第5話 土壌酵素破壊剤〈オムニエンザイムディスラプター〉
狭い工房には大量のガラス瓶や箱が散乱していた。実験の失敗作たち。そして、持ち込んだ物資の空き箱だった。ゴミばかりが増え、ゴドーの少ない貯金もいよいよ底をつきそうだった。
エアが魔術を実践し、道具に収める。それを実行し、失敗する。その繰り返しが二週間の間、ずっと続いていた。
道具はすべて、ゴドーが担当した。もとから精霊を閉じ込める瓶や箱は、『先生』からゴドーに受け継がれた仕事だったため、ガラスを操るのだけはエアよりもうまかった。
「わたしの術、どうやったらわたし以外が使えるんだ。そもそも、そういえば同じ魔族でもこの魔術、使ってる奴いなかったし……おろろろろ」
目下最大の問題はそれだった。エアの口の端時からは緑の液体が垂れている。〈オムニエンザイムディスラプター〉が完成しない一方で、ちょうど彼女の口から零れている液体、魔力急速回復栄養剤、通称ドデカドミームは幸いなことにすぐに完成した。もとから先生が研究していた精霊魔術の一部であった故、エアの知識を足せば簡単にできてしまった。
あれほど呼び出した精霊を罠にかけ、すり潰して薬剤に変えることを嫌がっていたエアも、今ではそれをがぶがぶ愛飲している。もっとおいしく飲めるよう、砂糖をドバドバ入れることにも躊躇いがない。
「やめなよ。体に悪いから」
ゴドーは机の上のドデカドミームを取り上げた。しかし、エアの手が素早くそれを制す。
「駄目だ。それがないと何も思いつけん」
「確かにドデカドミームは魔力を即充填するけど、大量に摂取するのはよくない。おれは、エアにそういう顔をさせるためにこれを作ったわけじゃない。精霊たちだって、お前を苦しめるためにすり潰されたわけじゃないはずだ」
「ややや」
エアは歯軋りしつつ、手を離した。一つ分かったのは、魔族にとっても人間にとっても、精霊は自然現象のマスコットキャラクターのようなもので、こういう擬人化した物言いは通りがいいということだった。ゴドー自身、小さな人型のノームを潰すのは気が引ける。
その一方、それでも結局、精霊は勝手に地面から現れて消えていく、姿形の明確な自然現象であるという認識が、魔族と人間の両方にあることがわかった。実際、魔術師の間でも、あれは生き物や物体を象った魔力の流れと解釈されている。あれに命はない。そう振舞っているように見えるだけなのだと。エアもまた同じ意見だった。
「今日はもう寝よう」
ゴドーはそそくさと工房奥の物置部屋に足を向ける。今ではそこがゴドーの部屋だ。メインとなる工房そのものには、椅子とクッションで作ったエアのベッドが鎮座し、事実上、彼女の部屋になっている。
「……待ってくれ」
ゴドーの背中に、エアは声をかけた。
「どうした?」
「眠れない」
「ドデカドミームの飲みすぎだ」ゴドーは肩を竦めた。
「なあ。もっと、お前の、前の世界を教えてくれないか。そうしたら、眠れる気がする」
「……わかった」
そういって、彼女は体を横にするように促す。案外あっさりとエアはそれに従った。ゴドーはその枕元にローテーブルを寄せてその上に座り込む。
「何の話をすればいい」
「映画の話を聞きたい。お前の前の世界というのは、どうも、この人間の国の話とは違うようだし」
意外だった。また、魔術や精霊の話でもすればいいのかと思っていた。
「映画というのは、演劇と同じようなものだ。だが、役者はいなくていい。ただ、役者が演じている姿を記録するんだ」
「どんなふうに?」
「動画、っていってもわからないよな」
ゴドーは言葉に詰まった。映画の仕組み、動画がどうやって動いているかを教えるのは骨が折れる。
「例えば、今朝、エアがガラス瓶を割ったのを思い出してくれないか」
「手が滑っただけだ。悪いとは思っている」
不貞腐れたように彼女は言った。
「それはもういい。そのときのガラスが飛び散ったか、その動きが思い出せるか?」
「わたしの目は人間よりも遥かに優秀だ。もちろん全部覚えている」
「その様子を、みんなで見る方法があるんだ。ただし、エアの目じゃなくて、カメラって道具が見る必要があるけど」
「道具が見たものを、道具以外の者も見ることができるのか?」
エアの言葉に不信が見える。映像、動画という言葉を使わずに映画を説明するのは骨が折れる申し訳ないと思いつつ、ゴドーは説明を続ける。
「そうだ。カメラが見たものは、フィルムというものに保存される。それを映写機という機械を使って、白い幕とか、白い壁とかに映し出すことができる。鏡に自分が写るみたいな感じで。動く絵、って言ったらわかるか?」
「そんなことができるのか。うーん、どうだろう、わかったような、わからないような」
眠る前だというのに、エアは難しい顔をしている。
「不思議だ、それくらいなら魔術でできるか? うん? だが、わたしの記憶を他人に見せる魔術なんて、それはいったいどうやったら? そもそも動画ってどういうことだ、フィルムとはどんな魔術だ」
「魔術はいらない。おれの前の世界では、科学でそれができたんだ。でも、技術的なことはさっぱりわからなくて……動画については、そのうちパラパラ漫画でも作って説明するよ」
「パラパラ……?」
「動く絵を描く」
「そういう魔術か? いや、違う。魔術ではないのだったな」
「そう。魔術なしで」
「わからん。想像がつかん。お前達人間はずっと、魔力が大してない癖に、魔術なんてものを使って魔物の真似をしてきた。なのに、今度は魔術なしか。人間はまだまだ分からない」エアは不満そうだった。
「それは、この世界ではないからな。おれの前世では魔術も魔物もいないからな」
「そうなのか? 怪獣はいるのに?」
「怪獣もいない」
突拍子もない解釈に、ゴドーは思わず笑って答えた。
「わからんことが増えた。じゃあなんで怪獣のことを知っている……ああ、そうか、お前が転生者だからか。転生者は、不可思議で、時に理不尽らしいからな。知らないことも知っているのだろう」
エアの解釈は全部間違っているが、ゴドーは訂正しないことにした。もう面倒になったからだ。
「怪獣も、魔術も、魔物もいない世界か……」
「魔術がないから、エアにはつまらないだろうな」
「え?」ゴドーの言葉に、エアは目を丸くした。
「エアは、魔術が好きなんだろ。魔族でも、魔術を使うやつがいるとは聞いているが、もしもエアみたいに自在に使うやつがたくさんいたら、人間はとうに滅びていたかもしれない。つまり、エアは魔族とは違って、魔術が好きってことだろう」
それは、純粋なゴドーの感想だった。人間は経験則で薬品や呪文、自然にあふれる魔力の流れを読み、そして自身の意識や道具で〈流れ〉の魔力を制御して魔術を使う。その〈流れ〉や魔力の状況把握に優れた魔族が理屈と理論で整理された魔術を行使すれば、あっという間に人間は滅びていただろう。エアを見てそう感じていた。ところが、結局、魔族たちはどんなに流れを見ることができても、自分たちが元々使える、せいぜい二種程度の魔力の行使しかしないからだ。
「それは……考えたことがなかった」
エア自身、その言葉に驚きが混じっている。
「確かに、そうか。魔術は面倒だが、遥かに色んなことができて、楽しい……」噛み締めるように彼女は言った。
「多分、エアが、親代わりの人間のことを恩人と呼ぶのは、そういうこともあるんじゃないか。エアが好きな魔術を教えてくれた、大切な人なんだろう。だから、お返しに、二人の願いだってかなえ叶えてあげたいって思ってるんじゃないか」
「そっか。そうなのかもしれない、な……」
急に大人しくなったエアに対して、ゴドーは反応に困った。このまま寝るんじゃないかと期待していたが、彼女はふと問いをゴドーへ掛けた。
「ゴドーは、特撮映画が好きなんだろう」
「それは、まあ、そうだけど」特撮映画も好きだし、高校生になってからはほかの映画だってよく見た。もう少し長生きしていれば、もっとたくさん映画を見ていただろう。
「そして、わたしは、魔術が好き、そうか、そうだったんだ」
それきり、エアは何も言わず、しばらくして、ただ静かに寝息だけを立て始めた。
あれから一週間。ゴドー・トジオは、この異世界で初めての映画監督になった。
「いいか、わたしは今から、このラジュードの欠片に試製魔術式〈オムニエンザイムディスラプター〉を使う」
ラジュードの汚染のおかげで砂地化した平野の真ん中で、エアは声を張った。
「わかってる。こっちの準備も万端だ」
返事をするゴドーは、彼女から二十メートルほど離れたところで、三脚に固定したカメラを構えていた。といっても、それはカメラというにはあまりにも異形だった。
レンズの代わりに、エアが持ってきた大きな一つ目が特徴の精霊が箱の中に埋め込まれている。そのほか、幻覚を引き起こす精霊やドデカドミームなどもたっぷり詰まっている。
エアが用意した魔術式〈オムニエンザイムディスラプター〉の作り方は、映画の撮影にヒントを得ていた。
『わたしが魔術を使わなくても、使ったと幻覚で思わせればいい。膨大な魔力があれば、それだけで記憶操作の魔術は発動できるはずだ。だから、映画のようにカメラでわたしが魔術を使う姿を撮影し、ラジュード本体にもそれを強引に見せればいいんだ。それが連鎖すれば、ラジュードは無害だったころの記憶を取り戻せるはず。ちょうどいい精霊がいるから、探してこよう』
そうして、エアが製作したのが精霊組み込み式カメラだった。一つ目の精霊が見たものを、幻覚を見せる精霊に共有させて、幻覚を見せる精霊はそれを、接続した対象に見せることができる。珍しい精霊を使っている都合、リハーサルはなし。一発撮りだ。
故に、これからやることは、ケイヘン周辺で採取したラジュードの欠片にエアが記憶操作の魔術をかけ、無害な土くれに変化するところを撮影すること。そして、それを精霊組み込み式カメラを使って、本物のラジュードに注入して幻覚として見せる。必要な魔力はドデカドミームで補填すればいい。
「じゃあ、やるからな」
エアの声が固い。一応、緊張はしているようだ。
「数えるよ、四、三……」
二、一、は声を出さない。ただ、掲げた指の本数で示す。事前の打ち合わせ通りであり、なんとなく聞きかじった映画撮影のルールを採用した。ゴドーはカウントダウンに従い、箱から飛び出た精霊につながる〈触覚〉に、自身の意識を流し込むイメージを込める。すると、カメラの目が、ゴドーの意識に同調した。目を閉じているのに、ゴドー眼前にははっきりと、カメラが見ている光景が広がっていた。
エアはカウントダウンに従い、自身の角の粉をラジュードの破片に振りかける。
そして、慎重に自分の呼気を吹き、もやもやと広がる粉塵を、長い爪でもってかき混ぜる。そして、ついにラジュード片へ爪を突き刺した。さらに、春の精霊を混ぜ込んだ特製のドデカドミームをじゃぶじゃぶと掛ける。すると、エアの爪を中心に、なんとラジュード片の上に緑の苔が生え始めたではないか。さらに、十秒と立たないうちに、苔がまだ生えていない場所はぼろぼろと崩れ、土くれに代わって砂の上で果てた。その上にもやや遅れて苔が宿り、周囲は砂地であるというのに瑞々しい青を保っていて、ついにラジュードの土くれのすべてを覆った。単子葉類の芽がぱかんと顔を出したとき、二人は小さな悲鳴を上げた。
「カット!」
ゴドーは絶叫した。続いて、エアはその手を振り上げた。
「ゴドー!」
嬉しそうに飛び跳ねる彼女へ、ゴドーは走り寄り、思わず抱きしめた。
「撮影は?」
「多分、うまくいった」
こうして、異世界初の映画、もとい動画は、半人半魔の怪女、エアが怪獣の体の一部を無害化するという、奇妙なものに決まった。
「とりあえず、見てみよう」
興奮気味にエアはそう言って、カメラから伸びた別の〈触覚〉に触れた。長さにして一分ほど。やがて眼を開けた彼女は、
「わたしが映っていた」
という、至極当たり前の感想を口にしたのである。彼女はまだ、自身が異世界初のシネマ女優になったことには気付いていないようだった。
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