第7話 対怪獣戦闘高層建造物第一群
早朝。まだ日が昇りきらないこの時間、リュタ・ダイスーンは寝返りを打った次いで、ベッド脇から転がり落ちた酒瓶が、床で弾ける音で目が覚めた。
「くそっ。最悪だ」
そう独り言つと、ゆっくりと起き上がった。二段ベッドの上、先輩にあたるハップ・クローザンの機嫌を損ねるわけにはいかない。
「気持ち悪い。飲みすぎた」
昨日はこの対怪獣迎撃高層ビル内で新人の歓迎会があった。先輩として上下関係を叩き込むためにも、まだ成人を迎えたばかりの彼らに無理やり酒を飲まして七人を潰してやった。一人だけ生意気にも酒に強いやつがいたが、それも潰した。しいて言えば、この症状はその代償だろう。
ふらつく体を屈めてガラスの欠片をせっせと拾い、脱ぎ捨てたシャツの上に乗せて運ぶ。窓の外から捨ててしまおう。下は花壇になっていて、人がいることも、裸足の人間が踏むこともないはずだ。よたよたと歩きながら、窓に近づく。
――がしゃん。
その時、背後で何かが倒れる音がした。振り返ると、なんとベッドがひっくり返っていた。布団とベッドに挟まれ、ハップを含む屈強な軍人たちが、小さくうめいて、自分たちに起きた出来事を理解しようとしていた。こんな一度にすべてのものがひっくり返るとは何事か。
「痛っ」
違う、とリュタはすぐに理解した。床にガラスの破片が散っていて、リュタの足裏をそれらが食い破った。自分は今、体勢を崩してしまっていて、窓枠をつかんで、何とか態勢を保っている。当然、手に持っていたガラス片を含んだシャツは床に散らしていた。
なんでこんなことになったのか。それは、二回目で理解した。
――ずん!
その強烈な『揺れ』はこの『高層ビル』を大いに揺らし、もう一度、倒れたベッド達を床から十センチメートルほど浮かせた。当然、人間も足を滑らせて、再び床に這いつくばる。
まさか。
リュタは慌てて窓の外へ視線をやる。そこに、朝日を背にした、否、太陽を蝕む亀裂のような影が目に入った。
「か、怪獣だ! あいつ、グレイフォートレスから出てきたのか?!」
リュタは悲鳴にも似た叫びをあげて振り返った。遅れて警報が鳴り響く。
『怪獣がグレイフォートレスから移動を開始。直ちに迎撃を開始する。総員、対怪獣迎撃戦闘用意。これは訓練ではない。繰り返す、怪獣がグレイフォートレスから移動を開始……』
「なんで、こんな近くに車で警報が鳴らなかったんだ」
リュタの全身から脂汗が噴き出た。グレイフォートレスからこの対怪獣戦闘高層建造物第一群まで十キロメートルはある。それなのに、警報一つならなかったことが不思議だった。
加えて、怪獣は六年前にグレイフォートレスに到達して以後、そこの廃墟同然の高層ビル群から出たことがなかったのだ。それが今に動き出すことなど想像もしていなかった。リュタは思わず身震いした。
「リュタ、ぼさっとするな! 行くぞ」
ハップの声に、意識が戻される。
「はい!」
しかし、リュタとて腐っても軍人である。彼も、二段ベッドの下敷きになっていた者たちもすぐさまそこから這い出し、各々制服を着用しながら廊下へ飛び出す。
――王国軍対怪獣戦闘高層建造物第一群所属第四魔導兵器魔術師大隊。それが彼らの所属であった。
廊下を駆け抜け、第四迎撃室のドアを開ける。すると、猛烈な熱気が彼の顔に覆いかぶさった。
部屋の中央の炉に、先行していた魔術師二人が薪や炭、宝石などを放り込み、刻印の刻まれた筒でもって息を吹き込み紫色の炎を生んでいる。その炉の上には、大人六人が入っても余裕のある鍋が置かれていて、そこへ毒草や魔物の血肉を注ぐ者がいる。そこから立ち上る青い煙をその上の煙突が吸い上げ、天井にぶつかってそこを伝い、壁まで伸びている。
そして、その先の配管が繋げられ、ごぼごぼと不気味な音と赤い光を帯びているものこそが、全長十メートルの長い槍状の魔導兵器〈メイサー対怪獣投射爆弾〉である。
それが、外に面する壁に向けて穂先を向けて、六十本。それぞれの発射台に魔術師が一人付き、風と火炎を操作して、『目標』に向けて発射するのだ。
――そして、目標とは。
「開門、急げ!」
その声に弾かれた様に、壁が開いて突風が吹きこんだ。このビルにおいて、リュタがいるのは二十二階。地上約七十メートル、吹き荒れる風が第四迎撃室で行き場を失い、大いに暴れた。炉や窯を制御する魔術師たちは慌てたが、リュタの視線はまっすぐ、外の景色に注がれていた。
「あれが、怪獣……」
さっき窓からも見た相手だったが、ただの吹き曝しではなく、この壁面には怪獣の姿を正確に認識するための補正魔術がかかっている。朝日を背後にしたそれの姿が、はっきりと見えた。
「リュタ、まだ寝ぼけているのか?」
ハップがストレスと混乱を噛んで言う。見上げると、彼の顔色はよくない。それは、昨日歓迎会で、彼も酒を大いにあおっていたからだけではないだろう。
「大丈夫です」
ハップも、心中では同じことを考えているのだ。リュタは、訓練通り自分の〈メイサ―〉の根元につき、用意された竜の血がしみ込んだ炭〈ブラックルビー〉を装填する。途端、〈メイサ―〉が脈打つのを感じた。ハンドルを握ると、竜の血がすでに、熱く滾って燃え盛るイメージをリュタに送った。
「まだ撃つな、引き付けろ!」
ハップの声に、リュタは我に返った。竜の血が、気を抜けばいつでも爆発する状態にある。魔術師は、それに対して己の意思、もしくは呪文や刻印、陣を書き、或いは適切な魔術的薬品を使用して制御するのが仕事である。
リュタは目を見開いて、改めて敵を見る。
真黒で、常に濡れたような不気味な表皮。肩から伸びた、馬のように長い首。竜のように大きく避けた顎。それらを支える太く大きな胴と下半身。一歩歩くごとにビルを揺らし、大地を割る超重量の怪物だ。
「風、よし! 撃ち方はじめ!」
竜のイメージは、目の前にもある。あれが、燃え盛り、尽きる姿を呼び出すのだ。この、〈メイサー〉で!
そう決意した瞬間、鋭くとがった槍のような穂先が赤熱し、ぶくぶくと膨れ上がって瘤となった。まさに、メイスの先端のようだった。
続いて、リュタは抑え込んでいた火炎を吹き出す竜の姿を肯定し、遠く魔界の風の吹く谷で採取された鉱石を含んだ蒸気を感じている。それを、今、真っすぐな〈ベクトル〉に変えて、〈メイサー〉に送る!
それが、この場にいる六十人の魔術師の持つ、共通の意志であり、そのことが大きく魔力を増幅する。リュタが意識を失っていたのは一秒にも満たないが、怪獣の起こす足音より大きな振動が、二十三階から放たれた。遅れて、その部屋の中央にあった鍋すらひっくり返る。
代わりに、六十条の線となって、〈メイサー〉がまっすぐ怪獣の全身を焼き尽くさんと襲い掛かった。風を切る〈メイサー〉は真っ赤な光を湛え、命中と同時に怪獣の体を爆炎に包んだ。
「やった!」
軍人にはあるまじき、感情たっぷりの大声を誰かが出した。しかし、その気持ちを否定する者はいない。
この〈メイサー〉は、鈍重で攻撃を回避せず、魔術的防御もなく、また、その体躯から、命中精度を捨てても当たる、かつ、怪獣の眼はそこまでよくないから迎撃は考えなくてもよい、そんな人間たちの怪獣に対する『研究』から生まれた、魔族や魔物には決して当たらないものの、怪獣対手なら通用するとして設計された、『爆発力』の塊なのだ。
――当たりさえすれば、魔王すら粉微塵に燃やし尽くす。
全高八十メートル、否、百メートルを超えた黒煙の塊になった怪獣を見て、誰もがそう思った。
これが、王国軍対怪獣戦闘高層建造物第一群の、最初にして、最後の攻撃だった。
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