11話 上には上がいるし、この学校には猫少年も犬少女もいる。

 旭羽高校は、軽音楽部の強豪校だ。

 やはりバンド活動は中高生の勉強以外の活動としては強い人気を誇り、『一芸』を重視する校風である以上そこが活発なのは妥当だろう。


 その影響で、旭羽高校の周辺にはバンドハウスがそれなりに多く、軽音楽部の実力者たちが呼ばれることもそう珍しいことではないらしい。


 今日燎が雪哉と共に来たのも、そんな旭羽高生たちのバンドが複数登場するライブ。

 客入りも……燎はこの手のことに詳しくはないが。


「……結構、お客さん入ってるよなこれ?」

「めちゃくちゃ入ってるよ。そんな大きい箱じゃないけど、高校生メインでこの客入りは普通にとんでもないレベル」


 やはりか。つまりはそれだけの人を寄せる何かがこのライブにあるということだろう。


「バンドハウスって初めて来たけど……思ったより怖いとこじゃないんだな」

「そりゃそうでしょ。まぁそういうイメージがあるのも分かるし実際怖めのとこもあるけど……ここ近辺は高校生も積極的に使うんだから、変なとこはそもそも生き残れないし」

「それもそうか」


 そんな会話をしつつ、燎はふと思う。


(……そう言えば)


 以前ほたるから、そして燎自身も人伝に知っている話。

 赤星雪哉は、音楽方面での特待生。中学生を対象にしたバンドのコンテストで突出していたという実績によって旭羽に来た。

 であれば、彼も中学まではバンド活動をしていた、しかも相当の成績を残すほどのグループだったはずだが……その時のメンバーはどうしたのだろう。

 今は活動していないのだろうか、それに──と、考えたところで。


「来たよ」


 雪哉の真剣さを増した声によって意識が引き戻される。

 合わせてステージを見ると、入れ替わりに別のバンドが入ってきたところで……そこで、オーディエンスの盛り上がりが一段階増す。

 察するに、これが来る前に雪哉が言っていた『トリで出るバンド』だろう。歓声に迎えられてステージに入ってきたのは、


「……ガールズバンド?」


 少女四人組のグループ。自分たちとそう年齢は変わらない、いや話が確かなら彼女たちも旭羽高生なのだから当然だが、それでも……


「目、離さないほうが良いよ」


 そこで、再度の雪哉の真剣な声。

 それに従って燎もステージに意識を集中する。それを見計らったかのように準備が完了し、四カウントが鳴らされ。


「──離したくても離せないと思うけど」


 雪哉の呟きを最後に、一曲目がスタートし──



 ──耳が、意識が、塗り替えられた。



 この感覚は、覚えがある。

 以前雪哉と共にほたるの歌をカラオケボックスで聞いた時と同じ、その場の全部が一つの『色』に染まる感覚。


 けれど、その時と比べて今はもっとすごい。

 そもそもカラオケボックスの一室よりも遥かに広いライブハウスが、丸ごと彼女たちの音楽に染め上げられている。その一体感は、流し込まれる音と感動は比較にならない。

 それはきっと、一人の力ではないからだ。ステージ上で曲を奏でる四人の少女たちの個性が、更には曲ともしっかりと噛み合って綺麗に混ざり合っているからこその衝撃。


 かと言って、一人一人が目立たないかというとそういうわけではない。

 むしろ──逆。とりわけ注目を集めているのは、中央に立つボーカルの少女。

 出てくるまではどこか掴みどころのない雰囲気を持っていた彼女が、歌い出すと豹変した。遥か遠くにいるようで、それなのに至近距離と変わらない威力で音を叩きつけてきて、けれど全く不快ではなく。


 間違いなく、あの少女がバンドの中心だ。歌声もほたると遜色ない……どころか、周りに支えられている分かもしれないが上回っているようにすら感じる。


(……やっ、ば)


 あまりの衝撃に、語彙力すら失われるような。

 そんな忘我の感覚のまま、一曲目が終了する。

 そこから二曲目までの僅かな間に、燎は隣の雪哉に視線を移して。


「────」


 彼の表情にも、視線を奪われた。

 雪哉の顔も、あの時と同じだ。、凄まじいものを目の当たりにした驚きと悔しさ、憧憬と称賛。いや……それよりも、もっと多くの様々な感情が交じり合った。顔を歪め歯を食いしばって、焼き尽くされるように強烈な、けれど目を離さないと覚悟を決めたような。

 どうしようもない何かを宿した表情で──真っ直ぐ、あのボーカルの少女を見ていた。


『悪いけど、一番は今のところ僕の中では決まってる』


(……そっか)


 それを見て、先日の言葉を思い出し、燎も確信する。

 雪哉にとって、あの少女が──




 ◆




 そのまま、最高の盛り上がりでライブが終了し。

 観客各々がライブの感想──とりわけトリのガールズバンドに対する称賛の言葉を次々口にしながらライブハウスを後にする中。

 その脇で燎と雪哉は、飲み物を片手に熱気を冷ましていた。

 雪哉が問いかける。


「……どうだった?」

「すごかった、すごすぎてそれしか言えないくらいに。全員とんでもなかったけど──特に、ボーカルの子が印象に残った」


 素人の感想だが、雪哉から見てもそう外れてはいなかったらしい。


「……あいつの名前は、紅空こうぞら湊月みつき


 頷くと共に、続けて告げる。


「旭羽高校一年。……一応僕と同じ、音楽での一芸組だ」

「……やっぱりか」


 燎の予想も外れていなかったらしい。


「やっぱりってことは、ある程度は知ってるんだ。……どういう風に聞いてる?」

「天瀬からの受け売りだけど──旭羽高校の今年の一年の中に、音楽の特別入試組で天才が二人いるって」


 中学の時、とあるバンドのコンテストで頭ひとつ抜けていたグループが二つあり、そのボーカル兼作曲も担当していた二人が揃って旭羽高校に入学したというあれだ。


「そんでそのうちの一人が赤星、あんたで……もう一人が、あの子なんだよな?」

「合ってるけど違う」


 けれど、雪哉の回答に燎が目を丸くする。


「『中学のコンテストで頭ひとつ抜けていたグループが二つある』の部分が違う」

「……どういう意味?」

「中学の、あのコンテスト。他と比べて頭ひとつ抜けてたグループが僕らで──」


 そこから、噛み締めるように一言。


「──そこから・・・・更に・・頭二つ・・・抜けてた・・・・のがあいつらだ」

「──」

「同列に、扱って良いレベルの差じゃなかった。たまたま入賞が二枠だったから僕らも入っただけで、一位だけを選ぶなら満場一致であいつらだったよ。だから……」

「あれ、あかぼしくん?」


 と、そこで横合いから声。

 二人同時にそちらを見ると、そこにはつい先ほどステージで見た少女が。


「……紅空」


 雪哉と同じく、色素の薄い髪にふんわりとしたイメージを抱く愛らしい顔立ち。加えてどことなく浮世離れした雰囲気を持ち、ほたるとは別ベクトルで人目を惹く美少女。

 先刻ステージで凄まじい歌唱力を見せた少女──紅空湊月がそこにいた。


 湊月はこちらを見て……はっきりと雪哉を認識した瞬間、ぱっと顔を輝かせ。


「やっぱり、今日も来てくれたんだ!」


 とてとてと駆け寄ってくる。それこそ子犬が尻尾を揺らして飼い主に駆け寄るように。


「しかも今日は友達も連れてきてくれたの? 嬉しい!」

「友達じゃない」

「そうなの?」


 驚きの表情でこちらを見てくる。


「実はそうなんだよね、これから友達になるところだから」

「おい」

「なるほど! あ、紅空湊月です旭羽高校一年です!」

「同じく旭羽高校一年の夏代燎です。バンドはあんまり馴染みないんだけど、今日の演奏すごかった。聴かせてくれてどうも」

「ありがと! こちらこそあかぼしくんと仲良くしてくれてどうも!」

「あんたらは僕の何なんだよってか意気投合早すぎない!?」


 うん、この子良い子だ。そう確信した。

 一通り挨拶を終えると、湊月は改めて雪哉の方を見て。


「それで、あかぼしくんはどうだった? 私の今日の歌!」


 わくわく、と擬音がつきそうな瞳でそう問いかけてきた。

 雪哉は一瞬息を詰まらせるが──それでも、嘘はつけないとばかりに。


「……すごかったよ。いつも通り……いや、今まで以上に」

「! でしょでしょ、今日はより聴いてくれる人にどーんって届く感じで工夫してね」

「ドラムとも合わせて、かなり強弱意識してたよね。メリハリがついてサビのインパクトが更に増してた」

「そうそう! 後はね──」


 そのまま、二人で音楽談義を続けていった。

 ……思った以上に、仲は悪くないようだ。ぱっと見の印象では湊月が一方的に雪哉に懐いているように見えるが、雪哉もそこまで邪険に扱っている様子はない。

 そうして話がひと段落してから……湊月が、少しだけ雰囲気を変えて。


「ねぇ、あかぼしくん。……やっぱり、私たちのバンドに入らない?」


 そう提案してきた。


「もう一人曲作れる人入ってくれたらさ、演奏できる幅も超広がるし曲のバリエーションも増えるし! 音域的にも私となら合わせやすいじゃん?」

「いや……あんたらはもう四人でほとんど完成してるだろ、空気壊すよ」

「あかぼしくんなら大丈夫だよ、みんな歓迎してくれる!」

「それ以前にそもそもそっちはもうガールズバンドで売り出してるし」

「? あかぼしくんが女の子の服着れば良いでしょ?」

「『そこが一番ハードル低いよね?』的な雰囲気なんで出してんの!? どう考えてもそこが一番問題なんだけど!」


 あ、やっぱり彼女にとっても雪哉はそういう扱いらしい。

 そこで若干緩んだ空気になるが……けれど、雪哉が改めて表情を引き締めて。


「……誘ってくれるのはありがたいし光栄だけど、ごめん。それはできない」


 真っ直ぐに湊月を見て、告げる。



「──僕は、あんたに勝ちたい・・・・んだ」



 同じバンドに入ったら、それができないから、と。

 透明な表情で、けれど声には隠しきれない感情の熱を込めて、言い切る。


 湊月は、一瞬驚きの表情を見せるが……すぐに、口元を緩めて。


「……うん。じゃあ、楽しみにしてる」


 本心から楽しそうな声色で、そう返した。


 そこで、「湊月ー? そろそろ反省会行くよー!」と遠くからバンドメンバーらしき声が聞こえてくる。


「あ、そろそろ行かないと! それじゃああかぼしくん、またね! それと──なつしろくんも、また聴いてくれると嬉しいです!」


 合わせて踵を返すと、最後に明るくこちらに手を振って、バンドメンバーの元へと駆けていった。

 それが見えなくなってから、燎は雪哉に向けて呟く。


「いい人じゃん」

「……そうだね。明るいしああ見えてちゃんと目上には礼儀正しいし、周りから尊敬される立場なのに全然驕ってもない。すごくいい奴で──」


 そうして、雪哉は静かに。


「──ただ、バケモノなだけだ」


 そう、告げる。


「……さっきの話の続きだけど。僕が普段周りからなんて呼ばれてるかはもう知ってるよね」

「『孤高の天才』ってやつね」

「うん。……自分でそう言ったことは一切ないし、おかしな話だ」


 ここにくる前に、雪哉が軽音楽部の先輩らしき人物に言われたことを思い出す。


「あの先輩の言う通りだよ。僕は孤高でもなければ天才でもない。孤高って呼べるほど高みになんて居ないし……少なくとも僕の認識では、天才って言葉は──僕じゃなくて、紅空あいつみたいなのに使うべき表現だ」

「……」

「……中学までは、僕も自分のことを天才だって思ってたよ」


 向こうで湊月がバンドメンバーと連れ立って歩く様子を遠目に、雪哉は続ける。


「何だってできると思った。小さい頃から揶揄われたこの声も、音楽をやる上では武器になったし、仲間にも恵まれたと思った。一番やりたかった曲も順調で、こいつらとならどこまでも行ける、最強だって、馬鹿みたいに信じてた。あのコンテストだって、冷静に考えた上でどう見ても僕らが一番上手いって思ってたよ」


 けれど。


「なのに──蓋を開けてみれば、ふらっと現れた無名のガールズバンドに全部持ってかれた。実際に聴いても分かった、勝てないって。あいつの歌声は唯一無二だと思ってた僕の歌より圧倒的に華があって、あいつの曲は僕の曲よりも遥かに僕の理想に近かった」


 それはきっと、高いレベルに行ったからこそ分かり……そして、高いレベルに行ったからこそより、文字通り痛感したこと。


「実績でも、実力でも。徹底的に分からされたよ──『僕じゃないんだ』って。完璧に鼻っ柱へし折られて……そこから、バンドも解散した」


 そこに何があったのかは……これもきっと、今聞くべきことではないのだろう。


「積み上げた全部を崩されて、自信もプライドも砕かれて。

 完膚なきまでに理解させられた、僕は天才じゃないんだって──」


 そうして、赤星雪哉は。



「──分かっちゃったから、もう。立ち向かうしかないだろ」



 それでも諦めなかったから、今ここに居るのだ。


「今までの自分じゃ届かない、ダメだって分かったからとにかく今までにない新しい方向性で足掻いてみることに決めた。今のまま続けても全部中途半端になるって思ったから、とにかく一番力を入れたい作曲に集中することにした」

「……」

「迷走してるって言われても、血迷ってるって言われても構わない。今の僕に足りないものが見つかるなら、何だってやるしどれだけでも足掻いてやる」


 だから、彼は。きっと旭羽に、足掻きに来たのだ。


「……そこまで」

「そうだよ。そこまでしても──僕は、勝ちたいんだ」


 拳を握り締め、歯を食いしばって、雪哉は告げる。


「勝ちたい。負けたくない。僕の理想に僕よりも近い場所にいる紅空あいつを死んでも上回りたいし……何より、それに負けそうになってるみっともない自分を何が何でも乗り越えたい。血反吐を吐いてでも、地面をのたうち回ってでも」


 遥か遠くを見据えて、宣誓する。


「それでも──生み出したい理想が、辿り着きたい場所が、あるんだよ」


 ……ああ。

 やっぱり、彼も。『特別』を、持っている人間なんだ。


「……すげぇな」


 思わずそう呟く。けれど……雪哉はそれに対して半眼を向けて。


「称賛が軽すぎない? 安易な褒め言葉ならいらないんだけど」

「ちげぇよ、ちゃんと本心から褒めてる。なんつーか、その……」


 とは言え、彼の立場ならそう思っても妥当だろう。

 だから燎は付け加える、今の話を聞いて思ったことを。


「……ちゃんとしてるなって思ったんだ」

「?」

「だってさ……普通、見たくも・・・・ならね・・・だろ。自分に才能を見せつけた存在なんて、差を徹底的に突きつけた存在なんて」


 そうだ。

 今の話を聞くに──雪哉にとっての湊月は、自分が目標とするものの遥か先に居る存在、『自分よりも優れた奴は居る』と明確に知らしめる存在。

 ……燎が、これまであらゆることを中途半端にしてしまった理由。辞める理由となったものの、象徴のはずなのだ。


 そんなの、見たくもないに決まっている。だって見るたびに傷つくのは決まっているのだから。自分と比べてしまって、惨めになるに決まっているのだから。

 それでも目を向けることが成長につながると分かっていても──直視するのがどれだけ難しいかは、燎も少しは分かるつもりだ。


 何もかもを無視してしまっても、努力を続けながらも極力目に入れないようにしてしまっても、仕方ないもののはずなのだ。


「俺が同じ状況なら、無視しなかった自信はない。なのに、あんたは真正面から向き合ってる。傷つきながらも、自分の足りないものを探すために毎回見に行ってる。……それが、すげぇなって」

「──」


 雪哉は、今日初めて驚いたような顔で燎を見たのち。


「……安易な褒め言葉ってのは撤回するよ、悪かった」


 ほんの少し雰囲気を緩めて告げる。


「少しだけ見直した。共感力が高いんだな、君は」

「はは、それはどうも」


 燎も笑って続ける。


「……やっぱあんたすげぇ奴だわ。そんだけ真っ直ぐ目標に向かえるんなら、絶対できると思うよ。追いつくことも、目標に辿り着くことも」

「──、ありがたく受け取っとくよ。それで……何目的でこんなこと聞いたのかは分からないけど、参考にはなったの?」

「ああ。……俺も、ちゃんと頑張らないとって思ったよ。天瀬にも伝えとく」

「それはやめて本当にやめて」

「すごい警戒してるねぇ!」

「当然でしょ……」


 ほたるは誰かの本気を馬鹿にしたり本当に嫌がることはしないのだが──まぁ、ここまでの彼女との関わり方からすれば無理もないか。


 そんな緩んだやり取りを最後に別れ、雪哉は去っていく。

 燎もその背中に改めて礼を言うと、反対方向に向かい──程なくして走り出す。


 ……雪哉の一面を知って、決して天才ではなくとも足掻く人を格好良いと思って。

 自分もそうなりたいと思えたことが、少しだけモチベーションのプラスになった。

 それによって軽くなった足取りのまま、家に向かう。今まで以上に気合を入れて絵の修行を続けて……その先で、自分もちゃんと目標を達成するんだと。

 燎は改めて覚悟を決めて、自分のやるべきことへと向かうのだった。






「…………何が、『できる』だ」


 その時の自分が、何も理解していなかったことを。

 当然、燎本人は知るよしもなかったのである。

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