第6話 決戦前夜

「……でかいな」


 こうして完成した異世界版土壌酵素破戒剤〈オムニエンザイムディスラプター〉は長さ三メートル、直径六十センチメートル、総重量約六百キログラムの化け物になった。そのほとんどを、木枠で守られた魔力強化ガラス瓶が占めている。中には四百リットルの超高濃度圧縮ドデカドミームを充填済み。全長八十メートル体重四万トンの怪獣を土くれに変えるには、これくらいは必要だとエアは主張し、その通りにゴドーが魔術と持ち前の手先の器用さでガラス瓶を拵えたのだ。曰く、エアは一度ラジュードを視察したことがあるというので、量は問題ないはずだった。


 また、このサイズと重量になってしまった原因のもう一つの要因がカメラだった。怪獣の体の奥深くにカメラを埋め込み『映写』するための金属製の射出装置が約一メートル。


 工房の入口前の岩場で漸く完成した、まさに柱のようなそれをみて、ゴドーは新しい問題に突き当たったと今更ながらに思う……運搬である。すでに日は暮れ、火の精霊〈イグニス〉を呼び出して明かりをとっている。それに照らされた、あまりにも飾り気のない、木枠とガラスケース、射出装置の金属パイプで構成されたそれを運ぶのは骨が折れる。方法も思いつかない。


「心配は無用だ。わたしには、友達がいる」


 不安そうなゴドーの表情を読んだのか、エアは自信満々に言った。なんのことかとゴドーが首を傾げていると、エアは口笛を高らかに吹いた。何かの魔術でも起こしたのかと思ったが、やがて、闇夜を歪ませ、何かが二人の間に降り立った。


「わ、ワイバーン?!」


 ゴドーは思わず大声を出した。紛れもない、完全空棲の手足のない竜である。翼のある蛇のような姿をしたその竜は、差し渡し十メートルほどの翼を広げながら、ヘリコプターさながらのホバリングを見せ、空中で止まった。猛烈な風があたりに吹き荒ぶ。そのとき、ゴドーは違和感を覚えた。


「魔力がない?」


 ワイバーンをはじめとした竜種は、最大で二十メートルほどになる。その体を支えたり、空を飛んだりするには魔力が欠かせず、その際に周辺へ力場の乱れを生み出す。だが、それがこのワイバーンにはなかった。大した魔術師ではないゴドーだが、一応最低限の心得と、魔力の流れを感じ取る勘はある。だが、それらが今、ほとんど機能していない。近くを精霊が通ったぐらいの感覚だった。


「これは、わたしの友達のワルワル。お前の言う通り、ワルワルは生まれつき、放出した魔力が目立たない。そのおかげで、仲間には馴染めず、ずっと一人だったんだ」


「一人……」


 魔物や魔族のコミュニケーションには、魔力の放出やその力場に影響を与えることが欠かせないという。だが、それが困難な魔物は、確かに仲間と馴染むのは難しいかもしれない。


「でも、ワルワルは音で意思表示ができる。わたしはそういうのも得意だからな。というわけで、今回はワルワルにも手伝ってもらう。彼女なら、〈オムニエンザイムディスラプター〉をグレイフォートレスまで運ぶのもわけがない。そうだろう」


 ぎーっ、とワルワルは返事をした。オスメスはともかく、かなり迫力のある鳴き声だった。


「ワルワルに乗れば、明日の朝から出発して、明後日の朝にはグレイフォートレスにつくはずだ。 そしてそのままラジュードのすぐ上に移動しよう。そこで〈オムニエンザイムディスラプター〉を投下して怪獣を倒す。ワルワルは姿を消すのも得意だし、スピードだって出る。人間に気付かれずに到達できるはずだ」


「確かに、もうグレイフォートレス付近に人は住んでいないし、監視もほとんどない。立ち入り禁止区域に入ってしまえば大丈夫だと思う」


 ゴドーも頷いた。とはいえ、ワイバーンに乗るというのはなかなか心臓に悪い。


「顔合わせは済んだな。ワルワルも、明日から苦労を掛けるが頼んだぞ」


 エアの言葉に、ワルワルは一鳴きして答えると、再び闇夜に飛び立った。


「じゃあ、早く休もう」


 ゴドーはそう提案し、もう運搬が困難になってしまった〈オムニエンザイムディスラプター〉へ、隠匿と汚れ防止のために布をかけようとした。


「待ってくれ。ちょっと、わたしは最終調整がしたい」


 エアはかなり休憩と仕事の割り切りがいい。さっきまであれこれ術を仕込んだかと思えば、急に電源が落ちたように眠りだしたり、その逆でぼーっとしていたと思ったら呪文を唱えだしたり、寝起きですぐさま作業に取り掛かることも平気だ。


だが、今回ばかりは不可解だった。もう、やることはほとんど残っていない。普段のエアなら、工房に戻る前に寝てしまってもおかしくはない。


「何か心配なのか? そうだったら早く相談してほしい」


 ゴドーは訊ねた。すると、エアは静かに首を振った。


「違う。少しだけ、名残惜しい」


 珍しい表情だった。なぜかそれが、ゴドーには泣き出す寸前に見えた。エアはゴドーを一瞥もせず、静かに〈オムニエンザイムディスラプター〉の表面を撫でた。


「映画の技術を取り入れて、カメラというものを作った。精霊を箱に閉じ込めて、魔術で別の精霊と組み合わせるなんていう、今まででは、考えられないことをしたり、たくさん呪文を唱えて刻印をして、陣もたくさん書いたりもした。疲れた」


〈オムニエンザイムディスラプター〉の具体的な形の提案や、その外装などは作りなれているゴドーが担当したが、それ以外の部分はエアがすべて行った。形さえ作ればよかったゴドーと違い、エアの苦労は計り知れない。エアが夜中にこっそり起きて作業をしていたことも、ゴドーは知っている。逆に、ゴドーが作れない形状を提案するものだから、軽く喧嘩だってした。


「こんなことは初めてで、精霊を使った魔術も、道具を作ることも、本当に大変だった。でも、わたしは確かに、楽しかったんだ」


「エア……」


「それから、ドデカドミームも面白かった。精霊を圧縮して高濃度の魔力に変換して、経口摂取して魔力を回復させる。精霊は生で食う以外に考えない魔族では思いつかない方法だ」


「それは、先生の研究の一つだ。でも、人間だってこの技術は持っていない。普通の人間は、それで魔力は回復しないし、魔導具の燃料にもならない。これは、エアの角の粉があって初めて機能する」


 その通り、ドデカドミームはゴドーの博士が研究し、結局人間には使えないということで封印されていた技術だった。それを弟子であるゴドーが継ぎ、間に合わせでエアに使えるように加工したのだ。エアと彼女に関連する術に限り、ドデカドミームは作用する。


「それは結果だ。ともかく、これを作っている間、わたしはとても楽しかった」


 愛おしそうにエアは〈オムニエンザイムディスラプター〉をこんこん、と優しく叩いた。


「……これで、もしも本当にラジュードを倒せたら、その後は、わたしはどうすればいいんだろうな」


 エアは誰に言うでもなくそういった。怪獣は、この世界にたった一体しかいない。ラジュードを倒せば、それですべてが終わる。でも、それでいいはずだ。


 だが、終わる、という表現が脳裏をかすめ、ゴドーは不思議な気持ちになった。その上で、彼はポケットの中を漁った。ゴドーにはすでに、用意していたものと言葉があったからだ。


「エア、これを見てほしい」


 彼が取り出したのは、紙の束だった。


「なんだ、それは」


 ゴドーはエアの隣に座り、紙束を彼女の目の前に寄せる。その一枚目には、下手糞な棒人間が描かれている。ゴドーはゆっくり、一枚目から二枚目、三枚目と、紙束のページを、パラパラパラパラとめくっていく。


 すると、その紙の端に描かれた棒人間は、不格好に屈伸運動をし、酔っ払いのような足取りでちょこちょこと走り出した。エアは目を丸くし、ゴドーに訊ねた。


「わたしほどの動体視力だと、これはあまり、動いているようには見えない」苦笑を浮かべ、バカにするような物言いに、ゴドーは少しむっとした。しかし、ゴドーが示したいことは理解してくれたようだった。


「これが、動画か」


「人間の目だったら、これが動いているように見える。まあ、本当はもっと細かくコマを割るべきなんだけど」


 そもそも、ゴドーにイラストの才能も動画の知識もない。これくらいで勘弁してほしいと思った。


「エアは、あれがカメラだと思っているかもしれないけど、そうじゃない。本当のカメラに、魔術はいらないし、人間の頭に直接映像を流し込んだりもしない」


「そっか。そうだったな」エアは自嘲気味に笑った。


「だから、次は、本当のカメラを作って、映画を撮らないか」ゴドーは前から思っていたことを口にした。


「映画を?」エアは驚きをそのまま口にした。


「それで、魔族も人間も一緒に見れるような、そんな楽しい映画を撮ろう」


「魔族と、人間が、一緒に?」


「エアの夢なんだろう。おれも、最近、そういう風になったらいいって思うようになった。エアだって、芝居のことを楽しいと思えたなら、ほかの魔族だってそうだろう。魔族と人間の橋渡しを、映画を使って、おれ達がするんだ」


「映画、か。確かに、それで、魔族も人間も、一緒に楽しいと思えたら……」


 エアは虚を突かれた様にしばし、ゴドーを見つめた。


「でも、本当にいいのか?」なぜか、急に怯えたような視線をエアはゴドーへ送った。ゴドーは、静かに彼女の膝の上で固く握られた拳の上に、自身の手を重ねた。そして、深く頷いて見せる。


「そうだな……わたしの恩人も、芝居は好きだった。劇場で、みんなで、ああいう風に、一つのものを楽しめるなら、それは素晴らしいことだと思う。ゴドーは凄いな。カメラだって作ったのに、わたしには、そんなこと、思いもしなかった」


「おれだって、映画を撮りたいなんて、エアに会わなかったら思わなかった。元々、大した夢もなかったんだ。ラジュードが現れて、先生が死んで、そのあとは何もなかった。精々、先生の骨を見つけて、きちんと埋められればそれでよかったんだ。だけど、今は、エアと一緒に映画が撮りたい。人間と、魔族が楽しめるような娯楽映画を撮りたいと思う」


 ゴドーもまた、エアの視線をまっすぐに受け止めてそう返した。


「ゴドー、わたしも、ラジュードを倒したら、映画が撮りたい。もっと、本物そっくりなカメラを作って、みんなが楽しめる映画を撮りたい! ゴドーが好きな、特撮映画を、わたしも撮りたい!」


「全部終わったら、そうしよう。それに、撮るだけじゃなくて……おれも、もう一度映画が見たい」


 ゴドーがそういうと、エアは静かに額を彼の胸に預けた。どうしたものかと思っていると、エアが静かに震えている……否、泣いているようだった。


「……よかった。わたしは、まだ夢を見れるんだ」


 涙声で、小さくエアはそう言った。どうすればいいか、なかなか判断に迷ったが、ゴドーはそっと彼女の背中をさすった。そうしているうち、彼女に動きがあった。


「気分がいい。早く寝よう」


 恐るべき切り替えの速度である。あっさりとエアは立ち上がった。もう少し感慨にふけるかと思ったが、やはり彼女の感情はスイッチのようだった。


「わかった。そうしよう」


 そしてゴドーも、彼女のペースに大分慣れていた。


「そうだ、それから、ラジュードを倒した後、わたしもゴドーと同じように、埋葬がしたい」


 縁起でもないことをいう。


「おれ、死ぬの?」ゴドーは恐る恐る訊ねた。


「違う。ゴドーは何があってもわたしが守る。埋葬するのは、わたしの恩人達だ。その死体が魔界に封印されている。二人は、死んだら魔族みたいに食べられるのは嫌だと言っていてな。じゃあどうすればいいのか聞いたら、きちんと埋葬してほしいといわれたんだ」


 そこで、ゴドーは初めて出会った日、素直に彼のいうことを聞いたエアのことを思い出した。あの時は、てっきり交渉のために死体探しと埋葬を見届けていたものと思ったが、本当に興味本位だったのだと今理解した。


「わかった。じゃあ、映画を撮る前に、エアの恩人の埋葬もしよう」


「そうしてくれると嬉しい。そうだ、それを撮影するのもいいな」


 エアは、やはりずれていることをあっけらかんという。葬式を映像に残す文化に心当たりのないゴドーは、考えておこう、とだけ言う。


「その時までには、ちゃんとしたカメラを作ろう」エアは声色明るくそう宣言すると、振り返ってじっと、ゴドーのことを見つめた。


「どうした?」


 エアの顔は、常に月のような白さを湛えている。だが、この時だけは、なぜか真っ赤に紅潮しているようにゴドーは感じた。


「思ったんだ。お前と一緒にいると、わたしの未来に、たくさんのやりたいことができる。ずっとわたしは、橋渡しをしたいと、思うばかりで何もできなかったのに」


「何も?」


「魔界から逃げた後は、人間の世界の観察も、改めてたくさんした。だが、人間たちを見ていると、どんどん怖くなるんだ。どうすれば、みんなと仲良くできるのか、わたしにはわからなかった。だって、わたしは、人間でもないし、魔族でもない。そう思ったら、橋渡しなんて、どうやればいいか、わからなくなってしまった。実はな、ゴドー。わたしが怪獣を倒すのは、立派な使命感とか、運命だといわれたからじゃない。ただ、何もできないわたしが、縋りたかっただけなんだ」


 俯いたエアの声が震えていた。


「でも、今は大丈夫だ。全部お前のおかげだ、ゴドー」


「それは、別に、偶然だから……それに、逃げていたのはおれも同じだ。町の人を、救えたかもしれないのに、何もしないで逃げたんだ」なんとなく恥ずかしくなって、ゴドーは思わず視線を外した。


「だけど、生き残ってくれたからこそ、怪獣と戦えるんだ。そうだろう。だから、ゴドーはすごい。でも、確かに、思ったよりは弱そうだった。転生者と聞いていたから、大分身構えていたのだが」


 急に馬鹿にされた気がして、ゴドーは心の置き場所がわからなくなった。


「お前が怪獣に詳しかったり、それを倒すヒントを持っていたりしたのは、転生者だからだと思っていた。もしくは、予言の魔族のいう通り、そういう運命にあるから、とか。だけど、わかった。わたしはきっと、お前のことが好きなったんだ。これはきっと、すごいことだ」


「え?」


 ゴドーは思わず顔を上げた。だが、その視線の先には、すでに工房へ向かうエアの背中だけが映った。


「全部終わったら、もう一度映画やカメラについて教えてほしい。今度こそ、ちゃんとしたカメラを作るんだ。ちゃんとわたしに教えるんだ」


本当は、ここから先、エアにいう言葉があったのかもしれないが、この時のゴドーには、彼女の背中を見つめることしかできなかった。

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