11-6

 魔獣の群れが廃城から放たれたとき、そのはるか頭上では連れ添った二つの人影がそのぶら下がった廃城を目指して、宙に浮いた石英の階段を登っている。


「名というのはその者の在り方を定める、もっとも普遍的なまじないのひとつです。『よい眼』の持ち主ならば、名を明らかにするだけで、目の前のが如何なるかを突き止めることも容易いといいます。

 あなたが何処から来たのか、あなたは何者か、そしてどちらの方角へと向かうのか。それは一見、乱雑に絡まった縄のように不確かに見えます。しかし、その両端さえ明らかならば、ひとつづつ紐解いていくこともできましょう」


「余計に名前を言いづらくしているじゃないか。ここで自分の名前を言えばあんたに全部筒抜けになってしまうというわけだろう?」


「悪いようにはいたしません。単なる興味本位ですから」


「なら、メガミであるあんたから先に名乗ってくれ。神だというんなら、名を人々に知らしめてなんぼだろう」


「───女神という名前の神様ですよ。もちろん神に誓って嘘偽りはありません」


「神であるあんたが、自分に誓っただけじゃないか。それとも、この世にはおれが知らないだけで神がいくつもいるっていうのか」


「案外、すぐそばにいるかもしれませんよ。ただ、私たちはあなたの考えるような絶対的な存在ではなく、水が腐らぬように搔きまわすだけの、かいのような存在にすぎません」


「かい?」


「ええ、この世というのは進むにしろ後退するにしろ、常に動き続けていなければならないのです。世界を一葉としたならば、そこが小さな湖面であっても波を起こし、揺れ動かすのが我々の使命とでもいえましょうか」


「ひどく退屈そうだ」


「退屈ですとも。だからでしょう、私の旧友は去って行ってしまった。結局、神々は地上から追放され、いまやその旧友だけが地上に残りました。

 そして彼は人の身に隠れ、この小さな湖から抜け出す方法を探しています」


「じゃあ、あんたはその古い友達をここで待っているのか?」


「いいえ、むしろ逆です。

 その出来の悪い悪友の鼻っ柱をへし折って、顔を泥沼に押し付けて、彼が許しを請う様を見るために姿を晦まし続けてきたのですから」


「怖ぁ」


 男はその彫刻のような容貌が、美しさを保ったまま深い闇に沈むさまを見て、細い声を漏らした。

 それと同時に、二人は天窓から逆城へと足を踏み入れる。見上げたその視界に、よく見慣れた光が映る。


「ああ、探していたのはあの剣だ。なぜか子供に踏みつけられているけれど」


「それはよかったです。ただ、私もやるべきことができたようですから。

 最後に、私の名前をあなたにお伝えさせていただきたいのです」


「あれだけ、もったいつけておいてか?」


「きっとこれでお別れでしょうから」


「そうか───フレキ。祖父がくれた名だ。言っておくが僕は定めだの、この世の真実だのは信じていない。だから、あんたを信用したからとかではないから」


 それを聞いた女はくすりと笑う。


「おい、失礼じゃないか」


「いえ、これほど分かりやすい名だとは。ええ、ぴったりの名だと思います。

 それではフレキ。

 その誠意に感謝し、我、水神イズラフーマは祈りましょう。あなたの旅路が、平坦でないまでも、せめて幸多からんことを」


 再びあの琥珀色の閃光が男を包む。そして今度はその光が虚空に亀裂を走らせる。そしてその逆さまの世界は、輝く石英の欠片と共に崩れ落ちた。

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