2話 ファーストコンタクトは派手な青春から

 油断していた……というつもりは無かった。

 そもそも放課後遅い時間、もうすぐ下校時刻になろうかという時間帯で教室に来る人なんてほとんどいないと思っていたし。

 仮に来たとしても、教室の隅で黙々と作業している自分の手元をわざわざ覗き込みに来るような奇特な人間など皆無だとも考えていた。


 故に。学校での課題を終え、帰宅用のバスとの時間的折り合いも悪く、空いてしまった時間を埋めるためにタブレットを開いてペンを走らせていた自分を。

 偶然忘れ物を取りに来た彼女が好奇心で後ろから覗き込んでくるなんてこと、到底想定などできなかったのである。



「──え。夏代くん、イラスト描けるの!?」

「!?」


 唐突に後ろから聞こえて来た底抜けに明るい声に、思わず燎は椅子ごと横に飛び退いた。

 そして声をかけた少女──天瀬ほたるは、そんな燎の様子に構わず燎とタブレットを見比べながら、目を輝かせ端正な顔をぐいぐいと近づけてきて。


「え、すごーいかわいー! これってイラストソフトってやつだよねすっごい本格的じゃん! それにこの絵ってあれだよね二年の──」

「待て待ていきなり捲し立てるなあと近い!」


 普通飛び退いた人間に更に迫るか? と極めて真っ当な疑問を抱きつつ燎は声を荒らげる。それを受け、ようやくほたるもはっとした様子で身を引いて。


「あー、やーごめんごめん興奮しちゃって。忘れ物取りに教室戻ったら夏代くんがいてさ、すっごいその……真剣な顔で唸りながらなんか描いてる風だったから気になっちゃって。……勝手に覗いてごめんね?」

「……それはいいけど。こんな場所で描いといて目に入れるなってのも違うと思うしな」


 そこは自分にも非があるだろうと認めつつ、とは言え勝手に見られたことに対する警戒は残る。諸々踏まえてやや声色には棘を残しつつ、燎は口を開いた。


「……それで、俺が絵を描いてることで何か関係が?」

「んー、関係あるというか今から関係したいというか」


 どうもほたるの態度を見るに、単純な物珍しさだけで声をかけたわけではない雰囲気がある。それも含めて疑問をぶつけると、ほたるは口元に指を乗せて告げる。


「てか今わたし割と運命的な何かを感じてるというか。夏代くんが描ける人なんてびっくりすぎて、絵もそうだしやっぱこれはもう──」

「あの?」

「うんごめんね意味わかんないよね!」


 何事か呟いたのち、首を傾げる燎にほたるは焦った様子で言葉を切ると。


「まずは手っ取り早く、端的に分かりやすく本題を述べよっか! あのさ、夏代くん!」


 改めて燎の方へと向き直り、微かな緊張を顔に乗せて──こう、告げてきた。



「──わたしのママになってください!」

「うん、分からん!」




 ◆




 あまりにも端的で分からなさすぎる要望に思わずそう答えたのち。

「それもそうだね!」と返したほたるが、ようやくと言うべきか詳しい説明を始めた。


「夏代くんはさ、VTuberって知ってる?」

「そりゃ……今時知らないやつはそう居ないだろ」


 VTuber。バーチャルライバーと呼ばれることもある存在。

 はっきりとした定義はやや変遷もしているし曖昧だが、所謂イラストをベースにしたアバターを用いて配信をするストリーマーを指すことが多いだろう。

 ここ数年で一気に勢力を伸ばし、今や社会現象とも呼べるほどの浸透を見せている、紛れもなく現在のエンターテイメントの最前線だ。


「そのVTuberをね。わたしはその、えーっと……」


 そこでほたるは言葉に詰まったのち、なんかキリッとした顔で燎の方を向いて。


「──愛してるんだよね」

「そこだけガチトーンになるくらい強めの感情があることは分かった」


 恐らく一言では表せない様々な想いを持っているのだろう。

 しかし、如何にもな陽の者っぽいほたるがその辺りの分野に詳しいどころか愛好しているとは──なんて考えも偏見か。好きなものがあるのは素晴らしいことだ。

 そう思って続きを促す燎に、ほたるは再度口を開く。


「そう! そして好きなものには自分もなってみたいって思うのが普通じゃん? 高校入って新しいこと始める絶好の機会だし、だからわたしもVTuberになって配信とかしてみたいなーって思って色々奔走してるんだけど……問題があってね」


 そうしてほたるは、極めてシリアスな顔で両手の上に顎を乗せ。



「──すっっっっごい用意するものも多いしお金もかかるのね!!」

「…………あー」



 だろうな、と燎も把握した。

 以前一度興味本位で調べてみたこともあるが……まぁその、ちゃんと活動を始めるとなれば一介の高校生には相当厳しい額が並んでいた記憶がある。


「なんとか機材に関してはお年玉の貯金とかお小遣いとか高校入学祝いとかで揃えられたんだけど、そこでもうわたしのお財布はほぼすっからかんなのですよ! でもまだ用意するものはある! 特にアバター! それ以外も必要なものはあるし、個人的に活動の中心となる上で欲しいものとか諸々考えると到底他に回すお金はないの!」


 ……その辺りで、最初にほたるが言った言葉の真意にも推測がついてきた。


 VTuber業界では、配信者が配信する上で使うアバター、その元となるイラストを描いた人間、キャラクターデザインをした人を『ママ』と呼ぶ文化がある。

 その情報と、今ほたるが言った事情を組み合わせれば大凡の察しはつく。


「活動を始める上で、現在の経済事情では機材プラスアルファで手一杯。でもアバターも誰かに描いて欲しいし──それこそこの学校なら絵の上手い人なんてごまんといるけれど、そういう人たちは軒並みプロだから頼むとなると金がかかる」

「うっ」


 ほたるが言い当てられたと分かる呻き声をあげた。

 そう。だから──


「だから、頼む上で金がかからなさそうな。つまり一目でプロレベルじゃないと分かる絵を描いていた俺に声をかけた、と」

「そ、そんな意図が……なかったと言えば嘘になりますはいごめんなさい……」

「いや、そこは気にしてないさ。実際見立て通り俺は──」

「でも、でもね! 聞いて!」


 本心から気にしてない旨とその先を伝えようとしたが。

 思いの外真剣なほたるの声に口を噤むと、彼女は正面から燎を見て。


「……確かに、『プロに頼むお金がないから』って理由があることも否定はできないよ。でも……君に声をかけた理由は、それだけじゃなくって」


 端正な顔に、静かな意志を宿して告げる。


「──いいな、って思ったんだ」

「え?」

「君の絵を見て、いいなって思った。……どうしてかはまだはっきり言葉にできないけど、直感的に。この人がわたしを描いてくれるなら、素敵なものができそうって」

「……」


 ……嘘を言っている気配は、ない。

 にわかには信じ難いが、本気でほたるは、そう思って告げている。


「何より、クラスメイトってのが良いよね! ちゃんとわたしのことを知った上で描いてくれそうだし! まぁまだほとんど話したことはないけど、それはこれから仲良くなれば良いだけだし!」

「はい?」

「それに、多分夏代くんわたしが依頼初めてでしょ? じゃあわたしが独占できるってことで、君の時間全部魂まで使ってわたしを描いてくれるってことだ!」

「とんでもないこと言ってないか貴様?」

「あははー、まー冗談はこれくらいにして」


 若干本気ニュアンスも入っていた気がするのだが。

 ともあれ、とほたるは燎の方に再度向き直ってから。


「真面目な依頼だよ。わたしは今ちゃんと、君に描いて欲しいって思って言ってる」

「──」

「だからさ、夏代燎くん。……わたしのこと、描いてくれない?」


 締めくくりの、あまりに真っ直ぐな誘い文句。


 明るい瞳に宿る真摯な光は一片の嘘もないことを雄弁に告げていて。

 ……ここまで言ってもらえるのなら、描く人間としては冥利に尽きるのだろうな、と心から思う。


 だからこそ、それを踏まえた上で。

 燎の回答は、決まっていた。



「──悪い。他を当たってくれ」




 ◆




「えっ……」


 途端に、ほたるの表情が翳る。

 あまりにも予想外、と言うような態度。どうしてそう思ったのかについて若干の疑問は残るが……その前に。


「なんで……って、聞いてもいいかな」


 ほたるのこの疑問に、答える必要があるだろう。


「わたし、本気で言ってるよ? 本気で配信活動始めたいって思ってるし、そのために実力とか関係なしに、君に──」

「そこは疑ってない。あんたがガチなのは態度で十分分かるさ」


 時折冗談を交えつつも、そこに関しては一貫して真摯だった。それくらいは分かる。

 そして──燎が断らざるを得ない理由も、その真摯さにあるのだ。


「……あんたのその本気に、俺は応えられないからだ」


 それを、苦い表情と共に燎は告げた。


「まず、さっき遮られた言葉の続きを言わせてくれ。あんたの見立て通り俺はプロレベルじゃない、どころかほぼ素人も同然だし……何より」


 そう、何より。



「──多分、もうすぐこれも辞める」

「へ?」



 諦念を含んだ表情で告げる燎に、ほたるが驚いた声を上げた。

 そう。……実のところ、燎はそこまで絵に執着していないのだ。いや──できていない、と言った方が正しいかもしれない。

 絵に限らず、これまでやった大体のことはそうだった。


「俺は、絵を勉強し始めて今日で一ヶ月になる。……たった一ヶ月って思われるかもしれないけどさ」


 燎の考えは、逆だ。


「──一月もありゃ分かんだろ。自分が向いてるか向いてないかなんて」


 ……もう、分かった。きっと絵ももうすぐ辞める。

 もうその段階に来ていると分かるのだ。情けないことに、何かを辞める経験だけは馬鹿みたいにしてきているのだから。


「だからさ、俺じゃないよ。あんたみたいな何かを本気でやろうとしてるすごい奴には、絶対もっと相応しい奴が他にいる。この学校ならすぐ見つかるだろ、だから──」

「そ、それはまだ分かんないじゃん!」


 締めくくろうとした燎に、けれどほたるは必死な顔をして告げる。


「もうちょっと続けてみようよ! 君の気持ちも……そりゃ、分かるけど、それでもわたしはやっぱり『まだ一ヶ月じゃん』って思っちゃうよ!」

「……」

「もう一月あったら分かんないかもしれないよ! えと、その……ほら、今から証拠を見せるから!」


 そのまま、どこか慌てた様子でほたるは自分のスマホを取り出しつつ続ける。


「わたしね、活動としてVTuberをやりたいのは本当だけど、それより前にも別方面で活動はしてるんだ。Vやる時のためにチャンネルも立ち上げてね、やっぱり最初から人はある程度いた方が良いと思って!」

「別方面?」

「そ。実はわたし──歌もやってるんだ!」


 そうして彼女が見せて来たのは、自身のものと思われる配信サイトのチャンネル画面。

 登録者数は──既に燎が見たことのない数字になっていて。


「ありがたいことにもう結構聴いてもらっててね。ほら、この最初に上げた歌ってみた見てよ!」


 そして、ほたるは。

 きっと──紛れもない善意から。単純に『これだけできる人もいるんだ』と証明して元気になって欲しい、考え直して欲しいというただそれだけの心から。



「これ──わたしが・・・・歌を始めて・・・・・一ヶ月で・・・・出したものなんだけど。

 それでも結構行ってるでしょ!? だから、一月あればきっと」



 躊躇なく、燎の最後の砦を踏み抜いた。


「きっと──えと、夏代くん?」


 様子が変わったことを察してか、ほたるが困惑の声を上げる。

 そんな彼女に対して、燎は。


「…………はは。そっか。ああ、そうかよ──やっぱあんたもそっち側か」


 静かに、言葉を紡ぐ。


「俺は一月やってまだろくなもん一つ生み出せちゃいないってのに、あんたはたった一月でこんな再生されるくらいすげぇ歌を生み出せるのか。

 すごいなぁ、きっと才能もあったし一月すげぇ頑張れた・・・・んだろうなぁ。そんでその実績引っ提げて次は配信者か。あんたはもうこの学校にいるすごい奴らと同じように、特別なものを見つけてんだ。すげぇな、羨ましいな、ああ、ほんっと──」


 そうして、燎は。

 自分の抱え続けてきた劣等感を。この学校でならと思って、でも結局一切拭える気がしないこの思いを。

 自分の中の、一番情けなくてどうしようもない感情を。




「──俺だって!! そういうのが欲しかったよッ!!」




 激情と共に、吐き出す。


「俺だってさぁ! そういうのが欲しかったんだ! 何か夢中になれるもの、俺でもすごいことができると思えるもの。人生を懸けてもいいって思えるもの──掛け値なしに、このため・・・・なら・・おかしく・・・・なっても・・・・良い・・って思えるくらい特別な全部を懸けられるものが!!」


 昔から、そういうのに憧れていた。

 テレビの中の有名人だったり、漫画の中の登場人物だったり。

 彼ら彼女らは、一つの分野に自分の全てを懸けていて。時に「いかれているんじゃないか」と後ろ指を差されながらも進むことをやめず、ついには極めきって栄光を掴み取っていた。


 ……そういうのが、欲しかった。

 自分の全てを費やせるほどの何か。いかれる・・・・ことが・・・できる・・・くらいの夢。

 そのためなら己の魂を燃やして、捧げても良いと思えるもの。


 そこまでではなくとも──せめて、何か。特別になれるものが欲しかった。


「でも、無理だったんだよ!!」


 探そうとはしたのだ。

 やってみたいな、と思ったものは片っ端から試してみた。少しでも興味を持ったものには積極的に手を出して、とにかく頑張ってみた。


 最初は良かった。新しいことに対する高揚と好奇心で怖いもの知らずにどこまでも進むことができた。

 ……けれど、すぐに知る。周りを見れば自分と同じように突き進んでいる人がたくさんいて、その中には自分よりも強いエネルギーを持っている人や自分よりも短期間で凄まじい成果を上げる人が、それはもううんざりするくらい溢れていると。


 それでも、と脇目も振らずに進み続けることができれば良かったのだろう。

 ……でも、それは。口で言うより遥かに、圧倒的に難しくて。


「これを自分がやる意味って何だ」「こんな苦しい思いをしてまで、どうして続ける必要がある」「報われなかったら全てが無駄になるぞ、その前にやめておけ」。

 そんな自分の内からの声が、どんどんどんどん強くなって。


 脇目も振らず突き進みたい。──でも、理性が邪魔をする。

 燃え尽きるまで頑張りたい。──でも、半端な賢さが待ったをかける。


 そのまま、ちょっとずつちょっとずつやらなくなって、やがて完全にやめてしまう。

 そんなことを、今日まで何度も繰り返してきた。


 それで、多分だけれど。

 ……そういう人の方が、そうじゃない人よりも、遥かに多いんじゃないかと思うのだ。

 だからこそ、眼前の少女には苛立ちを覚えるのだ。


「そういうもんなんだよ。本気になるものも見つけられず、情熱を燃やす先も見つからず、手を出したものの数だけ絶望する人間の気持ちが。……あんたに、分かるのか」


 だから、締めくくりに。


「それを理解せず! 安易な気持ちで誰にでも気軽に声をかけるみたいに、『できる』なんて軽々しく言ってんじゃねぇよッ!!」


 燎が、真っ直ぐ己の内の激情を言い切って──そこから間髪容れず。



「──何それ。逃げてるだけじゃん」



 あまりにも冷たい──いや、表面上は冷たくも内側にとんでもない熱量を宿した声が、即座に返ってきた。


「じゃあ何? だったらわたしが『君には無理だよ』って言ったら大人しく諦めるの? それともそうやって諦めさせて欲しいの?」


 思わず顔を上げる。

 すると真っ先に飛び込んできたのは、彼女の瞳。声色と同じく、冷たさの内に業火を宿した瞳が真正面から燎を見据えていた。

 表情も、いつもの天真爛漫さはなりを潜め、今し方燎がぶつけたものと同じくらいの激情をありありと浮かべていて。


 ……考えてみれば当たり前のこと。けれど、もしかすると失念していたのかもしれない。

 これだけのことを、真正面から言われれば、当然──


 ──天瀬ほたるも、怒るのだ。


「諦めさせて欲しいならはっきりそう言えばいいじゃん。でもさ──」


 そうして、そっちがそうくるならと言わんばかりに。

 ほたるも、抑えていた声を解き放って。


「──じゃあ、何で旭羽ここに来たの?」

「!」

「何かを追いかけてる人が多いこの高校に、そんな事情でわざわざ飛び込んできたってことはさぁ……君も、本当は諦めたくないって! 情熱を燃やせる何かをまだ見つけたいって思ってるってことじゃないの!?」

「ッ」


 そうだよ。でも、だから。

 心中で言葉に詰まる燎に、ほたるは続ける。


「……ふざけないでよ」


 表情に、微かな震えと揺らぎを宿して。


「今朝もそうだったけど、なんで『誰にでも同じこと言う』って決めつけるの?」

「え」


 思い返すのは、彼女の言う今朝の友人との会話。


『ほたるは全人類に気軽に『できる』って言っちゃうからねー』


「そんなわけ、ないじゃん」


 それを、今彼女はここで。先刻の燎の言葉と合わせて否定する。


「誰にでも言うわけない! できることできないことがあるなんてこと、わたしも分かってるよ! それを踏まえた上で言ってるに決まってるじゃん! わたしは──わたしが本当に心からできると思った人にしか『できる』って言ってない!!」

「な──んで」


 その友人については、今までの仲もあるから分かる。

 だが──と咄嗟に疑問に思ったことを、燎は整理してから口に出す。


「なんで……俺に関しては、なんでそこまでできるって確信するんだよ」

「……おとといの体育の授業」


 返答として告げられたのは、予想外の言葉。


「男子さ、シャトルランやってたじゃん」

「え、あ、うん」

「それで、君は最後まで必死に走ってた。他の人はほどほどに疲れたところでやめてたのに、君は本当に倒れる寸前まで走ってて。周りにちょっと驚かれててもやめなくて、すっごい荒い息吐いてても最後までやって。その時の君の顔見て」


 それは……確かにそういうこともした。そして、そうした理由は。


「──変わりたくて足掻いてる人の顔だ、って思ったんだ。一見関係ないことでも、くだらないと言われるようなことでも、とにかくなんでも必死になって、何か現状を変えたくて、必死に足掻いてるんだ、って」

「……んなとこ見てたのかよ」

「たまたま目に入ったんですー」


 それで……当時の行動理由に関しても驚くほど完璧に言い当てられ、びっくりするやら若干気恥ずかしいやらなんとも微妙な感情が燎を襲う。

 ともあれ──今朝の友人との会話でも出ていたことだが。

 この、天瀬ほたるという少女は。一見我が道をただ全力で行っているように見えて……その実、本当に驚くほどに周りを見ている子なのだ、と改めて理解する。


「それで……その件で印象に残ってた男の子が、絵描いてるとこを今日見て。丁度わたしが探してることやっててすごいって思って……声、かけたんだよ」


 そして今に繋がる流れ……加えて、そこから思ったより強めに燎に期待していた理由も告げたのち、ほたるは更に続けて。


「で、さ。さっき君……気持ちが分かるのかって言ったよね」


 言いたいことを全て精算する気なのだろう。もう一つの引っかかったところについて言及してきた。


「多分正解は違うんだろうけど、あえてここでは断言するよ。──分かるって」

「!」

「見てよ」


 素っ気なくも熱を取り戻し始めた口調で、ほたるは再度スマホを取り出し。もう一度自身のチャンネル画面を開く。


「見て、わたしの歌動画の再生回数。最初のやつから最新のやつまで、全部」


 やや要領を得ない言葉だったが大人しくそれに従い、相変わらず燎からすれば雲の上の再生回数を誇る動画を最新まで見て──


「──あ」

「分かった? そう、最初の・・・動画が・・・再生回数・・・・最高・・なの。つまり君に見せたやつが最高記録で……強引に言っちゃえば、そこからわたしは成長できてないんだ」


 それが、意味するところは。


「本当にこれでいいのかとか、この先わたしは成長できるのかとか。……そういう悩みを、わたしも持ってないわけ、ないじゃん」

「っ」

「同じだよ、わたしだって君と──みんなと同じなんだよ。なのにさぁ……なんで勝手に遠ざけるのっ?」


 そこからほたるは……今まで以上に揺れる表情と瞳で、燎を射抜いて。


「君もそうでしょ。それで多分これまでも苦しいこととかあっただろうけど、それでもまだ戦おうとしてる、すごいよ。……君だけじゃない、わたしが高校で出会った人で、すごいって思う人はたくさんいる。わたしはその全員に心からすごいって言ってるつもりだし、もっとやれるって思った人には心からできるって言ってる。……なのに」


 きっとここからが、彼女の本心の一番深いところ、その一つ。


「なんで、みんなそれより前に線引くの!? そりゃあくまでわたしから見た印象で本人からすれば違うのかもしれないけどさぁ! それでも……そこで辞めるのは絶対もったいないって思っちゃうんだよ! もっとやってよ、もっと頑張ってよ! わたしが信じた通りにすごいんだって思わせてよ! 誰も彼も、みんな──」


 そうして、彼女は。先ほどぶつけられた時以上の熱量で。




「──わたしより・・・・・先に・・諦めないでよ・・・・・・ッ!!」




 ……そうか、と思った。

 彼女はきっと、すごくよく周りを見て、多くのこと気がつくが故に。

 周りへの期待値が、非常に高いのだ。ともすれば、期待をかける対象以上に。


 それを理解した上での──今の、どこか儚げに願うような言葉が。

 今まで一番、心に刺さった。


 とにかく、何か言わなければならない。燎はそう思って口を開こうとして──



「おーい、そこのお二人さん」



「「!?」」


 予想外の方向──教室の入り口からかかった声に、二人揃って背筋を跳ねさせた。

 そこから同時に入口を見やると、そこには二人の担任である男性教員の姿が。


「あー……その、こういう場面で声かけんのは俺としても相当気まずいんだけどさ、流石に声張り上げすぎな? 廊下まで超響いてたから」

「「すいません!!」」

「それと、もう下校時刻。早くしないとバス無くなるぞ?」

「「ごめんなさいすぐ支度します!!」」


 どうやら完全に今の内容も含めて聞かれていたらしい。

 あまりにも綺麗なハモり具合で速攻帰り支度を始めようとする二人だったが……そこで担任が手を前に出して。


「あー待った。……んー、正直ここまでやるのは過干渉かとも思うんだが……」


 首を傾げる二人の前で、数瞬悩んだのちこう告げた。


「お前ら、ちゃんと仲直りはしたか?」

「へ?」「はい?」

「時間置いたら話せなくなることもあると思うんだよ。だからまだ仲直りしてない、かつする気があるんだったら……」


 ちらりと時計を見たのち、軽く笑って。


「……十分までなら見逃してやる。で、どうする?」


 今度は、燎が間髪を容れない番だった。


「お願いします。仲直りするんで時間ください」

「え、ちょ!?」

「ん、りょーかい。ちゃんと仲直りする、かつ手ぇ出さないんだったら喧嘩すんのは全然アリだと俺は思うぞ。そんじゃ頑張れ」


 燎の迷いない返答に担任教師は再度笑うと、ひらりと教室を後にしていった。

 そうして、沈黙と共に残された二人。


「……えと、その」


 若干気まずそうにちらと燎を見やるほたるだったが、燎は言うことは既に決めていた。

 ここまでの流れを踏まえても、そして『仲直り』であることを踏まえても。

 何はともあれ、真っ先に言うべきことがあるだろう。


「──悪かった」


 心から、頭を下げて、それを告げる。


「その……色々重なってたとはいえ、そっちに当たった上に死ぬほど情けないこと言っちまった。本当に悪い」

「まぁそれはそう」

「容赦ないねぇ!」


 いっそ清々しいくらいにぶった斬ってくる。

 少し前から思っていたが、なんか放課後までと比べて若干ほたるから感じる印象というか雰囲気が変わった感じはする。

 そう思う燎の前で、ほたるも少し気恥ずかしげに。


「えっと……わたしもごめん」

「ん」

「とりあえず今冷静になって考えると……何も成果を出せずに悩んでる人に『わたしは一月で歌ってみたでこんだけ再生数稼ぎましたけどー?』は我ながら死ぬほどデリカシーがなさすぎて引くわほんとごめん」

「うん、それ分かってくれたならこっちから言うことはもうないかな!」


 本人の申告通り、その時は諸々あって冷静ではなかったのだろう。あの時の彼女なりに燎を奮起させようとした結果全力で逆走してしまっただけ、というのはもう理解できる。

 ……結果的にあれが引き金になってお互い全力で言いたいことをぶつけまくったので、結果オーライと言えばそうなのだろうか。


 ともあれ。これで互いにまず言うべきことは言った。

 だからこそ、ここからが本題だ。


「……あんたの言う通りだよ」


 神妙に、燎は告げる。

 ここまでの会話で……自覚し生まれた、自分の心のうちを。

 そうだよ、自分だって、本当は。


「──嫌だ。まだ諦めたくない、終わりたくない、変わりたい。本気になれるものが、魂を燃やせるものがあるって思いたいし見つけたい。だから」


 彼女とのやりとりを経て、改めてそう思った。だから。


「あんたの依頼、受けさせてもらっても良いか」

「!」

「天瀬ほたるのVTuberアバター制作、受けたい。……ただ、その上で一つ頼みがある」


 まずはこれを言うべきだろうと判断し、燎はぴっと指を二つ立て。


「──二ヶ月、待ってほしいんだ」

「え?」

「正直今の素人同然の自分の実力じゃ、到底一人キャラデザするなんてできっこない。……ていうか天瀬もぶっちゃけ、今の俺に描いてもらっても満足できないだろ?」

「え、あ、その……我慢するよ!」

「語るに落ちてんじゃねぇか」


 我慢するということは満足できないということである。


「だから二ヶ月。まだ絵が自分にとっての『特別』かは分かんないけど……少なくともその間は本気で、死ぬ気でやる。できるって信じてくれた絵を本気で。そんで……」


 ……そこで少し言葉に詰まる。今までこのようなことを言ったことはなかったし、言うような性格でもなかったから。

 でも、今は言うべきだと。そう思ったから、意を決して再度口を開く。


「……絶対、あんたに相応しい、満足してもらえるものを描けるようになるから。

 だから、二ヶ月だけ待ってくれないか」



 ──それを聞き届けた時の、ほたるの顔は印象に残っている。

 まず、驚き。そこから軽く頬を紅潮させつつ、何かを堪えるように俯いて。

 再度顔を上げたときは、今まで見たような活発な表情。それを最後に、ふにゃりと柔らかく綻ばせて。


「……もー、しょーがないなあ。それで勘弁してあげる!」


 言葉とは裏腹に、少しばかりの照れの混じった心底嬉しそうなその表情。

 今まで見た中で一番の表情で、そう告げた。



 そうして、夏代燎。旭羽高校入学二週間から。

 まだ、自分が何に魂を懸けるのかは見つけられていないけれど。

 それでも少なくとも──この先二ヶ月。彼の全てを懸けての、初めての大きな挑戦が、始まるのだった。

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