07第七幕『血染めの儀式に観衆は固唾を呑む』

「打首だ! 聞いたことがあるぞ。ああやって一列に並べて順々に首をねるんだ。残忍な……」


 噴水広場の奥には長い机が二つ向かい合って置かれ、それぞれ数人の男が着席していた。右手の机には、箱型で小豆色の帽子を被った男が居る。そちらが兵士側で、一方は処刑の執行人たちに違いない。


 二脚のテーブルを舞台とすれば、定めし観客席といったところだろうか。噴水の周りには、少ないながらも見物人が集まっている。呼び掛けに応じた町の住民だ。これから始まる血の儀式を前に彼らは固唾を呑む。


「ワテエ、血を見るのが怖いんジャ。串焼き食べて帰るんジャ」


 涅色くりいろのマントを纏った子供は、顔を伏せ、目を背けたようだ。父親に説得され、食べ物目当てにやって来たは良いが、怖い怖いと連呼して、駄々をねる。


 サフィもお揃いの格好で、並び立つと姉妹さながらだった。まさか、お尋ね者が変装して変化へんげして町の真ん中に入り込んでいるとは誰も気付くまい。


「剣を持っている奴は居ないみたいだな。それに、処刑される咎人も手枷を嵌められてないし、どうなってんだ?」


 金髪露出娘改めイタチっ子が、ぼそりと呟く。小動物は足元で這いつくばるが、声はサフィや父親の隣から伝わる。実体は別だと分かっていても違和感が甚だしい。


 彼女の目も普通の高さにあって、広場の奥を見渡しているのだ。サフィは処刑執行の寸前になって、パドゥメが精神魔法を発動するものと睨む。長い机で偉そうに捲し立てる男も誰も彼も、速やかに阿呆踊りを始めることになるだろう。


「お、短剣を持ち出したぞ。っちぇえな。あれで首を落とすのは無理だろう。えっ、何すんだ?」


 兵士側の男に短い剣が手渡された。パドゥメが普段腰に下げるダガーよりも二回り小さく、果物を切る包丁に似ている。殺傷能力は限りなく低そうで、武器とは言い難い。


「何を喋っているのかな。んん、紙を出したよ。文字が書いてあるような……うーん、ここからじゃ全然見えない」 


 文書の内容は皆目見当が付かなかったが、動作は良く見えた。驚くことに兵士は刃物で自分の指先を切り付けたのである。自害を強要されるでもなく、意味が分からない。そして、血塗れの指を文書に捺し当てた。


「あれは血判けっぱんと言うそうですね。居並ぶ全員が同じように自分の血で判をす。宿の主人によれば、古くからある誓約の方法らしい」


 父親は目を細め、受け売りの知識だと断った。


「血の儀式って、こういうことか。斬り合ったり、首を刎ねたりはしないん?」


「パドゥメさん、今朝も説明したけど、どうも勘違いしているみたいだね。儀式とは、和平協定の調印式のことなんだ。双方が後腐れなく矛を納め、今後一切、争わないと誓うのだそうだ」


 父親は更に難しいことを言い始めた。御布令おふれに記された内容をそのまま口にしただけで、本人も詳しく知らないようだ。


 パドゥメが理解できなかったのも仕方がない。サフィも初めて聞く事柄で、ちんぷんかんぷんである。


「早い話が和睦わぼくだ。お互いに立場があるんで畏まった言い方をしているが、喧嘩両成敗で、お咎めなしってことさ。右側の端に座ってる奴が大軍曹で、左の薄ら禿はげが事務総長代行だ」


 前列で見物する年配の男が代わって説明してくれた。要は、どちらが悪いと決め付けず、罪科も処分もなく、合意事項に従うのだという。二度と血が流れることはない。また男は、停戦合意という表現も用いた。


「いや、指切って血を流してるじゃん。どゆこと?」


「あれが最後で、もう二度と流血の事態を起こさないという固い約束だ」


 男は振り返ってパドゥメの問いに答えたが、声の主がどこに居るのか分からず、辺りを見回していぶかしんだ。


 金髪っ子はイタチに変化して足元をしている。この小動物が昨日の戦乱で八面六臂の活躍をしたとは、誰も信じまい。


「ワテエ、腹が減ったんジャ。よう見えんし、面白くナカ」


 イタチの隣で、涅色くりいろのマントに身を包んだ子供が愚図った。不満を垂れるのもむべなるかな、格式張った催しで、笑いどころもなければ、涙する場面もない。


 年配の男によると、停戦合意和平協定の調印式は、公衆の面前で行うことに意義があるという。その為に町側は御布令を出して住民にこぞって参加するよう求めたのだ。


 形ばかりの傍聴人といった扱いで、町の民は知ってか知らずか、素直に広場へ足を運んだ者は僅かだった。血判状の取り交わしは珍しく、一部から悲鳴が上がるほど迫力もあったが、形式的な儀式に過ぎない。


「串焼きジャ。屋台で食うんジャ」


 子供にわれると父親も素直に従った。滅多にお目に掛かれぬ儀式との風評だったが、観衆もまばらで盛り上がりにも欠く。満足したか、飽きたようだ。そもそも父子も余所者で、町の行く末にはしたる関心はない。


 広場の周辺には、複数の屋台が並んでいた。見物人を目当てに店を出した模様だが、人出は芳しくなく、どこも閑古鳥がく。 


「首斬り刑でも磔獄門はりつけごくもんでもなかったし……まあ、パドゥーが暴れなくて済んだんだけど」


「僕が術を浴びせるの前提だったのかよ」


 四人で手近なテーブルを占領した。鮮血を目の当たりにした直後、物を食べるのは気が引けたが、腹は正直だ。サフィにとって、この日初めての食事である。串焼きを少し多めに注文した。 


「肉ジャ。ワテエ、肉が食いたかったんジャ」


 子供はフードを外し、皿が置かれるや否や鷲掴みし、串焼きにしゃぶり付いた。野菜は判別できるが、何の肉なのか品書きもなく、得体が知れない。それでも匂いは香ばしく、サフィもパドゥメも迷わず手を伸ばす。


「また争いが起こらなくて良かったけど、喧嘩両成敗って若干、変な感じがするね」


 涅色マントで変装した黒魔道士は謎肉を頬張りつつ、首を傾げる。急転直下の和睦は結果的に良しとしても、腑に落ちないところがあったのだ。


 双方は昨日、剣を交え、弓を放って争った関係にある。兵士側は町の東区域を制圧し、火箭かせんで民家を焼き払うこともいとわなかった。平和な町を急襲し、大混乱に陥らせた。負傷者も多く出たはずで、大罪に等しい。 


「まあ、不思議とは言えるね。背景は少々複雑なのかも知れない」


 父親も妙に思ったようだ。詳しい事情は余所者の耳に届かず、謎は残る。大きめの声でそんな会話をしていると、屋台の主人が割り込んで来た。


「どっちが悪いとも決め付けられんのですわ」   


「急に吃驚びっくりしたな。親爺、色々知ってそうだな。僕らにも分かるように、ちゃちゃっと説明してくれ」 


「最初に約束を破ったのは、町のお偉方なんだ。俺式の考えでは、兵隊は騙された被害者でもある。俺式の見方だがな」

 

 主人は少し声を潜めて言った。家々に火を放ち、無関係な旅人を矢で傷付け、大剣を担いで商店街を蹂躙。昼下がりの町は阿鼻叫喚の戦さ場と化した。そのどこに被害者要素があるのやら……


「連中は大きな戦さで功を成した兵団なんだとさ。歴戦の後、故郷に戻る途中にここに寄ったんだ。で、手持ちの火薬と食料を交換する約束をしたらしい。ところが町側が反故にして、ちっとしか食料を配給しなかったんだ。そりゃ、怒るだろう」


「兵隊はが治ってたってことか。うん、うん」


 相変わらず、パドゥメは火薬と座薬の違いが分かっていないようだが、ここは面白いのでサフィも敢えて訂正しない。そもそも座薬は痔の治療に使うものなのか。挿したら悪化するような気がしないでもない。 


「火薬は元厩もとうまやの倉庫にあったんだよ。たぶん、昨日で綺麗さっぱりなくなったはず。爆発って言うんだっけかな。取引で町長が嘘を吐いて……でも何で叛乱みたいな大騒ぎになったのかな?」


「兵団側の大軍曹が凄んで脅したそうだ。町側は焦って拘束して牢獄にぶち込んだって訳さ。一昨日の深夜の出来事だな」


 配下の兵士たちは翌朝に蹶起し、大軍曹の救出に向けて全軍が動いた。町側も警戒を強めていたらしく、町の警邏隊けいらたいを中心に反撃に出た。それが旅の娘が遭遇した軍事衝突の真相だ。


 確かに最初に約束を破ったのは町側で、暴れた兵団側に動機も大義もあった。彼らは歴戦の末に疲弊して士気も低く、町長は侮っていたという。弱体化した兵団を舐めて掛かった末に牙を剥かれた格好である。


「分かったような、分からないような。まあ、僕らには全然関係ない事柄だし、和睦を結んでこれからは仲好くってところだな。これ、何の肉か想像付かないけど、美味いぜ。おっちゃん、もう八本追加。ほら、親子っちも遠慮せず」

 

 パドゥメは景気好く追加発注した。屋台の主人も正体について口を閉ざす謎肉だが、香辛料が旨味を引き立て、絶妙。果物ジュースも新鮮で、なかなかに豪勢な昼飯となった。食い意地の張ったマント姿の子供も満悦である。


「おお、見付けたぞ。広場の真ん中で暢気に串焼き三昧とは、驚きだ」


 背後から届く聞き慣れぬ声。サフィが振り向くと、そこには二人の中年男が並び立ち、驚いたような顔で一同が座すテーブルを凝視していた。


 独りは小豆色の帽子を手に携える。明らかに兵団の一味だ。片割れは、先程、長い机で踏ん反り返っていた男。こちらは町側のお偉方かも知れない。


 うっかりしていた、と反省するも時既に遅し。イタチに変化したパドゥメは、串焼きを食べる都合か、いつの間にか素に戻っている。当然だが、人相書にある金髪娘と瓜二つである。


 小さな黒魔道士は、自分たちがお尋ね者だったことを今になって、串焼きを五本ばかり平らげた末に思い出した。男二人がにじり寄る。


 迂闊だった。



❁❁❁🍖作者より❁❁❁

某国首都の大通りの片隅で串焼きを買って安宿に帰ると、宿の主人は血相を変えて言いました。「それどこで買った?」


簡潔に説明すると「絶対に食べちゃ駄目。今ここで、捨てなさい」と命令します。理由を尋ねたら「それはドブネズミの肉だ」と断言するのです。


安宿街に泊まるお上りさん目当てのインチキ商売だとか。確かに、そのBBQはジャンボな肉で、激安でしたが、まさかネズミとは……真偽は今も不明です。

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