4話 桜羽蒼は案外、チョロい。

「舐めてる?」

「いや、あの」

「ねぇ舐めてるわよね?」

「その、話を」

「高校に入って何か新しいことしたくて、『イラストとか描けたら格好良くなーい?』くらいのかっるーいノリで手ぇ出して『あんま上手くいかないなーそうだプロに教えてもらおう! プロの指導受けたら自分でも二ヶ月くらいでいける!』みたいな舐め腐った根性でやってきてるわよね?」

「違います──と言いたいところだけどこの一瞬でそこまでのまぁまぁ解像度高めのストーリー作る手腕に若干感動して突っ込めないんですけど!」

「私ねぇ、そういう甘ったれた気持ちで創作の世界に足踏み入れようとする奴見ると超絶腹立つのよ! 拳で分からせたくなるくらいにはね! 商売道具だから手は使えないだろってぇ? 残念左手が空いてんのよ!!」

「台詞回しのセンスもストーリー構築力も一級品ですね漫画家になったらどうですか!?」

「漫画家なんですけど!?」


 なぜ自分は初対面の先輩とこんな漫才じみたやり取りをしているのだろうか。

 多分向こうもそう思ったのだろう。はっとした様子で浮かせていた腰を下ろし、咳払いを一つ挟む。


「話を、もう少し聞いていただけると嬉しいです」

「……そうね、悪かったわ。続けて」


 ……なんだか、既に最初に感じた『冷たくて厳しそうな先輩』的イメージは若干崩れつつあるのだが。

 ともあれ、燎は促された通りに続ける。


「……舐めては、ないつもりです」

「……」

「一応、一月独学で絵はやってみました。……一月もやればある程度はわかります、先輩含め絵を生業にしている人がどれだけすごいことを呼吸するみたいにやっているか。線一本や色使い一つにどれだけの研鑽や努力が込められているか。……どれだけ、遠いか」


 この一ヶ月は、それを丁寧に理解させられる日々だった。

 自分が空っぽであることを痛感させられ、その距離に心を苛まれ、中途半端で終わってしまう自分に対する嫌悪を抱きながら手を置いて。



「──そういうのが嫌で、俺は旭羽ここに来たんです」



 それを、昨日。彼女との一件で思い出した。

 嫌だ、もう逃げたくない。人生を懸ける何かを見つけたい、変わりたい。


「二ヶ月で、本格的なキャラデザができるまでになる。……相当馬鹿げた目標であるとは理解してます、無理だろって一蹴されても仕方ないくらいのものだとは。

 ──だからこそやりたいんです。半端な目標じゃ絶対に意味がない、無理かもって思うくらいのものじゃないと変われない。定められた期間死ぬ気でやってそれでも届かない可能性の方が高い、それくらいのことを」

「──」

「そのためなら、なんでもやるって決めたんです。無様でも恥知らずでも、自分にできることは全部やるって。これもその一環です。だから……」


 もう一度、頭を下げて。


「なんでもやります。……俺に絵を、教えてくれませんか」


 しばしの沈黙。その後、涼やかな声が響く。


「……軽い気持ちで来たわけじゃないってことは、分かったわ」


 その上で、続けて告げる。


「でも──それはあなたの都合よね? 私があなたに教える理由にはならないしメリットもない。そこはどう考えているの?」


 至極真っ当な意見だ。

 けれど……それに関してなら、燎にも言い分はある。


「……確かに。プロの先輩に教わる、その代価を俺は用意できないです。できるなんて簡単に言えるようなものでないのは分かります。先輩に教える気が無いと言われてしまえば、この話はおしまいです。──けど」


 その上で。推測が混じったものにはなるが、燎がここに来た理由の一つを述べる。



「……じゃあ、どうして先輩は部室にいるんですか?」



 蒼が目を見開いた。


「多分ですけど、単純に作業がしたいだけなんだったら自宅か……あれば作業場の方が機材も資料も充実しているはずですよね? プロなんですから。なのに放課後わざわざ部室にいるのはどうしてかな、と考えまして。それに」


 加えて、根拠はもう一つある。


「……新入生の応募も、締め切ってませんでしたし」

「!」

「それらを考慮して──桜羽先輩は、教えてくれる気自体はあるんじゃないかなと。ちゃんとやる気のある新入生が来たら、ちゃんと真っ当に指導をしてくれる気はあるのかもしれない。希望的観測であることは否定しませんが……その可能性を考えて、今日俺はきたんです。……的外れな推測だったらすみません」


 そこまで言い切って顔を上げると。

 蒼は──なんとも微妙な、気恥ずかしさと気まずさの混じった顔をしていた。


「そういうのは、気付いても指摘しないのが礼儀じゃないの?」

「え、あ、すみません!」

「……いえ、いいわごめんなさい。流石に今のは我ながら面倒すぎたわ」


 なんとなく、だけれど。

 一つ、壁を超えたことを直感した。それに違わず蒼は続けて。


「……その通りよ。一応部としての活動を続ける気自体はあるわ。私も一年の時は先輩にお世話になったりもしたわけだし、その恩義もあるしね」


 燎の推測を肯定したのち……心なしか先刻より柔らかくなった、けれど未だ涼やかさは保った声で告げる。


「じゃあ、夏代くん。いくつか聞いてもいいかしら」

「は、はい」

「明確な目標はあるの? キャラデザインがしたいっていうのとは別方向の……そうね、より具体的に言うなら『こういう絵柄が良い』っていう目標は」

「はい?」


 少し、驚く。

 質問が意外だったのではない。今その質問をされること自体が意外だったのだ。

 質問内容はつまり、『この人みたいな絵が描けるようになりたい』という絵柄の指針、目標とする絵を描く人は誰か、ということだろう。

 そんなの、決まっているではないか。


「──先輩ですけど?」

「?」

「貴女ですよ、桜羽蒼先輩……いえ、夜紡あおい先生、と言った方が良いでしょうか」


 蒼の、漫画家としてのペンネームを出して続ける。


「そもそも、俺が絵を描き始めたのは先輩の絵を見たからです。旭羽高校の入学が決まって先輩たちについて調べた時、桜羽先輩のことがあって。漫画も読んで感動して──俺と一つしか違わないのにこんなん描ける人いるんだって思って」


 その憧れから、イラストを描き始めたのである。

 ……当然、入学しても話しかけるようなことは無かった。紛れもなく雲の上の人で恐れ多いとも思っていたし……何より、きっとこの憧れもいつか辞めてしまうのだろうかと思って怖かったのだ。


 けれど、それではいけないと思い直して。今日、意を決してここに来たのだ。


「だから、絵としての俺の目標は桜羽先輩です。だから、真っ先にここに来たんです」


 そこまでを、言い切って。

 聞き届けた蒼は、数秒間沈黙したのち。




「────はぇ?」




 何故か、紅潮した顔とゆるんだ口元で。

 今までの涼やかな声よりもワントーン高い、大変可愛らしい抜けた声を上げた。


 ……おや?

 と思う燎に、蒼はどこか誤魔化すように若干視線を逸らしつつ告げる。


「そ──そうなの、それはまぁ好都合というかやりやすいわね、私が目標なら私の持ってる技術とか色使いとかを元に指摘できるわけだしうん、えっと」

「あの、先輩?」

「それならもう一つ聞いておきたいのだけれど!!」

「はい!!」


 なんか勢いで誤魔化された気がするが、根が素直なのでおとなしく聞く姿勢に入ってしまう燎に対して。

 蒼はゆるんだ顔を引き締め直し──同時に、ほんの少し寂しげな雰囲気を忍ばせつつ、こう告げてきた。


「本当に私でいいのかしら?」

「え?」

「言葉通りよ、本当に私に教わるので良いのか聞いてるの。だって」


 驚く燎。けれど……彼自身、蒼がそう言う理由には心当たりがあった。

 何故なら──そう、彼女は。



「漫画家……なんて名乗っているけれど、今は連載も持てていない。

 ──つい先月・・・・打ち切りを・・・・・くらった・・・・ばかりの・・・・人間・・に教わるので、いいのかしら?」



 そういう、ことである。

 桜羽蒼、旭羽高校二年。特別入試の特待生。

 特別入試──一芸入試とも呼ばれる旭羽高校の特殊制度の一つ、中学までに何かの分野で優れた成績を残した生徒が入学するための入試制度。

 彼女はそれに、中学時点で既に一定の成果を上げていた漫画の分野で合格し、そのまま高校一年時にアプリ漫画で連載を開始。


 そして──一年弱の連載を経て、打ち切りとなった。

 決して人気がなかったわけではない。けれど読者の全体母数を増やすことができず、今後増える見込みも薄いということで連載を畳む運びとなった、と噂では聞いている。


 無論、それも燎は知っている。

 知った上で、それでも彼女のところに一番に頼みにきたのだから。


「関係ないです」


 故に、迷うことなく燎は答える。


「俺にとっては、プロとして何かを作る経験をしたことがある人ってだけで雲の上ですし、尊敬の対象ですよ。それに」


 その上で、一つだけ聞きたいことを述べた。


「また作品を作ること……連載することを、諦めてはないんですよね?」

「当然」


 一瞬の躊躇もなく、蒼は答えた。

 そこから、燎がこの部室に来て初めて奥の椅子から立ち上がる。


「諦めてないに決まってる。……まぁ、連載終了直後は色々言われたわよ。分不相応な挑戦をするからそうなるだとか──口さがない人たちからは、だから負けたんだとか」


 そうして机を回って、燎の目の前に立って。



「──ざっけんじゃないわよ」



 ……思った以上に小柄な人なのだ、とそこで初めて気づいた。

 けれど、その小さな体躯から今は有り余るエネルギーが発せられているようにも思えて。


「まだ負けてなんていない、終わってなんてない、このまま終わってたまるか。

 この悔しさも不甲斐なさも全部エネルギーに変えて──次に、ぶつける気満々よ」


 誇りを示すように、胸に手を当て。

 青い瞳に煌々とした光を宿して、微かに不敵な笑みを浮かべてそう言い切った。


「……やっぱり」


 思った通りの人だ、と燎が呟いて……その呟きを拾った蒼が首を傾げる。


「やっぱり? 何か私のこと知ってるの?」

「え、あー……実はですね」


 ここまできたら言うべきだろう、と燎も心を決めて、口を開いた。


「……入学直後に一度、先輩のことを見かけたことがありまして」

「見かけた?」

「ええ、遠目ですけど。人気のないところで──多分、風景スケッチの練習とかしてたんですかね」


 その内容については詳しくは知らない。

 けれど、その時燎にとって圧倒的に印象に残ったのは。


「泣いてたんですよ、先輩」

「!」

「泣いてた理由も、時期を考えれば簡単に推測がつきます。……最終回が掲載された、連載が打ち切りになった翌日でしたから」


 その時に見かけた蒼は、本当に拭うのも億劫になったのだと分かるくらいの涙を流していて。

 ……きっと、筆舌に尽くし難い悲しみだったのだろう。燎には想像もできないくらいの圧倒的喪失感や無力感、その他諸々の感情に苛まれていたはずで。そして──


「──それでも・・・・筆は・・放さなかった・・・・・・。悲しみに暮れている時間なんて無いってばかりに必死に筆動かして、少しでも前に進みたくって頑張ってた。

 ……それ見て、めちゃくちゃ格好良い先輩だなって思ったんです」


 その時は──自分が触れられる領域ではない、近づいて良い存在ではないと思ってその場を離れてしまったのだが。

 光景のインパクトは強く燎に残って……それもあって、今日ここに来たのだ。


「だから、絵を本気でやるって決めた時……もし叶うならば桜羽先輩に教えて欲しいって思って今日真っ先にここに来て──」


 そこまで言いながら、燎は顔を上げて。




「────ぅあ」




「先輩?」


 顔の前で、顔を隠すように腕をクロスさせた謎のポーズをとっている蒼を見た。


「あの、すごいそこから変身とかしそうなポーズをなさっていますがどうし──」

「ちょっとあっちを向いていてくれるかしら!!」

「はい!!」


 なんか唐突な要請を受けたが、根が素直なのでおとなしく横を向いてしまう燎に対して。

 やや混乱の入った口調で、蒼はこう告げてくる。


「あのー夏代くん? 私ね、『女の子の泣き顔を盗み見ました』ってそんな堂々と宣言してくる子に初めて会ったんだけど!」

「え、あ──すみませんそんなつもりでは!」

「ええ分かってるわよ、本当にそんなつもりがなくて純粋に尊敬してくれてるってのは伝わってきましたー! それが予想外に嬉しすぎたから必死に顔隠してるとかじゃありませんけどー!?」

「先輩、初対面で僭越な忠告かもしれませんが多分今はそれ以上喋らない方が良いと思います!」


 本当にここまで綺麗に言葉で墓穴を掘る人は初めて見た。

 ……というか。先ほどの『憧れている絵柄は蒼の』と言ったときの反応もそうだが。



 もしやこの先輩──チョロいのでは?



 いやいやまさか、燎が入学して一番すごいと思った先輩が、まさかそんな。

 そう思いつつ、燎は許可を得て顔を正面に戻して改めて。


「俺がここに来た理由は、今言ったので全部です。それで先輩……絵を教えて欲しいっていう頼み、受けていただけませんか?」


 最初の要望に戻ってくる。

 蒼も腕を解いて燎の方に向き直り──まだ若干紅潮を残し、やや口角が上がって口元が緩んだ状態の可愛らしい表情のまま。


「ま──まぁ、そこまで熱心に私を慕ってくれているなら? やる気も十分あるみたいだし? やぶさかではないというか? 教えて差し上げてもよろしくってよ!」

「口調が若干気になりますがありがとうございます!」

「それで、ソフトや参考資料は十分揃えているのかしら? 足りないものとかあったら部室にもあるし、なんなら私のお下がりでよければ好きなものを持っていくと良いわ!」


 ……うん、その、あれだ。



 この部室で得た最大の結論。桜羽蒼先輩は、見た目からの印象とは裏腹に。

 思った以上に親しみやすく──そして、とんでもなくチョロいらしい。



 何はともあれ、燎は希望通りに絵を教えてもらう約束を取り付け。

 燎のイラスト修行が、いよいよ本格的にスタートするのだった。

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