第2話【過去】貴族学院にて

 貴族学院という一部の貴族の子息令嬢しか通うことが許されない閉鎖的な空間。


 わたしは子爵令嬢として入学生の末席に加えられた。

 地方領から出たことのなかったわたしは王都の街並み以上に学院の校舎に心底驚いた。


 ここで学べると思うと全身が震え、意図せずにやけてしまった。


「あら。アシュリーさん?」


 ふふふ、と自分でも気づかぬうちに唇の端から漏れ出た笑みに他の生徒たちが距離を置く中、話しかけてくれたのはミランダだった。

 デビュタントが同日というのは仲間意識を強くする。これで友人が一人もできないということはないだろう、と安心したのは本当に束の間だった。


 ミランダにとってわたしは仲間でもクラスメイトでも友人でもなかった。


 上位貴族の子が偉く、それ以外は賤人せんじんとされる学院内は社会の縮図そのもので、わたしはどんどん孤立していった。

 それでも学院を去らなかったのは、ここに入れてくれた両親を裏切りたくない気持ちと負けん気だった。



 絶対に卒業して、ゼムナ公爵夫人のように立派な淑女になるんだ。



 デビュタント当日、わたしに貴族令嬢の矜持を教えてくださった憧れの人。

 少しでもあの方に近づくためと思えば、陰湿な嫌がらせにも耐えられた。


 わたしが勉学に励み、図書室にこもるようになった頃、ミランダに変化があった。


「私は公爵夫人となるのだから愛を育むことが何よりも優先されますの」


 と、意味の分からないことを言い出して授業を無断欠席するようになった。

 身につける物も派手になったミランダは公衆の面前でクウネル公爵令息から甘い言葉を投げかけられ、肩を抱かれてご満悦の表情だ。

 

 吐き気がする。


 わたしがそういう場面に出くわすとミランダは必ず勝ち誇った笑みを浮かべ、鼻を鳴らした。


 おかげでミランダの成績は下位へ。

 反対に成績上位へ昇り始めたわたしには馬鹿にするような眼差しと言葉を向けるようになった。


「愛があればがくなんていりませんわ。恋も愛も知らないアシュリーさんは本の虫がお似合いですわね!」


 なんて、わざわざ取り巻きたちを引き連れて図書室に来てまで騒いだ。

 

 要するにわたしを下に見て、優越感に浸っていたのだ。

 首席で卒業しないと授業料を払えない子爵家の娘であるわたしを――


 わたしは心ない言葉を投げつけられようとも決して諦めない。教養もダンスも礼儀作法も。一つたりとも手は抜かない。


 そんな風に一心不乱だった頃、ミランダの取り巻きの一人がわたしに黄色い何かを押しつけてきた。


「なんでしょうか」

「なんでもいいでしょ。それ、持ち主を探して返しておきなさい」


 それだけ言って去って行く彼女の背中から視線を外し、表裏を確認する。

 肌触りの良い生地に刺繍が施されてた。当然のように名前は書かれていない。


「ハンカチ? 猫の刺繍……どこかの令嬢のものかしら」


 お世辞にも上手とは言えない猫の刺繍。

 何度もやり直したのだろう。所々がほつれていた。


 きっとこれを作った人は気持ちを込めて作ったに違いない。

 そう考えると持ち主に届けたいと強く思った。だから迷わずに職員室に向かい、教員に落とし物を預けた。


 ちゃんと持ち主の元に届きますように、と願って。


 それからもわたしは時間を見つけては図書室にこもり、やがて【地味メガネ令嬢】と呼ばれるようになった。


 下らないあだ名を考える人がいるのね。こっちは必死なのに。


 皆、婚約者がいたり、学園で新しい恋を見つけたりして青春を謳歌しているのが、なんだか不公平に思えた。

 努力をしないでも生まれと顔が良ければ楽な生き方ができるのだと打ちひしがれた。


 今日もまた図書室の狭い棚に手を伸ばす。

 ダンスでミスをした箇所の復習をするために本を読むのはおかしい、と指摘されたけれど、そんなことを言われても一緒に練習してくれる人がいないなら仕方がないじゃない!

 それなら、あなたが手伝いなさいよ! 

 覚悟もないのに正論を叩き付けるんじゃないわよ!


 と、心の中で憤り尽くしたわたしは気分転換に刺繍の本を手にしようとしていた。


 刺繍は好きだ。

 理由は簡単で、憧れのゼムナ公爵夫人に褒められたから。


 デビュタントの日には、それぞれが得意なことを披露することがならわしでわたしは刺繍を選んだ。


 提出した色とりどりの花の刺繍をゼムナ公爵夫人が褒めてくださったの。

「わたくしは刺繍だけは苦手で」なんて謙遜させてしまったのは心残りというか、失敗というか。思い出したらお腹が痛くなってきたわ。


 とにかく、無心になるには最適な趣味である刺繍のバリエーションを増やそうと本を探していたのだけど、あまりにも本棚が高すぎて背伸びしても手が届かない。


 視線の先には台座があるけれど、それを取りに行くのも釈然としないというか、負けた気がするというか。あとほんの少しだけ背が伸びれば指先が届くの。


「これでわたしの勝ち……っ!」

「本を取ることにも勝ち負けがあるのか?」


 メガネに反射する光の向こう側でエメラルドグリーンの瞳にわたしが映っていた。


「っ! それはわたしの獲物ですよ」

「獲物……面白いことを言う女だ」

「ヴィアトール様。失礼ですが、その本はわたしが狙っていたものです。それを横取りするなんて」

「苦戦していたから代わりに取ったまでだが?」

「ありがとうございます。でも、不要なお気遣いです。わたし、負けを認めていませんので」


 ふっと笑ったヴィアトール様は刺繍の本を押しつけ、図書室から出て行ってしまった。


 最悪だわ。

 学院の中で随一の有名人、しかも憧れの人の御子息であるヴィアトール様に喧嘩を売るなんて。

 間違いなく明日からわたしの席はない。

 むしろ、自分から消えたい。


 どうして熱くなると考えなしで口走っちゃうのかしら、もう!


 そんな風に絶望していたのに、翌日からもわたしの灰色の学院生活は続いた上に図書室でヴィアトール様と出会う頻度も増え、頼んでもいないのに勉強を教えてくださり、無事に首席で卒業することが出来た。


 ゼムナ公爵夫人のような立派な淑女に近づけたかなんて分からない。

 やるべきことは全部やったから満足だった。

 ここからはただの子爵令嬢としてどこかの誰かと結婚させられるのだろう。


 そんな風に考えていた時だ。


「アシュリー、実はヴィアトール=ゼムナ様から婚約願が届いている。どうするか自分で決めなさい」


 わたしはメガネをずり落としながら間抜けな声を出した。

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