8-5

 聖都、特に南区の路地はその大部分が居住区であり、城壁に近づくにつれて貧困街スラムの様相をなす。そのため大通りを南下していくと、次第に煉瓦や土壁の建物は減り、代わりにあばら屋や廃材をかき集めた、雨露や日中の激しい日射しをしのぐためだけといった簡易なテントが並んでいる。

 

「おい、さっきのオヤジは無事なのか?」


「手加減はしたから」


 三匹の魔獣に取り囲まれたイァハは、まず誰かを庇い逃げることは不可能だと判断して、工匠店の店主グレゴラに向けて無慈悲に魔弾を打ち込んだのだ。

 隣の織物の露店に突っ込んでいった彼が無事であったことは、いまだ魔獣の追撃を受けて逃げている二人には知りようがなかった。


「急にオヤジをぶっ飛ばしたから錯乱したのかと思った」


「ああするしかなったんだって。それよりも人のことを気にしてる場合じゃ」


 二人は入り組んだ路地を駆け抜けていくが、周囲は次第に開けていく。青年が水溜まりを踏むと、ばしゃりと飛沫が舞う。激しい雨音の中、魔獣たちは醜い頭部の両端に空いた僅かな穴、その奥の鼓膜でそれを拾う。


 僅かに前方の土壁の家屋が吹き飛ぶと、乾いた砂煙が舞う。崩れた壁から突き出た、どす黒い魔獣の腕を躱し、二人はその噴煙の中を勢いのまま駆け抜ける。濡れた二人の肌に、砂がへばりつく。

 

『逃げるばかりというのも芸がない気がしますが』


「だからって、三体を同時に相手するわけには。あとサァ、今のはそいつが喋ったのか?その手に持ってるのはなんなんだよ」


「これは聖剣アーカーブといって」


 今度は狙いを定めた一撃が、二人の頭上から放たれる。飛来した魔獣はその重い躰で、路地を走る二人を押しつぶした。


「こういうことができる便利な棒だ」


 魔獣の躰を押しのけるように、謎の男を中心とした半円の魔術障壁が発生する。


「また、その訳の分かんない防御魔法かよ」


 男とイァハがあの絶望的な包囲を脱することができたのも、魔獣の渾身の一撃がこの正体不明の防御魔法によって弾かれ、一瞬の隙が生れたからだった。

 しかし、路地の先には、次なる黒い影が待ち構えている。

 それを見たイァハは、自身の腕と脚に局所的な強化魔術を付与することで男を担ぎ上げ、右手に迂回する。


「おお、力持ちだな」


「それ、出しっぱなしにできないわけ?」


『干し葡萄から搾った果汁で甕が満たされるとでも?』


 月の光のような青白い魔術障壁は、次第にその実体を失って消え去る。


「だそうだ」


「なんだよそいつ、むかつくなあ!!『魔具まぐ』かなにかだろうけど」


 イァハは視界の隅に捉えた逆さに干される銅鍋に、すれ違いざま、せっかく手にしたあのイシュタッド銀貨を投げつける。銀貨がぶつかると鍋は軽快な音色を奏でる。

 二人が通り過ぎたあと、間髪入れずにその鍋が宙を舞った。


「なるほど、『音』か」


「奴らは獲物の音と熱、そしてなにより魔力を頼りにしているんだけど」

 

 そのとき、大きな鐘の音が響いた。その音は城内を反響する。そして路地の両側から襲い掛かった魔獣を、男を背負いながらもその挟み撃ちをかいくぐって、大通りに飛び出したイァハの耳にも届いた。


「よし、南の城壁はすぐそこにある。一気に駆け抜けよう」

 

 

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