閑話 サリューイ隊下女メメイの苦難 ①

 わたしはいま、トツメグの赤い実を探してアシの村のはずれの森の入り口にいます。それもこれも、あの頭の狂った美食家、いえ美食愛好家のサリューイ様のせいです。

 わたしは、古い記憶を頼りに、何年かぶりに帰ってきた故郷の獣道を進む。山の急斜面を縫うように続く獣道は、人間が安全に歩くための幅を下回っていて、時々足を踏み外しつつ、額に血管を浮かばせて。

 ことの発端は、サリューイ様の思い付きからでした。


───


「へ?トツメグですか」


「ああ、フレキ、いやあの男に出した料理の中に入っていただろう。昨日は、あのまま食事を終えてしまったが、珍しかったのでな。もしかして、この時期にでもトツメグが採れるとは思わなかった。

 あれは冬に入る前の僅かな間にしか採れないはずだろう」


 サリューイ様は貰い物のワインを口にしながら、器用にもう一方の片手で書類に判を押している。溢したりはしないのだろうかと心配になるが、それは私の仕事ではないのだから口を挟むことでもないと喉に押し込む。代わりに、彼の質問に簡潔に答える。


「私の実家から届いたものを出しました。ご存じないかもしれませんが、私の故郷のアシの村の森では、年に何度かトツメグが実をつけるんです。恐らく、標高と気温によるのかもしれません」


 妹が採ってくれたのを、聖都で働く私を思って母が親しい行商に頼んで送ってくれたのだ。 私は数年ほどアシの村へは帰れていないが、村のみんなは元気だろうか。そう思いながら、厨房ででトツメグのヘタを取っていたら、頬を一筋、涙が流れたことは秘密だ。


「なるほどな。ならば、今も実は生っているというわけか」


「ええ、どうしましょう。知り合いの行商に言伝を頼めば、次の月にまた届けていただけるかもしれませんが」

 

「次の月か...」

 

 サリューイ様の両手が止まる。


 まずい。


 以前、私が思いつきで東方からの珍しい香辛料を食事に使った時のことが脳裏によぎった。


 ちょっとした気分転換で、普段は仕入れない業者から購入してみたのだが、彼はそれを随分と気に入ったらしく、市場にそれが出回らなくなると、どうにかしてそれを手に入れようとラドミアのありとあらゆる関所に隊員を派遣したのだ。


 そして、行商人の運んできた香辛料をチェックし、お目当てのものを見つけるとその場で全て購入させるという、驚きの人海戦術を実施したことがあった。


 しかし、サリューイ様は少食のため、結局今も隊舎の食糧庫にはその時の香辛料が眠っている。

 あれは香りが強いので、しばらく放っておいても、調理する上では問題ない。

 けれど、私はあれを見るたびに、ラドミア中を走り回された隊員たちの顔が浮かんで、申し訳ない気分になる。

 私が好奇心であんな香辛料を使ったばっかりに…。


「あの、確かにトツメグの実はございませんが、他の木の実でもあの酸味や香りは賄えます。ですから、くれぐれも前回のようなことは」 


「前回?ああ、三角胡椒のことか。別にトツメグは買い込むようなものではないし、それに痛みも早い。そう考えると、採れたてを送ってくれたお前の家族には頭が下がるな。

 そうだ。お前に暇をやろう」


「はい?」


「俺は大ぶりで綺麗な実を丁寧に選りすぐって送ったお前の、妹たちか?

 その家族愛に感動した。褒美として与えるべきは、そうだな。愛する家族との時間といったところか。

 よし、グロカス!!ちょっと耳を貸せ」


 彼は混乱する私を置いて、グロカス様となにやら話し込んでいる。


「はぁ、ならば。そうですね」


 そして話を書き終えたグロカス様は私を一瞥して、ある人の名前を呼ぶ。


「ロッソ、こっちへ来てみろ」


 広間で食事をしていた隊員の1人がこちらへやって来る。彼は頭をかきながら、私に会釈をして隊長たちと向き合う。

 最悪。


「実はここにいるメメイが実家へ里帰りするのだが、若い女で一人旅は危険だろう。彼女と共にアシに行ってこい」


 本当に最悪。私は彼の整った横顔を見ながら悪態をつく。彼はロッソという騎士見習いの男の子で、私と同い年の好青年。

 なんというか、自白すると私の思いびとであった。

 あのじじい、失礼。グロカス様は恐らく私の、彼への好意に気がついて、同行させることに決めたのだろう。本当にお節介な奴。


「ちょ、ちょっと」


「分かりました!彼女は我々の食の生命線。メメイ殿は命に変えてもお守りいたします」


「よし、決まりだな。ついでといってはなんだが、トツメグも忘れずにな」


 サリューイ様は付け加えるようにそう呟いた。

 こうして、聖都騎士団サリューイ隊の下女メメイは、不本意ながら数年ぶりの帰郷が叶ったのである。


◆ ◇ ◇


 出発は薄明の中。飲み水と携帯食を持ち、そしてこっそり手作りの弁当を隠しもち、私たちは西の門から出発した。

 聖都からアシの村へは馬でも丸一日はかかる。そのため私たちは多少東に逸れるが、サリューイ隊の駐屯地に泊まり、二日に分けて村へ向かうことに決めた。


「いい天気、旅日和ですね。メメイさん」


「え、ええ」

 

 私たちは並んで馬を歩かせる。多分少し紅潮してる頬を隠したくて下を向いて進む。


「上手ですね」


「はい?」


「あの、乗馬、が」


 不審に思った私は隣を見る。ロッソが選んだのは騎士団が所有する中でも気性の荒い馬だったために、そう言いながら彼は、くらの上でまるでふるいにかけられた豆のように飛び跳ねていた。

 

「大丈夫?代ろうか?」

 

 馬に乗っているというよりも、しがみついているという方がしっくりくる。このままだと、駐屯地にたどり着く前に彼のお尻が削れてなくなってしまいそうである。


「いや、さすがに危ないですから」


 どっちが?と問いたくなるが、いじらしい私の恋心がそれを喉奥に押し込んだ。

 がしかし。


「ううん。やっぱり私がそっちに乗るよ」


 馬を代え、しばらく川沿いを進む。


「すごいなあ。あんなに手綱を嫌がっていたのに」


 彼はすっかり大人しくなった荒馬をしげしげと眺めている。


「一応、隊員の馬の世話もやってるから。この子は顔の周りに何かがチラつくのすごく嫌みたい」


「そうだったのか。ごめんな。それにしてもメメイ殿は何でもできるのですね」


「そ、そんなことは」


「俺とは大違いだ」


 現在は乾季のため、滅多に雨は降らないが極稀に突発的な豪雨が荒野に降ることがある。そんなことはラドミアの人々なら誰でも知っているが、それは急にやってくるものである。

 湿った雨の匂いがして、私は向こうの空からやってくる黒々とした雨雲を見つける。


「すみません。俺が手間取ったばっかりに」


「いえ、仕方ないですって。それにきっとすぐ止みますよ」


 川の増水の危険から、予定よりも先の橋を渡ったのは良かったが、どうやら主要な街道ではないらしく、仕方ないので低木にテントを張って雨宿りすることにした。


 テントの屋根の先なら落ちる雨の音を聞きながら、たわいもない話をして。

 という構想を練っている間にも、無言の時間が過ぎていく。当然だ。田舎の山の中で育って、出稼ぎに聖都に出てくるまでの間、まともに同年代の異性となんて喋った覚えはない。

 もともと、姉妹の中でも引っ込み思案な性格だった私が、こんな狭い空間で意中の人と二人きり。ああ、せめて、馬を代えた時とかに、少し気の利いたことが言えたならよかった。


「そういえば、俺が隊に入隊した時のことを覚えていますか」


 私の意識は、その穏やかな声で一気に現実に引き戻される。もちろん。


「うん、覚えてます。その、ロッソ様が私を助けてくださいましたよね」


「えっ、俺が?」


「うえっ!?ち、違いましたっけ。あ、あー私の勘違いかも」


 彼の返事を聞いた私は、頭の中がばちんと弾けた。あれ、覚えていないの?

 私と彼が出会った日は、よく晴れた、いやそうでもなかったかも。どちらでもいいけれど、初めての聖都に四苦八苦していた私は、本来訪れるはずだったサリューイ隊の隊舎ではなく、間違ってある商人の屋敷を尋ねてしまったのだ。

 それも、その商人が売買する商品は女性。そこは隠れ娼館だったのだ。そして、新しい商品だと勘違いした主人の商人に身体を触られ、ごく自然に拳を放ってしまった。

 当然、その商人に怒鳴られて、パニックになった私は、あろうことか2階の窓から外へと飛び出してしまい、通行人を下敷きにしてその時点で気絶。

 気がつくと、ロッソ様に介抱されていた。そして、彼の案内で無事にサリューイ様の元へと辿り着いたのだった。

 

「あれ、何か勘違いをしてるような。あの時、メメイ殿は、暴漢に襲われた私を助けてくれたじゃないですか」


「は、はい?」


「ですから、俺を襲った男を頭上からの肘打ちで追い払って下さった。もしや、覚えておられないので?」


「そ、それは」


 そこで私は合点がいく。なぜかこれまで異様に優しく接してくれる彼と、その後の、料理番を任されるほどのサリューイ隊での厚遇。もしかすると、私の仕事ぶりだけではなく、今目の前にいる彼の口添えがあったのかもしれない。

 なんという馬鹿馬鹿しい勘違い。通りで話が噛み合わなかったのだ。

 そして、私は考える。もし、この勘違いを正したなら、彼は私をどう扱うのだろうか。そう思い至ったら、急に真実を告げるのが億劫になってくる。


「あの。本当に覚えておられないのですか?」


「い、いやー。覚えてるかも」


「ですよね!あんなに荒々しい垂直落下を忘れるなんて、あ、もしかしてあれで頭を打って?」


「めちゃくちゃ思い出した!!うん、もちろん」


「よかったです。俺はあの日、決意したんです。騎士として勇敢にあろうと。それこそメメイ殿のように」


 彼の曇りのない笑顔に心がジクリと痛む。

 雨が上がり、雲の切れ間から透明な日の光が荒野に降り注いでいるのが見えた。


「あの、お弁当作ってきたんだけど。食べる?」

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