アシュリーの黒い結婚

桜枕

第1話【現在】カフェテラスにて

「お前との結婚はいわゆる白い結婚だ。これからも肌を重ねることはない。寝室も一緒にはしない――」


 昼間に、しかも随一の人口を誇る王都で一番人気のおしゃれなカフェテラスでするような話ではないわね。


 わたしは呆れ果て、ひそめた眉を隠すようにメガネを上げて姿勢を整えた。


「って言われましたの! 私、新婚初夜からずっと一人で寝ていますのよ」


 向かい合って座っている旧友のミランダは整えられたブロンドの髪を振り乱して机を叩いた。

 彼女の左手の薬指では大粒のダイヤモンドが力強く存在感を放っている。首元では金色のネックレスが揺れていて、学生の頃よりも派手な容姿と服装になっていた。このカフェには似つかわしくない装いだ。

 

 店内は落ち着いた雰囲気で圧倒的に女性客が多い。男性客はごく少数で、ほとんどがカップルとして来店している。

 男性が一人で来るなんてパートナーとの待ち合わせか、カフェ巡りが趣味か、はたまた変わり者か。


 とにかく淑女の多い店内で大きな音を立てながら遠慮なく話すものだから周囲からの視線が痛くてたまらない。


「そうなのですね。何か理由があるのでしょうか」


 それでも表情には出さないように努めて相槌をうつ。

 わたしが呼ばれた理由はさっきの一言で理解した。要するに愚痴を聞いて欲しいのだ。だけど、ミランダはそんな事は絶対にお願いしてこない。


 この話題を聞き出すまでにどれだけの時間を使ってきたか。


 朝からアポイントメントを取らずに屋敷を訪れて来たかと思えば、観劇に連れ出され、しかもチケットがないからと長蛇の列に並ばされた。

 観劇後、「予定がある」と伝えたのにカフェに押し入れられ、愚痴か惚気かも分からない話を聞かされているわたしの気持ちなんて考えていないのでしょうね。


 わたしは静かに「だからあの内容の観劇だったのか」と心の中だけで手を打った。


 王都で人気の高い娯楽の一つが演劇だ。ここ最近は『白い結婚を言い渡された妻が奮闘して、最終的に夫に愛される』という似たような筋書きの演劇が多く上演されている。


 話は逸れたが、つまりミランダは「自分も演劇の内容と同じように白い結婚を強いられてる悲劇のヒロインだから話を聞いて欲しい」と言っているのだろう。……多分。


「精神をより強固に繋ぐ神聖な白い結婚ですわ。本ばかり読んでいたくせに知らなくて?」


 馬鹿にしたように薄ら笑うミランダ。

 そんな儀式は聞いたことがないから素直に小さく頭を横に振る。


 政略結婚の類いであれば、初夜こそ淡々と終わるかもしれないが、ミランダは恋愛結婚寄りだ。

 親同士が決めた婚約だったらしいが、当人たちは両思いで毎日恒例のイチャイチャタイムを嫌というほど見せつけられた。

 であれば、待ちに待った蜜月を思う存分、堪能してもおかしくないのではないかしら。


「私は大切に大切に扱われている自覚がありますわ。ただ、使用人たちの態度がよそよそしくて屋敷は息が詰まってしまいますの」


 ミランダは頬杖をつき、王都の町を行く人を眺めながら呟いた。


 身も心も傷つけたくないから手を出さないというのが彼女の夫の言い分らしいが、クウネル様はそんなことを言うような方ではなかったと記憶している。

 それにお屋敷の使用人たちの態度も気がかりだ。


「こうして外でアシュリーさんと会っている方がよっぽどましですわ」


 まし……まし……まし……まし……?

 同じ言葉が頭の中をぐるぐる回る。あれ、ましってどんな意味だっけ。


「地味メガネ令嬢のくせに白い結婚のことも知りませんのね」


 学院時代のあだ名を久々に聞いた。


 実はわたしとミランダの付き合いは長い。

 ミランダは偶然にもデビュタントが同日の伯爵位の令嬢だった。わたしは子爵家の娘だから彼女の家よりも格下ということになる。

 デビュタント後は接点がなかったけれど、偶然は重なり同じ貴族学院に通うことになりクラスメイトになった。


 そして、わたしたちは同時期に結婚した。奇しくも同じ爵位である公爵家の嫡男とだ。


 今のわたしたちはそれぞれの公爵家の跡取り息子の妻という立場にある。

 偶然がこうも重なるとそれはもう奇跡だ。嬉しくないけれど。


「二年ですわ! 二年経てば、と何度もクウネル様はおっしゃるの。二年経てば、一人寂しく枕を濡らす日々は終わりますの。それまでに清らかな体と精神を身につけなくてはいけませんの。最近では毎日のように教会へ通っているのですよ。それにしても、なぜ二年なのかしら?」

「…………相変わらずね」

「なんですって? もっと大きな声でお話しなさい」

「いえ、なんでも」


 取り繕った笑みで謝罪すれば、ミランダは追加注文した紅茶に角砂糖をこれでもかと落とし始めた。


「地味と言えば、学生時代は勉強ばかりだったアシュリーさんが私と同時期に結婚なんて意外でした。しかも相手があのヴィアトール様だなんて。どういった経緯でして?」

「どうということはありません。偶然にも見初められ正式な手順で成婚に至った次第です」

「まぁ、なんてつまらない。もっと燃えるような恋を経験しないと良い女にはなれませんわよ」


 笑えない。

 冗談で言っているのか、自虐か、それとも本気か。段々と可哀想に思えてきた。


「それにしてもヴィアトール様の好みがアシュリーさんのような地味で貧相な女だったとは意外ですわね。もっと私みたいな華やかで豊満な女性が好みかと思っていましたのに」


 癪だけど、それにはわたしも同意見だ。……実に癪だけど。


 どうして、わたしみたいな女を妻に選んでくださったのだろう。

 家も格下で、ヴィアトール様にも公爵家にもメリットはないはずなのに。


 ミランダのつまらない話を聞き流しながら旦那様の顔を思い浮かべる。

 無理に思い出さなくても自然と浮かび上がるくらい、わたしにとって大切な人。


 初対面なら恐怖すら覚える切れ長の瞳と凛とした態度。それが夜になると、ふにゃっとする感じがたまらなく愛おしい。


 あぁ……早くお声を聞きたいわ。


 わたしは視線だけを店内のカウンター席の方へ彷徨わせ、過去を懐かしむように目を細めた。

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