17話 日が沈む前に、今日は小さな大冒険を。

 ──一回くらいは、自分にも振り回されてくれ。

 そんな提案をほたるにした十数分後、燎は学校入り口にて。



 ほたると共に、自転車に乗っていた。



「…………なんで?」

「それに関してはさっき説明したでしょ!」


 いや、確かに相当突飛な提案であった自覚はある。


 なのでそれも踏まえて、もう一度。

 落ち着いた、過去を振り返る声で、燎はこの提案の経緯を話す。


「……えっと、俺もさ。……昔は、どこにだって行けるし、なんだってできる。そう信じてた頃が、確かにあった」

「……うん」

「そんで、そう信じなくなった最初の出来事ってのが、俺の中でははっきり覚えてて……それが昔、親に初めて自転車を買ってもらった時だった」


 世界が一気に広がった感覚と共に、幼くも不思議な万能感を抱いた。

 なんだってできる。どこにだって行ける。それこそ、世界の果てまでだって。

 きっと記憶に焼きついた理由の一つは、その万能感を覚えていたからだろう。

 ……そして、もう一つが。


「でも、そんなわけがなかった」

「……」

「日が沈むまで全力で乗り回しても、果てなんて全然見えなくて。息切れするくらい走ったのに道はまだまだ続いてた。それでその時に居た、だだっぴろい平地が怖いくらい夕日で真っ赤に染まってるのを見て……思っちゃったんだよ。ああ、自分は、思った以上にちっぽけな奴なんだ。どこにもは、行けないんだって」


 それが、初めての挫折の記憶。

 そこから、徒競走で誰かに負けたり、テストでどれだけ頑張っても百点が取れなくなったり。そんな小さな挫折と諦念を積み重ねる、契機になった始まりの記憶で。

 

「──だから、今。それを否定したい」


 その上で、覚悟とともに。燎は告げる。


「そのために、今ここであの日の続きを走るんだ。俺の初めての挫折を今否定する、行けるって証明する──今から・・・自転車で・・・・日が・・沈む・・までに・・・本当に・・・世界の・・・果てまで・・・・行っ・・てやる・・・。……今、そうしたいんだ」


 ……多分、再び聞いても厳密に全てを理解できたわけではないのだろう。

 それでも、一番大事な部分は伝わったのだろう。それが分かる口調で、ほたるが返す。


「……なんとなく、分かるよ。それが燎にとって大事な、過去の自分を超える……今から変わるための儀式のようなもので、今の君に必要なことなんだって」

「……理解してくれて助かるよ」

「うん、その上でやっぱ聞きたいんだけど」


 けれど、そこでほたるがなんというか愉快寄りの真面目な口調に戻り。


 ここで改めて、現在の二人の様子を再確認しよう。

 燎が、ほたると共に、自転車に乗っている。

 ……ほたると、共に。燎一人の自転車に・・・・・・・・

 まぁ、つまりは。



「……なんで二人乗りになっているのだ……?」

「それに関しては俺も想定外なんだよほんとに! あとなにその口調!」



 若干の気まずさと照れが入ったらしい謎の口調で。

 荷台にちょこんと腰掛けつつほたるが呟き、燎が大声を返した。


「いや、俺も最初は天瀬にも天瀬の自転車に乗ってもらう予定だったよ!? でも今日自転車で学校に来てないって言うじゃん! 取りに行くにも時間足りないし!」


 だとすれば日を改めるか、そもそも燎のけじめのための儀式なのだから無理にほたるを付き合わせる必要はない、という判断になるのだが。

 言わせてもらおう。──んな冷静な判断ができるんだったらそもそもこんなことやってねぇよ、と。


 きっと、今でなければダメなのだ。今この瞬間に、この熱を持ったまま、燎はこれをしないといけないのだ。それで、


「やっぱ──天瀬にも付き合ってほしいんですよ! 今この瞬間の、俺の挑戦にさ!」


 尋常ではなくこっ恥ずかしいことを言っている自覚はある。

 ……多分、ほたるをこれに付き合わせる理由に関しては、探せばいくつかはちゃんとあるだろう。

 でも、どれも明確な決め手には欠けるもので──だからもう、究極的には『なんとなくそうしたい』でしかない。それは、隠しても意味がない。

 だから、後はもう勢いだ。


「それに天瀬よ、聞いてくれ」

「なんでしょう燎くん」

「あんた、諸事情で青春っぽいイベントに尋常じゃなく憧れてるんだよな?」


 初対面前にも、いつかのお出かけの際にも言っていたことだ。

 それを踏まえて、今の状況を見てみると。

 ──そう。自転車。男女。二人乗り。


「喜べ。ハイパー青春イベントど真ん中だ」

「なんかそう言われると嫌だなぁ!」

「まぁそういう反応になるだろうとは思ったけど!」


 しかし困った、本当に究極的にはなんとなくなので、燎にこれ以上の説得材料はない。

 どうしたものか、と思っていると……


「──あははっ」


 それまで、困惑気味だったほたるが。

 燎の様子を見てか、それ以外の要因か。突如、こぼれるように笑う。


 ……感覚だが、そこまで嫌な雰囲気は感じない。どこか吹っ切れたような笑いだった。

 そのまま彼女は、なんとも愛らしくも揶揄う気満々の上目遣いを向けてきて。


「……もー、しょーがないなあ。そんなに君はわたしと二人乗りしたいのー? んー?」

「それも言うと思ったけど! 思ったけどウザい! やばい反射的に振り落としたくなる!」

「そーんなにほたるさんと青春イベントがしたいって言うならしょーがないかなー、わたしはどっちでもいいんだけどそこまで熱心に頼むなら付き合ってあげてもいいかなー!」


 うん、なんだろう。どうやら調子が戻ってきたようである。

 

「……うん、そだね」


 そう思っていると、ほたるも続けてどこか穏やかな、そして期待を持った声色で。


「これまでたくさん振り回しちゃったんだから、ここで付き合わないのも違うよね。それに──確かに君の言う通り、これも最高に青春じゃん」


 背中を預け、手を広げ、楽しそうに告げる。


「放課後、自転車! 夕日に向かって全力疾走して、全部を振り切るみたいにわけもなく真っ直ぐに、男の子と二人乗り! うん──」


 そこからくるりと振り向いて。心底楽しそうな、心から喜んでいる笑みで一言。


「──相手が君ってこと以外は完璧だねっ!」

「絶好調に戻ったようで何よりですよ!」

「舐めるな、今はせいぜいが平調だよ」

「マジかよ」


 ここまでばっちりオチを付けておいて平調なのか。いや、今までの彼女を見ていれば否定はできないのだが。


「ま、冗談はさておき」


 そんなやり取りから……ほたるは、笑って。


「いいよ、付き合わせてよ。君が、変わるための儀式。二人で日が沈むまで、行けるところまで走っていこう。それで……」


 荷台に乗り、再度しっかりと背中を預けて、囁くように告げる。


「……それまでに。話すこと、たくさん話そ?」

「……ああ」


 そうだ。ほたるに付き合ってほしい理由の一つは、間違いなくそれ。

 これまで話していなかったこと、話せなかったこと、話すべきこと。お互いそれが今はたくさんあると、お互いに理解しているから。


「それじゃ、行こうか。目的は世界の果て、期限は日が沈むまで──」

「──か、おまわりさんに見つかるまでだね」

「それは文句言えねぇな! 見つかったらちゃんと土下座します!」


 願わくばそうなってほしくはないが、なってしまえば仕方ない。いけないことなのだ。

 と、二人らしいどこか気の抜けたやり取りも挟みつつ。


 少し不思議な流れのまま、けれどきっと大切な思い出になる。

 二人の自転車の旅が、幕を開けた。




 ◆




 しばらくは、二人とも無言だった。


 ……勢いのまま飛び出したは良いもののこれ結構すごいことしてるのでは? という若干冷静になったが故の羞恥もあったことは否定しないが。

 それ以上に、考えていたのだ。この度で自分が、自分たちが何を話すべきか。


 人通りも減った街路を、初夏の夕方。涼しげな風に身を任せつつ、しばらくは流れる風景を見ながらペダルの音だけに集中する。そんな、穏やかでありながら不思議と不快ではない時間を燎とほたるは過ごす。

 彼女が言っていたように──ここまで、学校で色々あったからこそ。一時でもその全てを置き去りにするこの時間は、ある種の心地良さがあった。


 ……けれど、当然。そうしてばかりもいられない。

 そして最初に沈黙を破るべきは、やはりこんなことに誘った燎だろう。

 最初に言うことも、もう決まった。これ以外にはないだろうと確信して──「聞いてもらっていいか」の許可をとったのち、燎は静かに口を開く。


「……俺さ。この学校に来るまで……本当に何もやってこなかったんだ」


 それは、自分の過去。今日までに嫌と言うほど痛感させられ向き合わされた、自分の後悔。……誰かに話すことすら躊躇われるほどの、情けない弱さ。


「ただただ、無為に生きてた。何かに本気になることもなく、何に真剣になることもなく。『そういうのを探したいな』とか思いながら、とりあえずやってみたものは結局全部中途半端に辞めて……そんな自分が、心底嫌だった」

「……うん」


 ひょっとすると、ほたるにはなんとなく察せられていたかもしれない。初めて話した時にほたるに言った内容と、これまでの交流から。

 けれど、彼女は無言で聞いてくれて。それに促されるように、燎も続ける。


「だから、旭羽に来た。ここならそういうものを見つけられるんじゃないかって希望を持って入学して……そんで、すぐに絶望した。今思えば当然だ。たかが環境変えた程度で見つかったら苦労しない、そんな程度で見つけられる奴ならとっくの昔に見つけてんだ」


 その考えの浅さに、結局何もできない自分の情けなさに絶望して。


「それで──そんな時に、天瀬に声をかけてもらったんだ」


 改めて振り返ると、まぁほぼ初対面でやるようなやり取りではなかった。後半はほとんど喧嘩に発展したし、何をやっているのだあの時の自分は。

 けれど、その甲斐あってか。ほたるに背中を押してもらって、とにかくここから二ヶ月絵を本気で取り組んでみることに決めて。


「そこから……自分なりにがむしゃらにやってきたよ。正直自分でもできすぎなくらいだと思うし、運にも恵まれた。天瀬と話した翌日にとんとん拍子に絵を一番教えてほしい人に教えてもらえる約束も取り付けて、それからひたすら特訓して」


 その時は、楽しかった。

 やればやるほどどんどん自分の実力が上がっていく実感があったし、今までになく何かに取り組めている感覚も充実していた。

 このまま、きっとどこまでも。そんなことすら、考えていて。


「──で、今だ」


 そんな甘くはないってことを。

 ここ一週間で、さまざまな出来事で、当たり前のように突きつけられた。


「自分で最初から生み出すキャラクターデザイン、それが一向にできなかった。原因も分かってる、これまでの課題をこなせば良いものと違って、本当に何かを創作するには自分の中に積み上げたインプットが必要。……で、俺にはそれが無かった」

「……」

「なんもやってこなかったツケが回ってきたんだ。……そんなのどうしようもねぇ。過去は変えられないんだから、最初っから自分は何かを生み出せるような奴じゃなかったんだって、そう思って……白状するよ。さっき教室ではああ言ったけど……本当にその直前までは、『辞めよう』って。これ以上は無理だ、天瀬にも迷惑かけるからその前に自分から降りるべきだって、思って……」


 そこで……きゅっ、と。

 先刻、漫研部室で。蒼に引き止められた時と、似たような感覚。


 でも、その時より幾分か強い。

 自転車の後ろに乗ったほたるが、燎の制服の背中を掴んでいる感覚がする。

 まるで、『いかないで』と言っているような、彼女の無言のメッセージ。


 それに促されてかは分からない。

 けれど自然と……そう言えば、これまで明確に言葉にしてこなかった心が。


 迷惑をかけるからとか、実力不足だからとか。

 そんな他の理由や自分の能力からの妥当な判断、そういう余計なものを全部取っ払った──ただただ純粋な自分の意思、心のうちが、自然とこぼれ落ちる。



「辞めたくない」



 それが、心の底からの声だと。

 自分でも、言ってみて分かった。


「辞めたくない……本当は辞めたくねぇよ俺だって! ここ二週間──人生で初めて、何かをここまで本気で頑張れたんだ! それを手放したいわけ、ねぇんだ!!」


 叫んで、空を見る。眩しいくらいの、夕焼け空。

 ……あの幼い日と同じ空を、見る。


「今日までで嫌ってほど知ったさ! 自分がどうしようもなく足りないことも、過去のツケが無かったことにならないことも! 人生の全部を懸けられるほどのものだって未だ見つかっているとは言えない、この先も見つかるかは分かんねぇ、でも!」


 小さい頃から憧れた、眩しい人たち。

 あの人たちのように、この先の人生全部を懸けられる何か。それは見つけられているとは言えない、そこまで確信を持てるようなものなんて、見つかる気さえしていない。

 でも、それでも。



「それでも──この瞬間は・・・・・! 俺はこれに全部懸けてる、懸けたいんだよッ!!

 これまでの自分と同じはもう嫌なんだ。まだ、戦っていたいんだ!!」



 きっと、それが全てだ。

 そうだよ。自分だって、以前出かけた日にほたるが言ったように。

 恥ずかしいくらいに、今、生きているのだ。


 これを続けてもどうせ何もなれないとか、報われる可能性は低いとか。

 そんなことを考えて足を止めるのは……もう、うんざりで。

 今、この瞬間、自分がそうしたいと思った。自分の全てを注ぎ込みたいと思った。

 その情熱だけで──自分も、突っ走ってみたいのだ。


 じゃあ、どうする。

 辞めたくない。まだ、全てを懸けて戦っていたい。

 でも、そのために足りないものが多くある。これまで何もやってこなかった後悔が壁となって立ち塞がり、自分を苛んでいる。

 それは、取り返しのつかないもの。無かったことにできないもの。なら。


『──だからその上でどう乗り越えるのか。そう考えなさいよ!』


 先輩の言葉を思い出す。

 その上で考えて……これから聞くべきこと、やるべきことが、決まる。


「……悪かった。自分のこと好き勝手喋っちまって」

「ううん。わたしも聞きたかったし……君にとって、必要なことだったんでしょ」


 普段と違って、一切茶化さずそう返してくれるほたるに、燎も頷いてから。


「だから──今度は、あんたのことを聞かせてくれ」


 後ろで座る少女に、そう問いかける。


「……わたし?」

「ああ。……俺は、今の俺の中にあるものだけじゃ何かを生み出すには足りなさすぎる。それは今すぐ変えられるもんじゃねぇ、だから」


 足りないものが分かった。仕方ないものだとも分かった。

 その上でどうするのか。それに対する、燎の出した一つの解法。


天瀬の・・・分を・・貸してくれ・・・・・。天瀬が今日の自分に至るまで何をしてきたのか……何を思って、どんな経験をしてきたのか。そこを、聞かせてほしい」


 無論、今日までもある程度は聞いてきた。

 作ろうとしているのはほたるのアバターなのだから、そのために必要な情報。好きなものや好きな色、望む雰囲気等、所謂『アバターを作る上で普通は聞くだろうリクエスト』は一通りほたるにはしてきたつもりだ。


 でも──それは言葉を濁さず言ってしまえば表面的な情報でしかなくて。

 今までは、それしか聞いてこなかった。それが普通だと思っていたし、根掘り葉掘り聞くほどの関係ではなかった……つまりは燎の方から聞こうとしていなかったという理由もある。

 だが、きっとそれだけではない。燎の勘違いでなければ……


「話さなかったこと──天瀬が話そうとしていなかったこと、あるだろ?」


 ほたるの方からも、話そうとしていなかった。

 彼女が、意図的に語ることを避けていた内容が、ある。

 これまでの会話の違和感から、燎はそれを感じ取っていた。


「具体的に言うなら……そもそもどうしてVTuberを目指そうと思ったのかとか、あとは昔のこと、中学時代のこととかもほとんど言ってなかったよな。その辺りにあんたが……天瀬が今の天瀬になった理由がある、なら」

「……」

「……できれば、聞かせてほしい。俺が作る上で、多分今それが必要なんだ」


 かなり深いところを語れ、と言っている自覚はある。

 きっと本来なら親しい人間にしか語らない──どころか自分の中だけに秘めておいても仕方ないくらいの深い部分だろう。

 でも……それくらいじゃないと、現状何もない燎に代わるもの、分身を作るに足るようなものには届かなくて。だから、恥を偲んで問いかけた。

 話したくないことだってある。断られても仕方ない、そう思いながら待つが……


「うん、いいよ」


 ほたるは、思いの外あっさりとそう答えた。


「……いいのか?」

「それが君に必要なら迷っちゃだめでしょ。それに……実のところわたしも話したい、話さなきゃと思ってたことなんだ。君がそこまで自分を見せてくれたんだから、わたしもって。どうしても隠しておきたい、隠しておかなきゃいけないことってわけでもないし」


 だから、と続けて。


「うん、今度はわたしが問いかける番だ。……聞いてもらっても、いいかな?」

「……是非、頼む」


 迷う必要もなく頷いた燎に、ほたるも空を見上げて。

 しばしどこから話すか考えたのち……燎と同様ここからしかない、と決めたのだろう。


 ほたるは、懐かしさとほんの少しの寂寥を忍ばせた口調で。

 こう、切り出すのだった。



「実はね、わたし──中学校に、ほとんど行けてないんだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る