第8話 戦闘開始

「ややや。どうやら手遅れみたいだ」


 ワイバーンのワルワルの背中の上で、エアはぼそりとそういった。ワルワルは尻尾で〈オムニエンザイムディスラプター〉を抱え、その背にエアとゴドーを乗せて上空百メートルを飛行していた。彼女の特殊な性質と、エアの魔術によりその姿は極限まで隠匿されており、当初の予定通り、たまに眼下に見かける人間たちは、二人と一匹に気づかない。


 だが、早朝に工房を旅立った彼らを、予想外の事態が襲っていた。それが、怪獣ラジュードの覚醒だった。魔術による通信の傍受もお手の物らしい彼女は、的確に地上の会話を拾い上げ、ラジュードの覚醒と被害を把握している。曰く、魔術での通信が魔族に理解されないのは、人間の言語や文法がわからないから、とのこと。


『人間の言葉がわかっても、魔力の変化と空気の振動パターンに関連付けて、さらにそこから言語として抽出できるのはわたしぐらいだろう。やーっやっやっ』だそう。


「手遅れってどういうこと?」ゴドーは緊張して訊ねる。


「グレイフォートレスから十キロ離れた人間の高層ビル群が廃墟になったらしい。えっと、対怪獣戦闘高層建造物第一群、とか言ってる」


「確かに最前線の基地だ」ゴドーは頷く。


「近づいてくれる分には助かるが……」


「なんでこのタイミングで動き出したんだ」憎々しげに呟いた。


「理由はわからない。だが、動くのは困る。〈オムニエンザイムディスラプター〉を映写する前に戦闘は避けたい」


 エアはワルワルの背中を撫でた。二人ならまだしも、その尾に長大な道具を抱えたワルワルに曲芸飛行など無理だろう。


「基地の破壊方法は……」


「口から吐く『光』だろう。消滅した、という報告もある。間違いない」


「光化学レーザーか」


 予想通りだった。科学怪獣ラジュードの光化学レーザーは一瞬でビルも山も焼き尽くす。『化学怪獣ラジュードシリーズ』でも、光化学レーザーで建物や対決相手の怪獣が吹き飛ぶシーンはお馴染みだ。


「ワルワルに、もう少し急げないか聞いてほしい。このままだと、第二、否、第三ビル群も駄目だ。それに、その先には町もある」


「わかった。ワルワル、いけそうか」


 エアはそういいながら、ワルワルの首元あたりを叩く。どうもそのあたりがコミュニケーションのキーになっているようで、ゴドーには難しい点だった。


「頑張ってくれるらしいが……」


 振り向いたエアの顔は暗い。


 くそ、という言葉をゴドーは飲み込んだ。


 映画の中で日本を焼き尽くし、それで飽き足らず、異世界にまで現れて大暴れするなど、ゴドーの理解を超えていた。タイミングも最悪だった。おとなしく寝てくれればいいものを、なぜこのタイミングで覚醒したのか。ゴドーの内心に、嫌な予感が染み入った。


 予定通り、その日は結局移動に終始した。だが、グレイフォートレスは近い。


 人のいない町。そこでゴドーとエア、ワルワルは一夜を明かした。グレイフォートレスに近づけば近づくほど、村や町から人はいなくなっていた。途中、避難する人間の渋滞を何度も見下ろしてきた。


「人がいないのは助かるが、こうも寂しいものなのだな」


 エアは、二階建ての屋上でそう独り言つ。ゴドーも、誰もいない町など、映画やドラマでしか見たことがない。実物を目にすると、それはまるで、時が止まったような光景だった。


「大丈夫。おれ達がラジュードを倒したら、みんな帰ってくる」


「そうだな。そうだった」


 エアはその大きな角ごと頭を振る。


 そう、これから、ラジュードと戦い、倒す。そして、この町にも、グレイフォートレスにも、人を戻すのだ。


 早朝、二人と一匹は再び旅立った。今日の昼前には怪獣に接触する。


 対怪獣戦闘高層建造物第四群の上空を飛び、その無事にエアは小さく喜びの声を上げた。


「ここは無事みたいだな」


「だけど、ここは怪獣の進路には入っていないだろ」


「それは、そうなのだが」


 エアは小さく唸った。眼下には、ゴドーにとってはかなり見慣れた光景が広がっていた。高さ数十メートルのビル群。しいて言うなら、その数が十本程度で密度も低いこと。あと、コンクリートではなく魔術的素材故、やや色が黄土色である。全体的なデザインも、無機的ではなく、小さな彫刻が入っていて、デザインされていると感じる。


「中には、結界用の霊石と魔物の死骸の気配を感じる。趣味の悪いことを人間も考えるものだ」


 二人目の転生者が考案した高層ビルの概念は人間と魔王の戦争を一変させた。従来、人間は建物一つ立てるのにも魔力の流れを利用していた。この異世界では、魔力さえあれば指先一つで建物を作れるが、その分場所が限られている。ゴドーにとってはばからしい話だが、その転生者が現れるまで、人間の住める土地は限られていたのだ。魔王との戦争も、魔力のない最前線にあたる基地に至っては、代替となる『電池』のようなものを使って、基地や建物の維持をしていたそう。維持できてしまったというのがみそで、維持できてしまったがゆえに、この異界では建築が蔑ろにされてきたのだ。


だが、その転生者はまず、統一的な単位を作り、地面を掘って基礎を作り、柱を立てて壁や屋根を支える、という『建築』を浸透させた。魔力の有無に左右されない建物づくりは人間の前線を大いに発展させ、同じく魔力基準で物事を考えていた魔族の不意を突き、大打撃を与えたのである。


そして、その最大の成果が、戦闘高層ビルという概念だった。高層ビルに結界と攻撃兵器を満載にして、魔族を迎撃するのだ。最前線に設置することはできないが、一度これが作られれば、魔族にとってその土地は難攻不落の砦になる。しかも、これは魔力がなくても屹立する。魔力の流れがよくない場所から、魔導具を満載にして、一方的に雷を落とすこの兵器は多くの魔物を屠ってきたのだ。


眼下のビルの合間に、人が見える。目的は違うが、このビルにもたくさんの人が入っていて、仕事をしているのだと思うと奇妙な気持ちになる。


対怪獣戦闘高層建造物第四群の広さは約八万平方メートル、東京ドームが四千六百ヘイホーメートル程度のため、一個と七分、或いは六本木ヒルズが約十万平方メートル故、それより少し小さい規模と考えると、立派な街だとゴドーは思う。ただ、周辺はラジュードの汚染の影響で、緑がわずかな枯れ木の森に囲まれている故、それだけがここを、異界だと認識させる。


「ビルの結界は大丈夫なのか?」


「大丈夫だ。ここまでは届かない。ワルワルの飛行に影響はない」


 彼らの高度は三百メートルを超えていた。今、ワルワルはグライダーのように滑空して飛行している。


「ラジュードは……」


「夜は動いていないらしいな。案外朝は弱いのかもしれない。人間の軍も、ほとんど直接攻撃はせず、ビルに籠って迎撃の用意をしているようだ。しばらくは、事態も動かないだろう」


 エアがそう言ったとき、ゴドーはなんとなく、嫌な予感を察知した。虫の知らせ、否、これは、どちらかというと、映画を見ているときに感じる、『来る』という感覚に近かった。


「やば……」


 その時だった。遥か彼方で一瞬、太陽が落ちたような輝きが満ち、続いて眼下に広がる十数本のビル群が、白に染まった。眩い光のレーザーを浴び、ビルの壁面を埋め尽くしていたガラスがそれらを反射、増幅してより明るく、最後の輝きを見せた。


「ワルワル、飛べ!」


 エアが絶叫し、しかしすでにワルワルは急上昇を始めていた。ところが、遅れてきた爆風に煽られ、その体は上昇するよりも強烈に、空へ向けて押し付けられていた。ワルワルの力は、もはや姿勢を何とか安定させるためだけに使われている。背中の二人と、尻尾で巻いた道具を守ること以外はもう何もできなかった。エアも素早く、ワルワルを守るように透明橙色の不思議な壁を作って爆風を防ぐが、あまり効果は無いようだった。ただ、ゴドーは足に力を入れ、エアにしがみつくしかなかった。


 やがて、ワルワルがなんとか姿勢を安定させたとき、二人は眼下の惨劇を見る。


「嘘だ、あんなに距離があったのに、一瞬で……! 進路だって違ったはずなのに、どうしてこっちに……」


 エアの顔が青くなる。あれだけあったビルは、その高さを残り三分の一ほどにまで減らし、ばらばらと崩れながら、火炎をまき散らす怪物になり果てていた。燃え盛る炎とともに、黒煙が風に流されながら広がる様は、助けを求めているようでもあったし、まるで同族を増やそうとするゾンビのようにも見えた。


「これが、化学怪獣ラジュードの光化学レーザーか……」


 おそらく扇形に薙ぐ形で放出されたのだろう。地上から見れば、体よく草刈りでもされた様に、ビル群が焼き切られているに違いない。


「まずい、近いぞ」


 そして、エアの言葉に、ゴドーははっとした。遠く、小さな点にも見えるがしかし、その巨躯を、幼いころから繰り返し見た、テレビの中で、映画の銀幕であこがれ続けた、大怪獣を、見間違えるわけがない。


「ラジュード……異世界で、まさか、また本物に会えるとは思わなかったな」


「ワルワル、本番だ。アクション!」


 光化学レーザーの爆発で打ち上げられていた三人は、降下する勢いを利用して加速する。その姿は、彼方の怪獣へ撃ち放たれた、嚆矢であった。


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