5話 あおい先輩のイラスト講座(きびしめ)

 想像以上かつ謎の親しみやすさを見せつけてくれた蒼だったが。

 いざ実際に指導を始めるとなると──やはり、それまでの雰囲気とは打って変わって。


「──まぁ、忌憚なく言わせてもらえば」


 最初に「とにかく描いたものを見せなさい」と言われ、燎が先日も描いていたもの──蒼のイラストを真似ての燎のイラストを一通り見た上で、こう述べる。


「始めて一月の初心者にしてはそこそこ頑張ってるんじゃないの、って程度ね」

「っ」

「当然、あなたの目標である『本格的なキャラデザ』ができるレベルには到底届いてない。残り二ヶ月でそこまで届くってのも、無謀と言われても仕方ないわ」


 容赦のない評価だった。

 けれど、返す言葉もない。それが今の自分なのだと受け入れる燎に対し……


「……えっと、あの、気を悪くしたかしら……?」

「はい?」


 何故か、もう一度打って変わって不安そうな口調で蒼が問いかけてきた。


「その、ごめんなさいね! やっぱりちゃんと伝えようと思ったらどうしてもこういう言い方になっちゃうのよ私! 教えるプロじゃないし話すのも上手くないから!」

「あの、先輩」

「でも、きついってことなら早めに言ってね! これでも漫画家だもの、台詞回しを考えるのとかは得意だから、時間さえもらえればちゃんと優しい言い方にできるよう頑張ってみるから! だからその、嫌いに」

「落ち着いてください先輩! 大丈夫ですから! ちゃんと先輩の言いやすいやり方で全然問題ありませんから!」


 うん、ひょっとしなくてもこの先輩根は超絶優しいな?

 そう確信しつつ、燎は必死に蒼を宥める。教えを乞う身でありながら教え方や言葉遣いにまで注文を付けるほど厚顔ではない。

 それに、厳しくて大歓迎だ。もとより無謀に近い挑戦をしている身、追い込まれることに対して弱音を吐いている暇はない。


 その辺りを伝えると、蒼も「そ、そういうことなら」と咳払いを一つ挟んで続ける。


「……とは言え」

「?」

「これを見ていれば分かるわ。この一月、あなたが自分なりに試行錯誤してより上達しようとしてきたことは。その姿勢は評価できる。──で、それを踏まえた上で」


 ここからが、本題なのだろう。


「大体の方針は決まったわ。ざっくり言えば──これを続けなさいってことね」

「はい……?」


 若干要領を得ない言葉に疑問符を浮かべる燎。

 それを受けてか、予想してか。軽く微笑みつつ、蒼が端的に述べる。



「詰まるところ、このまま──私の絵柄を・・・・・完全コピー・・・・・しなさい・・・・、ってこと」



「──」

「それこそ、本物と見分けがつかなくなるくらいに。二ヶ月後のあなたが描いた絵と私が描いた絵、知らない他人に見せて『どちらが私の絵か』って聞いた時に結果が二分するくらいになるのが理想ね」

「それ、は……」


 あまりに極端な方針に思わず何か言いそうになる燎だが、それも先回りしたように。


「ま、言いたいことも分かるわ。それで意味があるのか、自分が描く意味とは、独自性を出せないんじゃないか──その辺りかしら?」

「……えっと、はい」


 概ねその通りだったので頷く燎に対し、これも蒼は続けて。


「じゃあ夏代くん、一つ聞きたいんだけど……料理を初めて作る人が、『俺は俺にしか作れないものを作りたいんだ!』ってレシピを無視したり勝手に何かを加えたりし始めたらどう思う?」

「大失敗するやつの典型例ですね」

「──なんで絵も同じじゃないって思うの?」

「あ」


 言われてみれば、と気づく。それを確認した瞬間、蒼が一気に勢いづいて。


「そーゆーことよ! いーい、古今東西あらゆる何かを作る分野において、『初心者』と『オリジナリティ』は絶対に混ぜちゃいけない二要素ランキングティアSなの!」

「調子づいてきましたね先輩」

「それをいつまで経っても理解しない人が上手くならないって言ってるのになんで分かんないのかしらねぇ! 守破離って言葉を幼稚園で習わなかったんですかー!?」

「幼稚園では習わないと思います先輩! そして多分過去何かあっただろうことは分かりましたから落ち着いてください先輩、今の俺にも刺さっています!!」


 完膚なきまでに仰る通りである。うぐ、と胸を押さえる燎に蒼もはっとした様子で冷静さを取り戻した。


「そ、そうね。大丈夫、この学校で教えた人にそんな人はいなかったし、あの件は私も悪かったし、即座に反省できる分あなたは優秀よ。……で、よ」


 そこで本題に戻る。……多分この先もこんな流れで進むんだろうなと思いつつ。


「そういうわけだから、あなたがするべきはまず私のコピー。他のことは一切考えなくて良い、とにかく『私っぽい絵』を描くことにリソースを全振りしなさい」

「……」

「時間が限られている以上、きっとこれが最短で最善よ。……大丈夫、変な癖がつくとか自分がなくなるとかそんな余計なことは考えなくて良いわ、そういうことを考えるレベルじゃないってのもあるし……何より」


 そうして、蒼は締めくくりに──美麗、かつ力強く微笑んで。



「ちゃんと、描きたいものと目標があるんでしょう?

 なら大丈夫、何かを表現する上ではそれが一番大切だから。それをちゃんと持っているなら、あなたは伸びるわ。それだけは、私が保証する」



 ……やっぱり。

 この人はきっとすごい先輩で──そして、紛れもなく『プロ』を経験している人なのだ。改めて、それを強く感じた。


「とまあ、方針が決まったところで。次はその方針のために、あなたがこの先やるべきことを言うわね。大きく分けて三つよ」


 そう思う燎に、続けて蒼が具体的な練習内容を告げる。


「まず一つは、あなたが今までやってきたように『私を真似して描く』こと。言うまでもないだろうけれど模写トレスは絶対禁止、スポイトで色を取るのもだめよ。あくまであなたの目と手だけで、『私っぽい絵』を描けるようになりなさい」

「はい」

「そして二つ目が──デッサンよ」


 そこで蒼が立ち上がり、手元のタブレットを操作しつつ資料を漁る。


「デッサン……と言うと」

「聞いたことくらいはあるんじゃない? 定義は様々だと思うけれど、基本鉛筆だけを使って白黒で、目の前にあるモチーフを『可能な限り本物っぽく』描く練習法」

「はい、聞いたことは。でも、それって」

「美大芸大に行くような人がやるようなものじゃないのかって? 安心なさい、イラスト修行としても使えるわ……と言うよりは、デッサンはあらゆる『絵』に関するものを特訓する上で最強の修練方法だと思うよのね、持論だけれど」


 そこまですごいのだろうか、とやや疑問が残る燎。けれどそこまで予想していたのだろう。蒼は目当ての資料を見つけたらしく、まずはタブレットを二つ手に持って。


「デッサンはね、何よりも『目』を鍛える修行なの」

「目、ですか」

「ええ。目の前のものがどういう質感で、どういう色の関係性で、どんな光の当たり方をした結果どういう風に見えているのか。……その辺り、人は普段思った以上に正確には見れていないの。本当に思った以上にね。その証拠に」


 蒼はタブレットを二つ、画面を燎に見せて──にっこりと笑って。


「これ。左があなたが描いた絵で──右が多分参考にしただろう私の絵。この二つを見比べて、どう思うかしら?」

「俺クッッッソ下手っすね! 似ても似つきません!!」

「でしょー?」

「楽しそうっすね先輩! というか並べるのやめてもらっていいですか死にたくなるんですけど!!」

「我慢しなさいこの先何度も味わうわよ。で、あなたはこの絵をちゃんと私の絵を見ながら似るように描いたはずなのに、なんで似ても似つかないか。それこそが、あなたが私の絵をちゃんと『見る』ことができていない証拠」


 ぐうの音も出ない。


「デッサンは、あなたが私の絵柄をコピーする上で一番必要でそして現状圧倒的に足りていない、この『見る』力を養う最大の練習法よ。それだけじゃない、見たものをちゃんと見たままにキャンバスに描き出す『描く』力も同時に養えるし、イラストに必須なデフォルメがどういう理屈でされているかの感覚も掴める」


 それだけ聞くと、良いことずくめのように思えるのだが。


「じゃあなぜ、この練習法がイラスト修行としてそこまで明確にメジャーになっていないのか。理由は色々あると思うけれど……その一つとして、デッサンっていう練習法には、唯一にして最大の欠点があってね。それは──」

「……」



「──死ぬほど・・・・しんどい・・・・のよ」



 そこで蒼は、もう一つの漁っていた資料を取り出す。

 特殊な大きい紙に白黒で描かれた、ビンと果物と植物。写真と見紛うそれは──


「これ、私が描画力上げるために描いてた時のデッサンなんだけど」

「……うっま」

「そ、そう? ……ではなくて。私が聞きたいのは」


 若干のチョロさを見せつつ、蒼が燎に問いかける。


「これ、描くのに何時間かかったと思う?」


 思わぬ問いかけ。

 咄嗟に答えることは難しいが……やはり、慣れた人間は驚くほどのスピードで絵を仕上げることは知っていたし、ここは、


「……二、三時間でしょうか」

「六時間」


 ──予想を遥かに上回った。


「六時間、もちろん休憩は挟んだけれどそれ以外の時間はずーっと。目の前にあるものを観察して、目の前のケント紙に書き起こすの。どこがどうなってるのか、どう描いたらそれっぽくなるのか。目と手と脳をひたっすらに動かしながらね」

「……」

「そう聞くだけで、きつさの片鱗くらいは伝わるんじゃないかしら?」


 そこまで言った上で、蒼は資料をしまって──


「と、いうわけで。あなたにはこれから、このデッサンを毎日行ってもらいます」

「へ?」

「早速今日から始めましょうか。安心しなさい、いきなり六時間なんてことは言わないから……まずは下校時刻までに簡単なモチーフを描いてみて。それを通して基本的な道具の使い方や見方の基礎を教えてあげる」


 代わりに取り出したのは、先刻ケント紙と呼んでいた特殊な手触りの紙とボード、やたら芯の長い鉛筆複数、カッター、小学校以来初めて見た練り消し。


「え、あ、その、いきなり?」

「ええそうよ? 二ヶ月でキャラデザまで辿り着くんでしょう? じゃあ一日だって、一秒だって無駄にしている時間があると思ってるの?」


 仰る通りである。

 いきなりのことに驚きつつ──けれど覚悟を決めて「お願いします!」と頭を下げる。それを見届けると、蒼は満足そうに微笑みを見せてから。


「よろしい。それじゃあ超速で仕込ませていただきましょうか。ああ、もちろん──」


 煽るように……そして、それ以外の何かも込めて。


「──辞めたくなったらいつでも辞めて構わないわよ?」


 そのまま、言われるがままに紙を受け取り鉛筆を手に取って。「それじゃあ早速」と蒼の指導が始まって──




 ◆




 そして、翌日朝。


「しんっっっっっど!!」


 燎は机に突っ伏していた。


「舐めてた、絵ぇ舐めてたわ。先輩に最初に言われたことに今はもう全く反論できんわ。まさか本格的に絵描くとなるとあそこまで色々大変とは……」

「わぁ背中が煤けてるぅ」


 教室にて、昨日あったことの報告をし終えたのち。

 再度机に突っ伏する燎を、楽しそうな笑顔でほたるが見守っていた。相も変わらず美少女の輝きを放つほたると若干どんよりしている燎との明暗差がえぐい、視線誘導に使えるレベルだ──と若干昨日教わった知識に侵食されつつ、燎は顔を上げる。


「とまあ、こっちが昨日あったことはそんな感じ」

「大変だったってのはすんごい伝わったよ。しかも宿題もたくさんもらったんだって?」

「ああ、基本これからしばらくは毎日デッサン一枚、そんで先輩っぽいイラストを一枚が必須課題になった。それで先輩が部室にいる日は毎日講評もらいに行って──って感じ」

「聞くだにやばそう」


 間違いなくやばいし、しんどい。昨日までの日々とは大違いで、それこそいきなりジェットコースターに乗せられたかのような気分である。

 ……けれど。


「……でもまぁ、上等だよ」


 望んだことだ、と燎は告げる。


「これくらいしないと届かないってんなら、死に物狂いでやるよ。……本気でやれるものを見つけたいんなら、まずはとにかく目の前のものを本気でやらないと」


 それに、楽しくもあるのだ。

 今だけかもしれないが、今までにない挑戦をしている。それ自体に高揚できているし……


「……憧れた絵に、一日だけでも近づけてる実感がある。『レベル上げ』できてるなって感じがして、楽しいよ」


 それを本心から笑いながら言って……それを聞いたほたるも、釣られて笑って。


「──格好つけてるねぇー」

「つけてますよ悪いか! ただでさえ今あんたにも舐められてるからねぇ!」


 にまー、という擬音が付きそうな可愛らしくもうざったい笑顔に半ばやけくそ気味にそう返す。……なんとなく分かってきたが、多分この少女は遠慮がいらないと分かった相手は全力で揶揄うし煽るタイプのようだ。極めてウザい、けれど。


「あははーごめんごめん。──うん、ちゃんと格好良いよ」

「……そりゃどうも」


 一方で、ちゃんと本心で嬉しそうな表情を浮かべてこういうことも言ってくるのだ。

 若干目を逸らしつつぶっきらぼうに告げる燎に、ほたるはそこで話を切り替えて。


「んー、でもそうなると、今日も付き合ってもらうのは厳しいかな?」


 そんなことを言ってきた。


「なんかあんのか?」

「うん。今日の放課後はね、一昨日の燎と同じくスカウトに向かうつもりなんだけど」


 曰く先日のパソコン部の訪問で、ほたる自身も驚くほどにとんとん拍子に技術面での人の当てが見つかったらしい。アドバイザー枠としてなのでハードルは低いものの、それでも確かな技術と知識を持った三年生の先輩に手伝ってもらう運びとなったそうだ。


「向こうも、何かしらクリエイターをサポートする経験が欲しかったってことで渡りに船だったみたい。これで最低限機材や技術面での心配はいらないかな」

「そいつは朗報だな。それで──今日は?」

「君を誘った時、わたしがVとしての活動を始める上で音楽を一つメインにするって言ったじゃん?」


 確かに聞いた覚えがある。


「だから曲を作ってくれる人が欲しいんだよね。配信でのOPED曲とか──後は、できればオリジナル曲も。『歌』からわたしを知ってくれる人をしっかり引き込むためにね」


 確かな彼女の中での活動のビジョンがあるのだろう。

 ……改めて、この彼女のバイタリティには感心する。


「当てはあるのか……ってなけりゃ今日スカウトに行くって言わないか」

「もちろん。燎も噂くらいは聞いたことない? 今年入学した一年生で──音楽関連の特別入試で入ってきた、とんでもない天才が二人・・いるって」

「……あー」


 確かに、聞いたことはある。

 曰く、昨年中学生を対象にした、しかも相当審査が厳しいバンドのコンテストがあったとのこと。

 そこで、突出して目立っていたバンドが二グループあったらしい。明らかに二組だけ別格だったため界隈の内外で有名になり──そしてそこの作曲及びボーカル担当が、今年揃って旭羽に入学してきたとか。


「そ。それでわたしが今日声をかけるのは、そのうちの一人」


 期待を宿した表情で顔を輝かせ、ほたるがその名を述べた。



「──赤星あかぼし雪哉ゆきや。一年生にして既に有名人で、『孤高の天才』なんてとんでもな名前をつけられてるらしい生徒。気にならない!?」



 ……その後、なんだかんだで燎もそのスカウトについて行くことになり。

 そこから、まぁ今日も今日とて濃いイベントが連続することになるのだが……今の彼には、そんなこと想像だにできなかったのである。

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