第10話 まつろわぬものたち
『なかやんは責任感が強い男だったんだよ。営業からか映画監督にのし上がったのに、一作目がコケて、営業に戻って、アメリカに行ったでしょう。もう、二度と日本の土は踏めない思っていたらしい』
桐戸聖也著作『化学怪獣ラジュードを作った益荒男よ』より。この書籍は、特撮映画『化学怪獣ラジュード』の関係者へのインタビューが大半を構成しており、ファンブックとしてのみならず、当時の状況がわかる資料的価値も高いとされている名著である。先の一文は太宝株式会社社長柳井総太郎氏の息子にして同社の専務兼『科学怪獣ラジュード』のプロデューサーも務めていた柳井周大氏の言である。
『ラジュードを任されたとき、この映画は相当期待されていないか、悪い冗談だと思っていただろうね。でも、だからといって(中屋修一氏は)半端な仕事はしない。そう思ったからおれはあいつにラジュードを任せたんだ』
『仕事の責任感が強い分、奥さんとの仲は悪かったみたいだけど。あんな美人、家にずっとほっぽって平気なんて、僕には想像つかなかったです』
『中屋さんは、家に帰れないってよく言ってました。アメリカが長かったからですかね。奥さんは家に犬を五匹も飼っていたって。ボス(著者注・柳井周大氏のこと)はあいつならできるって監督に任せてましたけど、半分ぐらいは同情ですよ。せめて会社には居場所がある、がんばれ、みたいなことです。ボスは(中屋修一氏を)弟みたいに可愛がってましたからね』
『ラー(著者注『化学怪獣ラジュード』のこと)は、ただの環境汚染や文明批判の映画にしたくはなかった、って、あれは監督のことですよ。家がないってのは、監督のことです。だから、何でもかんでも壊すんですよ』
電車の中で揺られている気分。なんだか懐かしいとゴドーは思った。だが、その揺れの正体が未知のリズムと縦揺れの結晶であることに気付いたとき、ゴドーは慌てて跳び起きた。
「ラジュードが、死んでない!」
足元には柔らかな土が広がっていて、その表面は苔や単子葉類の芽で斑に覆われている。だが、それでもなお、ラジュードは確かに歩いていた。ゴドー・トジオを、その手に乗せて。
「どうなってるんだ……」
ゴドーはその土を握りしめ、振り返った。そして、その先に、視界に入りきらないほど巨大な頭を見た。目玉がぎょろりと回転し、穴のような瞳がゴドーを吸い込もうとしていた。
「なんでだ、なんでなんだよ!」
ゴドーは絶叫した。
怪獣は当然返事もせず、ただ歩く。焼け爛れた大地を潰し、腐った植物を蹴散らして。〈オムニエンザイムディスラプター〉はうまく作動したはずだ。この、怪獣の手の上は、確かに苔生し草も生えている。ヘドロのような臭いもしない。なのに、なぜまだ動くのか。
怪獣が生きていることもそうだし、自分が無事であることもまた不思議だった。最後の記憶では、ヘドロを頭から被ったはずだった――それなのに。まさか、ラジュードによって生かされているとでもいうのか。
腐葉土の生臭さが、ゴドーの鼻を刺激する。思わず顔を別方向に背けた。と、その先に、ゴドーは一つの光景を見た。
「高層ビルだ……」
並び立つ高層ビル群。陽光を反射し、ぎらぎらと輝く巨塔の集団。それらを、なぜかゴドーは、自身でも不可解なぐらい、ひどく懐かしく、否、オアシスのように感じた。正体は、所々が崩壊しているところを見るに、グレイフォートレスのビル群だろうが。
そこに向かって、ラジュードは歩いている。距離は、まだ十数キロメートルは離れているだろう。その時、歩行とは別の揺れが起こった。ラジュードの顔が崩れていく。その断面には、白い植物の根が見えた。
ラジュードは、無事ではない。死にかけている。ゴドーはそう思った。一歩進むごとに、顔も、体も、崩れていく。だが、ラジュードは歩みを止めなかった。やはり、〈オムニエンザイムディスラプター〉は正常に作動していたのだ。その証拠に、歩けば歩くほど、顔面どころか、その長い首もまたばらばらと欠けていく。
「やめろ! 止まってくれ!」
その様子を見て、何故かゴドーはそう口走り、ラジュードの顔へ手を伸ばした。
「どこに、行くつもりなんだ……」
叫んでから、自明なことを訊ねたと思った。行くのではない。ラジュードは、帰ろうとしているのだ。
「お前にとっては、あそこが故郷なのか」
ゴドーはもう一度振り返った。その先には、ビルの立ち並ぶグレイフォートレスがある。
ラジュードは、文明の汚染から生まれた怪獣だ。そんな怪獣が、大暴れの末、六年間も居座った場所。ゴドーは漸く理解した。
ラジュードにとっても異界だったこの場所で、彼が唯一落ち着けるのが、故郷にそっくりなこのグレイフォートレスだったのだ。
「まさか、お前は、おれを迎えに来てくれたのか?」
そういってから、ゴドーは唇を噛んだ。そんなわけないだろう、感傷に浸りすぎだと。だが、一方で何か頂上的な感覚を使って怪獣が自分の接近を察し、迎えに来たのではないかという考えが頭を支配する。
「お前も、おれも、一緒だったんだ」
映画でラジュードが暴れていた理由。環境破壊への警鐘や、文明批判ではないと、後にスタッフ達から語られていたのを思い出す。ラジュードが人々を惹きつけたのは、ほかでもなく、文明に生み出された悲劇の主人公だったからだ。怪獣は、ただ憎さで人間や町を破壊したのではない。ずっと、見つからないものを、探していたのだ。
「居場所、か」
ラジュードの歩みは止まらない。崩れる体を押して、ゴドーを手に、前進する。
「もういい、わかった! わかったから!」
ゴドーにはもう、声を上げて懇願することしかできなかった。あれだけ怪獣を壊すために頑張ってきたのに、いざ、崩壊してくラジュードを見ると、それが取り返しのつかないことをしてしまったことのように感じる。例えそれが、公害をまき散らすただの害悪だったとしても。これは、一つの命を奪う行為に違いないのだ。
『だが、それがどんなに安全でも、やさしい道具でも、人間には悪魔のような側面があって、あらゆる手を用いてそれを人殺しに使うのだと、わたしの中の悪魔が囁くのだ!』
五行博士の台詞がふと浮かんだ。ゴドーはこの時になって、漸く、博士が自死を選んだ理由を悟った。それは、人間を信じられなかったからではない。ありとあらゆる書籍、評論家や観客はそう思っていたに違いないが、誤りだと確信した。一つの命を、安全な発明だと信じていたものを使って、断ち切ってしまったことへの自責の念だったのだ。
――きいいいいいいいいいん!
高音と低音が混ざり合った不気味な叫び声。工場で稼働する重機の音や、シンセサイザーを用いた当時最新の技術が混ざり合って作られたラジュードの鳴き声は、今聞くと、悲痛な絶叫にも聞こえた。
――きいいいいいいいいいん!
ラジュードがもう一度叫んだ。どうしたのかと思ったが、ゴドーの足元に亀裂が走り、目の前で怪獣の首が崩れ、重力にゆっくりと引かれていく。崩壊していく。
「ラジュード!」
怪獣の全身がついに限界を迎え、土くれとなって引き裂かれる。ゴドーもまた、ゆっくりと、だが確実に、地面に激突しようとしていた。もう、怪獣は故郷に一歩も近づくことはできないだろう。
ゴドーは慌てて周囲の土塊を掴むが、それもまたぼろぼろと崩れていく。落ちないように掴まれる、安全な場所などどこにもなかった。
「……ごめん、ラジュード。それから、五行博士」
結局、自分は映画から何も学ぶことはできなかった。自分こそ大丈夫だと、安全で優しい文明の力で、一つの命を奪ってしまった。
「あと、エア。一緒に映画、撮りたかったな。約束は、守れなかった」
ゴドーは、ポケットから固い感触の『それ』を固く握り、まるで押し潰すような泥を迎え入れ、そして落下の衝撃に身を委ねた。
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