14話 六月は、熱い夏の始まり。

 ことの発端は、雪哉がほたるに頼まれていた依頼──ほたるのオリジナル曲の制作を、しっかりと完成させたことだったらしい。


 そう、完成させたのだ。

 彼とて短くない年月作曲をやっているし、依頼を受けるのにも慣れている。受けた人間としての責任を持って、しっかりと与えられた期日までに誠意を尽くし、今自分が作れる最大限の曲を今自分ができる全力をもって作り上げ、提出した。



 そして。

 そのクオリティが、彼にとって満足のいくものではないと雪哉自身が認識しており。

 同時に──ほたるも満足できていないことを、提出してその曲を聴いた時の雰囲気から、雪哉が察してしまったことが始まりだった。



「…………、悪い」


 曲を聴き終えた上での、ほたるの表情。

 それを見て──そこから曲についてのやりとりを挟んだのち。

 雪哉が最初に絞り出した声がそれだった。


「多分さ、天瀬が僕に期待していたのはこれ以上だったんだろ。この先だったんだろ」

「……」

「初めて会った時も、君は僕の作曲について『停滞してる』って本質を言い当てた。その上で僕に依頼をして──君の曲を作る中で、僕が何かしら壁を・・越える・・・こと・・を期待した」


 謝罪の雰囲気を見せるほたるに、雪哉はそれすら不要とばかりに首を振って。


「それはいいさ。そうと分かった上で僕も受けたんだし……僕自身もそうできたら良いと思って、本当にここで壁を越えるつもりで全力で作った」


 その上で、告げる。


「──で、結果はこのザマだ」


 拳を握り締め、自らの不甲斐なさに身を焼かれながら。


「分かんないんだよ、何が足りないのか。あの日から……紅空の曲を聴いた時から、今のままじゃ絶対理想に届かないって理解して、そのためにできる限りのことをやって──なのに、何も分からない。何一つ壁を越えられない。どう足掻いても、今までの僕以上の曲が生み出せない」

「……赤星、くん」

「情けないけど、はっきり言うよ。……今の僕に、これ以上の曲は作れない。もう一回作れと言われても多分難しいし、いつ壁を越えられるかも全然見当がつかない」

「っ」

「これ以上は、君にも迷惑かける。だから──」


 そうして、雪哉は……悔しさと覚悟を滲ませた表情で。

 ほたるを見据えて、こう締めくくるのだった。


「悪いけど、これが僕の今の全力だ。

 だからこの曲を受け取るか……満足できないなら、他の作曲者を探してくれ」




 ◆




 そこで、燎も二人が話している空き教室へとやってきた。

 その上で、ここまでの話を聞いた。……どうやら燎に教えてくれたほたるの友人は、ほたるが曲を聴いた上での『本当にこの曲なのか』系統のやり取りで少しヒートアップした様子を見て衝突していると勘違いしたようだ。


 でも、あながち勘違いでもない。

 だって分かってしまった。二人をある程度知る燎だからこそ、予感してしまったのだ。

 ──本当の『衝突』が、ここから始まってしまうんじゃないか、と。



「…………いやだ」


 今の曲を受け取るか、他の作曲者を探すか。

 雪哉からその二択を突きつけられたほたるは、そう答えた。


「……いやだ、よ。今から赤星くん以外に頼むのは絶対嫌だし……かといって、君が満足していない曲を受け入れるのも……嫌だ」

「だから、それは通らないって」

「それに! 君だって、満足はできてないんでしょ? これ以上の曲を作れるのなら作りたいって……まだ、思ってくれてるんだよね?」


 ほたるの問いかけに、雪哉は歯を食いしばって答える。


「……当然だろ。こんな曲を出してしまうなんて許したくないし、こんな曲しか作れない自分に腹が立ってしょうがない。それが本音だよ」

「じゃあ──待つよ」


 それを聞いてから、ほたるはそんな提案を告げた。


「…………は?」

「待つ、って言ったの。これより良い曲を作りたいって君が思ってくれるなら、わたしは待つ。君が満足できる……それで、叶うならわたしもすごいって思えるような曲を。それができるまで、ちゃんと待つよ」

「VTuberとしての活動は? 曲も計画のうちなんだろ?」

「それは……うん、できればスタートダッシュの計画的にもオリジナル曲と同時が良かったけど、場合によっては遅らせる……最悪活動開始より遅れても構わないから」

「……」

「それよりも、君が壁を越えることが最優先だ。こっちのことは気にしなくて良いから、君は全力でこれまで最高以上の曲を作ることを。だから──!」


 そこまで言って、ほたるは最後に。心からの応援を言おうとする、前に。



「──は? なんだよそれ」



 あまりにも冷たい雪哉の声が、それを遮った。


「なぁ天瀬。それは、つまり、何」


 一瞬の困惑と、けれどそれをすぐに塗り潰すほどの感情を宿して、雪哉は告げる。


僕に・・あんたの・・・・足を・・引っ張れ・・・・、って言ってる?」

「ッ! それは──っ」


 ほたるは聡い少女だ。

 だから、気づいてしまう。今自分が提案したことは……極論すればそういうことで、その表現を否定できる要素がないことに。

 そして、それがきっと。


「……なんだ、それ」


 赤星雪哉の、逆鱗なのだ。


「ふざけんな……ふざけんな! そんなことが、あっていいはずがないだろ!!」


 出会って初めて。

 雪哉が、激情を露わにした大声を出した。


「天瀬、君は自分がどれだけすごい奴か分かってないのか」

「え──」

「初めて半年で、もうそこまで歌える。そんなことができる同年代に僕は初めて会った。歌に関してなら、間違いなく紅空と同じかそれ以上の才能を持ってる」


 それを、初めて会った瞬間に実感したからこそ。

『歌で分からせる』との大言を実行してのけたほたるを誰よりも認めているからこそ、雪哉は吠える。


「そんな奴が、実力不足の作曲家のせいでやりたいことができないなんて──そんなことは許されないんだよッ!!」


 圧倒されていた。

 直接ぶつけられたほたるも……そして、それを聞いているだけの燎でさえも。


「それはダメだ、天瀬。実力の足りてない奴に、成長できない奴に、そんな同情で構ってるだけじゃ……誰も幸せになんないんだよ。仮に今どうにかなったとしても、いつか絶対行き詰まるんだよ!」

「──」

「だから、だから──っ、大人しく、置いていけよ!!」


 そこで、しばしの沈黙が満ちる。


 かつて、教室で燎と話したように。

 即座に同量の熱量で言い返す、ということはできなかった。


 そりゃそうだ。あの時は燎がただみっともなくて浅い考えを喚いただけ。

 でも、今の雪哉の言葉は違う。昔から音楽に関わって作曲に、創作に──そして中学の時にやっていただろうバンド活動で『他人と何かを作る』経験もある彼が。

 きっと、それらの様々な経験を踏まえた上で言い放った言葉。


 重みが、違う。


 それに……今、雪哉が言った内容は。

 彼にだけ当てはまるものではない。不相応な望みを持ってしまった人間、遥か遠くの壁に突き当たった人間──或いは、今それに気づいてしまった人間にも。

 そうだ、まさしく──


「……ついでだ。もう言いたいこと全部言おうか、夏代」


 その思考に辿り着いたのを見計らったかのように。

 今度は、雪哉がこちらを見る。

 見透かしたかのような瞳に、思わず燎が怯む。いや、『ような』ではないだろう。


「夏代、君はいい奴だ。お世辞にもとっつきやすい性格はしてない僕に天瀬共々話しかけてくれて、その上でちゃんと自分を押し付けるわけでもなくしっかり共感してくれる。何もなければ友達になりたい、間違いなくいい奴だ。でもさ」


 名前とは裏腹に、燃える激情を宿した目線で燎を射抜いて。


「──それはそれとして。初めて会った時から死ぬほどムカついてたことがあるんだよ」


 その言葉を、ぶつける。


「天瀬から聞いてる。一通りの絵の特訓終えて、いよいよ天瀬のアバターデザインに着手したんだって? ほぼ素人状態から一月でそこまで行くなんてすごいじゃん」


 それも、心からの称賛だろう。

 彼はあらゆる場面で真っ直ぐで、率直だ。だからこそ……この先にも、容赦がない。


「……で、行き詰まってるんだろ?」

「っ」

「腹立つことに手に取るように分かるよ。ちゃんと天瀬に相応しいものを……天瀬みたいなすごい奴に見合うくらいのものを作りたくて、でもできない。今の自分が持っているものじゃ絶望的なまでに足りない。一向に理想に届かない」


 そこから、雪哉は一歩距離を詰める。

 それは、和解のための歩み寄りではない。より至近距離から攻撃するための一歩だ。


それが・・・生みの・・・苦しみ・・・だよ・・


 まさしく、殴られたような心地だった。

 雪哉の言葉に……そしてそれに乗っけられた、今までの自分の無知と怠慢に。


「創作甘く見んな、夏代」


 ──嵐のような音がする。


「覚悟のない素人の手習いが。つい先月本気を出しただけの人間が。誰かに答えを用意してもらえることにしか取り組んでこなかった奴が!」


 ──耳に残る、風の音がする。


「今まで十五年間、何も生み出してこなかった奴が──ッ」


 何もない場所に居るような、ふわふわとした感覚。

 …………ああ。

 そうか、これは。


なんにも・・・・ないやつ・・・・が、簡単にできるなんて言ってんじゃねぇよ!!」


 自分、そのものだ。




「……来週頭まで、待つ」


 最後に、言うべきことを言い残して。


「それまでに、決めてくれ。今の曲を採用するのか……それとも、僕を切るのか」


 それ以降、目を合わせることはせず。雪哉は静かに踵を返し、扉を閉め。

 そして数秒ののち──駆け足の音を響かせて去っていった。



 残された燎とほたるの間に、沈黙が流れる。

 それに耐えかねたかのように、ほたるが口を開いて。


「……燎。……君は、どうかな」


 これまで知った彼女からは、想像もつかないほどの。

 最大限の気遣いがありつつも、どこか縋るような声で、聞いてきた。


「……わたしのアバターデザイン……ちゃんと、作れそう?」

「──っ」


 答えたかった。

 できると、必ず作ってみせると。昨日までのように、馬鹿みたいに断言したかった。


 でも、無理だ。もう無理だ。

 知ってしまった、気づいてしまった。それがどんなに難しくて、苦しいか。今まで知っていたつもりで全く理解していなかったこと、それに……


 ……このままここに居れば。

 自分も、雪哉と同じことを言ってしまう。下手すれば、同じような衝突をしてもう一度ほたるを傷つけてしまう。


「…………、ごめん」


 だから、せめてもの抵抗として。

 それだけを告げて、即座に踵を返してその場を走り去る。


 ……分かっている、こんなものは抵抗ですらない。この行動をした時点で答えは言っているようなものだ。実力不足で彼女を傷つけ、一人にしたことには変わりない。

 それ以前に、今日まで作れなかった時点で詰んでいたのだ。

 いや──果たして『詰んでいた』のは、そんな遅い・・段階・・だっただろうか。


「っ、ぁ──ッ」


 声にならない感情を口から吐き出しながら、走る。


 だって……気づいてしまったから。

 デザインを始めてから、ずっと響いていた風の音。やけに耳に残る音と、何もない場所に居るような浮遊感。



 あれは──自分だ。自分そのものだ。

 何も積み上げてこなかった、何も生み出してこなかった。

 空っぽの自分の内側そのものだ。それを空虚に吹き抜ける風の音だ。



 気づきたくなかった。目を逸らしていた。

 でも、雪哉に真正面から言葉をぶつけられ、目を向けてしまった。


 ……最初から。

 ほたるに声をかけられたあの日から、自分は、何一つ変わっちゃいない。

 なんで作れないのか。答えは単純だ。


 ──そもそも・・・・こんな・・・空っぽの・・・・奴が・・ゼロから・・・・何かを・・・生み出せる・・・・・わけがない・・・・・


 それを自覚し、苛まれながら。

 逃げるように、燎はどこまでも走り去った。

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