味噌にカニ身を絡めて食べるのが通なんだよ?

 食事も景色も、環境も全て最高さ! いやあ、人生で一度は北海道を堪能すべきだよ」


 そう締めくくると正道はチュッと唇を鳴らした。耳を傾けていた慶太はというと、饒舌に語る正道が、何度も雛乃に目配せしたことを見逃さなかった。


「……そうなんだ。ありがとう、参考にさせてもらうね」と雛乃。

「ま、もしなにか困ったことがあれば相談しなよ。君の相談になら、いつでも乗れるからさ」


 肩で風を切るように、優雅な足取りで正道は去っていった。その後ろ姿を


「あ、あの、お義兄さま。菅谷くんは変わっていますが、悪い人ではないんです」


 フォローを入れるが、慶太が抱いた正道に対する感情は変わらなかった。世の中には付き合うとマイナスになる人間は多数いる。だが、ここで雛乃に彼との付き合い方や乏しいものを語るのも違う。


 なぜならば、篠崎雛乃は生来、敬天愛人けいてんあいじんの精神がある。その大人しい性格のせいで、傷つけられた過去を持っている。だが、雛乃は決して恨んだり腐ったりすることはなかった。

 ――雛乃はいくら騙されても、裏切られても、自分はそちら側にいかない様に決めているのだ。

 そのことに気付いてからは、雛乃の信念を阻害する言葉は慎むように決めているのだ。


 だが、慶太自身は正道という男を非常に好かないのは確かである。

 浅学非才あさがくひさいというわけではないか、自らを売りたい欲の強さにげんなりしてしまう。この根本にあるのが、おそらく雛乃に対する恋心なのだろうが。正道がプライドが高いその反面、不器用な人間ということはわかった。


「それで、どう思います?」と雛乃。

「どうって?」


 慶太はてっきり、正道のことだと思った。雛乃もその返答に最初こそは困惑したが、理解して言い換えた。


「あの、旅行のことです」

「ああ」と納得した。「たしかに北海道は悪くない。俺も行きたいとは思っていたし」

「そうなんですか……。あ、菅谷くんにもっと話を訊いてみますか?」


 慶太は「いや」と発したあと、ウンザリした口調でいった。


「ちゃんと北海道に行ったやつに話を訊こう」


Q6 慶太はなぜ菅谷正道が北海道に行ってないと思ったのだろう。


A5

 お茶のマナーとして、まずお茶を入れる前に相手の好みを聞くのがお客へのもてなしです。しかも園池家は紅茶だけでなく、コーヒーも取り扱っているのだからなおさらです。彼女が常にもてなしをしていれば、こんなミスは起きなかったはずです。

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