20話 夏代燎と、二か月の集大成

 ほたるとの夜の旅を終え、同じ分だけ自転車を漕いで自宅へ帰ってきた燎。

 決意と共に戻った燎のしたことは──まず、睡眠を取ること。


 高校生が寝るにしては随分と早い時間だったが、そうした理由は二つ。

 一つは単純に疲れていたこと。そしてもう一つが……これからやることは、可能な限り気持ちを切らさずぶっ続けてやってしまいたかったから。ここ一月半の経験で得た『自分の筆が一番乗る』パフォーマンスで取り掛かりたかったからだ。


 そうして、翌日。土曜日の早朝。

 日が昇るのとほぼ同時レベル。過去に類を見ない早起きをした燎は、最低限の朝食を終えたのち──即座に、机に向かって告げる。


「…………やるか」


 さぁ、ここから。

 燎の人生最大の挑戦、さまざまなことがあった、二ヶ月期限の集大成。

 ──天瀬ほたるのアバター制作の、開始だ。




『まずは、テーマを決めなさい』


 タブレットを立ち上げ、必要な資料を段ボールの底から引っ張り出し、全ての用意を完了させ。

 最初に燎が思い出すのは、師匠である蒼の言葉。

 キャラデザインの基礎の基礎、ゼロからキャラクターを作るまでの過程だ。


『作ろうとするものが、どんな存在なのか──それを一言で、場合によっては一単語で端的に表すもの。まずはそれを決めないことには、あらゆる創作は始まらない』


 ……今までは、まずそこで躓いていた。

 ほたるを表現するに相応しいテーマ、彼女に満足してもらえる、ぴったりと嵌まるような言葉。それが、本当に思い付かず。ずっと行き詰まっていた。


 でも──今は違う。

 あの旅を経て、一つ。自分の中で、ほたると言えばこうだと思えるような言葉が一つ、見つかっている。

 だから後は、それを元に組み上げていくのだ。


『テーマを決めたら、そこからの掘り下げよ。テーマに内包されている様々な概念……例えばりんごだとしたら赤い、甘い、瑞々しい、とかその辺りね。そのどの部分を強調したいのか、どの部分を表現したいものとリンクして伝えたいのかを掘り下げる』


 それも迷う必要はない。ほたるの何事にも挑戦する姿勢、誰よりも可能性を信じて突き進む眩しさ、困難を目の前にして、苦しみながらも立ち上がる強さ。

 そういう要素を、見ているだけで元気をもらえるような雰囲気を、このテーマを通じて彼女のアバターに込めて伝えたい。


『そこまで決まって、ようやく制作に取り掛かれる──得てきた知識や技術が役に立つフェイズよ。次は素材集め、今決めた表現したいものを伝える上で……どういう素材が、どういうモチーフが相応しいか。あなたの最終目標であるキャラデザインなら、どういう服装にするか、どういう髪型にするか、どう小物を付けるか、色合いをどうするか辺りね』

『……』

『それで、これは私のやり方だけれど……まずは、テーマや伝えたいことから思いついたものをとにかくいっぱいばーっと描き出してしまいなさい。一気に出した方が連鎖的にアイデアもたくさん出るものよ』

 

 そのアドバイスに従い、燎もとにかくアイデアを描き出す。資料を片っ端からひっくり返して、テーマを表現するのに相応しい服装や小物、色や髪型のアイデア、彼女に似合うと思うもの、素敵な合う表現ができると思うモチーフをひたすら上げていく。

 これが似合うんじゃないか、これもいい。これとこれを組み合わせたら特徴的で素晴らしいものになるのでは──と、一瞬でも『良い』と思ったものをとにかく挙げる。


 たっぷり数時間、一旦は出し切ったと思えるほどにアイデアを連ねたら。


『アイデアを出し終えたなら、そこからが──』

「……さあ、ここからが」


 記憶の蒼は不敵で楽しそうな笑みで、同時に今の燎も苦笑の中に挑戦の色を滲ませて。


 告げる。すなわち──ここからが地獄の始まりだ、と。




 そこから、更に数時間後。


「…………しんっっっっっど!!」


 考え続けて大分回らなくなった頭で、一旦ベッドに突っ伏して。

 若干やけくそ気味に、燎はそう吐き出した。


 アイデアを出し終えた後の作業。それはもう、実制作以外にはあり得ない。

 ひたすら、組み合わせるのだ。考えた色遣いや服装、小物。それらを組み合わせ──これだ、と一番に思えるものをひたすらに探る。テーマに、伝えたいことにぴったりくるかどうかの試行錯誤を繰り返すのだ。


 それがまぁ、しんどいのなんの。

 まさしく、暗闇の迷路を一生彷徨っているような感覚。出口はない──と言うより、自分の中で『ここが出口だ!』と確信したところの壁を壊さないといけないのだが……それが現状見つかる気がしない。


『──それが生みの苦しみだよ』


 雪哉の言葉が、蘇る。……その通りだ、と思う。

 正解のないものを追い求める。これまで生きてきて経験のなかったそれが、こんなに苦しいものだったとは思っていなかった。

 改めて──雪哉や蒼、早くから創作に向き合っている人間は、やはり遥か先を行っているのだと痛感させられる。


 ……追いつけるのだろうか。

 ああいう人たちみたいに、ちゃんと前を向いてこれに向き合い、戦えるような格好良い人に、なれるのだろうか。


 覚悟は、決めたつもりだった。

 でもやっぱり、こういう壁を実感すると。どうしても過去の自分が顔を出し、どうしようもないんじゃないかという情けない考えが自らを苛んで──


 ──そこで、ぽこん、と。

 燎のスマホが音を鳴らす。見ると、メッセージアプリでフレンドからの新着が。

 開いてみると、差出人はほたる。メッセージ欄の新着には、ただ一言。


『大丈夫?』


 と、書かれていた。


「…………はは」


 思わず、笑ってしまった。その気持ちのまま、メッセージを打ち返す。


『え、何エスパー? 今ちょうどめっちゃ行き詰まってたところだったんだけど』

『実はそうなんだよね。燎の内心のわたしへのラブコールも全部受け取ってるから』

『良かったエスパーじゃなかった』


 いつものやり取りである。けれどそこから、一拍置いてもう一度。


『……ほんとに、大丈夫?』


 字面からでも分かる、本当に心配しているんだろうと察せられるメッセージ。

 それを見てしまえば……やることは、決まっている。

 少し悩んで、最後にこちらも一言。


『大丈夫にする。今から』


 それだけを送って、スマホを置き。

 よし、と呟いて勢いよくベッドから起き上がり──再び、机に向かうのだった。




 そこから、最低限の寝食以外はずっと机にかじりついて。

 考えた。ただひたすらに、考えて考えて考えた。


 そこだけを書くと、やっていることは先週までと同じように思えるかもしれない。

 でも、先週までとは決定的に違う。今回は──何を考えればいいのか、考えるべきことはちゃんとはっきりしているということだ。

 そう。考えるべきことが、今は本当にたくさんある。


 例えば、色。

 色にも、例外なく付随するイメージがある。例えば赤は情熱、青は理知といったような。多くの人が直感するそれを体系化して、『どの色が一般的にどんなイメージを持っているか』の知識を仕入れた上で、何が似合うかを考えなければならない。


 例えば、小物とシルエット。

 小物は多く採用したい。けれど採用しすぎても良くないから慎重に吟味する必要があるし──その小物を配置する場所も問題だ。何が彼女を彩るに相応しいのか、それをどこにつけるのかも考える必要がある。


 それ以外にも、例えば服装。例えば髪型。例えば顔立ち。

 各々の持つ情報、与えるイメージ。それら全てをしっかりと考慮するならば、『考える』量はあまりにも膨大になる。

 それらの情報を組み合わせ、取捨選択し、吟味して合わせて見て考えて──ひたすらに、納得できるまでそれを繰り返すのだ。


 それは──紛れもなく、生みの苦しみと形容するに相応しいもので。


「いやーほんと……辛い、苦しい、しんどい──」


 その、全てを今まさに実感しつつ。

 燎は、空中を見上げ、呟く。


「──最高」


 それは、強がりかもしれない。自らを鼓舞するためのものなのかもしれない。

 でも、きっと確かに……それは、あった。


 そう。出したアイデアや、色や服装。その全てにはイメージがあって、それを採用する意味があって──



 ──その全てで自由に・・・・・・・・好きに遊んで・・・・・・良いのだ・・・・



 そう考えると、目の前が少しだけ光を放つ。

 その中で、惹かれるもの。自分が好きだと思えるものを組み合わせて、しっくりくると思えるものを少しずつ積み上げていく。


 多分、そう思えるのは……明確なテーマを決めたからだ。

 テーマが、表現したいものが見つかったから。そのために鍛え上げてきたステータスを存分に振るえる、好きなだけ技を使える。

 自分で決めたゴールに向かって、自分の思う道で試行錯誤しながら、一番良いと思うもの、一番素敵だと思うものを組み上げていく。


「……なんだ」


 それが、創作活動で。それは、紛れもなく。


「超、楽しいじゃん」


 本心からの言葉が、溢れて。そのことがいっそう、燎を深く集中させる。


 色合いはどうしようか。やはり彼女のイメージから順当に考えると暖色系だが、ただ赤だと強い、きつめの印象を与えすぎてしまうかもしれない。

 であればもう少し黄色系統も混ぜて──グラデーションを使うのもアリだろうか。この色とこの色を組み合わせると、よりほたるっぽくなる気がする。


 小物の多さと動きやすさ。両立させるために──小物は腰回りに集中させ、その代わりに脚のラインはある程度スッキリさせよう。それで動けそうな印象、活発的な印象、好奇心旺盛な印象を強く与えられる。うん、これは良さそうだ。


 一つずつ、少しずつ。

 丁寧に丁寧に、自分の持てる全てを尽くして『ほたる』を作り上げていく。


 思いつかない時もある。思った良さを引き出せないこともある。

 それは描けば描くほど痛感する自分の実力不足で……でも、今はそれを飲み込んで。


 今の自分の全部を、目の前の一枚に懸けるんだと気合を入れて。

 全てを燃やして、『今』に捧げる──全力で生きている実感を、楽しんで。


 ひたすらに考えて描いて、考えて描いて、試行錯誤と全身全霊、その果てに。




「…………、できた」


 日曜の夕方、日が沈む寸前。

 完成した──アイデア出しから制作、調整、色直しとトリミング。

 全部済ませた目の前の、一人の少女のアバターを見て。

 呆然と、燎は呟く。


 これが良いデザインなのか、素敵なデザインなのか。

 もう今の自分には分からない。そんなことを判断できる客観的な視点は、ここ二日の制作でとうに弾け飛んでしまった。

 ただ今は、ふわふわとした不思議な感覚だけがある。


 だからとりあえず、やるべきことを。メッセージアプリの、ほたるの欄を開き。


『描けた』


 言うべきことだけを、簡潔に伝える。


『明日の朝、見せる』


 それを送信した後は、最早返信を見る余力もなく。

 丸二日フルスロットルで回し続けた脳内が命じるままにベッドに突っ伏し、泥のように眠るのだった。 

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