第3話 特撮映画『化学怪獣ラジュード』
「と、トクサツエイガ……?」
「普通にカメラを回して撮影した映画じゃない。存在しないビルより大きな怪獣が建物を踏みつぶして歩いているように見かけたり、それがさも役者の前にいるように撮ったり、あるいは、実際には建物が爆発しているわけでもないのに、本当に爆発したように見せたりする、特別な撮影のことで……そもそも映画がわからないか。映画っていうのは、ざっくりいうと、芝居だ。演劇ってあるだろう。あれを、役者が目の前にいなくても、どこでも見れるようにする技術が別の世界ではあるんだ」
「や、や、やー、そうか。そうなのか……?」
すでにエアは目を回していた。
「『科学怪獣ラジュード』の監督は中屋修一氏。監督作品は二作目。もともとは太宝株式会社の営業出身で、直近ではアメリカ支社に出張していたところを急遽日本に戻らされ、メガホンをとった。
あらすじは、大阪湾から海坊主のような怪獣が現れることに端を発する。そのまま、怪獣は様々な公害を吸収して、恐竜のような見た目のラジュードに成長する。そして、次に東京に現れた怪獣は、散々街を破壊した後、国会議事堂の跡地で休眠状態に入る。その隙に、汚染物質を分解し無害なものに変換する五行博士の発明である〈オムニエンザイムディスラプター〉で、ラジュードは博士とともに消滅する。そういう内容だ」
「あの、置いて行かれているのですが……何の話でしょうか?」
「無理もない。背景知識が必要だからな」
「本当にそういう問題か? なあ?」
「『化学怪獣ラジュード』は、当時話題になっていた公害問題を取り上げつつ、カラー映画であることをより前面に打ち出そうと、ただの黒ではなく角度によっては赤や青、緑見える特殊な塗料を使った体色が、川に浮かぶ油や泡などを彷彿とさせ、観客たちに大いに衝撃を与えた。
さらに、そんな不気味な見た目の怪獣の口から放たれる白く美しい怪光線、光化学レーザーの派手さは、子供だけでなく大人にも評判だった。アメリカに行っていた影響で、海外展開も考慮された作風のおかげか、単発で終わるはずがシリーズ化されるなど、かなり人気を博した作品で、日本を代表する怪獣映画の一つになった」
「ややや、芝居は一度見たことがあるが……化学怪獣ラジュードは知らないし、あの、お前は何の話を……」
「それでいい。この世界にはないものだからな」
ゴドーは小さく息を吐いた。熱くなりすぎたと反省する。
「喋りすぎた。でも、忘れてはいけないことがある。映画の評判だ。続編すら作られるほど好評だったが、批判もすごかった。映画のオチはほとんど、先行していた怪獣映画と同じだったからだ。主人公の一人、五行博士が、土壌酵素破戒剤、通称〈オムニエンザイムディスラプター〉を使ってラジュードと共倒れする辺りなんか、完全に一緒だからな」
ゴドーは被りを振った。エアは首を傾げる。
「や、や、やー……全然わからん。何が駄目だったんだ? いや、駄目なところがあったのか? ん、待て、そうだ、共倒れと言ったか? 怪獣は死んだのか?」
エアは困惑気味に訊ねた。ゴドーは頷いた。
「そうだ。公害、つまり人間の環境汚染が原因で生まれた化学怪獣ラジュードは、五行博士が作った、汚染を分解し、無害なものに作り替えるバクテリアや特殊な薬品を混ぜた土壌酵素破戒剤、通称〈オムニエンザイムディスラプター〉で死んだんだ」
「おむ……? とりあえず、それで怪獣は死ぬのか?」
彼女の瞳に希望が宿った。
「ラジュードはもともとは変質した微生物だったし、それで全身を構成する、公害から生まれた特殊な汚染物質ラジュディウムが無害化されて、全身を維持できずにそのまま土に還った。だが、そのとき、〈オムニエンザイムディスラプター〉がいつの日か人間の手で新しい公害を生む可能性を恐れた五行博士は、わざと崩れたラジュードの土砂に紛れて死んでしまったんだ」
ずび。ゴドーは鼻をすすり、潤んだ眼を服の袖で拭った。
『化学怪獣ラジュード』は、最後に五行博士の尊い自己犠牲で幕を閉じる。
だが、映画の内容を知らないエアにとって、困惑は深まるばかりだった。何故泣いているのか、そう訊ねたくて仕方なかったが、もしも説明されても、理解できそうにないとも思った。故に、何も喋ることなく、黙って彼の顔を見ていた。頼むから、わかる言葉が彼の口から出てくるのを待つために。
「だから、あの怪獣、化学怪獣ラジュードは、〈オムニエンザイムディスラプター〉が作れれば倒せる」
「そ、そうか、そうだよな! ややや! わかった! じゃあ、作ろう。何をすればいい?」
エアは慌てて声を張った。期待していた言葉が出てきたからだ。
「作れないんだよ!」
それに対し、ゴドーは吼えた。
「そうなのか? だが、それは、お前が一人だからだろう? わたしはこう見えて、人間の魔術にも造詣が深い。もっと詳しく話してくれないか? そうだ。わたし達二人なら、きっとそのオム……なんとかかんとかというなにかが作れるはずだ!」
エアは興奮して立ち上がった。
「だって、わたし達は運命の……」
「駄目だ!」
ゴドーはそれに対抗するように立ち上がった。
「五行博士は、ずっと憂いていたんだ。人間は、どんなに世界を救う、素晴らしい発明だって、世界を破壊しかねない恐ろしいものに変えてしまうと」
「……?」
「ダイナマイトだって、本来は人々のために作られた道具だったのに、気づけば人殺しの道具になってしまった。鳥取砂丘すら緑に変えて、大気汚染を除去し、油の浮いた川からそれらを分解して魚の餌にできる夢の発明だって、人間の心の有り様で変わってしまうかもしれない。五行博士の親友、大和教授の名台詞『戦争で得た技術ですら、人を救う力変えることができるのも人間の強さだ。だから、未来に希望を持て』という言葉すら、結局博士は人間を信じられずに自殺を選んだんだ。おれは、この魔術が、やがて人を滅ぼすんじゃないかと思うと、作ることは、できない……」
「全然、全然、わからん……」
魔族は絶望を含んでそう呟いた。加えて、目の前で頭を抱え、椅子の上で小さく丸まった人間に、何と言ったらいいかわからなかった。
「あ、あのー、意味が分からないのですが……もう少しわかりやすく説明していただけませんか?」
エアは繊細なガラス細工に触れるかのようにそっとゴドーへ手を伸ばした。
「『化学怪獣ラジュード』は、先行している超人気怪獣映画シリーズのパクりとよく言われているし、実際そういう側面がかなり多いけど、五行博士の苦悩だけは、より深化して、かつ分かりやすく描かれている。そこは評価すべきだと思っている。実際、〈オムニエンザイムディスラプター〉があれば、世界の砂漠化や、もしかしたら放射能汚染だって修復できたかもしれないのに。だけど、それを覆すほど、博士の人間への疑念は深かったんだ。博士は人間への疑念を最後まで払拭できず、親友すら疑い、そんな自分自身すら恐ろしくなって、最後に自死を選んだんだ」
「あ、はい。すみません」
一切の納得はなかったが、反射的にエアはゴドーへ謝った。そして、ゴドーの隣にぺたんと座り込んだ。ゴドーの背中にごりり、と彼女の角がぶつかる。
「……なんのつもりだ。とにかく、おれには、〈オムニエンザイムディスラプター〉は作れない」
「わからないことだらけだ。でも、一つだけわかったことはある」
落ち着いた、優しい声色でエアは言った。何事かと、ゴドーの背筋がぞくりと震えた。
「お前は、『化学怪獣ラジュード』が大好きなのだな」
「え?」
魔族はばさり、と腕を広げ、ゴドーの背中に手を回し、彼の頭に手を添えた。
「わたしには、お前が何を言っているかはさっぱりわからない。だが、お前がそれを大好きなのはわかった。あれだけ長く語っておいて、嫌いだとは言わないだろう? それ故、怪獣を殺すことができないのも、わかった」
「な、何を言ってるんだ、お前は」
彼の顔は見ず、彼女はふと顔を上げ、周囲を見回した。さほどの広くないこの工房は、壁面に精霊を納めた瓶や魔術について記述された本で埋め尽くされている。だが、その中の一角に、子供にちょうどいいであろう小さなテーブルや椅子が放られているのを確認した。それが、この工房にいたのが、『先生』たった一人だったのではないことを告げている。ここには確かに、恩人と一人の子供の生活があったのだ。
「……お前に恩人がいたように、わたしにも恩人がいた」
「恩人?」
エアの言葉に、ゴドーは思わず首を傾げた。魔族の生態はあまり知られていないが、親子関係などはほとんど見られない。そもそも、魔族は魔王だけが持つ『支配する魔術』によっていつでも自在に体や意識を奪われてしまう。ゆえに、相互扶助などを目的とした『社会』という構造は持たない、とされている。
「そうだ。その恩人とは、人間だ」
「え?」
突然の言葉に、ゴドーは思わず彼女へ向いた。彼女の顔に、表情は見られない。ただ、採光用の窓から漏れた月明かりが、彼女の白い肌を青白く塗っていた。エアは、ぼそりと呟くように続ける。
「わたしは、魔物と人間のハーフだ」
「ありえない! 魔物と人間の間に子供は……」
「作れる。方法と、試行回数の問題だ。拉致した人間と魔物に強力な催眠魔術を、術者ですら頭がおかしくなりそうになるほどの回数、何百、何千と、数ヶ月、数年の間、たっぷり時間をかけて行えば、例え異種族でも交配することが稀にある。ついでに、双方に複雑な術や調合を施した薬物や魔術を徹底的に施す。それらがうまく重なって、さらに稀なケースで、子供ができる。数億回に一つの奇跡だ。それでも、ほとんどが生まれてすぐに死ぬんだが」
「まさか、魔界でそんなことが行われているのか……?」ゴドーは思わず口を押えた。それでは、今でも魔界では、魔物と人間の交配を延々と試行しているということか。あまりも悍ましい。ゴドーは思わず身震いした。
「結果として、まず、両親は死んだ。どっちが魔族で人間かは知らない。父親は交配後すぐに発狂して死に、母親は出産後即死と聞いている」
エアの手が震えていることにゴドーは気付いた。つい、もういいと、そう声をかけようとしたが、それより先にエアは続けた。
「その後、わたしには人間の両親が与えられた。といっても、一度も親と思ったことはないし、それは向こうも同じだ。ただ、人間の言語や風習をわたしに学習させるために必要だった。それから、人間の魔術もたくさん教えてもらったな。その二人が、わたしの恩人だ。それに、二人にも、目的があった」
「目的?」
「そうだ。本来なら、わたしに人間としての教育を施し、人間としての帰属意識を持たせることに成功し次第、わたしは魔族や魔物の支配域、魔界に潜り込まされて、魔王の暗殺をするのが仕事だった。魔王暗殺用の自律行動型特式殺戮魔術兵器、それがわたしの、最初の名前だった」
「え?」
その言葉に、ゴドーは自分の意識との差を覚えた。今、魔王暗殺といったか……?
「でも、二人はわたしに言ったのだ。人間と魔族の懸け橋になってほしい、と。そのために、二人はわたしに人間を教え、さらに、魔界に引き渡した。今度は、一般的な魔族社会を学ばせるためだ」
「待て、魔王を暗殺とか、魔界に引き渡すって……」
「ああ、魔族と人間の交配実験を行っているのは、お前達人間だ」
ゴドーは絶句した。すっかり、そんな悍ましい実験をしているのは、魔族だと思っていた。
「わたしは、今度は魔界で魔族について学び、両方の知見を得た。その過程で、わたしには魔王の支配に対して高い抵抗があることが分かった」
「魔王の絶対支配が、効かないのか?」
ゴドーの言葉に、エアは頷いた。
「そうだ。ちょっと体が重くなったり頭が痛くなるが、その程度だ。だからだろうな。最後には、魔族からもわたしは不要になった。だから、暗殺部隊が送り込まれた。そんなときに助けてくれたのが、やっぱり恩人達だ。ずっとわたしのことを見張っていた彼らは、命と引き換えにわたしを救った」
「……」
「二度、だ。人間に利用され、いずれ使い捨てられるわたしと、魔界にも迎えられず殺されそうになったわたし。彼ら恩人は二度もわたしを助けてくれた。その後、予言を得意とする魔族が現れ、わたし達の運命を教えていなくなった。その言葉を信じ、お前のところに来た」
「そんな、滅茶苦茶な……」
ゴドーはなんと声をかけるべきか、まるで思いつかなかった。
「お前が、さっき、何を言ったのかはわからない。何を恐れているのかもわからない。だが、わたしは、きっとこの世界でたった独りの、どうしようもない、誰の利にもならない怪物だ。でも、そのわたしが、わたしを恐れないのは、わたしが魔族と人間の橋渡しをする存在になると決めたからだ。それが、恩人との約束だ。だが、言われて決めたわけじゃない。悍ましい実験の末、暗殺の道具として生まれ、魔族にも生きていることを望まれないわたしが、それでもそうしたいと思った、それだけだ」
魔族は、人間の顔を覗き込んだ。青い相貌が、まっすぐ彼の中を見た。
「お前もわたしも、道具ではない。何かを恐れているなら、決めればいい。恐れていることを、絶対に起こさないと、お前が決めればいい。だが、お前が怖がって、何かをしないだけで、この世界は、今、どうなっている」
人間は現在、グレイフォートレスを中心に周囲約百キロメートルを封鎖している。それにともない、周辺の人々は強制的に別の地域に疎開させられ、そこでのトラブルも絶えない。それだけでなく、雨風でグレイフォートレスから流出した汚染は、そこを中心に半径百キロメートルを超え、二百キロメートル先でも僅かながらに影響を与えているという。怪獣は、そこから出ていかなくても、人間の世界に悪影響を放出し続けている。
「――怪獣は、本当に倒せないのか」
エアはもう一度訊ねた。
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