Q8.果たして幽霊は存在するのか?

 横山慶太を嫌いだと思う理由が一つ増えるたび、篠崎風音は頭の中の慶太を竹刀で引っ叩くのだ。


「生徒会長って暇なんだな」


 慶太が五秒前に発言したのがこれであり、それまで恥を忍びながら──これも人助けのため──と思っていた風音はさすがに不満をぶつけた。


「あんたね……言っていいことと悪いことがあるでしょ? ほんっと、デリカシーがない男ね」

「言わないさ。俺たちがやってることが善良なことならな。なにせ、俺たちは学校の帰りに民家に不法侵入している真っ最中なんだから」

「っ……!」


 風音は押し黙り、拳をギュッと握りしめる。殴りつける五秒前だ。


「"知行合一な学校作り"。風音が生徒会長に立候補にした時のマニフェストだ。これはその理念に沿ったものか?」

「あーもうっ! 屁理屈ばっかり言って!」

「屁理屈も言いたくなるさ。幽霊の噂なんて、突き止めたところでどうなる?」


 慶太はグルリと周囲を見回す。立っているのは、本当に誰も住んでない民家。室内の家具は全て取っ払われ、空虚な気分にするホコリの匂いが充満していた。フローリングも壁紙も痛み、歩くたびにギイギイと床鳴りがする始末。


 ◇


「あんた、幽霊って信じる?」


 遡ること十五分ほど前のこと。風音を迎えに生徒会室に訪れた慶太はそう問われた。


「突然なんだ?」

「いい? これを見て」


 取り出した携帯の画面には窓辺にもたれてピースサインを送る同年代の少女の写真。

 恥じらいながら撮ったのだろう。頬を紅潮させながら顔を隠すように左手の袖先で口元を隠している。背景は自宅らしく、古めかしい土壁と畳。

 慶太は数秒ほど観察したあと、首を傾げ、「別に気になるところはないが」


 風音は「はぁ」とワザとらしく長い髪を靡かせながら首を振る。


「窓の向こうを見てみなさいよ」

「ほらココ」、と少女の横に指を置き、ズームさせた。

 少女の背後にある腰窓のガラスの向こう──隣家の古ぼけたベランダが画面いっぱいにアップされる。ベランダは朽ちかけており、柵となる鉄棒は塗装が剥げ、床材のプラスチックもヒビだらけで、ところどころ欠けていた。屋内に続く掃き出し窓には雨戸が硬く閉められていた。長く使われていないのは一目瞭然。

 問題は錆びた鉄柵の向こうにあった。汚れのように見えるそれは、モヤのようにドス黒く、人影のようにも思えた。


「……ね? これ、幽霊でしょ?」

「幽霊?」

「……あんた、幽霊知らないの? ユ・ウ・レ・イっ! ゴーストっ!」


 それくらいわかる、と慶太は思ったが、敢えて口にはしなかった。


「こういう幽霊が映った写真は『心霊写真』っていうのよ。わかる?」


 それも知ってる。


「そりゃあどうも。……それで、写真の出どころは?」

「この写真に写ってる子がそう。E組で、吹奏楽部に所属している豊野キコちゃん。ほら、文化祭のステージで吹奏楽部が演奏していたじゃない? あの時、ソプラノサックスを吹いていた子がそう」


 慶太は記憶を呼び起こしてみるが、まったく該当する人物がいない。それもそうだ。青海学園の吹奏楽部の部員は五十人もくだらない。体育館のステージでの演奏を何度か見たが、部員がステージに納まりきらず、カーテンの裏まで椅子が並ぶ始末。

 だが、慶太は「あぁ」と、さも思い出したかのようにうそぶく。生徒会長をこれ以上怒らせるのは得策ではないからだ。


「話があったのは昨日。これはキコちゃんから聞いた話なんだけど……」


 篠崎風音は身振り手振りを交えて説明した。

 豊野キコが中学二年生のとき、隣家に住む男性が自殺した。自殺したのは定年を迎えた夫婦の長男であり、歳は三十一歳。のちに聞いた話で、長男は高校を中退後、引きこもり状態にあったという。豊野キコの両親曰く、「根が暗く、人付き合いが上手いほうではなかった」そうだ。

 男性が自殺する直前、豊野キコは窓越しで男と目が合ったという。

「まるで見られてはいけない場面を見られてしまった、て顔をしてた。なんだか、それが異様に怖くって、私は思わずカーテンをサッと閉めたの」と風音に語ったそうだ。

 その数時間後、窓の向こうから投げ込まれる怒号と悲鳴。そして、救急車のサイレンで異変に気付いた。母親が血相を変えて部屋に飛び込み、「絶対にカーテンを開けちゃダメよ」と叱りつけたそうだ。

 なぜならば、カーテンの向こうで、件の男がベランダで首を吊っているのだから。


「最近、その話を友達にして、肝試しに行くことになったんですって。家はまだ売却してないから、水道メーターに鍵があるのを知ってたみたいで」

「……それでこの写真を撮ったのか」と慶太。

「ま、私からいえば慢心よね。死者を敬う気持ちがあれば、こんなとこで悪ふざけした写真は撮らないわよ」


 ごもっとも。慶太は心の中で同意した。


「それで?」

「キコちゃんはこの写真を撮った日から具合が悪いんだって。それだけじゃない。一緒に行った友人の子も、ここ最近が起きてるそうよ」

「奇妙なこと?」

「なんでも、ひとりで家にいると奇妙な物音がしたり、誰かの視線を感じるんだって」


 そんなもの、家鳴りだったり、気のせいで片付くことじゃないか。一蹴しようと思うが、代わりに膝蹴りが飛んできそうだったので慶太は口にしなかった。


「けど、私はこう思う。幽霊なんてものは非科学的で、悪いことがすべて幽霊のせいだなんて、気の持ち方次第でどうとなるってこと」


 おっしゃる通り。慶太は口にした。


「その通りだ。仮に幽霊がいたとして――」

「だから、幽霊が本当にいるのか、私たちで確かめにいくのよ」

「……はあ?」

「調査よ、調査。生徒会長直々に『幽霊なんてものは存在しない』といえば、みんな納得するでしょ?」


 慶太はウンザリした。冗談じゃない。非科学的なことを信じていないわけではない。だが、オカルトなど解き明かしたところでなんのメリットもない。それこそ、カエルの解剖と一緒だ。特になにかを得るわけじゃないし、その為にカエルは死ぬ。ここでのカエルは自分の時間だ。


「じゃ、さっさと終わらせたいから行きましょう」


 気が滅入る慶太を尻目に、風音は学校指定の鞄を持ち上げて生徒会室を出ていく。


 ◆


 そうして半ば強引に連れて行かれ「生徒会長って暇なんだな」と戻るのだ。


「べ、別にいいでしょうっ!? 論理的に説明がつかないことは、実際に見て解決するのが一番だからよっ!」


 それこそ、論理的じゃないと慶太は思う。


「いい? この先にある階段を上がったところに例の部屋があるわ。そこを調べるの」

「そうか。なら、件の部屋に案内しろ。前を歩け」


 背後で身体をピッタリとくっつけてくる風音にいう。この家に入ってからというもの、風音はずっとこんな調子で、慶太の歩行を阻害していた。


「だ、だって……もしものことがあったらどうすんのよっ!」

「……剣道二段。柔道初段の持ち主が聞いて呆れる」

「ち、違うわよ! ……ほ、ほら、幽霊って実体がないでしょ!? 実体がないんじゃ、私だって勝てないでしょ!?」


 その条件なら自分も同じなのだが? と慶太は思う。だが、致し方のないことだ。これは篠崎家に住まう者だけが知ることだが、勉強も武術の鍛錬も怠らないこの生徒会長は大のオカルト嫌いなのだ。怖い話など耳を塞ぎ、聴いてしまったら火傷を負ったかのようにギャーギャーと喚く始末。


「あんた、男なんだから大丈夫でしょ? ほ、ほら早くっ!」


 慶太はうんざりしながらも廊下を抜け、件の部屋に続く階段へと足をかける。

 一段、一段。ゆっくりと上がるたびにギシギシと木鳴りが響き、家そのものが侵入者の存在を警告しているよう。上がるたびに風音の呼吸が乱れるのだが、慶太はこれといった感情はない。


 二階に立つと、階段から折り返すように繋がる廊下の奥に、件の部屋へのドアはあった。西日が差し込む廊下は明るく、宙に舞う塵を露わにしている。だが、ドアには斜がかかり、そのコントラストが気味悪く思える。

 

 反射的に拳を構えてドアを押した。ギイィという情けない音が響くと、慶太の後ろにいた風音がゴクリと生唾を飲んだ。

 ドアの向こうには畳張りの六畳間があった。家具はなく、壁に残る日焼けのあとだけが、かつての部屋の面影を残すばかり。

 二人は部屋の中を進み、件の窓の前へと進む。窓にはカーテンがかかっており、生地の向こうから微かな木漏れ日が差し込む。

 カーテンに指をかける。背後でゴクリ、とまた生唾を飲む音。

 カーテンを端を掴み、横に滑らせると擦りガラスが現れた。モザイク調のガラスの向こうに、黒と赤茶の建物がぼんやりと見える。件の隣家に違いない。

 動きの悪い鍵を開け、擦りガラスを開けると、件の建物がありありと姿を現した。隣家も同じように空き家で、十五分前に見た写真のとおりにひどく朽ちた様子であった。

 記憶の中の写真を思い起こしてみるが、変わったところはない。錆びた鉄柵。朽ちかけた床材。固く閉じられた雨戸。ひとしきり見遣るが、特に注目するところはない。


「別に変わったところはないわね」と風音。「なんだ、怖がって損したわ。やっぱり、幽霊なんて非科学的なものは存在しないのよ。きっと、この写真も故障かバグであって、隣で自殺者が出たという先入観が働いただけよ」

「そうだな」


 気が強くなった風音は肩から力を抜き、「あー、生徒会長も楽じゃないわね。こんなくだらないことも解決しないといけないなんて」と言ってのける。


「俺のブレザーの裾を強く握っていたヤツが言う台詞じゃないだろ」

「……あんた、誰かにこのこと言ったら、コロスから」


 一段と低い声で唸る。この声をするとき、この生徒会長は有言実行することをよく知っている。当然だが、慶太が他言することはない。

 窓を閉めると、慶太は改めて周囲を見回した。壁は土壁。畳はすり減って毛羽立ち、天井には照明を接続する角型の金物がポツンとあるのみ。


「……質問なんだが、この建物は写真を撮ったあとに改修業者が入ったり、別の住人が入ったりしたのか?」


「あんた、さっきの私の話を聞いてた? キコちゃんの話では、この部屋はずっと使われてないって、説明したでしょ? んで、引っ越したのは最近。それに、見た感じからして、リフォームしてるようには思えないでしょう?」


 確かに、と頷く。慶太はいう。


「豊野キコは、画像の修正といったデジタル技術のスキルは持っているのか?」

「そこまでは知らないわよ! ……でも、そんな話は聞かないわね。恐らく、あったとしても写真アプリくらいでしょ。ほら、美顔とか肌修正とかの」

「そうか。なら、俺たちはオカルトを信じざろう得ないということだ」

「……どういう意味よ?」


 鋭い視線が慶太に突き刺さる。背筋をピリピリとひりつかせる


「……いや、やめておく。どうせ、言ったからって解決するものではないし」


 本音を言えば、これ以上風音を怖がらせても何のメリットもないからだ。夜も眠れずに寝不足になっても困る。以前にテレビで視聴者投稿型のオカルト特集番組を観た日は、二つ年下の妹をトイレに付き添わせたこともあった。


「もうすぐ陽が落ちる。家の人に心配をかけるから、早く帰ろう」

「ちょ、ちょっとっ! さっきなんて言おうとしたのよっ! 教えなさいよっ!」


 怖いけど、気になるじゃない、と小声でいう。

 そんな風音を尻目に、慶太はスタスタと旧豊野家を後にした。


 Q8 横山慶太が気付いた不審な点とはなんだろう。

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