11-3

「悪いな、わざわざ」

 

「いえ、まだ何も言ってはいませんが。

 ですが、飲み水ならば、ご用意できましょう。あそこに見える『逆城さかしろ』の真下に、少量ですが湧き出る清水がございます。そこへ案内いたしましょう」


「悪いな、わざわざ」


 身を翻した女神と名乗る女の足元が、自らと違いあの光が灯らないことに不思議がりながら、男はその者の後を追って歩きだす。女が指さした先、『逆城』と呼んだ天井からぶら下がる建造物はところどころが崩れかけている。

 

「なあ、あの城は急に崩れたりはしないのか?」


「随分とおかしなことをおっしゃられるのですね。心配なさらずともよろしいかと。瓦礫が崩れて天に昇ることなどありえましょうか」


「うん?だが、今まさに踏みしめているこれが。いや、確かに正しく下に落ちているのは僕たちだけだ」


「ええ、この塔を下層から降りる者は多くいますが、のように頂上から昇るものはおりません。開かれた門からお入りにならなかったせいでしょう」


「なあ、この塔はいったい何なんだ?」


「お知りになりたいですか?」


 石英の林を抜けると、女は殺風景な岩場を軽い足取り進んでいく。そして、彼女の言ったように、岩の裂け目から膨らんだ水滴が上へと滴り落ちている。

 男はそれに手を翳す。すると地面に向けた手のひらに冷えた水が溜まっていく。彼は恐る恐るそのひと掬いの水を口に運ぼうとする。

 

「おっと」


 口元へと近づけた手のひらから、集めた水滴の塊がすり抜けていく。「しまった」という顔をしのち、男は地面に四つん這いになり、こぼれる水滴を迎えるように口を開いた。


「あああああ、ああ」


「はい?」


 男の口に向かい水が昇っていく。そして念願の飲み水を口にした男は、かっと目を見開き、咳き込んで顔を赤くさせた。


「あの」


 ひとしきり悶絶すると、いまだ紅潮した顔をあげる。


「口の奥に、へばりついて。ふう、やっと喉を下っていった。あんたは普段、どうやってこれを飲んでいるんだ?ああ、そうか逆立ちでか」


「聞いておいて早合点しないでください。私は、何度も言うようですが女神ですから、そのような行為は必要としないのです」


「そうか、めがみか。なるほどな」


 女は、その男の呟きに怪訝な表情を浮かべる。


「あの、失礼ながら『女神』という言葉の意味を理解しておられますか?」


 彼女が恐る恐る尋ねると、男は眉を顰める。


「知っていた方がいいことなのか?」


「あの、知らないのなら聞いていただければ、私も説明しますから」


「いや、いい。あとで『あーかーぶ』にでも教えてもらおう」


「なぜですか。女神本人にお聞きくだされば、誰よりも正しく説明いたしましょう」


 男はそう諭す彼女に疑念に満ちた視線をやって、口を開く。


「お前は、怪しい。水場を教えてもらったことは感謝するが、もしあいつらを連れ去ったのがお前なら、大人しく返してくれ」



 


 

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