16話 『先輩』は、後輩がいないとなれないもの。

 辞めないで。


 ……これまで、誰にも言われなかった。

 初めて、まさかの蒼から出た、燎を引き止めるその言葉。

 それを聞いて──燎は。


「…………無理、ですよ」


 それでも。

 そう簡単に、覆せるようなものではないのだ。


「無理です、無理なんですよ。俺は……俺は今まで、何もやってこなかったんだ」


 昨日で突きつけられた自らの絶望を、ここで吐き出す。


「何にも本気になってこなかった、何一つ積み重ねてこなかった! 自分の内側から出てくるものが一つもない、空っぽのいてもいなくても良い奴で! そんな奴が自分で何かを生み出すなんて、最初っから無理な話だったんだ!!」


 どうしようもない、変えられない過去に起因する自らの欠陥を。


「他の人……先輩みたいに、昔からちゃんと頑張ってきて、今もちゃんと目の前の辛いことに向き合って──そういう強くて格好良い人には、俺はなれないんですよ!!」


 自分もできるかもしれない、と安易に思うこと自体が無知の証だった。

 自分もなれるかもしれない、と容易に空想すること自体が冒涜だった。


 それを、今日までの出来事で。徹底的にボコボコにされて理解させられた。

 だから……だから、自分には。

 そう言おうと、燎は顔を上げて──


「……そんなわけ、ないじゃない」

「──え」


 何故か。

 自分と同じくらいに悔しそうな顔をしている、蒼と目が合った。


「……いえ、そうね。私もそういう存在だと思ってもらうようにしてた……きっとそういう先輩に、なりたかったのよね」

「え……っと……せん、ぱい?」


 続けて、自嘲気味の表情と共にそんなことを言ってくる。

 予想外の反応が続いて困惑する燎に、蒼は一旦の落ち着きを見せて。


「ねぇ、夏代くん。……まずは私の話を、聞いてもらっても良いかしら」


 その雰囲気と、言葉を受け──不思議なほど素直に、燎は頷いていた。


「夏代くん、あなたには今までひたすらデッサンや水彩、絵柄を真似する修行をしてもらったわよね。何度も何度も描いて、その度に失敗したところや足りなかったところを私が容赦無く指摘して、それを全部改善点として次に取り組んで」

「え、ええ。……きつかったですけど、それが必要なんだから」

「あれ。……実は私、普通にすごいと思ってたのよ?」


 驚きの言葉が飛び出した。

 けれど、にわかには信じられず。


「いや……でも、当然なのでは。きつくても、それが成長の最短ルートなんだから、先輩だって当たり前に」

私は・・出来て・・・ないから・・・・


 続く言葉で、更なる衝撃を燎が襲う。

 続けて彼女は部室内を移動し、なんらかの資料を探しながら言葉を紡ぐ。


「ねぇ、あなたがここに来てから何度か一緒に作業したけれど……その時私は、一つのことしてしてなかったわよね」

「……はい。連載の次回作のためのアイデア出しやネーム作り……ですよね」

「そ。それで──これ」


 そこで、蒼は一つの段ボールを取り出した。

 中に入っていたのは……


「……原稿?」

「ええ。一年前から先々月まで──私が初めて連載した作品の全話原稿」


 驚く燎に、蒼は更に続けて。


「──今日初めて開いたわ」

「!」

「連載が終了してから、ずっとこれはこの場所で眠ってた。一度も開けたことはなく、ひたすら逃げるように次の構想ばかり考えてた……もう、分かるわよね」


 自嘲と、悔しさと不甲斐なさ。それを全て含んだ表情で、蒼は告げた。


「……見れてなかったのよ、ずっと。『打ち切り』っていう一つの明確な失敗の烙印を押されたもの……次に繋げるためには、成長するためには、真っ先に見て反省して、改善点を洗い出さなきゃならないそれから──私は、ずっと目を逸らしてたの」




「ほんのちょっとだけ、昔の話をしましょうか」


 続けて蒼が話したのは、彼女のこれまで。


「……まぁ、ある意味ではあなたの言う通り。私はすごく小さい頃から絵ばかり描いて過ごしてたわ。単純にそれが好きだったってのもあったし……早くからの努力がいかに重要かってことを知る機会も、それなりにあったから」

「……」

「で、それもあって頑張り続けた結果……中三の時に賞をもらって、そこから一気に運良くウェブ連載の流れまで乗れて」


 その辺りは、燎も彼女の成果として知っている。


「夢だった、漫画を多くの人に見てもらえる形で描くことが叶った。当然、全部を注ぎ込んだわ。今まで私の中で積み重ねてきたもの全てを原稿の中に叩き込んで、これ以上のものは作れないってくらい頭と手を回した最高傑作をこれでどうだって送り出して」


 それで。


「──で、ダメだった。打ち切られた、最速の一歩手前くらいしか保たなかった」

「ッ!」

「……怖かったのよ、その証を見直すのが。これまでの自分の人生全部つぎ込んだって言って良いほどのものが失敗だったって言われた、その事実自体と向き合うのが」

 

 今の燎なら、分かる。

 確かにそれは、きついと。自分だってできるかどうか分からない……きっと、できないだろうと。


「……分かったかしら? 私だってそんな程度の奴よ、後輩に偉そうに指導するくせして自分は後輩にできたことも頑張れない、あまつさえそれを隠して『強くて格好良い先輩』と見られることに喜んでその虚像を守ろうとする、しょーもない女ね我ながら」


 燎が見ていたものが幻なのだ、とまずは突きつけた上で──


「──だから、今。そんな私を変えるわ」


「──」


 その一言に、目を見開く燎を軽く見やってから。

 蒼は段ボールの中に手を突っ込み……一番奥の一番古い原稿を取り出して。

 目の前に広げ、並べた。


「……は。今見ると想像以上にへったくそね。まず絵がお粗末すぎるし、見せ場の演出も全然なってない。こんなんじゃ、読者の支持なんて得られなくて……っ、当然よ」


 そこから行うのは、紛れもない自分に対する容赦ない指摘と反省。

 早くも声が震え始める。けれど目は逸らさず、捲る手は止めず。


「ここもダメ、ここもなってない。こんなん描いて『きっと世界中の人に好きになってもらえる!』とかかなり真面目に考えてた去年の私なんなの? お花畑なのは苗字だけにしときなさいよバカ」


 言葉の内容とは裏腹に、表情は歪んで、何かを堪えるように歯を食いしばって。


「極め付けは、こんな打ち切られて当然のクオリティのもの描いといて、当たり前の周りの指摘から目ぇ逸らして出てくる言葉が『まだ負けてない』? ふざけんな──ッ」


 そうして……今までずっと目を背けていた、一番のその事実を、彼女は。



「──私は!! 負けたのよ!!」



 溢れ出る涙と共に、血を吐くように受け入れる。


「全然ダメだった、届かなかった! これ以上ないってくらい頑張ったのに、全部を注ぎ込んだ最高のもので挑戦したのに! こんなの人生丸ごと否定されたのと同じよ!」


 悔しさも、虚しさも、辛さも悲しさも切なさも、全部自分で抱くように。


「もっと……もっと描きたいことがたくさんあったのに! 拙いかもしれないけど私が全力で生み出したキャラクターたちで……みんなみんな、大好きだったのに! その子たちの可能性も全部、私の力が足りないせいで! だから、私が……ッ!!」


 きっともう、涙で滲んで原稿は見えていないだろう。

 それでも、目を逸らさず焼き付ける。自分の至らなさを、自分の未熟を。


 ……慰める、なんて安易なこと、到底できなかった。

 そんなもの、必要としていないと一目で分かったから。全ての感情を自分一人で飲み込んで糧にしようとする、どんなに辛くても絶対に手放そうとしていない。

 その姿を見て──誰が、今の彼女に干渉できるのだ。


 だから、静かに見守る。それ以外に、今の自分にできることなんてない。

 そうして、しばらく。彼女が感情を飲み下すまでの間待ったのち。

 落ち着いた彼女が、声をかけてくる。


「……聞いてくれるかしら、後輩」


 聞かれるまでもなく、頷いていた。


「まず、あなたの言葉を否定させてもらうわ。自分がいてもいなくてもいい奴なんて……そんなわけがないじゃない」


 そこで彼女は、最初の話に戻る。

 今の彼女を見せた上での、燎の言葉についてへと。


「少なくとも私は、あなたが居なかったらこんなに早くこれと向き合えなかった。今までの人生全部を懸けた作品の失敗を受け入れられず、今も目を逸らしていたわ」

「……え」

「それ以外にも、いつだってきついことにちゃんと取り組んでるあなたに励まされたことが何度だってあったのよ。だから……そんなこと、言わないでよ……ッ」


 それから、再度燎の方を見やる。

 涙で濡れて、けれど尽きることのない熱を宿した瞳で燎を射抜いて。


「もう一つ。『私みたいに強くて格好良い人になれない』? ……そんなわけ、ないじゃない」


 きっと、一番言いたかったことを真正面から伝える。


「あなたの見ているような人じゃ、私はない──というか、自惚れかもしれないけどそんな人なんて居ないわ。誰だって……私だって、そうなりたいと願いつつもそうじゃないところがいっぱいあるのよ。迷うし悩むし、みっともないし恥ずかしいこともするし! 後悔も失敗も何度だってするのよ!」

「ッ」

「何、それともあなたはそういうのが一切ない、生まれつき完璧な道を歩んで何も失敗しない超人じゃないと夢を追っちゃいけないとでも言うつもり!? それこそ、ふざけんじゃないわよッ!」


 ……何かが。

 強く、燃えている。その感覚だけが、今はある。


「同じよ。私も、あなたも。情けないところも、足りないところもあって──その上で、今までより良い自分になりたい、今までより良いものを生み出したいって足掻いてんの」


 その上で、と。強い光を宿した瞳で燎を射抜き。


「同じ、情けない自分から──私は・・今変わったわよ・・・・・・・。だから、あなたも……ッ!」

「!」


『先輩』としての言葉を、涼やかでありながら真逆の熱を宿した声色でぶつける。


「少なくともあなたは……今、心の底から後悔したのでしょう。今までの自分は何をやってたんだって、今までで一番強く悔いたんでしょう!?」

「……そう、ですよ」

じゃあ・・・そこからが・・・・・スタート・・・・なのよ・・・! 失敗したんだ、何をやってたんだって痛感した──それが第一歩なの! だからこれ以上後悔したくない、こんな失敗二度としたくないって! それはそうやって、前に進むためのエネルギーとして使うものでしょう! うずくまったり、諦めたりするためのものじゃ断じてないのよ!」


 自分も今、そうしたのだから、と。

 その言葉が、今日で一番。

 燎の中に、突き刺さって。


「失敗はなかったことにできない、今までの歩みは変えられない。──だからその上でどう乗り越えるのか。そう考えなさいよ! 失敗を、後悔を、諦める言い訳にすんじゃないわよ、そうやってできてる人、先を行ってる人を『自分とは違うから』って遠ざける理由に使うな! そうやって、また──ッ」


 そうして、蒼は。

 再度、燎の裾を今度は強く掴んで。

 願うような顔と声色で、一言。



「──私を・・一人に・・・しないでよ・・・・・ッ!」



「…………」


 ……ああ、そうか。

 だからずっと、彼女は……一緒に頑張る誰かを、求めて。


 今、蒼が言った後悔と失敗の言葉。その意味は、燎でも分かる。

 蒼だって、それを不変の真理として言っているのではなく。


 蒼自身も、不安で。だから、そうだと信じたいのだ。

 自分以外の誰かも、そうだと信じさせて欲しいのだ。


「……ッ」


 それを、理解した瞬間。

 燎の胸中で、今までで一番の熱が燃え上がる。


「……後半は八つ当たりだったかもね。悪かったわ」


 そんな彼の前で、蒼は謝りつつも毅然と燎を見返し告げる。


「……で、後輩。返す言葉はある?」

「……ない、ですよ。何もないです。先輩の言葉が正しいって……俺も本当は、信じたいです。先輩みたいに、なりたいですよ」

「──じゃあ、行きなさい」


 もう、これ以上自分が言葉をぶつける必要はないと、態度で悟ったのだろう。

 蒼が、扉の向こうを指差して。


「行って、まずは天瀬さんとちゃんと話してきなさい。……話を聞くに、あの子もきっと私と一緒、誰かを求めてる子よ。その辺りちゃんと聞いて、あなたのこともちゃんと話して……それで」


 少しばかりの、拗ねを滲ませた表情で、締めくくる。


「今度こそ、ちゃんと全員仲直りした状態で来なさい。……じゃないと、もうこれ以上何も教えてあげないんだから」


 一瞬、虚を突かれたけれど。

 ……すぐに、自然と返答の言葉は口から出た。


「……それは、困りますね」


 きっとそれが、一番の言葉だったのだろう。

 蒼は再度何かを堪えるような表情を見せるが──すぐに切り替えて。


「行け、後輩。ちゃんと乗り越えてきなさい。……私も、乗り越えるから」

「!」

「今から、この原稿全部見るわ。それで、ちゃんと私も乗り越える。……絶対今以上に見せられない顔になるから、しばらく戻ってくるんじゃないわよ」

「……はは」


 照れ隠しのように放たれた一言に、彼女らしいなと最後に苦笑を返して。

 燎は一例ののち、今度こそ踵を返して扉を開く。


「ああ、くそ。……格好良いなぁ」


 そして自分は情けない、本当に情けない。

 ──こんな簡単に、変えられてしまうのかと。


 ……まだ、迷いはある。自らの不足にどう向き合えばいいのかは、未だ不透明だ。

 けれど、少なくとも以前と違って、行き先は決まっている。

 それだけは迷わず、燎は一歩を踏み出した。




 ◆




 燎が扉を閉め、駆けていく足音が聞こえなくなって……更に数秒ののち。

 蒼はゆっくりと後退し、椅子に座り込んでから──机に思いっきり突っ伏して。



「っぁあ~~~~~~恥っず!!」



 先ほどまでの己の挙動を全力で反省した。


「なーにやってんのよ私はぁ! 引き止めるにしてももうちょっとやり方あったんじゃないのかしらねぇ! もっと先輩らしくいい感じにスマートにこう──やめとこ」


 多分、これ以上は語れば語るほど自分が馬鹿っぽくなる。

 その代わりに、もう一度机に顔を押し付けてくぐもった声で。


「ぅあー……」


 様々な感情を呻き声と共に吐き出した。

 ……本当、我ながらよくやったものである。クールな先輩の皮をかなぐり捨てて(最初からほぼ剥がれてたとの意見は受け付けない)、みっともなく引き留めて、思っていたことを全部ぶちまけて、あとはもう勢いでなんとかなれとばかりにぶつかって。

 そういうのは、過去に全部やり尽くして、反省したはずなのに。


 …………いや、嘘だ。

 多分、過去でもここまではやらなかった。こんな、自分の心の奥の奥まで曝け出すような真似は絶対しなかった……そうなるほどの関係を、築けなかったのだ。


 そして、もう分かっている。

 今そうした結果として、自分にとっては今のところ一番の結末になった。それから見ても、結論は明らかだ。



 ……昔も、こうするべきだったのだ。

 壁を作られていると思っていて、その実自分からも張っていた壁を取り払って。

 ちゃんと、弱いところも見せて、ぶつかるべきだったのだ。



「それに、もっと早く気づけていれば……違ったのかしらね」


 そう呟くが、まさにこれこそ意味のない後悔の使い方だ。そう考え、蒼は再度立ち上がる。


 にしても……改めてになるが、こんなに激しくぶつかることになるとは思わなかった。

 ……まぁ、それについても原因は明らかだろう。

 思った以上に、自分にとってあの──初めての後輩の存在は大きくて。そして彼と、話に聞く彼の友人たち、仲間たちのことが──


「……やめとこ」


 これも、益体のない考えだ。


「……ちゃんと仲直りしないと、許さないんだから」


 きっと、他人には見せられない感じの照れを多分に含んだ表情で呟いて。

 蒼は段ボールに手を突っ込んで、一気に全ての原稿を取り出す。


 これは、自分の人生で一番大きな敗北の証。自分の全てを注ぎ込んだ作品が受け入れられなかった、自らの逃げようのない未熟と失敗の証明だ。


 ……正直、見るのは今も辛い。

 見るたびに過去の自分の期待と今も愛着のあるキャラクターたち、そしてそれが少なくともこの世界で活躍することはもうないんだという事実が、重くのしかかってくるから。


 でも、見なければならない。見て、何が悪かったのかを分析して自分の反省にして、同時に自らの未練に切りをつけて。

 そうして──糧にして、乗り越えなければならないものなのだから。


「……あは、なんでもう泣いてんのよ」


 自分の心のありように呆れつつ……でも、まぁいいかと考える。

 どうせ、しばらく誰も来ない。じゃあ今は全力で泣いて、涙を枯らして。

 きっとそう遠くない日にまたここに来る後輩たちには、いつも通りの格好良い桜羽先輩の顔を見せるのだ。


 そう決心しつつ、もはや涙を拭うこともやめて。


「ああ、ほんっと……私はこの作品、大好きだったんだけどなぁ……この子達も、このシーンも……っ、ごめん、ね……っ」


 ひたすらに、逃げることなく、原稿のページを捲り続けるのだった。




 ◆




 探し人は、すぐに見つかった。

 理由としては多分、向こうも燎を待っていたからだろう。

 それを──いつも下校前荷物を取りに来る教室で、ほたるが待っているのを見かけて、確信した。


「えっと、燎。……今、話せる?」

「……奇遇だな。俺も、話したいと思ってた」


 この二人にしては、端的な前置きで。

 自然と、いつも教室で話すときに座る席──初めて会話をしたあの席と同じように座るのだった。



 まずは、ほたるの言葉を待った。

 先に話したい、という雰囲気があったから。一月もこの個性の強い少女と付き合っていればその程度は察せられる。


「…………あのさ、燎」


 それに違わず、ほたるは。

 けれど……今までになく、優しくも控えめな声で。


「きついなら、しんどいなら……やめても、いいよ」


 そう、告げてきた。


「……」

「……昨日から、ずっと考えてたんだ」


 視線で促すままに、ほたるは続ける。


「わたしは……先月、ここでさ。君の絵を見てビビッときてスカウトした。わたしの求める絵を描いてくれる人だって直感したし……それと、君が変わりたいと思ってる人なのもなんとなく分かって──じゃあ、わたしの話を受けることで、君も望みを叶えてくれるんじゃないかと思ったから」


 それは、その通り。まさしく先月ここで彼女が言った通りだ。


「それで、君は受けてくれて──そのあと赤星くんもスカウトした。彼も同じ、わたしの望みに加えて、赤星くんも……わたしの曲を作ることを通して、何かを掴んでくれるんじゃないかって期待して、そういう人だから誘ったんだ」


 ……なんとなく、言わんとするところが見えてきた。


「もちろん、君たちをスカウトした第一の目的はわたしのため。わたしのわがままだよ。でも……それだけじゃなくって。ちゃんと・・・・スカウト・・・・した人たちも・・・・・・幸せに・・・したい・・・。そう思ったから、そう思える人たちを選んで誘った」

「……」

「正直、かなり厳しめの条件だよね。だから……びっくりしたんだよ。一番欲しかったイラスト担当と曲担当で、わたしの望みに合う人がこんなとんとん拍子に見つかるなんて、って。すっごい舞い上がって、受けてくれた時は本当に嬉しくって」


 それで、彼女の願いの通りに上手くいっていたのだろう。

 燎はほたるに見合う絵を描くために頑張って、雪哉も曲を作ることはしっかりと約束してくれて。そのまま──昨日までは。


「……でも、ああなった」

「っ」

「昨日の赤星くん、苦しそうだった。わたしが依頼したせいで……きっとわたしには想像できないところで、あんなに苦しんでて、さ。しかも──その後横を向いたら、燎もそっくりの……赤星くん以上に苦しい表情してて」


 ……やっぱり、見られていたか。


「……繰り返しになるけど、わたしは燎たちを、わたしの望みを叶えると同時に、ちゃんと燎たちにもそれを楽しんで欲しいって思ってスカウトした」

「……ああ」

「──あんな表情をさせたいわけじゃ、なかったんだよ……っ」


 知っている。

 ほたるは我が道を行くタイプだが、決して傍若無人に振り切っているわけじゃない。むしろ、周りの感情や苦しみには驚くほど、人一倍に敏感なタイプだ。

 出会った時から、彼女はそうだった。


「……無理強いできないよこれ以上、あんな顔見たら。わたしの期待は、どこまでいってもわたしの期待でしかない。それが相手の重荷になったり相手を縛り付けたりするのは、絶対にだめなんだ」

「……」

「だから──きついなら、しんどいなら……このまま続けても君が笑えないなら、やめてもいい。……今更だけど、それだけ伝えたくて」


 そうか、と感想を抱いた。


「……あんたは、そう思ったんだな」

「っ、うん」


 そこで頷いて、数秒沈黙した後。

 ほたるは……ぽつりと、こぼすように。


「…………仲間がね、欲しかったんだ」


 溢れるように……きっと初めての、彼女の弱いところを。


「高校では、とにかく今を全力で生きる。やりたいこと全部やって、なりたいもの全部になって。一日だって、一秒だって無駄にせずに走り抜けたい。そう決意してここに来た」

「……そう、言ってたな」

「うん。でね……それと同時に──馬鹿みたいに走るわたしと一緒に来てくれる子たちが、一緒に最高に楽しく走れる仲間がそこに居てくれたら、もっと最高だろうなって」


 あの日出かけた時に語った、彼女の願いの続きを告げる。


「高望み、だよね。それはわたし一人じゃどうしようもないことだもん。でも……それでもどうしてもわたしの中では外せなくって。きっとわたしが全力なら何か起きてくれる、とにかくぶつかっていけば見つかるんじゃないか。そんな願望も、抱いて、さ……っ」


 彼女も、そう、信じたかったのだろう。

 でも──そうして全力でぶつかり続けた結果が、今で。


「…………無理、なのかな」


 それに、打ちのめされながら。

 ほたるは──自分の、願いを告げる。



「……やっぱり、叶わないものはあるのかな。

 どこにだっては行けないし、なんだってできるわけじゃ、ないのかなぁ……!」



「────ぁ」


 それは。

 燎が、はるか昔に味わった、最初の。


 それを──ほたるはきっと、今も信じて……信じたいと思っている。


 ……その事実を、理解した時には。

 燎の心は、決まっていた。


「……『違う』って、言って欲しそうな口調だな」

「っ、そう、だね。やっぱなし、今のは──」

言うよ・・・。──違う、違うさ」


 ほたるが、弾かれるように顔を上げた。


「──え」

「そうだよ、そう思いたいんだよ。あんただけじゃない……俺だって、誰だって」


 ……ああ、今日のほたるは本当に不調なのだろう。

 らしくない。あのうざったいほどの明るさが欠片もない、強引さにおいては別人だ。

 何より、あれだけ洞察力があって感情の機微に敏感な彼女が。


 ──燎の表情がとっくに苦しそうでないことに、気づいていないのだから。


「辞めないさ」


 その、決意のままに。燎は静かに告げる。


「辞めない、このまま辞めてたまるか。……確かに昨日まではそう思ってた、というかつい三十分前くらいまではそう思ってたけど、もう今は違う。もしこの後三十分前の俺に会ったら完全に別人だから思いっきり殴って良いぞ」

「それはそれで別のすごい問題が複数絡まない!?」


 こんな状況でも突っ込みは欠かさない辺り、流石配信者志望といったところか。

 というか、若干新鮮だ。普段こういう会話では立場が逆なのだが。

 ……でも、今はこれでいいと不思議と思う。そんな心持ちのまま、燎は続ける。


「とにかく、俺は辞めない。絶対あんたのアバターを、満足してもらえるものを作り上げるし……それ以外の、全部も。このままで、絶対に終わらせない。……そのために」


 そのために──一つ、燎の中でけりをつけなければならないことがある。

 多分、儀式のようなものだ。付け加えてぶっちゃけると今思いついていることはまぁまぁぶっ飛んでいる、はたから見れば意味がわからない行動だろう。

 でも、それでも。今の燎にとっては、必要だと断言できることだ。


 中学までなら絶対想像もしなかった、こういうことを思いつくようになったのは。

 果たして誰の影響なのか……考えるまでもない。

 そんな思考のまま、いつかの逆。燎はほたるの手首を……一応心持ち優しめに取って。


「え、いや、あの、燎さん?」

「なぁ天瀬。思えばこの一月、本当……本ッッッ当にいッろんな場面で散ッ々、派手に振り回しまくってくれましたよね?」

「吃音が多いし若干過剰な恨みを感じるよ燎さん! え、ほんとにどしたの!?」


 あわあわと、思いの外可愛らしく慌てた様子を見せるほたるに。


「だからさ──」


 苦笑と共に、燎は。こう、提案する。



「──一回くらいは。俺の方にも派手に振り回されてくれないか?」



 そうして……燎にとって、きっと忘れることのできない。

 高校生活の特別な一幕が、ここから始まるのだった。

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