【解答エピソード】A7.会計・花澤紫音は有罪か?

「え? あ、あの……」

「余計なことは省いて確認しますよ。あなたは間違いなく、昨日の新月の夜に、この校舎の、この生徒会室の窓を通して、校庭に立つ花澤紫音を見たんですよね?」


 鋭い目つきの慶太に対し、竹林紗枝は過剰に大きく頷いてみせた。


「じゃあ、確認しましょう」


 慶太は腕時計に目を落とした。風音も壁に掛けられた時計に目をやる。時刻は18時28分。大会が近いとはいえ、野球部も学校の規則に従い、18時30分には下校しなければならない。すでに窓の向こうからはかけ声は聞こえない。


「もうすぐで昨日と同じ状況になります。あなたは、折り畳み傘を掴んで帰る直前、忘れ物がないかドアの前に立った」


 慶太は立ち上がり、ドアの前に足を進めた。


「具体的には、この辺りですか?」


 竹林紗枝はコクリと頷く。


「そして、あなたは窓の外にいる花澤紫音を目撃した。間違いないですね?」


 時計の長針が真下を指したその瞬間。パッと投光器の灯りが消え、グラウンドに闇が舞い降りた。


「あっ……」

「あ、ああっ!」


 ふたり同時に声を出し、風音にいたっては驚嘆な声を漏らしていた。

 窓ガラスには生徒会室と三人の姿が鏡のようにありありと映っていた。その代わり、先ほどまで見えていたグラウンドを見通すことができない。


「これじゃあ、外の様子なんて全然わからないじゃない……」


 風音は鏡のように映るガラスに歩み寄る。ガラスに鼻先が触れそうな距離まできて、やっと外の様子が見えた。薄暗いグラウンドをユニフォームのまま鞄を持って歩く野球部員たちがゾロゾロと歩いている。


「窓ガラスは片方に光があり、もう片方に光がない場合は鏡のような性質を持つ。夜の窓ガラスではよく起こり得ることだ。外を見るには、自分が近づいて影を作るしかない。子どもでもわかる簡単な化学的現象ですよ」


 慶太は鏡のような窓に近づき、クルリと竹林紗枝に向き直った。


「もう一度お聞きしますが、間違いなく見たんですよね? 生徒会室のドアの辺りから、この真っ暗なグラウンドに立つ、花澤紫音を?」


 当然、見えるはずがない。竹林紗枝は頭を横に振った。


「……ごめんなさい。私、嘘つきました」

「じゃあ、あなたはあの夜に花澤さんを見てないのね?」


「いや」と慶太。


「ノートを破ったのもあなたですね? 校内で流れている噂では“ノート”だけなのに、‟物理のノート”とあなたはたしかに口走った。それを知るチャンスは三つしかない。早朝にノートの切れ端を拾い集めた野球部の一年生と、破かれたノートの持ち主。そして机からノートを持ち去って破った犯人だけ」


 竹林紗枝は図星なようで、俯いて顔を曇らせた。気が弱い故に、一つや二つ嘘が暴かれると反論や出まかせを言えないようだ。


「あなた、なんて最低なことをするの? 花澤に罪を着せるなんてっ!」


 紗枝はしばらく黙りこくったあと、唇を震わせ、「私……私が……」と口ごもる。


「私が、あなたや紫音ちゃんと違って出来損ないだからよっ!!」


 生徒会室に金切り声が響いた。あまりにも大きな声であったが、強気な風音は動じることはなかった。紗枝はまたも俯き、その表情を伺うことはできない。


「……羨ましかった。綺麗で、成績優秀でみんなから慕われている篠崎さんが。生徒会であなたを見ていると、いつも落ち込む。自分はあんな風に、強くも賢くもなれないから。そんな時に紫音ちゃんが声を掛けてくれた。紫音ちゃんがいたから、私は生徒会の庶務を頑張ってきたんだと思う」

「なら、なんで――」

「それが余計なのよっ! なんで? どうしてなにもない私に声なんかかけるの? 余計に惨めじゃない!?」


 竹林紗枝はポロポロと涙を流し、頬を伝って床に落ちる。


「このあいだだって……! 朝礼でうまく口が回らなかった私に、紫音ちゃんは……!」

「それならなおさら……!」

「でも、でもそんなことを言えるのは自分が強いからなのよっ! 私は弱い。なんでもできる人に、できない人の気持ちなんて……」


「私、私……」と口ごもる紗枝に、強い足取りで風音は歩み寄った。


 ◇



 慶太と風音は帰路についたのは時刻が19時を過ぎた頃だ。

 見上げれば、輝かしい星々が真っ黒な空を彩っていた。


「はあ」と深いため息を吐く風音。「なんだか今日は余計に疲れたわ」

 

 あれから、風音の怒りは最高潮となり、爆発した。

 風音は竹林紗枝を告発するつもりはないと告げた。その代わりに今後の振る舞いはどうするか、自分で考えろと突きつけた。これには紗枝も顔をすっかり青ざめさせていた。

 でも、風音は見捨てなかった。選択肢は二つあると伝えた。このまま貝のように黙り続けるか、花澤紫音に真実を告げて謝罪するかのどちらからである、と。

 竹林紗枝はひとしきり泣きじゃくったあと、「ごめんなさい」とだけ告げて生徒会を後にした。おそらくであるが、花澤紫音に謝罪するに違いない。だが、横山慶太だけは納得できないという顔をしていた。


「……あんた、さっきから黙ってるけど、まだ怒ってるの? ……竹林さんのことなら気にしないでいいわよ。あれだけ怒鳴ったし、もうスッキリしてるから」


 私の顔に免じて許してあげなさいよ、と背中を強く叩く。横山慶太が口を開いたのは少し間が空いてからのことだ。


「……俺が気になっているのは、風音が“自分のノートが破られたこと”じゃなくて“花澤紫音に疑いがかけられたこと”に怒ったからだ」

「はぁ?」


 慶太の眼差しは真剣そのもので、瞳の奥に微かな怒りが宿っていた。


「どうして、自分の理不尽に怒らない? 理不尽への怒りは、自分だけが持てる特権だ。どうしてそれを竹林紗枝に行使しなかった?」


 風音はうーんと考えあぐねたあと、

「そりゃあ、一番に私が怒りたいわよ」と告げた。


「でもね、自分が一番信頼している子が、言われもないことで疑いをかけられるってのは、もっと頭にくるの」


 意味がわからないと、横山慶太は小首を傾げた。てっきり、風音は花澤と相反しているものだと考えていたからだ。


「それが女の友情というものなのか?」

「そんなんじゃないわよ。いうなれば、仁義ってやつ? ほら、任侠映画とかにあるじゃない? 自分の事は耐えられても、他人はそうじゃないでしょう? 私には反論する力がある。でも、他の人はそうじゃない。だから、余計に腹が立つのよ」


 仁義、という言葉は聞いたことある。人に対する愛や筋の通った行動とあった。だが、横山慶太の頭はどうにも今回の一件に直結できなかった。


「それに、ちょっと思ったんだけど……」


 眉根を顰める風音。


「本当はさ……。あの夕方、生徒会室でノートを破るのを目撃したのは、花澤の方じゃないかって」

「彼女が?」


 逆転の立ち位置。つまり竹林紗枝がノートを破くシーンを、花澤紫音が目撃したということになる。


「花澤がずっと黙っていたのは、竹林紗枝の犯行を庇うため。なんだか、そう思えて仕方ないの」


 花澤紫音の沈黙。それが意味するのはなんなのかはわからない。なぜならば、先ほど解いたとおり、生徒会室にいれば竹林紗枝の姿は見えないはず。だが、それ以上に──


「それだと、意味がわからなくなる。なぜ、他人の犯行を──しかも、自分に罪を着せる証言を相手はしているんだ。黙っていれば、損をするのは自分だけになる」

「それはね……花澤が優しいからだと、私は思う」


 優しいから? 慶太の頭はさらに混乱する。友人関係を壊さぬように、あえて損する行動を務める場合があるが、この場合では現実逃避と同じではないか。


「……それこそ、女の友情というものか?」

「"人情"ってやつよ。私、花澤と一緒にいてわかったけど、あいつはどこか思いやりがある。きっと、竹林さんの弱さにも気づいていたんだと思う。同時に、抱えている劣等感に触れるための力を持ち合わせていなかったのも」


 横山慶太はなんとなくであるが理解した。

 ――自分が強いから言える。

 竹林紗枝はそう口走った。それを花澤紫音にあてはめたら? 彼女は竹林紗枝にアドバイスする力はあった。だが、抱えているコンプレックスを解決する力がない時は?


「人の痛みに解決できないとき、むやみに触れてはいけない、というわけか」

「そんなとこ。でも、私は違うと思う。人情っていうのは、そういうもんじゃない。嫌われても、自分の身になってなくても、ハッキリというのが優しさであり、なのよ」


 人情。日本語が持つ短い単語に秘められた道徳心を、横山慶太はよく理解することができない。ハッキリとしてない表情を見て、風音は「あーそっか」と微笑する。


「日本で生まれてないあんたには、こういう心意気はわかんないかー。これが日本人の心なのよ。そう、いうなればジャパニーズ・ハートってやつ」


 クスクスと嘲笑うように得意げな笑みを見せつける風音。


「それをいうなら、ジャパニーズ・ソウルの方が正しい」

「なっ!?」

「だが、お前の言いたいことはわかった」


 この人の良さが篠崎風音の作っていく道なのだろうと慶太は思う。

 隣で羞恥心と怒りで顔を真っ赤にするどこか抜けている少女だが、篠崎風音は誰かに優しくするために自分を厳しく律してきた強さを持っている。

 篠崎風音は竹林紗枝を許さなかった。だが、拒絶もしなかった。それこそ、風音が持つ他者への思いやりなのだろう。そして、許すという役目を花澤紫音に託したのだ。


「それより、破れたノートの代用として俺のを貸すぞ。板書は一度も欠かしたことはないから、問題ないはずだ」

「……あんたなんかに、ぜっっっったい借りなんか作らないからっ!」


 静寂さを掻き消す怒号が夜空へと響いた。

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