9話 魔獣と騎士と謎の男
その鐘の音は、騎士団に共有された決まりごとの一つで、魔獣の鋭い聴覚を妨害しつつ、その所在を明らかにするために用いられる。それは、狼が群れで獲物を追い立てるやり方に似ている。
「なあ。これ以上進むと」
「危ないって」
振り向いた男の、逆手で持つ二振りの剣がイァハの眼前を通過する。そんなアクシデントに気をとられながらもイァハは決断を迫られていた。冷汗が額を伝って、彼の口の端を濡らす。
夕立の雨音と、それで冷えた体温、込み入った路地という状況を利用しここまで追っ手を潜り抜けたが、この先は殺風景な空き地が城壁まで続いている。
聖都を上空から見下ろせば、城壁を添うように内側がぐるりと空白地帯になっていることが分かる。また聖都の北側に置かれた王宮から放射状に大通りが延び、ひとつの区画ごとに似たような空白がある。これは魔獣の襲撃に際し、城内で起こった火災が延焼しないための工夫である。
旧聖都が闇に飲み込まれ、魔獣の巣食う迷宮へと変貌した後に造られたこの都は、大陸に二つとない対魔獣用の要塞都市といえる。
イァハは、それを見て、このまま空き地を走り抜けて、いくつかある城壁地下への入り口に滑り込む、のはまず不可能であることを察する。「自分一人ならば何とでもなるけど、この人は」と思いながら、立ち止まり後方を振り返る。
男の持つ
「さっきの防御魔術、展開しながらの移動はできないんでしょうか?」
『ええ、当然ですが。そもそもあれは防御魔術ではなくて…』
ここまで来たのなら、自身の役目は果たした。すでに住民たちの避難は済んだはずだ。都合よく今、城内には十二騎士団の実働部隊が揃っているんだ。あとは魔獣を引き付けるこの男を残して。
脳裏に浮かんだその考えを、彼の生来の篤厚さが払拭する。そしてなにより、生まれ持った才能に伴う責任感が彼をこの場に留まらせていた。
「あんたが何者なのかも知らないが、無理してついてくることないぞ」
男はイァハの僅かな躊躇いを感じ取ったのか、あっけらかんと言い放つ。イァハは驚きつつ、覚悟を決めたように居住まいを正す。
「これでも聖都を守護せし騎士団の端くれです。肩書だけでないところを見せましょう」
地面に転がった物干しざおを拾い上げ、彼はその切っ先を、再び相対した三匹の魔獣に向ける。路地から飛び出してきたその三匹は、野犬の群れのように、大通りいっぱい、横に広がりながら二人との距離を縮めていく。
「うん?よくわからんが、いけそうなのか?」
「そ、それは分からないけど、やってやるぞってことです」
「よしわかった」
男の間の抜けた返答に不安を感じるイァハを、容赦のない魔獣の凶刃が襲う。彼の持つ物干しざおが竿のようにしなり、魔獣の前脚を受け止めた。そして、彼はその衝撃を、足さばきと体重移動で素早く受け流す。
「気を付けてください!!やはり狙われているのはあなたで」
イァハが振り返った視線のさきには、すでに二匹の魔獣に押しつぶされそうになりながら半狂乱で逃げ回る男の姿があった。それはまるで、小動物が天敵に襲われながら、最後の抵抗に打って出るような。
「得意の防御魔術はどうしたんですか!?」
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