8話 多分まだ甘酸っぱさとかはあんまりないデート回

「なるほど。それで明日、その友達の女の子と出かけることになったと」


 その週の金曜日。

 例によって放課後漫画研究会の部室で蒼の指導を受けたのち、雑談の流れでそのことを明かすことになった。


「いいんじゃない。対象を知るって上では直接交流することが一番だし、休日に友達とお出かけなんて素晴らしいじゃない、いやほんと──」


 話を聞いた蒼は肯定的な言葉と共に、にっこり美麗な笑顔を見せて。


「──くたばれ」

「先輩!?」


 なんか唐突に闇の深そうな声色でそう告げた。

 驚きの声を上げると、蒼もはっと正気に戻って。


「どうしたんですか先輩、先輩が愉快なお方なのは知ってますが流石に今のはびっくりしましたよ」

「あ、その、ごめんなさい。あなたに恨みがあるとかそういうのでは一切ないのよ。……ただ私、この通り小さい頃から絵とか漫画ばっか描いてきて、特に去年一年間は連載も並行してたから死ぬほど忙しくてね、そういう経験がないの。だからその」


 恥ずかしげに躊躇いつつも、もういいかと言った口調で言い放つ。


「青春コンプレックスがね!! まぁあるのよね!!」

「なるほど!」


 勢いのままに燎も首肯した。


「そりゃこの道は私が選んだことだから後悔はないけど、それはそれとしてそういう高校生活に憧れがないわけじゃないのよ! 放課後友達とどうこうとか羨ましく思わないわけないじゃない! なのになんでみんな『桜羽さんは忙しいだろうから』って勝手に距離取るの!? ちょっとくらい誘ってくれたっていいじゃない、時間なら作るんだから! 勝手に遠ざけないでよぉ!」

「息するように教室の隅族エピソードが出てきますね、正直今親近感がすごいです!」

「あなたはこんな楽しくない高校一年時代を過ごすような子にならないでね!」


 そこで忠告をする辺り根のいい子感もすごいなと改めて思う。

 ……が、そこはそうとして。今の話を受けて、燎も聞きたいことがある。


「でも先輩。──今は楽しくないんですか?」

「はい?」

「少なくとも、俺は楽しいですけど」


 その言葉に、蒼は意外そうに目を見開く。


「それは驚きね。さっきまで私にぼろぼろに言われたの忘れたのかしら?」

「いや正直それはきっついですけど!!」


 蒼が言及しているのは、今し方まで行っていた蒼のイラスト指導のことだろう。

 今日も例によってやってきたデッサンと蒼を真似て描いたイラストの指摘をもらっていたのだが……それはそれはぼっこぼこに言われたわけで。


「想像より遥かにしんどいですねこのやり方! だって描けば描くほど自分が雑魚だって思い知らされまくるわけですよ? しかも具体的にどこが雑魚なのかを詳細に分析されてるわけですから逃げも言い訳もできない、自己肯定感が急降下中ですよ今!」

「それは御愁傷様ね。頭でも撫でであげましょうか?」

「なら指摘をもう少しマイルドにしていただけると!」


 それでは意味がないことは重々承知なので無論本気では言っていない。


「……まぁ、でも」


 それに、気がついたこともある。


「多分、一番大事なのはそれなんですよね。『自分のどこがどう雑魚なのか』をちゃんと知ることが、上達においては」

「……そうね、むしろそれが九割がたを占めていると言っても良いわ」

「じゃあ、我慢します。少なくとも闇雲にやっていた頃よりは前に進めている実感がありますし……何より」


 屈託なく笑って、燎は心からの言葉を述べる。


「どこに行けばいいかも分からなかった先週までと比べれば、きつくてもしんどくても今の方がずっと楽しいですよ、俺は」


 それを聞いた蒼は、改めて意外なものを見る目で瞬きをしたのち。

 ……ふっ、と。今まで見た中で一番、表情を可憐に……楽しそうに緩めて。


「言うじゃない、馬鹿弟子」

「光栄です師匠」

「じゃあさっきの絵、『ここはまだ早いかな』って思った指摘も追加しようかしら」

「では今日はこのくらいで失礼しました師匠」

「おいこら逃げんな弟子」


 この通り。

 最初の一週間のイラスト修行は、今のところ順調のように思えた。




 ◆




 そんなこんなで、土曜日。


「はろー燎、今日はよろしく!」


 午前十時、待ち合わせ場所にて。少し早めについていた燎に、ほたるが手を振りながら向かってきた。


 そう言えば、ほたるの私服は初めて見るかもしれない。

 如何にも彼女のイメージぴったりな動きやすい服装。今日が比較的温暖というのもあるだろうが丈はかなり短めで、白い手足が惜しげもなく出ている。けれど不思議と品のないといった印象は無く、非常に健康的な魅力を全方位に振りまいていた。

 そんな格好に似合う明るい美貌と髪色も相まって、一気にその場にいた人たちの視線を一身に集めている。


 それを見ると……改めて、ほたるがとんでもない美少女であるのだと再確認する。そんな彼女と向こうから明言されてのデートとなると、当然今まで女の子と二人で出かける経験などなかった燎は緊張して然るべき、なのかもしれないが。

 不思議と、そんな感覚が微塵もないのは。既に彼女の気さくすぎる人柄を知ってしまっているからか、或いは──


「えっと……その……待たせちゃった、かな?」

「わざとらしすぎるからその照れた声やめろ五分しか待ってねぇよ」


 ちょくちょくこういう流れで突っ込ませてくるからか。

 思惑通りに突っ込むと、ほたるも嬉しそうな雰囲気で告げる。


「あはー、燎も分かってきたねぇ」


 ほたるの扱いが、ということだろうか。

 ともあれ、待ち合わせは無事完了。そして今日の予定についてだが……


「それで、何すんの? 今日のプランは全部あんたに任せろ、ってことで俺は言われたものだけ持ってきたんだけど」

「んー、それはお楽しみで、ってことで」

「……まぁいいけど。ていうか今更だとは思うが、今日は何故俺を誘ったんだ?」

「もちろん、純粋に仲良くなりたいからっていうのもあるけど」


 そう言えばなんだかんだで聞いていなかった詳細な理由をこのタイミングで聞くと。

 ほたるは言葉通り純粋な笑顔とともに、こんなことを述べてきた。


「わたしねー、諸事情で青春イベントに超絶憧れてる節がありまして」

「そういや前もそんなこと教室で話してたな」

「それでね、高校生になったら休日友達とやりたいことが──」


 その、なんの衒いもない笑顔のまま。


「──今のところ二百個くらいあってね」

「聞き間違いか桁間違いだよな?」

「君の耳もわたしの申告も正常でーす。お望みなら今全部言おうか?」

「……マジで出てきそうだからやめる。貴重な六時間だしな」


 本気なんだろうというのは分かった。そのままほたるは続ける。


「そんで、そこまでたくさんあると普通の友達付き合いじゃ消費しきれないでしょ? しかも毎日午前七時に0.5個ずつ増えていくし」

「ログボか何か?」

「どうしよっかなーと思ってたところに、今週の君のお悩みですよ」


 休日片方の六時間をどう使うか、という例の考えか。


「ある程度知ってる仲で遠慮がいらなくて、『わたしを知る』っていう目的がある以上、何があってもちゃんと付き合ってくれる──つまり、今日・・どんだけ・・・・振り・・回し・・ても・・問題・・ない・・が今ここにいるわけで」


 すごい嫌な予感がしてきた。


「燎くーん、どこ行くのかなー?」

「ちょっと用事を思い出したので……何故手を?」

「デートは手を繋ぐものでしょ?」

「手首を掴むものではないんだわ」


 反射的にその場を離れようとした燎だったが、先回りしたほたるに思いっきり手を掴まれてしまった。

 ……なんの考えもなくこんな提案はしないのだろうと思っていたが、まさか。


「とゆーわけで燎。今日君には、わたしの『友達とやりたいこと』リストを十個ぐらい一気に消化してもらう予定だから。超歩くよ、なんなら走るよ!」

「……なんかあるとは思ってたけどさぁ……」

「あっはっはー、こうなる前に聞かなかった君の落ち度だね。まぁ飛んで火に入るかがりくんってことで」

「むしろ名前的には俺が火であんたが夏の虫なんだが」

「お? 今女の子を虫と言ったか貴様? わたしはこの名前大好きなんだけど? そんなこと言っちゃうなら尚更今日は思いっきりやっていいってことだよねー?」


 どうやら地雷を踏んだ……いや、多分関係ない。彼女は最初っから全力で行く気だったのだろう。

 その証拠に、より強く燎の手を取って──とても楽しそうな、可愛らしい笑顔で。


「それじゃあ燎。今日はとことん振り回しちゃうから、覚悟してね?」


 拒否権などあろうはずもない口調で、そう言い放ったのだった。



 ……なお。ほたるに注目したまま流れでこの一連の会話を聞いた人間からは、一様に『仲の良いカップルだな……』と思われつつ。

 凄まじいハードスケジュールになることが確定した、初めての二人の休日が始まるのだった。

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