第3話【現在】帰路にて

「それで、あちらの方はどうなの?」



 はて……?



 と、不思議に思ったのは束の間。

 わたしだってもう成人している女で、人の妻になって数日が経過している。


 あちらがどちらなのか察せないほど乙女ではない。


「至って普通としか」

「つまり、初夜は済ませたということなのね。アシュリーさんでも抱いてもらえているのに、私ったらなんて不憫ふびんなんでしょう」


 嘘の涙を浮かべ始める姿にいよいよ笑顔を維持できなくなりつつあることを自覚する。


 朝から連れ回され、もう日が沈もうかという時刻だ。

 わたしの精神も持たないし、何より旦那様をこれ以上待たせるわけにはいかない。


 そう思い、席を立とうとした時だった。


「アシュリー」


 名前を呼ばれて振り返れば、ヴィアトール様がわたしを見下ろしていた。


「店が閉まってしまう。行こう」

「は、はい!」


 旦那様は反射的に立ち上がったわたしの手を引き、出入り口を目指す。


「ヴィアトール様!? い、いつからここに!?」

「白い結婚の辺りからだ。ここの料金は俺が持とう。クウネルによろしく伝えておいてくれ」


 ミランダへと向けられる瞳に先ほどまでの慈しみの念は欠片もない。


「時に、きみはクウネルから偽装結婚の理由を聞かされていないのか?」

「ぎ、偽装結婚!? ご冗談はおやめください。私たちは白い結婚です!」

「自分の力で白い結婚の意味を調べることをおすすめする」

「あの、ヴィアトール様。その話は酷ではないかと。人も多いですからご容赦を」


 腕を掴み揺すると旦那様は邪悪に微笑み、しーっと片手でジェスチャーした。


「ミルキア男爵令嬢は息災か? よく屋敷に出入りしているのだろう。いつまでも三人仲睦まじく羨ましい限りだ」

「あの腰巾着ですわね。いつも私とクウネル様の後ろをついてきている小間使いですわ。クウネル様とも私とも釣り合わない、貴族の端くれ女です」

「きみは寛大な女性だな。クウネルはそういうところに惹かれたのだろう。夫が真の想い人を家に招いている間、朝から友人と出かけて、わざわざ時間を作ってやるなんて実に出来た妻だ」

「は? え? な、なんの話ですの? クウネル様がミルキアを想っている? この私がいるのに!?」

「おや、これは失礼。てっきりきみの心遣いかと」


 簡単に謝罪するヴィアトール様の顔は実に愉快そうで、わたしは身震いが止まらなかった。


「貴族学院では有名な話だっただろ? 片手できみの肩を抱き、影でミルキア嬢と指を絡める。そうやっていつも仲良さげにしていたじゃないか」


 三人がいつも一緒だったこともヴィアトール様が仰ったことも事実だ。


 ミランダの表情を見るに、気づいていなかったのは彼女だけらしい。

 この分だとクラスメイトに陰口を叩かれていたことも知らないのだろう。


 わたしが気を遣って指摘しなかったことをヴィアトール様は周囲の目を気にせずに言ってしまわれた。

 当然のように誰しもがわたしたちの会話に耳をそばだてているようで店内は静まり返っていた。


「な、な、なぁぁぁあぁぁぁぁ!! なんですって!?」

「おや、重ねて失礼。もしや内密な話だったか。秘密はいい。時に男女の恋を激しく燃え上がらせる。そうだろ、アシュリー」

「は、はい」


 突然の流し目と、話を振られて曖昧に頷く。

 熱くなる頬を冷ますように視線を背けて、ひんやりとする手でおさえた。


「お詫びに一つ教えておこう。二年間、子供ができなかった夫婦はそれを理由に離縁できる。俺は愛する人と二年しか一緒に居られないなんて耐えられないが、彼はそうではないのかもしれないな」


 ぽん、と手を打ったヴィアトール様は嬉々として付け加える。


「逆か。二年耐えれば、真実の愛を育む相手と一緒になれるのだ。そう考えると短いものだな」


 放心したままでヴィアトール様の言葉を最後まで聞き終えたミランダは鬼の形相でカフェを飛び出して行ってしまった。



◇◆◇◆◇◆



「今頃は修羅場かな」


 カフェから目的地まで向かう道すがら、ヴィアトール様はそんなことを言い始めた。


 学院時代からあまり仲が良くなかったお二人だ。

 何故こんなにもクウネル公爵令息を嫌っておられるのか分からないけれど、それはもう嫌悪感を剥き出しにしてお話しされる。


 ちょうどよい機会だ、と思い切って尋ねてみた。


「どうしてクウネル様と仲違いされているのですか?」

「あの男は俺が恋焦がれていた女性を馬鹿にした。首を差し出してきても許すつもりはない」


 あまり感情を表に出さないヴィアトール様にそこまで言わせるなんて、どこのご令嬢のことを想ってのことかしら。


 きっと、その方が別の男性と婚約あるいは結婚されたから、わたしに婚約願いを出されたのでしょう。

 

「……むぅ」

「珍しいこともあるものだ。頬を膨らませるなんて。どこの誰に怒っている?」

「なんでもありません」


 ヴィアトール様のしなやか手でつつかれると空気で膨らんでいた頬が弾けた。

 顔を背けながら、いつもの癖でメガネを上げる。


 なんて醜い感情を抱いたのかしら。


 らしくない。

 わたしはもっと冷静な女でいなければいけないのに。


「一つ昔話をしよう」


 突然、語り始めたヴィアトール様を見上げる。

 エメラルドグリーンの瞳は懐かしむように輝くのが分かった。


「ある日、学院でハンカチを落としてしまってね。あれは母からのプレゼントだったから落ち込んだ。どこを探しても見つからず、諦めかけた時だ」


 見上げていたわたしの瞳に柔らかい笑みのヴィアトール様が映る。


「アシュリーが届けてくれた」


 確かにわたしはハンカチを届けた。


 わたしが拾ったものではないけれど、別の人が持ち主への返却を面倒に思った物が回り回ってわたしの元に来たと言うだけの話。

 要するに面倒事を押しつけられた、という認識だった。たった今の今まで――


「あの黄色いハンカチがヴィアトール様の? では、あの刺繍は夫人が?」

「母は刺繍が大の苦手でね。デビュタントの日、お世話をした令嬢からいただいた刺繍を大層褒めていたのをよく覚えてる。まさか、アシュリーのことだったとは知らなかったが」


 わたしだって、まさか憧れの人の御子息から婚約願が届き、成婚に至るなんて想像していなかった。


「実は初めて会った時から俺はアシュリーに心惹かれていたんだ」

「あの図書室で本を取ってくださった時ですか?」

「獲物を横取りされた、の間違いではなくて?」


 もう! っとわたしはヴィアトール様の腕を小突く。


「話しかけたのはあれが初めてだったが、ずっとずっと前から知っていた」

「……え?」

「いつも集中していたから気づかなかっただろう。俺も図書室の静かな空間が好きだった」


 驚きで上手く声が出せない。


「在学中に婚約願を出したのだがお父上が良い返事をくれなくてね。学院を卒業するまで待てと婚約させてくれなかった」


 ん????

 わたしの知らない話ばかりが繰り広げられ、何度も何度もずり落ちるメガネを上げる。


「アシュリーもなかなか心を開いてくれなくて参ったよ」


 参ったも何もヴィアトール様のお気持ちは実に分かりにくいものだった。

 今思い返すとアレは善意や好意から来る親切だったのかしら、となるが当時は成績上位を取ることだけに執着していてそれ以外はどうでも良かった。


 それにまさか男性に、しかもヴィアトール様にそんな風に想っていただけているなんて想像もしなかったから。


「でも、こうして夫婦になれたからいいんだ。俺は幸せ者だよ。さぁ、アシュリー、好きなだけ刺繍グッズをお選び」

 

 ようやく以前から予定していた買い物を始めたわけだが、集中なんてできるはずがなかった。





――――――――――――

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2025年1月10日 07:03

アシュリーの黒い結婚 桜枕 @sakuramakura

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