Q5.ご令嬢はマナーがお好き
はっきりいえば、
青海学園の高等部三年生なら周知の事実であるし、下級生たちの中でもチラホラと話題があがっている。
彼女が登校する時、校門の前に真っ黒な高級国産車が滑り込んでくる。もちろん、車体には汚れやキズなどはなく、年式も五年以内に製造されたものである。助手席に座る父親の部下が後部座席のドアを開けると、そこから彼女は優雅に降りてくる。
制服を着崩すことなく、むしろ新入生のような新鮮かつ清潔的な着こなしで学校生活を送る。優雅に歩くその物腰や所作は、まさに令嬢らしい貴婦人のそれだ。
使っているものはすべて一流で、ボールペンなどはドイツ製の一本で数万もするシロモノ。水筒だってフランスの有名ブランドのロゴが入っているもの。学校指定でないものは、どれをつけたって一流。
また成績は常に上であり、90点以下などとった試しがない。ゆえに、同級生であり、青海学園の生徒会長を務める篠崎風音と1、2位を競い合う好敵手でもある。
それは習い事に対しても顕著に現れていて、風音が剣道と柔道といった武道を嗜むにあたり、カズエはフェンシングといった西洋武道の習い事をしている。まるで表裏一体のようなふたりなのだ。
だが、決定的に違うことはある。
それは園池カズエには風音のような人望はない。カズエの周囲はいつだって彼女のブルジョアジー的なスタイルに羨望する数名の女子と、媚びへつらう数名の男子でできている。しかし、篠崎風音は多くの生徒から憧憬の念を向けられており、それは校内だけではなく、他校にだっているということだ。
ここで大事なことは、これを気にかけないほど園池カズエの精神は決して完璧ではなく、なにかしら気疎いものがあるのだ。
所詮はカズエも人間であるが、それをいとも容易く見抜かれるわけにはいかない。富裕層が持つプライドと、伴う傲慢さは決して悟られてはいけない。
だからこそ、カズエは休みの日に風音を自宅にお茶会と称して自宅に招くのだ。それと、ひとりの男子生徒も同じように。
「せっかくお越しいただいたんだから、もっとリラックスしてくださいね」
カズエは慣れた手付きでティーポッドに紅茶を注いでいく。湯気を立てて流れ落ちていくその様を、横山慶太はフカフカで座り心地の良い椅子に背中を預け、ただ見据えた。
一方の風音は窮屈そうに足をソワソワさせた。それもそのはず。篠崎家のお茶会というのは茶道であり、着物で正座をするものなのだ。西洋ならではのお茶会など、早々にないものである。
「粗茶ですが、御口にあえばと」
「では、いただきます」と慶太はうやうやしく頭を下げて、出されたティーカップを取った。風音も倣うようにカップを手に取り、口に運ぼうとした時だった。
「西洋のティータイムでは『カップを取る時は常に右手で』、なんていう作法があるとおり、イギリスの上流階級には紅茶を嗜むためのルールが存在します」
ピタリとふたりの動きが止まった。それからカズエは「ふふ、ただのマナーの話ですよ」と小鳥のさえずりのような小さな笑い声を漏らした。
風音は丁寧に左手を底に添え、ゆっくりと紅茶を口の中に注いでいく。
「ほかにも……『左手をティーカップの底に添える』、というのはマナー違反になります」
「ぐぅ……!」
一瞬であるが、明らかな動揺を見せる風音。
「ま、今日は無礼講ということで、お気遣いなく飲んでください」
「ふん」
穏やかかつ涼しげにカズエはいった。風音はさらに居心地悪そうにそっぽを向く。
「いま飲んで貰いましたのは中国のキーマンです。どこか渇いているような、アッサリとした感じでしたでしょう? かのエリザベス女王が愛飲していたともいわれるものですよ」
「ふーん、そうなのね」
「でも、お忙しくてゆっくりしている時間もなさそうな篠崎さんには、こんな紅茶ではなく、コクのあるコーヒーなんかが似合うかしら? 例えば、イタリアンとか」
イタリアンといえば、苦みが強いコーヒー豆の代表だ。慶太はいまにもテーブルを蹴り上げるんじゃないかと心配したが、隣の風音は「あら、そんなコーヒーがあるのね」なんて平静を装っていた。ここで慶太は話を逸らすべく、口を開いた。
「紅茶だけでなく、コーヒーに詳しいんですか?」
「ええ。わたくし、園池家は代々輸入業をやっておりまして。世界各地の紅茶やコーヒー。少々ですが、それに伴うお茶菓子なんかも扱っていますの」
「それはそれは」
「先ほど出した紅茶ですが、」
「はい。そのため父は常日頃から出張しておりますの。エチオピアやタンザニア。ブラジルやコロンビア。それに、ついこの間はインドにおりまして、今はスリランカに向かっているそうなの」
「それはそれは」
「ええ。いつでもお家にお父様がおります風音さんや横山くんが羨ましいですわ」
「そうね。お父さんがいなくて、寂しいですわね」
カズエの口調を真似るかのように風音はいう。だが、その眉間の血管はピクピクと動脈を打っていた。
慶太はここに来る途中、風音が如何に園池コズエのことが嫌いかを聞かされている。それはわざとらしいお嬢様の仕草であったり、猫被った行動や言動の多さ。そして、"コズエ”と‟かざね”と似たような発音のなにからなにまでが気に喰わないのだという。
――なんというか、この類のケンカに巻き込まれるのは困る。慶太はミルクポッドを持ち上げると、ティースプーンにミルクをゆっくりと注ぎ、紅茶の中へと沈めた。そして、ティーカップにぶつからないように静かにかき混ぜる。一連の所作を見届けたカズエは「まあ」とあからさまながら、上品な声をあげる。
「横山くんは紅茶の嗜みがわかる方なのね」
「はあ。まあ、少々ですが」
「さすがは帰国子女ですこと。外国にいた方は違いますね」
カズエは柔らかい物腰ではにかむ。悪意を感じさせない笑顔だが、これにはさすがの慶太も居心地の悪さを覚えた。なぜなら慶太がいたのはアメリカ合衆国であり、イギリスのマナーなどきちんと学ばなければ得られないからだ。それは日本人だって同じであるゆえ、比較するものではない。明らかに、風音への挑発であった。
「……まあ、風音さんのように西洋のマナーには疎い人が日本人には多いですから、仕方のないことですね」
「ぐぬぬ……」
あからさまなほど風音は不機嫌になる。
「ま、私は日本から出ることはないから。西洋のお茶のマナーなんてほどほどでいいと思ってるし」
強がりを放ち、グイっと勢いよく紅茶を流し込む風音。一方で、となりに座る慶太はこの状況についてよく考えた。
露骨なほど
だが、これは卑劣だろうとも思う。優勝劣敗を決めるのは、あくまで自身が持つ能力ではない。人柄なのだと。
これはいわば、
横山慶太は決して薄情な人間ではない。間接的とはいえ、篠崎家には恩があり、その恩義に報いるために風音のそばにいるのだ。
だからこそ何者であろうと、恩義のある人間にねじ曲がった悪意を向ける者は好かないのだ。
そこで慶太は穏やかな表情を取り繕ったあと、ニッコリと笑った。
「そうですか。お家の名に恥じぬように、しっかりと学ばれたんですね」
唐突な
「わたくしは父からあれこれとマナーに関しては躾されましたの。辛いとは思いませんでした。マナーや流儀というものは、いずれ社会に出た際に役に立つと信じていたので。それこそ、この家に生まれた者の務めであるという自覚がありましたの」
「なるほど、だから造作も深いのですね。だからあなたは、ここまで令嬢らしいしっかりした振る舞いをされるのですね。それは並大抵の人にはできないことです。あなたが、しっかりと芯があったからこそ享受できたものでしょう」
ここまで面と向かって称賛されるとは思ってもみなかったのだろう。コズエは口元がホヨホヨと緩み、照れくささを誤魔化すためか、伏目がちになった。
「そんなお褒めにされても困ります。私はただ、自分が表に出ても恥ずかしくないように振る舞っているだけなのですから」
まんざらでもないといった様子。だからこそ、慶太はいった。
「でも、本当にもったいないです。こんなにもマナーの知識があるのに、あなたのお茶の作法には誤りがあるんですから」
慶太はここぞとばかりに屈託のない笑みを浮かべた。
Q5 安宅カズエの作法にあった失敗とはなんだろうか
◆
A4
バンドサウンドの演奏前には、かならずリハーサルで音合わせをしなければいけません。これをサウンドチェックといいます。
仮にPAがいるのなら別ですが、それでもバンド経験者のない人間が唄い、音の調整をしていないドラムとギターのボリュームが混ざった時に、彼の歌声が観客の耳にハッキリと伝わるとは考えづらいです。
でも、もし彼の話が本当なら、それこそロック史に刻まれる伝説になるでしょうが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます