Q7.会計・花澤紫音は有罪か?

 篠崎風音のノートがビリビリに破かれてグラウンドに巻き散らかされたというのに、彼女の怒りは別の方に向いていた。


「いい? 絶対に花澤があんなことやるはずないんだからっ!」


 陽が落ちかけた生徒会室で盛大にがなるものだから、長い髪がなびき、夕陽に透けて戻っていく様を横山慶太は拝むのだ。


「なるほど」

「みんな花澤が犯人だって吹聴してるけど、私はあの子が犯人じゃないって思ってるっ!」

「それは昼休みも聞いた。具体的な理由を教えてくれ」


 窓の向こう、日本海へと燃え尽きていく太陽より顔を真っ赤にした風音は、机の上で腕を組んでいるだけの慶太を睨むばかり。

 風音がこうも怒るのは仕方ない。今日は彼らが通う青海学園高等部を騒がす事件が起きたのだから。


 早朝のことだ。朝練の準備に誰よりも早く訪れた野球部の一年生は、グラウンドに紙くずが散乱しているのを見つけた。ひどいことをするもんだ、と拾い上げると、それがひとつまみ程に破り捨てられたノート紙の破片だとわかり、一年生はせっせとかき集めた。ある程度かき集めて繋ぎ合わせると、それが上級生──しかも生徒会長を務める風音のノートの一部だと判明した。

 彼はあとからやって来た上級生に報告すると、上級生たちは目の色を変え、試合で見せる俊足で職員室へと駆けこんだ。

 また、彼らは教師だけでなく、登校したばかりの篠崎風音にもその旨を報告した。風音は破かれたノートに一瞬だけ顔を歪ませたが、それ以上はなにも語ることなく、礼を述べてノート片が入ったビニール袋を受け取った。

 生徒会長のノートが何者かに破り捨てられたという噂は、ガソリンが撒かれたように広がり、風音を慕う生徒たちの怒りの火を灯した。これも仕方ないことだが、風音は校内では文武両道、知勇兼備な美少女として名が知れているからだ。

 当然、校内では犯人探しに躍起になり、情報が錯綜した。やがて、犯人として名前が挙がったのが同級生の花澤紫音はなざわしおんであった。


「そもそも、俺は彼女のことをよく知らない。D組の生徒で、この生徒会に所属しているということだけだ」

「花澤は弓道部で、生徒会の会計を担当しているの。……っていうか、この間の朝礼で生徒会のメンバーが檀上に上がって挨拶していたの見たじゃない」


 慶太は記憶を思い起こす。生徒会の挨拶の時、風音の横に立つ長身で、顔立ちは良いが、どこか神経質そうな顔をした少女。ポニーテールに、横髪を白くて三角形の髪留めで止めていたのも思い出す。マイクの前でハキハキと喋る声から、内面にある強さが滲み出ているようであった。そんなスマートな容姿から、好奇な眼差しで見る男子も多いことも。


「実直で成績もいいし、恋愛にあまり興味もないから、会計に立候補してくれた時は嬉しかったわ。ちゃんと望んだ通り、誠実に仕事してくれるんだもの。けど……」

「けど?」

「花澤は短絡的な面があるの。一年生の時に友人と口論になったことがあった。花澤はどうしても相手のことが許せなくって、近くにあったバケツに水を汲んでその子に浴びせたわ。それも無言で、頭からね」


 慶太は「それはそれは」と頷いてみせたが、実は今日の事件のおかげでそれ以外の噂も耳にしていた。教師と口論になったこともあったし、弓道部内の上級生といがみ合ったことも耳にした。それもかなり歪曲された表現で。

 三年生で人気の美少女のノートを側近の美少女が破く。この狭いコミュニティでは話題にこと欠かさない大事件だ。


「ねえ、慶太。あんたも花澤が犯人だと思う?」

「分からない」


 即答した。それもその筈。慶太はこれっぽっちも花澤紫音と関わったことがないのだから。強いていえば、憶測の域を越えるものに、断定的な意見は口にしない。


「そもそも、花澤紫音と仲は悪いのか?」


 些細な質問であった。だが、途端に風音はバツが悪そうな表情を浮かべる。


「……ま、まあ会計の話で意見がすれ違ってぶつかったりはしたけど……」と口籠るが、「でも、あの子があんなことをするはずがないの」と言い切る。

「その根拠は?」


 詰める慶太に、風音は明らかな不快感を示した。


「そ、それはわかんないっ! た、確かに歯に衣着せぬ物言いだし、他人の意見を素直に聞けないってとこはある。……けど、私にはあの子がこんな姑息な真似するなんて、とても思えないのよ」


 ハッキリとわかっているじゃないか、と慶太は納得した。推測するに、花澤紫音は我が強い故に正面から正々堂々とぶつかる少女なのだ。他人のノートを盗み出して、グラウンドで破り散らかす者ではない。


「わかった。それで、当の花澤紫音はなにか言っているのか?」

「……先生に訊いたけど、ダンマリなんだって。あまり人を信じないタイプだから、周りにもなにも話してないのかも」


 なるほど、これには教師も困ったものだろう。被害者も容疑者も教師にはおろか、周囲には黙ってばかり。だが、このままでは花澤紫音が不利になるのは明白だ。


「それでね、いまから花澤が私のノートを破いたっていうのを目撃した子を呼んだんだけど……」


 目撃者。これでより一層、花澤紫音は罰せられる可能性が高くなる。


「けど?」


 慶太は嫌な想像が過ぎった。それは目撃者に拳を叩きつける篠崎風音の姿だ。マフィアよろしく、凄み、脅して証言を変えさせる。当然、そんなことするわけないと想像を掻き消したが。


「慶太、あんたも参考人としてここにいてっ! もしかしたら、目撃証言に落とし穴があるかもしれないし」


 風音は意を決したかのような物言いであった。目撃証言って、と慶太。これじゃあまるで、刑事ドラマじゃないか。

 だが、仕方あるまいことだ。被害者の風音はいまに至るまで、事件のことを周囲に言及せず、ただじっと我慢し続けたのだ。さっきの花澤の擁護だって、自分だけに伝えたに違いない。風音の気持ちを無下にするわけにはいかないと判断し、「わかった」と返した。

 幾ばくもない時間が過ぎ、生徒会室のドアがノックする音が響いた。


「入っていいわ」と風音が言うと、「あ、失礼します」と大人しそうな顔立ちの少女が現れた。少女は慶太の存在に気付くと身体をビクつかせ、「あ、ど、どうも」と小動物のようにペコペコと小さなお辞儀をする。


「慶太、彼女は竹林たけばやし紗枝さえさん。同じ生徒会の庶務員よ。それから竹林さん、こっちは私と同じクラスの横山慶太」

「よろしくお願いします」と慶太はうやうやしくお辞儀する。


「あ、う、噂には訊いてます。なんでも篠崎さんのおウチに一緒に──」

「ええ、なの」


 紗枝の言葉を無理やり切るように風音がかぶせる。特に居候、という部分は語感を強めて。慶太はムッとしたが、表情には出さないように務めた。


「それで、竹林さん。単刀直入に聞くけれど、昨日の夕方に花澤が私のノートを破くのを見たって?」


 竹林紗枝はコクンと頷く。


「慶太には説明するけど、昨日は生徒会の会議がここであったの。それで竹林さん。会議が終わったあとのこと、話して貰っていいかしら?」


 紗枝は小さく頷き、風音と対面する形でパイプ椅子に尻を落とした。


「私、昨日の会議が終わったあと、忘れ物を取りにここに戻ったの。そう、忘れたのは折り畳み傘。もうその時には生徒会室には誰もいなくって、私は折り畳み傘を掴んでさっさと出ようとしたの」

「それは何時ごろの話?」

「はっきりとは覚えてないけど……下校を促す放送が流れてたから、おそらく18時半は過ぎてたと思う」

「……確かに、昨日の生徒会会議が終わったのは18時ちょっと過ぎてたわね。それで、そのあとは?」

「えっと……ドアの前に立って……ほんとうに忘れ物がないか確認するために室内を見回したら……窓の向こう――グラウンドに向かって誰かが歩いていたの」


 紗枝が窓に向けて指をさす。二人もつられて窓に顔を向けた。生徒会室は一階のグラウンドに面した空教室を使用しており、グラウンドを一望できる場所にある。確かに、この位置からでは誰かが校庭を歩けばわかるだろう。


「誰もいないし、ひとりでいるなんて、と思って。気になって、ずっと見てた」


 紗枝は一呼吸おき、間を作った。それが慶太にはどこかわざとらしく見えた。


「……そしたら、紫音ちゃんだって気付いたの」

「ちょっと待って」と遮る風音。


「あの日は17時半近くまで大雨が降ってたわ。それに特別に練習が許可されていた野球部は校内に移動していたから、照明はついていないはずよ。おまけに昨日は新月で真っ暗。グラウンドに誰かいることはわかったとしても、それが誰かなんてわかるはずないわ」


 慶太はもう一度、グラウンドを遠望する。グラウンドでは野球部だけが練習している。風音の言うとおり、テスト期間中の現在は全面的に部活動は禁止されている。が、野球部はテスト明けに大事な試合を控えているため、短い時間であるが特別に練習が許可されていた。その為だろうか、練習にはより一層熱が入り、掛け声にも力がこもっている。

 視線を上げる。グラウンドを取り囲むように、蜂の巣のような密集した投光器の照明塔を捉える。投光器からは眩いばかりの灯りがグラウンドの野球部員たちを照らしている。目が悪くなければ、彼らの汗ばんだ顔も視認できるだろう。


「うん、そのとおり。すっごく真っ暗だった。でも、校舎の窓から漏れた光でハッキリと見えたの。ほら、ウチの学校って夜19時まではほとんどの教室は自動で点灯したままじゃない? それで……」

「あ……」


 慶太たちが通う青海学園は防犯の為、夜19時まではすべての教室に明かりが灯っている。教室の照明は室内だけでなく、職員室からでも操作が可能であり、担当の教師が毎日19時きっかりに照明を切ってしまう。以前に慶太はその様子を見たことがあるが、照明塔の灯りには劣るものの、グラウンドを照らすには充分な光量にはなりえた。風音もそれは知っていたようで、こればかりは反論の言葉が出なかった。紗枝は続けた。


「きっと、誰もいないと思ってたんだと思う。紫音ちゃんは私に背を向ける形で立って、右手に持ってた何かを胸元まであげて、こう……破いてた」


 紗枝は立ち上がり、背を向けて演技した。たしかに背後からでも、何かを破いているように見て取れる。


「それが篠崎さんの物理のノートだってわかったのは今日。まさか、とは思ったけど……。でも、昨日の行動と擦り合わせれば納得がいくから」


 それで、教師に報告した。慶太は納得したが、妙な疑問に気付いて口にした。


「風音に質問だが、件のノートはいつも机に入れているのか?」

「いいえ。私、置き勉はしない派だからね。けど、今回は別よ。あのノートは友だちに貸してたのよ。昨日受け取るはずだったんだけど、会議があるから机に入れておいて、って伝えたの。そうそう無くなるものではないと思ってね」


 慶太は頷き、頭の中で情報を整理する。ノートは放校後、友人の手によって机に入れられる。当人の風音は生徒会の会議で不在。そして、会議後は真っすぐに家に帰った。簡単に手に入れられる状況だ。


「わかった。竹林紗枝さん、話を戻しますけど、あなたは花澤紫音を見たあと、どうしました?」

「破り終えたあと、こっちを向こうとしたから、私はすぐに廊下に身体を引っ込めたわ。なんだか、すっごく怖い顔してそうだったから。ほら、昨日の会議、あんな風だったし……」

「うっ……」


 風音が言葉を詰まらせるのを慶太は見逃さなかった。当然、風音を見つめる。横から注がれる視線に耐えられず、「そうよっ! 昨日は私と花澤で今後の方針で意見がぶつかったの! 結局、お互い納得のいかないまま会議は終わっちゃったし……」と、バツの悪さを掻き消すように声を荒げた。

 これで花澤紫音の動機が強くなった。だが、慶太はそれでも納得はしなかった。


「ひとつ、質問してもいいですか? 竹林紗枝さん」

「は、はい」

「例えば、見間違いではないかという可能性。あなたが見たのは、花澤紫音と背格好が同じで、髪型もよく似た誰か、という別人の可能性です」

「え」


 考える素振りをしたあと、かぶりを振った。


「ううん。私、ハッキリと見た。間違いなく、紫音ちゃんだった。遠くからでも、あの髪留めもしていたし。白くて、三角形のやつ」


 紗枝は自らの側頭部を指さす。花澤紫音はいつも髪留めをしているのは確からしく、風音は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。


「それじゃあ、もういいかな? そろそろ帰らなきゃ……」


 紗枝はソワソワとし出し、鞄を持ち上げる。風音はなにか言いたげであったが、次に出る言葉が見つからない様子。

 踵を返して歩み出した紗枝を、慶太が止めた。


「最後に、ひとつだけいいですか?」


 最近、テレビでやっている刑事ドラマの敏腕刑事のような振る舞い。振り返って目を丸くする紗枝に、横山慶太は1トーン下げて言い放った。


「あなた、つまんない嘘をつくんですね」


 一層鋭くなった視線に、紗枝は思わずたじろいた。


 Q7 どうして横山慶太は竹林紗枝の嘘を見破ったのだろう?



A6

流氷は12月頃にロシアのアムール川の河口付近で生まれ、それから早くて1月頃に北海道へと流れ着きます。従って、12月の初め頃に北海道に行った彼が流氷はおろか、流氷ツアーすらもやっているわけがありません。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る